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11・ロンリーファオ

 早朝から妊婦の手がかりを得ようと、意気込んで街に出たのは良いが、その意気込みに対して結果は伴わなかった。

 手がかりではなく、精神的疲労を少々を得ただけの一行は、刻一刻とチアノと約束した時間を迎えようとしていた。

 

 刻限が迫る中、行き詰まった一向は、ついに歩みを止め、人々や馬車が行き交う大通りの片隅で相談し始めた。

 口火を切ったのはファオだ。本音を空っ腹に隠しながら尋ねる。

「さて、そろそろ昼になるけど」

「拙者は小腹が空いておる。どこかゆかんか?」

 予想通り、ディアモントから歯に衣着せぬ答えが返ってきたので、ファオは、内心、小躍りした。

「駄目ですよ!時間いっぱいまで捜さなきゃ」

 ミチェットが反論するのも計算の内だ。むしろ、二対一で叩けばいい。楽勝だと思ったのか、本性を現した餓狼が牙を剥く。


「でも今を逃したら、暫く食事にありつけないよ。空腹で仕事に集中」

「あーっ!ミチェットじゃん」

 まるで意外なところで級友を見つけたような可愛らしい少女の声が、得意げなファオの声を遮る。

 ふと、一行が声の方へ目をやれば、大通りを挟んで向こう側から、リィアが馬車を慎重に避けながら、こちらへと駆け寄って来るのが見えた。

 

 チッ、ミチェット目指して、駆け寄ってくるリィアの姿を見とめたファオの口から、舌打ちが漏れた。

 ファオは、心臓に気色の悪い大毛虫が這いずりまわるような感触を感じると同時に、顔の筋肉が微妙に強張るのが自分でもわかった。

 幸運なことにファオの不快を露にした顔は、標的を見つけて視界が狭くなった雌鳥の視界には入らなかったようだ。まさに眼中にないとのはこのことだ。


 リィアはミチェットの目の前までやってくると、両拳を口元にもってきながら、可愛らしく訪ねた

「なになに?昼食べるとこ、探してんの?」

「はい、どこで食べようかなって、今、相談してたんです」

 先程の意気込みはどこへやら?どうやら、お堅いミチェットも、この若いイオリンラの乙女には甘いようだ。

「ちょうど良かったァ。今、出勤するとこ。一緒にいこ?」

 有無を言わさぬつもりか、なにげなく、両手でミチェットの両手首を捕え、逃げないように捕獲する。

「え?いいんですか?」

 イオリンラの乙女からの誘いに嬉しそうに応じる少年ミチェット。若いうちからこれでは、先が思いやられる。

 リィアは、そのままの姿勢で、ミチェットの視線より、やや低くなるように少し腰を落してから、顔を急接近させる。

「いいよーサービスもするからさぁ」

 瞳孔よ拡がれ!瞳よ輝け!といわんばかりに、瞳を目一杯ひろげて下からミチェットの顔を覗き込む。決まった・・・私って、最ッ高に可愛い!と思っているリィアに思わぬ邪魔が入った。


「拙者、この様な身分でござるが大丈夫でござるかな?」

 何時の間にかミチェットの隣に立っていた、貧しい身なりの東方蛮人の男が、やや皮肉めいた物言いで訪ねてきたのだ。

 察するにミチェットが雇った奉仕人だろうと判断した。こいつは雄だ。篭絡する方が容易いし、味方は数が多いほうがいい。リィアの頭脳が光の速さで判断する。

「もっちろん、ミチェットの仲間なら大歓迎よ!」

 間髪いれず、右手をあげて、誰でも歓迎するよと言わんばかりに可愛く答える。このまえのような失態ミスは二度と起さない。

 昨日は妙な奴のせいで、少し私の魅力が殺がれてしまった。あれがなければ、お互いの住所をやり取りするぐらい、いや、あのまま私の警護についてもらい、そのまま結ばれるくらい仲良くなれたのに!

 にこやかな外見に反比例して、中身は女の幸せを得ようと、ドス黒い計算をし尽くしていた。


 そういえば、あの妙な奴がいないぞ?奉仕人の分際で、さんづけで呼ばれる醜くて薄汚い黄色い肌をした雌犬。

 リィアが、ふと視線を巡らせば、少し離れたところに、不安げな表情で佇んでいた。こいつは不快だし、なにか危険だ。排除しよう。

 女の本能に基づいたリィアの嗅覚が、ファオをミチェットから離したがった。


「どうしたの?そんな離れたところでぇ~」

 リィアが、小走りにファオの方へゆっくりと向かっていく。

「あ、え、その、なんていうか」

 しどろもどろなファオに、ある程度、近づくと、リィアは心の中で頃合だなと思った。瞬間、彼女リィアの表情が憎々しげなものに変わり、やぶ睨みでドスを聞かせた声で

「おぅ、オメーも喰ってくんか?」

 あからさまに嫌そうに聞いてくる。この距離では、後ろの二人にリィアの声は聞こえないし、勿論、どんな表情をしているのかもわかりはしない。

「・・・くっ」

 思わず殴りたくなってくるが、重要参考人の一人だ。ならば、ミチェットに仲裁に入ってもらうか?

