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第三部 第八章「届かない」

ボランティア二日目。

 今日は昨日のような早起きではなく、九時にセットされたアラームで目を覚ます。昨夜は肉体労働ということもあってか、ホテルに帰ってきてから俺と想志はすぐに眠りについた。アラームを止め、身体を起こす。想太はまだ寝ていたので、ポットで湯を沸かし、彼の分もお茶を注ぐ。数分絶たず、想太は目を覚ます。

「あんがと。」

 想太はカップを手に取り、口元へ運ぶ。まだ熱いであろうそれに躊躇がない所を見てしまうと、『猫舌じゃないのって良いなあ』と羨んでしまう。

「今日は当時、被災地にいた人からのお話‥‥‥というか、講話‥‥‥だっけか。」

 日程表と印字されたプリントを取り出し、確認する。

「そうだな。ご高齢の方だって聞いてるけど。」

 ボランティアと命名するのだから、全ての日程が肉体労働によって構成されているのかと思っていたが、それは大きな勘違いだった。実際のところは、被災地の様子を直に知ってほしいという意図で行われるものなのだろう。

「こりゃあ、長話になりそうだな。」

 呆れ半分、笑み半分の貼り付けたような顔を見ていられず、彼から目線を切る。

「いいのか?‥‥‥というか、良かったのか?」

「何がだよ。」

 仮初の顔を崩し、彼は少しだけ笑みを見せる。

「ここはお前の故郷‥‥‥なんだろ?本当に、来て良かったのか?」

 詳細に尋ねるまでもない。数年前、彼がここで大きな傷を負ったであろう事は問うまでもない。ならば、この場所にわざわざ進んで来る必要などなかったであろう。だというのに、なぜ―――

「良いに決まってんだろ。色んなことがあったけど‥‥‥それでも俺の大事な場所なんだ。」

 ふっと息を吐く。

 そんな清々しい顔で言い切られたら、もう何も言えねえだろ‥‥‥。


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 昨日は一度も出会わなかった、顧問の先生と女子組と合流し、バスへ乗車する。目的地は介護センター。主に高齢者の方を招き入れている施設らしい。というのも、今回、講話を行う方がそこにいらっしゃるからだとか何とか。

 目的地までは約三十分ほど。道中で特にやることもなかったので、ぼんやりと窓からの風景を眺めていた。バスが発車してしばらくはプレハブ住宅が並んでいた。震災が起きてからまだ数年しか経過していないため、無理はない。ホテルを出てから十五分くらい経っただろうか。海。瓦礫。海。瓦礫。それだけが瞳に映っていた。何も変わらない光景ではあるけれど、不思議と目を離さずにはいられなかった。

『ここにいた人たちは海を憎いとは思わないのだろうか。二度と見たくないとは思わないのだろうか。』

 人によっては不謹慎と捉えられてもおかしくない疑問を持つ。もちろん、想太に聞くような真似はしない。でも、その疑問だけが頭の片隅にこびりついて消え去ってはくれなかった。

 介護センターへ到着し、下車する。先生が入室の手続きを済ませるまで外で待機をすることとなった。


「先輩。あんまり気負いすぎるのは良くないですからね。」



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 手続きを済ませ、軽い注意事項を受けると、広々とした一室へと通された。喩えるなら、学校でいうところの応接室を広くしたバージョン的な場所だ。

「適当に椅子に腰をお掛けになってください。もう少しで佐藤さんがいらっしゃるのでしばしお待ちください。」

 職員らしき女性はそう言って退室していった。

 どうやら、お話をしてくれる方は佐藤さんというらしい。何はともあれ、立ちっぱなしというのはよろしくないという思考に至り、手近な椅子へ腰掛ける。


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 数分ほど経過し、事前に聞いていた通りのご老人が、職員の方に連れられて入室してきた。きっとあの方が佐藤さんなのだろう。ゆっくりと腰を下ろす。

「これは、被災地の当時の様子を写真としてプリントしたものです。適当にご覧になってください。」

 介護士であろう方は、端の方に置いてある、パイプ椅子へ座る。


「皆さん、こんにちは。私の名前は佐藤です。今日は来てくれてありがとう。」

 老人らしからぬ、はきはきとした口調に思わず驚く。いや、もちろん、この表現が適切ではないという事は理解しているのだが‥‥‥。


『わかっている。ちゃんと記憶しなくてはいけない。いつもと同じだ。やるべき事は変わらない』


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 きっと、この人も同じ光景を直で見たんだろう。いや、俺よりもっと悲惨な光景を目にし、非常な選択をしてきたのかもしれない。ここに帰ってきてからは夢でうなされるばかりだ。昨日もそうだった。

