▼12-最期の戦い
▼12-最期の戦い
英雄アノイ・デル・ジェラルディーンのクローンが存在することは、その筋では有名な話だったらしい。
蛇の道は蛇という。
クローン技術に携わる者も〝戦争賭博〟に関わる者も、生命を弄ぶという点においては、どちらも同じ穴の狢だ。
非人道的なギャンブルにのめり込む者達は当然のごとく、英雄の生まれ変わりに多大な興味を抱いた。
――是非とも伝説の戦いとやらを見てみたい……
そう求め望む声は決して小さくなかったという。
これは、カーチャが後になってから知ったことだ。グラッテンを掌握した彼女は全霊を注いで〝戦争賭博〟の全てに光を当てた。カーチャは知らねばならなかったのだ。
何故、愛娘を人質に出してまで降伏する姿勢を見せた父が謀殺されたのか。
何故、よりにもよってイオナ達が〝戦争賭博〟の犠牲にならねばならなかったのか。
その理由と経緯を。
カーチャの貪欲な追求は留まる所を知らず、自らを覆う闇を剥ぎ取られた真実達は、逃げ惑う暇もなくその身柄を取り押さえられた。
少女として大切な【何か】を擦り切らしたカーチャは、真実を得るための手段を選ばなかった。彼女が全てを把握するまでに流れた血の量は、ガロン単位で計量しなければならないだろう。
しかし、そうまでして手に入れた真実とやらは、カーチャの期待以上に愚劣な代物だった。
元々の発端は、敵国スペルズの財務事情にあった。
かの国はグラッテンと同じく〝戦争賭博〟の胴元であり、本来であれば潤沢な国庫を有しているはずだった。しかし、当時の財務大臣が稀代の阿呆だった。無駄に贅沢な政策を打ち出した挙げ句、財政を焦げ付かせてしまったのだ。
このままではスペルズの経済は遠からず破綻を起こす。
それはもはや予想でも推測でもなく、林檎がいずれ木から落ちるのと同様に、ただ当たり前の事実であった。全ての数字が迫り来る終末を示していた。
早急に大金が必要になった。それも、国民に事実が漏洩することなく、秘密裏に。
となれば、スペルズがそれを求める所は〝戦争賭博〟以外にはなかった。
スペルズは裏ルートを通じて、グラッテンにこう打診した。
〝可及的速やかに【例のカード】を組んで欲しい〟――と。
言うまでもなく、【例のカード】とは英雄アノイ・デル・ジェラルディーンのクローン、イオナ・デル・ジェラルディーンが参戦する戦闘を指す。
単純に言って、人気の高い〝プレイヤー〟が参戦する〝ゲーム〟は大いに盛り上がる。人気に比例して賭博の参加人数は増え、それだけ動く金額も大きくなる。その上でゲームの内容を調整し、良い具合にオッズを組み替えれば、胴元の利益は桁違いになる。
あまつさえ、その結果すらコントロールできれば、こんなに美味い話はない。
つまり、八百長をもスペルズは持ちかけたのだ。
無論、グラッテンがただで動くわけもなく、無償の善意などというものはそれこそ精霊王と同じく伝説の中の存在だ。
スペルズは希望のカードを実現するため、密かに自国における有形無形の資産をグラッテン上層部に差し出した。どれも時間さえかければ充分な利益を生み出せる物ばかりだったが、当時のスペルズは何よりも現金を欲していた。将来の権益より目先の金を求めたスペルズは、文字通り〝未来〟を売り払ったのだ。
邪悪な交渉は成立した。
グラッテンはスペルズの要求を余すことなく呑み込み、それを実現するための行動を始めた。
その手始めが、カーチャの父レオニード・ファン・ヴォルクリングを謀殺することだった。引退してもなお〝戦争賭博〟反対派の範とされる彼は、グラッテン上層部にとって目の上のたんこぶだったのだ。彼はこちらの恫喝に屈し、潔く政界から足を洗って隠遁しているようだが、その裏では牙を研ぎ澄まし反逆の機会を探っているに違いない――それが当時のグラッテン上層部の総意だった。
