まだ生きている
残ったのは…すべてを奪い去ったそのあとだった。
焦げた匂いだけが残り、村は不自然なほど静まり返っている。泣き声も、怒号もない。ただ、風が焼け落ちた屋根を撫でる音だけが、やけに大きく響いていた。
リコリスは、獣人たちの亡骸の前に膝をついていた。
一人、また一人……
土に還すたび、胸の奥が削られていく。
――知っていた。この人たちは、救われないと。
未来を知っているからこそ、助けられなかった命の重さが、耐えがたく重い。
手が震える。
土を掘るたび、爪の間に入り込む土がまるで罪のように感じられた。
「……ごめんなさい。」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない。
ここで、命を落とした獣人たちにか。この惨劇を生き残ったのに、死なせてしまったクロウにか。
それとも――自分自身にか。
リオンは何も言わず、隣で黙々と手を動かしていた。その沈黙が、せめてもの救いだった。
その時。
「……お前たちは、何者だ?」
背後から、胸を刺すような殺気が走った。続いて、鋭く張り詰めた声が飛ぶ。
リコリスは反射的に、心臓が跳ね上がる。
「人間が、何故仲間の兵士を殺していた?そこで何をしている。……そいつらは、俺の最後の仲間だったんだぞ」
剥き出しで、迷いのない殺意。
「返答次第では……殺す。」
リコリスは、ゆっくりと振り返った。
そこに立っていたのは、ナイフを構えた、まだ少年の面影を残す獣人。
――クロウ。
分かってしまった瞬間、視界が滲んだ。
成長しきっていない体。
傷だらけの腕。
怒りと絶望で、今にも壊れそうな目。
生きている。この時代のクロウだった。
胸が、張り裂けそうになる。
違う……この人は、まだ……
未来でリコリスを抱きしめ、
「好きだ」と笑った彼ではない。
それなのに。
気づけば、足が動いていた。
「クロウさん……!」
声が、震える。
涙が、止まらない。
彼を抱きしめた瞬間、確かな体温が伝わってきて、
それだけで心が壊れそうになった。
「会いたかった……!」
クロウは明らかに動揺し、身を強張らせる。
「やめろっ!何者だ、お前!」
突き放そうとする力は、強い。けれど、リコリスは離れなかった。
違う……彼は、まだ、何も知らないのに…
自分が誰なのかも。
どれほど愛され、どれほど失われるのかも。
「私は……あなたを知っているんです。」
出した言葉で喉が、焼けるように痛む。
「未来から来たんです。」
取り返しのつかないことを言った気がした。
クロウの目に、混乱と警戒が渦巻く。
「未来?ふざけるな。詐欺師か……それとも、ただの頭のおかしい女か。」
当然だ、信じられるはずがない。
それでも――
彼の目が、完全に拒絶していないことに、リコリスは気づいてしまった。
泣いている女が、
敵意もなく、ただ必死にしがみついている。
その異常さが、クロウを戸惑わせていた。
「リコリス……ちょっと落ち着こうか。」
リオンが、静かに間に入る。
「僕たちは、君の敵じゃない。」
クロウはリオンを睨む。
「人間の言葉は信じない。」
「それでもいいよ。」
リオンは剣を下ろした。
「だが、彼女は君を傷つけるつもりはないよ。」
リコリスの視界は、涙で歪んでいた。
抱きしめちゃだめだった……
名前を呼ぶべきじゃなかった……
この時代のクロウにとって、
自分はただの不審者だ。
それなのに、止められなかった。
「僕たちが敵じゃない証拠を見せる。」
リオンは、一瞬だけ息を呑み、そっとクロウの腕を取った。
「君の傷を治療する。敵かもしれない人間に突然抱きしめられて、君はほとんど抵抗していない。いや、君にはもう、抵抗する体力すら残っていないんだよね?」
リオンの言葉にリコリスはハッとした。
リコリスは、持っていた薬を取り出しクロウの治療を始めた。
何度も、何度も…未来で、この人の傷を手当てしてきた。薬草を塗り包帯を巻く、その手つきは、迷いなく、優しかった。
クロウは何も言わず、ただ見下ろしていた。
その沈黙が、少しずつ鋭さを失っていく。
「……もし僕たちが敵なら手当てなんてしないよね。君が弱っているうちに殺しているはずだよ?」
リオンは優しい声で語りかける。
クロウは、舌打ちするように息を吐いた。
「分かった。……今は、敵じゃない…んだな。」
その言葉に、リコリスの胸がほんの少しだけ緩む。
けれど、次に続いた言葉が、心を深く抉った。
「だが、お前ら人間は許さない。そこに死んでる奴らは……俺たち獣人族の最後の生き残りだった。」
その「最後」という言葉が、未来を知るリコリスにはあまりにも重い。
「……これから、どうするんですか。」
リコリスは絞り出すように尋ねる。
クロウは、遠くを見る。
「さあな。ここには、もう何もない…死に場所でも探すか。」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
この人は――まだ、生きる理由を持てていない
リコリスは、覚悟を決めた。
愛する人と一緒にいたいからじゃない。
未来を変えるためじゃない。
罪滅ぼしのつもりなんかじゃない……
ただ――
この時代のクロウを、一人にしないために。
「……一緒に、来ませんか。」
声は、震えていた。
「私たちも、旅の途中です。一人より……一人より、きっと……」
リコリスの言葉が、詰まる。
リオンが、静かに頷く。
「君を放っておけない。」
クロウは、長い沈黙のあと目を伏せた。
孤独と、疑念と、わずかな希望。
そのすべてを抱えたまま、彼は言う。
「わかった。だが、お前たちを信用したわけじゃない。お前たちが亜人を迫害した時に…殺すためだ。」
それでも、頷いたクロウ。
その瞬間、リコリスは胸の奥で、静かに泣いた。
まだ若く、傷だらけで、未来を知らないクロウが、そこに立っている。
そしてリコリスは、知っている未来を胸に秘めたまま、彼と再び歩き出してしまった。
――取り返しがつかないと分かっていながら。