 ファオにとって、ミチェットに助けを求めるのは、どんな卑屈な手段をとることよりも屈辱的だった。殺せない、世話になりたくない、助けられたくない、あやまりたくない・・・ファオの単細胞が、答えの出ない自問自答をし続ける。その行為は、彼女の肉体でもっとも使用頻度が低い箇所、頭部に限界まで知恵熱を溜めていく・・・


「オイッ、どォーしたよぉっ、オイッ、なんとか言えよ」

 黙りこくったファオに対して我慢の限界がきたのか?違う、ここで、もう一押しすれば、コイツを追い出せるとリィアの本能が命じたのだ。

 先程、リィアがミチェットに対して行なったように、両手で相手の両手首をおさえ、下から覗き込む様にファオの顔を見上げた。

 一見、同じ構図にみえるが、二点ほど異なる箇所があった。悪鬼のような表情で睨みつつ、剣を抜かせない為に両手を押さえたのだ。

 

 が、その戒めは簡単に解かれ、ファオは背を翻し、一気に駆け出す。

「あっ!待って!」

 リィアが後ろの二人に聞こえるように、わざと大声をあげるが、この場から逃げ出したいという、野生の本能が命ずるままに駆け出したファオの耳には入らなかった。聞こえてたかもしれないが、彼女の心が拒否したのかもしれない。


 風が眼に当たり、微妙な刺激が彼女の眼球に伝わり、涙腺が久しぶりに、その用をなさんと動き出す。別に勝負に負かされたわけでもないのに、何故、自分が逃げださないとならないのかと冷静に考えつつも、瞼を満たす液体の量に比例して、彼女の心に敗北感が充ちていく。

 顔に体中の熱が集まっていき、瞳から流れる悲しみを閉じ込めた一滴の光の粒子が風に流されると同時に、喉に溜まった澱みを解放すべく、えずきだす。

 呼吸が辛い・・・でも、ここから早く逃げ出さなくっちゃ・・・!ファオは疾走はしることに専念しようとしたが、瞳から流れる悲しみと、喉から少しづつもれる言葉にならない苦しみは留めることができなかった。

 体に感じる心地良い風の冷たさとは反対に、顔に当たる、この都市まちのまとわりつくような温い風が不快だった。

 良い年齢としして、そんな痴態を晒して通り過ぎていく泣き虫ファオを、殆どの者は気に留めなかった。


 だが、ここに一人だけファオの行方を心配する者が存在した。

「ちょ、ちょっとファオさーん!どこ行くんですか!」

 ファオのちっぽけなプライドを知るはずもなく、純粋に彼女の身を心配して、後を追おうとするミチェットの肩を、ディアモントが掴んだ。

「いいから放っておけ!」

「で、でも・・・」

 ディアモントの腹から、地鳴りのような凄まじい音が鳴る。

「此度の仕事が終われば、一時金が入るだろう?拙者、ここで残金を使い切ってしまいたいのでござる」

 今まで切り詰めて生活してきた分、ここで散在して、思いっきり食事を楽しみたいのだろう。それを、この場で言えるのも凄い。リィアも、一瞬、呆れてしまったが、ディアモントの腹が、更に雄叫びを上げて正気づいた。

「さっきから腹が減ってかなわん」

 一番、野生の本能のままに動くのは、この男だろうミチェットの右肩を掴む左手は、不自然な力みと痙攣を起していた。この左手に籠められた力は、掴んだ対象を、今にも破壊したい衝動に駈られていた。これを空腹のディアモントが何時まで押さえておけるのかはわからない。


 追い討ちがミチェットの左肩側にもきた。リィアがミチェットの左手をとると、そっと斜め後ろか近づき、顔を寄せてくる。

 ふっと、ミチェットの耳に息を吹きかけつつ

「そーそー放っておこうよぉ」

 言い方に可愛げ気があるが、言ってる内容は冷たい。

「でもぉファオさん泣いてたし、一人じゃ・・・」

 リィアの右手が、ディアモントの左手をミチェットの右肩から離させると、後ろからミチェットに抱きつく。ディアモントは、その光景を見て、心の中で、良い調子じゃ、女子よ、上手く小僧ミチェットを篭絡してくれよと、すがりつく様に祈った。

 もし、彼女リィアが失敗すれば、ディアモントはミチェットを切り捨ててでも昼食に出かけるつもりだ。


 ミチェットは、リィアの年の割りに豊かな二つの膨らみが押しつけられ、それに付属する突起物の頂が、軽く上下するのを、背中越しに感じた。

「早く決めないと料理もアタシも腐っちまうよぉ」

リィアは、まるでミチェットに哀願するかのように蕩ける様な声で耳元に囁く。

 思春期に届くか、届かないばかりの少年ミチェットにとって、それは未だ嘗て誰も到達したことのない、発展途上の領域であった。

 だが、過去に体験したことのない未知の刺激により、ミチェットの肉体に、今まで感じたことのない感覚、背筋の奥から、肉体の隅々にまで電流が奔った。

 更に、肉体の一部、特に頭部に熱が篭り、顔面の筋肉が篭った熱にでもやられたのか、柔らかく崩れていくのを感じる。やがて、篭った熱は耳から、静かに解き放たれてゆく・・・


 リィアの体が微妙な上下運動をするたびに、ミチェットが相好を崩していく様を見て、ディアモントは、落ちたなと思うと同時に勝利を確信した。不思議なもので、この勝利を確信した時点で、一時的に空腹感が収まってしまった。

 ディアモントの値踏みするような視線から、ミチェットは、己が背中にあたる胸の感触に鼻の下を伸ばしていたのだと悟った。

 ゴホンと一つ咳払いをして、慌てて取り繕い

「仕方ないですね。何時、戻ってくるかもわからないし、先に行っちゃいましょうか?」

「無論だ」

 まるで何事もなかったかのようにディアモントが鷹揚に頷く。

「やったー!ミチェット大好き!愛してるぅ!」

 そういうや否や、リィアがミチェットの唇を奪い、舌をねじ込んできた。その瞬間、ミチェットの身体に強烈な電撃が奔り、ミチェットの脳髄から、ファオへの憐憫の情どころか、ファオの存在自体が溶け失せた。

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