おそらく、イオナ・デル・ジェラルディーンほどの人間を戦場に送れば、彼はここぞとばかりに再起するだろう。イオナは世間一般ではジェラルディーンの末裔ということになっている。その名声による影響力は実際に利用した自分たちがよく知悉している。故に、その死は大義名分として充分な説得力を持つ。そうなってからでは遅すぎる。先手を打たなければならない。
このグラッテン上層部の見立ては実質的には被害妄想に限りなく近いものだったのだが、実際にはそれがただの思い込みではなく、的確に事実を言い当てていたのだから、運命というのは皮肉なものだった。
こうして面従腹背の計を練っていたレオニード・ファン・ヴォルクリングは、彼にとって全く予想外の死を与えられたのだ。
次いで、その死が潜在的に存在するであろう〝戦争賭博〟反対派の起爆剤になるかどうかを見極めるため三月ほどの間を空け、ついに彼らはメインディッシュへと手を伸ばした。
スペルズの希望により組まれたカードは、イオナとその部下によって編成される一隊と、スペルズ兵四万の軍団による局地戦だった。
多勢に無勢などと言うレベルではない。常識を遙かに超えた、あまりにも突飛な設定だった。
だが、人は愚かな生き物だ。通常では有り得ないからこそ、好き者は興奮する。道楽好きの富豪達はこぞって大穴のイオナ達に大金をベットした。
これもスペルズが狙った通りの展開だった。四万人対五人では考えるまでもなく数の多い方の勝ちだ。自然、オッズは極端な数字となり、スペルズ軍に賭けた所で実入りはほとんど無い。結果、誰もが三万の敵を打ち倒したジェラルディーンの伝説をよすがに、イオナ達へベットした。
また、
『イオナ大佐は勿論、その部下も優秀で、一騎当千と聞く。大佐が三万人を殺し、その部下達が残る一万人を殺せれば、勝てるのではないか?』
そんな誰が言ったかもわからない適当な推測が、大勢の背中を押した。他にも、
『こんなカードは二度とない。参加することに意義がある!』
とのたまう輩も現れ、裏世界の住人達の間に〝このゲームに参加しなければもったいない〟という風潮が自然と生まれた。
最終的に集まった金は史上かつてないほどの額だったという。スペルズの窮状を救ってなお余りあると言えば、その凄まじさがわかってもらえるだろうか。
これでイオナ達が負ければ、賭け金のほとんどが胴元のものとなる。スペルズ側は勿論、グラッテン側のゲームメーカー達も心身の気合いを入れ直した。
後は、スペルズに勝利をもたらすだけである。
そのための細工がどれほど醜悪なものであったのかは、幸いなことに映像として記録が残っている。
カーチャが唇を噛みちぎりかけ、爪で掌を突き破るほど拳を握りながら、その目に焼き付け続けた映像を、これからご覧に入れよう。
なお、複数のカメラを使用して多角的な撮影が可能な〝エア・レンズ〟の映像を全て見ようとするなら、複数の映像出力装置が必要になってしまう。
そのため、実際に軍に提出される映像は自動あるいは手動で編集されたものなのが常識だ。この映像も類に漏れず、複数のアングルから撮られた映像を時系列順に並べて編集されている。その事を念頭に置いて見て欲しい。また機密保持のため、一部で音声が切られている箇所があることも申し添えておく。
軍隊における上官の命令は〝絶対〟である。
例えそれがどれほど理不尽な命令であろうと、軍人は首を横に振ることを許されていない。そうでなければ、軍隊という組織はその本領を発揮することが出来ないからだ。
戦いとは犠牲無しには成立し得ない。時に斥候、時に囮、時に陽動と、兵士には死ぬことが前提の任務が当たり前にある。兵士の安全面を考慮してする戦争など、どこにもない。あるわけがない。
だから、兵士は命令に逆らえない。否、逆らってはいけないのだ。
何故なら、兵士達がただ一言『死にたくない』という本音を吐いてしまった瞬間、全てが終わってしまうから。戦う勇者はいなくなり、その結果、母国は敵兵の軍靴に踏み荒らされてしまうだろう。