 今でも、あの日のことを思い出そうとすると、吐き気が止まらなくなる‥‥‥。けど、俺はもう一度、見ておきたかったからここに来た。あの選択は正しかったのかという、晴れるわけがない陰りをどうにかしたかった。


 ああ―――本当に。忌々しい。


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 最初に、その地獄を見た。


 黒に染まった水。土。砂利。鉄骨。瓦礫。人の形をしていたであろう何か。腐敗した身体。

 暗い。暗い。暗い。暗い。暗い。

 何もかもが絶望に塗り替えられていた。

 あらゆる希望。あらゆる願いを根絶やしにされた。


 さっきまではそこに在った建物。

 さっきまではそこに在った人たち。

 さっきまではそこに在った笑顔。

 さっきまではそこに在った日常。

 さっきまではそこに在った当たり前。


 友達も。家族も。想い出も。

 全てが無に帰していた。


 生存者は皆一様に、寒さに震えていた。いや、もはや生存者と言っていいのかすらわからない。それは、ただ生きる、呼吸をするという動作をするだけの動物だったから。

 だってそうだろう?

 こんな状況で私らしく、人間らしく生きるという方が無理な話だ。


 『人間は生きるために生きて、己の幸せを掴むべきだ。』


 そんな言葉をドキュメンタリーか何かで聴いた。確かにその通りだと思う。けれど、何もかもを奪われたのなら、感情さえ死んでしまったのなら、俺たちはいったい何のために生きていけばいいというのだろうか。


 津波に流されている家を見た。その屋根にある、突起物にしがみついている人を見た。

 ボートに掴まり、その手を離さないように強く力を入れている腕を見た。


 どれもこれも、浮いていた。汚濁の中で漂流しているのだから当然だ。ただ、ぼんやりと疑問に思ったことがある。


『俺たちの下には、いったいどれだけの死体があったんだろうな』


 死体だけではない。今もなお生き続けたいと願った、顔も名前も知らない誰か。まだ息があったかもしれない誰かの上で、俺たちはたまたま生きていられた。


 あの時、違う道へ逃げていたのなら。走っていたのなら。違う判断、異なる選択をしていたのなら、『ソコ』にいたのは『オレ』だったかもしれない。


 誰もが下を向いていた。

 誰もが顔を覆い隠していた。

 誰もが何も言葉を発しなかった。


 自殺する人がいた。

 体育座りをして両手を前で組み、胸に顔をうずめている人がいた。

 薄いブランケットを濡らしている人がいた。

 泣き叫ぶ小さな子どもがいた。


 また、盗難は絶えなかった。別に、誰も彼もが聖人なわけではない。常識を持っている人間ではない。いや、あまりにも非常時すぎたからこそ、常識だと認識していたものが非常識にすり替わっていたのかもしれない。もちろん、誰だって盗られたくない。けれど、盗られたとしても、嫌悪感は募るものの、その行いを責める人はほとんどいなかった。だって、彼らの気持ちだってわからなくはないのだから。失ったものは人によって様々だ。何も、失ったのは形あるものだけではない。皆、心に大きな穴が空いていた。ならば、頭ではその行為がダメだと判っていても、必然的に空いたものは何かで埋めたくなるのが普通だろう?


 多くの人が行動した。

 穴を掘って簡易トイレを作る人。

 物資を分配する人。

 給水所の整備をする人。

 給料が発生する訳じゃない。見返りがある訳じゃない。それでも、こういう人たちがいるんだって思えると少しだけ何かで満たされていく感覚がした。『手を取り合う』『助け合う』小学生、幼稚園生の頃からずっと教わってきた、ふわふわとした実感のない教育が明確な形を持った瞬間だった。けれど、少しだけ満たされたココロは、すぐに零れ落ちていった。


 数日経っただろうか。別の体育館には遺体がいくつも並べられていた。中には、もうぐちゃぐちゃな遺体もあった。断線するかのように脳がショートする、意識が遠のいていく感覚に襲われた。


 そこから先はあまり憶えていない。おかしいな‥‥‥ちゃんとこの眼で見たはずなのに。

 地獄というのは、こういうコトをいうのだと、本能で理解できた。


 地震から約一週間ほどが経過した。自宅が在った場所を見に行く人。俯いている人。知り合いに引き取られる人。俺も、近いうちに遠方の親戚に引き取ってもらうことになっている。けれど、その前にちゃんと見ておきたかった。‥‥‥いや、見ておかなければならないと思った。


 担任の先生の車に乗せてもらい、今後必要になるであろう書類を取りに行った。


 けれど―――


 何も、何も、何も、何も残ってはいなかった。ソコに在ったはずのものは無く、気づいたら見慣れてしまった瓦礫だけが無造作に散らばっていた。


 ああ―――また、脳がショートしてしまう感覚。


 見なければよかった。知らなければよかった。見に行くべきだと思わなければよかった。ずっと、何かに囚われていればよかった。引き取ってくれるまで、暗い所で閉じこもっていればよかった。