故に、兵士は『死ね』と命令されれば、死ななければならない。
それが軍人という生物なのだ。
勿論、それは特務機関ラーズグリーズの面々であっても例外ではない。
実際にイオナ達が受けた命令の内容を、カーチャは知らない。否、知りたくもない。それが愚にもつかぬ露骨な命令であったろうことは、疑う余地もないからだ。
イオナ達も当然気付いていたことだろう。姿の見えぬ黒幕の手によって、その身が死地へ投じられんとしていることに。自らの体にまとわりつく、不愉快な人形使いの糸に。
だが、それでも、彼女達は笑っていた。
画面に映るのは武装した四人の男女。
蒼を基調とした人間大の鳥を思わせる装備に身を固めたベル。
黒い巨人としか言いようがない全身鎧をまとったサイラ。
悩ましげな肢体を戦闘服というよりドレスが如き紫紺の装甲で覆ったアイリス。
そして、特務機関所属を示す深紅のグラッテン軍服に一振りの剣のみを握ったイオナ。
これから絶望的な戦いに臨むことを知っていただろう四人は、だというのに、顔の見えないサイラを除いて、全員が笑顔で映っていた。
なにやら談笑をしている。
残念ながら音声が切られているため会話の内容まではわからない。しかしカーチャにのみ、はっきりとわかることが一つだけあった。彼女たちはカーチャのことを話題にしている、と。何故なら、何度も、何度も、画面に映る三つの唇が『カーチャ』という動きをとっていたからである。
四人は殺風景な岩場にいた。
この時、戦場となったのはグラッテンとスペルズの国境付近にある、ロガネという名のカルスト盆地である。〝岩と石と砂だけの世界〟とも呼ばれている土地で、当然ながら人の住める環境ではなく、ところどころ天然の石畳の隙間から生えている植物だけが唯一の色彩だった。
言うまでもないが、戦うに適した場所ではない。観光であれば見晴らしが良いのは結構なことだが、逆に言えば身を隠す場所が一切ないということでもある。足元は岩盤で敷き詰められているため、穴を掘るのも容易ではない。
軍事の常識では高台に位置取りでもしない限り、まず戦場には選ぶことのない土地なのだが、〝戦争賭博〟においてはそのような理屈は関係ないようだった。
既に〝エア・レンズ〟が稼働し、記録を開始している。つまり、戦闘はもう始まっているということだ。
敵はすぐ近くにいる。
そのような状況にあっても僅かの緊張感もなく微笑したままのイオナが、腰の通信機に手をかけて口元へ運ぶ。
途端、音声が入った。自然音のノイズと共にイオナの声が流れ出る。
「あー、こちらはラーズグリーズ特務隊のイオナ・デル・ジェラルディーン。聞こえているだろうかクソ野郎? ヅラはズレていないかハゲ野郎? あー、あー、テステス。おまえのかーちゃんでーべーそー」
いきなりひどいことを言い始めた。声の成分に嫌味と悪戯っ気が多量に含まれている。あてつけでしかない口振りだった。
また出し抜けに音声が消えた。
イオナが口を閉じ、通信機の向こうからクソハゲと呼ばれた相手が何か言い返しているような間が空く。
にっ、とイオナの唇が笑みを結ぶと、再び音声が出る。
「――おっとこれはすまなかったな、卿がハゲでカツラを愛用していることは【公然の秘密】だった。風が吹く度にヅラがなびいて脂ぎった地肌が煌めき、目を灼かれても我慢している卿の部下達に免じて、俺を許してやってくれ。悪気はあったんだ。致し方なかろう?」
禿げを鬘で隠している上、イオナに命令を下すことが出来る人間など、ワルキュリア軍とアインヘルヤル軍の双方を合わせても一人しかいない。アルトゥル・グレッツナー大将である。彼もまた後にカーチャの手によって『粛正』される運命にあるが、この映像の中では姿も【声も】なくとも存命中であった。
また音が消え、グレッツナーが応えている間が空く。おそらく存在し得ない怒髪を想起させるほどの声を発しているのだろうが、それを耳にするイオナを含めたラーズグリーズの面々はどこ吹く風だった。アイリスは口元を隠して微笑んでいるし、ベルに至っては大口を開けて大笑している。
ほどなくして再度音声が復活し、ベルの笑い声が出し抜けに響く。そんな中、
「ところで、一つ聞きたいことがある」
と、イオナが言った。トーンを落とした声音だったため、アイリスもベルも雰囲気の変化を察して笑うのをやめ、表情を改める。
不敵な顔付きで英雄の生まれ変わりはこんなことを告げた。
「卿が撃破しろと言っている敵軍はやけに強大だが、無事に任務を遂行した暁にはどのような報奨で報いてくれるつもりだ? 言っておくが、生半可なものでは俺も含めて【国民が】納得しないと思うのだが、ちゃんと思案は出来ているのだろうな? ん?」
返事はなかった。通信相手から返答があれば機密保持という名目で無音になり、風の音すら聞こえなくなるはずだが、いつまで経っても音声が途切れることはなかった。
イオナの笑みが変化する。口角を釣り上げ、鼻っ面に獰猛な皺が寄る。まるで、獲物を喰い殺す直前の野獣が如き顔付きがそこに現れた。
「――せいぜいその頭に乗っているもので今座っている椅子を磨いておくんだな。俺が帰ったらまず貴様から蹴り落としてやる。命乞いの言葉を今から考えておくがいい」
もはやどちらが上官なのかわからない言いぐさだった。
立場が下であるはずのイオナから抗命罪を適用しても問題ないほどの言葉を浴びせ掛けられて、グレッツナーは二の句が告げないようだった。単純にイオナが放つ圧倒的な存在感に気圧されたのか、あるいは実現不可能な事を平然とのたまう女の正気を疑って腰が引けてしまったのか。
どちらにせよ咄嗟に言い返せなかった時点で彼の負けだった。
「というわけでこれより作戦行動に移る。オーバー」
格下であるはずの相手に気を呑まれてしまうような小物などもはや相手にする価値などなし。そう言わんばかりにイオナは一方的に言い捨てて通信を切った。
その姿に、
「まーたまたすごい啖呵切っちゃったねー、イオナ大佐。ま、ボクも同感だけど」
にひひ、と笑いながらベルが揶揄し、
「ああ……ゾクゾクするほど格好良いですわぁ、イオナ大佐……」
頬を桜色に染めたアイリスが、ほう、と熱い吐息と共に羽化登仙の眼差しを注ぐ。
「行きましょう、イオナ大佐」
ブリアレオースを纏ったサイラが喉下のスピーカーを通して促した。彼女は全身を鎧で包み込んでいるため、内部マイクを使用しなければ言葉が発せられないのだ。
うむ、とイオナは鷹揚に頷く。そして、ふと空を見上げて、
「……突然だが、大昔の逸話にこんな言葉がある。曰く、【人間は神様がいいというまで死んではいけない】」
と呟いた。
突如、妙なことを言い出したイオナに他の三人は互いに顔を見合わせた。珍しいこともあるものだ、という反応である。イオナは普段、このような真面目な話はほとんどしない。
抜けるような青空から視線を下ろすと、イオナは柔らかに笑う。
「……個人的に好きな言葉だ。だからそれに倣って俺はこう言おうと思う」
イオナはアイリス、ベル、サイラの順に猫のような金の瞳を向けて、
「お前達は俺がいいというまで死んではいけない」
はっきりした強い声でそう言った。真剣な面持ちで。有無を言わせない空気を伴わせて。
故に笑う者は一人もいなかった。三人は申し合わせたように同時に動いた。
敬礼。
「「「アイ・マム!」」」
それを見届けたイオナは颯爽と踵を返し、〝エア・レンズ〟に映っている風景のさらに奥にあるであろう戦場へ向き直った。
「行くぞ。この世の果てまでついてこい」
〝エア・レンズ〟が視点を高い場所へ移し、四人が視線を射込む先へと、同様にその目を向ける。
見えた。
イオナ達が進む先、肉眼で確認できる位置に果たしてスペルズの軍勢はいた。