 何で俺は生きているんだろう。生きてしまっているんだろう。生き残ってしまったんだろう。


 わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからないっ―――


 生き残ったからには意味があるはずだ。理由があるはずだ。いや、なければならない。そんなものはないのだと、思ってはいけないっ。探すんだ。考えるんだ。でなければ、何でアイツじゃなくて、あの人たちじゃなくて俺なんだよ―――


 俺は何のためにあの地獄を生き延び、俺は何のために、あまりにも多すぎる無念の上に足を付けているのか。


『お前が立っているその瓦礫の下には、今も誰かが眠っているのかもしれないんだぞ?』


 何度も、何度も吐いた。吐くべきではない、吐いてはいけないと再三言い聞かせても、身体は言うことを聞いてくれなかった。本当に、都合の良い。身勝手すぎる、あまりにも罪深い身体の機能に嫌悪感を抱かずにはいられなかった。なぜなら‥‥‥吐けば吐くほど、確かに、ココロはほんの少しだけ軽くなっていたのだから。


 ああ―――最初からわかっていた。理解していたさ。ただ‥‥‥それには意味があってほしいと、理由があってほしいと思っていただけ。そうしなければ、とっくに壊れてしまった身体を、ココロを保つことなんて出来るはずが無かった。


 理由なんて無い。意味なんて無い。ただ、運が良かっただけ。それだけなんだ。無いものを探したところで、求めたところで、そんなものは手に入るはずが無いというのに―――


 誰かの犠牲の上で俺たちは生きている。それがこの社会の原則だ。これまでの数多の選択。これからの数多の選択によって人生は彩られていく。そんなことは何となくわかっていたけれど、何もここまでしなくてもいいじゃないか。


『タスケテ。タスケテ。タスケテ。タスケテ。タスケテ。タスケテ。タスケテ。タスケテ。タスケテ。タスケテ。タスケテ。タスケテ。』


 ごめんなさい。謝れる資格なんてない。あっていいはずがない。でも、謝ったら少しはココロ軽くなる感覚があった。それに縋っていただけかもしれない。謝ったら楽になるから、そうしただけなのかもしれない。‥‥‥いや、きっとそうなのだろう。こんなことに意味はないけれど、それでも自分が選択したのだから。『あなたたちは助けない』と、時間がないのに悩んで悩んで悩んで、選択したのだから。あなたたちの分まで俺は無様にも生きていこうと誓った。


『お兄ちゃん』


 迷わなければ。すぐに決断していたら。未来は変わっていたのか?助けることが出来たのか?


 そんなことを考えるのに意味がないのは理解っている。どうしようもないことだと、既に手遅れなのだと理解っている。

 失ったものは戻らない。奪われたものは戻らない。起きてしまったことを無かった事にする、なんてことはできない。

 おかしいな。失ったのなら、奪われたのなら、何かで埋めなきゃいけないのに。何だって、今もこんなに空いたままなんだよ―――


 ただ前を向いて歩く。それしか俺にはできなかった。生きたいと願ったのに、そんな当たり前だったことを叶えられなかった多くの人たちの分まで。お前の分まで―――



 誰しも、いついかなる時に、理由のない不幸に襲われることを自覚していない。


 毎日起きる火事。

 毎日起きる交通事故。

 毎日起きる殺人事件。


 現実とは、かくも厳しいものだ。理由のない不幸になんて見舞われないと当たり前のように思っているから、誰かそうなっている人を見ると強く当たってしまう。


 あなただけが辛いわけじゃない。それでも、成功している人はいる。


 冗談は止めてくれよ。そいつらは確かに努力したんだろうが、運が良かったんだろうよ。世の中には、本当に、もうどうしようもないどん底にいる人間だっているんだぞ。努力しても努力しても、報われていいはずの努力をしても、報われないヤツだってごまんといるんだよ。

 誰だって出生は選べない。日本に生まれたのは良かったと思えるが、もしあの地域に生まれなかったら、あんな地獄を見ずに済んだのかと思わない日は無かった。たとえそれが、これまでの大切な時間を否定する事だとしても―――


 理由のない不幸に襲われる人。

 運の要素を限りなく減らすために努力したのに、結局、運に見放され、絶望する人。


 本当に。もう少しぐらい優しくしてくれてもいいのに―――


 物語の中に居られたらいいのに―――


 夢だったらよかったのに―――


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「想志。愛する人ただ一人と、見知らぬ人二人。‥‥‥すぐに決断することで、どちらかだけを助けられるのなら‥‥‥お前は‥‥‥お前なら‥‥‥どうする?」



「―――」



「そうか‥‥‥お前らしいな‥‥‥」

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