彩りのない大地に蠢く蟻の大群のようだった。その数は先述の通り、四万。
これから始まるのは、もはや『戦闘』と呼ぶのも憚られる破天荒なものだ。
四万もの正規軍に対するは、たった四人の特務部隊。
勝敗なんてとうに見えている。結果など火を見るよりも明らかだ。
それでもラーズグリーズの面々は赴く。悲観した表情ではなく、生き残るという決意を漲らせた顔で。
〝エア・レンズ〟がさらに視点を高くしていく。上空から戦場全体を見渡せる位置まで移動する。
そして、始まった。
森と見紛おう大軍勢に、四つの点が突っ込んでいく。
太陽が中天にさしかかる。
ロガネの大地から影が減少する。
戦場となった石灰色のカルスト盆地は、近くを見れば平坦で見通しが良いが、実はその南北を山脈に挟まれている。そのため空は狭く、どことなく閉塞感のある土地だった。
東から進軍してきたスペルズ軍は北のハーディール山脈を背にしていた。また、西から移動してきたラーズグリーズ特務隊は南方のクレイナスの山並みを背負っている。
退路の限られた、まさに巨大な闘技場がごとき戦場だった。
このような場所で万を超える軍勢を相手に、たった四人でどのような陣形を組めば良いというのか。そのような愚問には答えなど存在しない。
故に四人は、それぞれが思うがままに動いた。
ベルは空を翔る。彼女の装備は高空を舞い、敵に必殺の銃弾を撃ち込むことだけに特化したものだ。地上においてはその真価の半分も発揮できない。
鳥翼型飛行機『ディオネ』の翼を目一杯に広げ、両足のごつい推進ユニットの精霊機関を全開させ、それこそ天に向かって撃ち放たれた弾丸のごとく上昇する。
ベルの猫にも似た自由奔放な気風が気に入られているのか、この小悪魔属性を持つ少女少年は風の精霊との相性が抜群に良い。大気そのものを味方とするベルは、空気の壁を破るのではなく、逆に気流に押し上げられるようにして飛翔する。
小さな鳥では届かぬほどの高度へ達すると、両肩と両腕の補助翼で体勢を安定させる。そして、十四歳にしては小柄なベルと比してあまりにも長大すぎる狙撃銃『アラドヴァル』を構えた。
高い位置の風は冷たく強い。蜂蜜色のカーリーヘアをなびかせながら、深いラピスブルーの瞳がヘッドセットの照準器に焦点を合わせる。
「んー……目玉、かな?」
口元を歓喜にほころばせながら、ベルはそんな呟きを風に攫わせさせた。
相手はいつもの革命家気取りのテロリストではなく、歴としたスペルズ軍の正規兵だ。当然、その武装には天と地ほどの差がある。しかもあちらはマットブラックをシンボルカラーとする男だけの軍――『トールギス』だった。グラッテンのアインヘルヤル兵と同じく、全身を強化外装で固めた屈強なる戦士達の集団である。
普段ならば股間や臍といった『急所』を好んで狙撃するベルだが、この時ばかりは好き勝手なことは出来なかった。どいつもこいつも防御を固めていて隙がほとんどない。あるとすれば、装甲の薄い関節部分か、目を覆うシールドぐらいだ。
ならば彼女が狙うのは自然と眼球ということになる。
「男だって〝穴〟を掘られちゃったら大変なことになるんだよねー」
舌なめずりして、狙いをつけ、ベルは引き金を引いた。
轟音と共に周囲の精霊を圧縮して精製した弾丸が撃ち出される。
連続だ。
ヘッドセットに仕込んであるFCSは精霊を介して思考と同じ速度で照準を切り替えていく。狙いが変わる度にベルは『アラドヴァル』の撃鉄を落とし、弾速と貫通力に優れた銃弾を放つ。
高速で射出された弾丸は大地を駆けるイオナ、アイリス、サイラの頭上を飛び越えて真っ先に敵陣へ突入していく。
繰り返しになるが、ベルは風の精霊との相性が良い。その加護は撃ち出した弾丸にも適用される。その結果、長距離弾道を描いた銃弾は、しかし気流の影響を受けることなく目的地へ達することが出来るのだ。
よって、その射撃は百発百中となる。
たった四人に対して整然と全軍で行進していたスペルズ軍のあちこちで、悲痛な呻き声と不自然な動きが生まれた。ピンポイントで目を打ち抜かれた者達が崩れ落ちているのだ。
「はーい、十丁あっがりー♪」
陽気な声で喜びながらベルは『ディオネ』で滑空する。宙を動くことで撃つ度に灼ける銃身を冷却しているのだ。『アラドヴァル』自体にも冷却装置はついているのだが、この戦闘が長丁場になることを予測して温存するつもりなのだろう。
内燃型精霊機関の銃器は、使用者の周囲に弾丸へ精製できる精霊が存在し続ける限り、弾切れになることはない。
合わせて、ベルには大きな自信があった。彼女はアインヘルヤル軍に入隊して今日に至るまでに数万発の銃弾を訓練で、あるいは実戦で撃ってきた。その中で対象に命中しなかった弾丸は、たったの三発である。しかもその全てが威嚇射撃によるものなので、つまりは生まれてこのかた狙った獲物を逃したことはないのである。
これが、グラッテン軍がベルをワルキュリア軍に移してでも手放さなかった、その理由だった。
眼窩に銃弾を撃ち込まれれば、例え運良く死を免れたとしてもその者の戦闘力は激減する。即ち、一発撃ち込めば一人が戦闘不能になる。
「なら、一万発狙い撃てば一万人を退治できるよね、っと」
冷却のすんだ『アラドヴァル』を再度構え、天使のような笑顔で蒼い凶鳥は敵に狙いを定める。
その姿が不意にブレた。いくつもの残像が重なり合ったような映像の乱れ。否、〝エア・レンズ〟の不具合ではない。実際にベルを取り巻く大気に異変が起こっている。
風や水、光といった流体系の精霊の扱いに特化した者は、その特性を生かして幻影術を行使できる。
一瞬にしてその場に十六人のベルが現れた。その内の十五人は実体のない虚像だが、大気と光の屈折度合いを調節しているため一人として同じ動きをしている者はいない。陰に隠れて銃を構えるべき狙撃兵が、それでも戦場へ臨まなければならない時に使用する最大級の目眩ましであった。
うふっ、と嗜虐的な笑みがベルの桜色の唇からこぼれる。それは十六もの反響を伴い、それに続く言葉もまた、重なりながら周囲に響く。
「中にいーっぱい、出してあげるよ……」
うっとりした声で呟き、ベルは引き金を引いていく。
一方、その遙か下方の地上ではイオナ、アイリス、サイラの三名が接敵のために走っていた。
空を往くベルには負けるが、それでも充分に速い。
アイリスは脚部の『ツォウロン』を起動させてホバークラフト機能を全開に。サイラは『ブリアレオース』の背面のブースターを駆使して滑るように大地を疾走する。
極光がごとき精霊の輝きに包まれたイオナは、アイリスとサイラに挟まれて無造作に走っていた。不思議なことに、ただ駆けているだけだというのに尋常ではない速度がのっている。精霊に愛されるということはこの世界そのものから愛されるのと同義なのだ、と思い知らされるような光景だった。
三人の驀進と、スペルズ側の行進によって彼我の距離があっと言う間に縮んでいく。その最中、不意にイオナが腰の軍刀を抜き放った。かつての英雄アノイ・デル・ジェラルディーンも使用していたという、特殊鋼の剣。黒と白が木目状に入り交じった、まるで陰と陽をまとめて吸い上げて固着させたかのごとき刀身に、イオナの極光が伝播する。
「敵を分断する。二人は後ろへ下がっていろ。ベルは余波を受けない空域まで一時待避だ」
この言葉は襟元の部隊専用通信機を通じて上空のベルにも届いていた。戦闘時は広域通信機ではなく、特定のチャネルを使用した暗号通信を交わすのが定石だ。ご多分に漏れず、ラーズグリーズでもそれに則っていた。無論、その通信内容も〝エア・レンズ〟に転送されて記録されることになっている。
『アイ・マム』
三人が短く返答する。同時、左右の二人がイオナの背後に位置を移し、頭上の点にしか見えないベルが西の方角へ飛んで行く。
これで味方を巻き込む心配はない。そう確認したイオナは片足を地面に押し付けて急激な制動をかけると、猛然と『ディオスカール』を大上段に振りかぶった。
敵を分断する――と、彼女はそう言った。その言葉には嘘も偽りも誇張もなかった。
「――ハァッ!」
裂帛の気合いと共にイオナは『ディオスカール』を振り下ろした。それは一見、何もない虚空をただ斬りつけただけのようにしか見えなかった。
だが、それだけで充分だった。
刹那、大気を引き裂く音が高く響く。
イオナを鎧っていた極光が爆発的に膨れあがり、刃に乗って迸った。
爆発的な輝きの膨張。
怒濤のごとく光が奔る。
岩の大地を抉り、空間を削り、破壊力の塊が凄まじい速度でスペルズ軍のど真ん中へ突き進んでいく。
『――!?』
果たしてスペルズ軍の中で、たかが四人の少数部隊に英雄ジェラルディーンの生まれ変わりがいることを知っている者はいたのだろうか。
いなかったのだろう。でなければ、この破格の悪魔を相手にただ正面から突撃をかけるはずなどないのだから。
スペルズ軍は隊列を左右に分けて回避を試みた。だが全員が助かるには圧倒的に時間が足りなかった。
極光の斬撃が駆け抜け、その軌道上の全てを吹き飛ばしていく。多くの悲鳴が上がり、逃げ切れなかった者達が紙切れのように宙を舞った。
イオナの一撃はスペルズ軍の背後に屹立する山に深い傷痕を残してようやくその威力を消費させた。
残ったのは、真っ二つに切り裂かれた黒の軍勢。空に棲む巨大な悪魔がつけたが如き爪痕を境に、確かに分断されてしまっていた。
「まずは二分割」
強烈すぎる攻撃を放ったイオナだったが、その反動でその身を覆う精霊の輝きがやや薄まっていた。いくら精霊に愛されているといえど、その力は無限ではない。時間を置けば回復はするが、使った分だけ彼女を守護する精霊の力は弱まるのだ。
それでもまだ力は充分に残っていると判断したのだろう。イオナはさらに返す刀で、東側の集団へ切っ先を向けた。
「――こいつで三分割だ!」
下から上へ弧を描いた斬撃が光の一閃となって宙を飛ぶ。轟音を撒き散らし石灰色の大地を切り裂きながら奔った衝撃が、スペルズ軍の東側をさらに斜めにぶった切っていく。
連鎖爆発する爆弾のような攻撃で吹き飛んでいく敵軍を前に、イオナは必要最低限の言葉で命令を下した。
「西側のデカブツは俺が始末する! サイラは東の右、アイリスはその左だ! ベルは上空から二人を援護しろ! 散れ!」
『アイ・マム!』
彼女の優秀な部下達もまた無駄を省き、必要最低限の応答を返した。
サイラが『ブリアレオース』の背面ブースターを全力稼働させ、彗星のごとく敵陣へ突進していく。高速で飛ぶ巨体は、それそのものが凶悪な武器となる。
迎え撃つスペルズ軍『トールギス』の精鋭達が身構えたが、無駄な抵抗だった。左肩を前へ突き出して体当たりの体勢をとったサイラは、まさしく巨大な砲弾だった。
『――!!』
悲鳴とも雄叫びともとれぬ声を上げてトールギス兵がボウリングのピンよろしく蹴散らされていく。
全身に宿った慣性力を消費し尽くすまで肉の壁をぶち抜くと、サイラは地に足をつけて背負っていた『玄天上帝』を抜いた。
誰かが唾を嚥下する音が聞こえた。
漆黒の巨人。その図体に見合う大刀を構える姿は、それだけで凄まじき威容だった。敵陣の真っ直中にあってなお威風堂々たる佇まいは、彼らに人ならざる存在を想起させたに違いない。
怒号。
突如、サイラの喉下のスピーカーから獣の咆吼にも似た大音声が飛び出した。
周囲の空間をビリビリと振動させる大音量の【それ】は、自身の理性を吹き飛ばすサイラの儀式であった。生来、大人しく優しい性格の彼女はこうして自らを鼓舞しなければ戦うことが出来ないのだ。
聞く者の心の奥底にある、原始的な恐怖を呼び起こすような壮絶な声だった。雷鳴と聞き違えた者もいたことだろう。人間の女から生まれ出てくるものとはとても思えなかった。
そうして、鬼神もかくやと思わせる奮闘が始まる。
無双の膂力で『玄天上帝』を縦横無尽に振るい、雄叫びに身を竦ました者から屠っていく。サイラの剛力を前にしては、スペルズ自慢の強化外装も紙切れに等しかった。人間の体が、解体される家畜の肉のように分断されていく。斬れ味を上昇させ血と脂を濯ぎ落とす水の加護が『玄天上帝』の刃から迸り、血と混じって鮮烈な飛沫となった。
遅れて戦意を取り戻した者達が武器を構え、サイラへ火力を集中させる。だが『ブリアレオース』の装甲は厚く、その上サイラ自身が大地の精霊――特に鉱物の精霊と相性が良いため、どの弾丸も痛打を与えることは出来なかった。
銃が効かないのならばスペルズ兵が取るべき道は接近戦しかないのだが、それとて近付く端から斬り伏せられてしまうため、まるで埒があかない。サイラの間合いに入った途端、高速のローラーに巻き込まれるように仲間の体がバラバラに飛び散っていく地獄絵図を見せつけられた彼らには、もはや彼女を取り囲んで砲撃を集中させるしか術はなかった。
スペルズ軍の弾幕と『ブリアレオース』の装甲とが擦れ合って生じる金切り声にも似た音を、しかし意にも介さずサイラは大刀を振るい続ける。
一対多という圧倒的な戦力差があるというのに、そこにある光景は、『一』による一方的な虐殺にしか見えなかった。
怪物。
スペルズ軍の男達は等しくその言葉を脳裏に浮かべた。
たった四人の相手。楽勝にも程がある。そう頭から信じていた楽観が完全に蒸発し、死への恐怖が彼らの心臓を鷲掴みにしていた。
圧倒的戦力を持つスペルズ兵の方こそが、死に物狂いで戦いに臨むという、皮肉な流れ。
誰も救われない虚しい戦闘は、それでも過熱していく。
獅子奮迅の接近戦を繰り広げるサイラから西へ目を移すと、そちらには同じく孤軍奮闘するアイリスの姿がある。
例えばベルの強みを〝機敏さと精密さ〟とし、サイラは〝怪力と堅固さ〟としよう。ではアイリスならば何になるかと言えば、それは〝巧さ〟という一言に尽きるだろう。
特別に俊敏というわけでもなく、正確無比というわけでもない。取り立てて腕力が強いというわけでもなければ、絶対的な防御力を誇るわけでもない。
ただ〝巧い〟としか言う他ない。それがアイリスの戦い方だった。
右腕の『ジァンロン』から高周波ブレードが閃き、左腕の『ズァオロン』から五本の熱線爪が煌めく。アイリスの使用する武器は通常のそれより、更に『殺す』ということに特化したものだった。『剣龍』とも書く『ジァンロン』の刃はサイラほどの腕力が無くとも、岩をバターのように切り裂ける。『爪龍』と記す『ズァオロン』の熱線爪は鉄板ですら紙のごとく貫ける。
通常の戦闘では彼女の立ち位置は現場指揮官であるため、中距離専用の散弾銃と短機関銃を所持しているが、今回は特別だった。
撫でれば死ぬ。そんな武器を両手にアイリスは戦場を舞っていた。
アインヘルヤル兵時代から軽装歩兵だった彼女の真髄は接近戦にこそあった。
脚部の『走龍』――『ツォウロン』を駆使してまるで燕のように軽やかにトールギス兵の合間を駆け抜け、そして通り抜けざまに両手を振るう。その動きは清流のごとく淀みなく、事前に打ち合わせをした殺陣のようにトールギス兵がばたばたと倒れていく。
動き方、通り抜けるルート、攻撃のタイミング――どれをとっても一瞬で判断したとは思えないほどそつがなかった。
復讐心に駆られた幾人かがアイリスを囲み、一斉に攻撃を繰り出した。が、ふわり、とグラマラスな肉体が羽毛よろしく宙を飛んだ。彼らの攻撃は空を切り、それどころか互いを傷つけ合う結果となってしまう。
上空からそんな滑稽な彼らを見下ろすアイリスの瞳は、しかしドライアイスのように冷たく乾いている。
かつてアイリスは、アインヘルヤル軍にこの人あり、とまで謳われた優秀な兵士だった。実の両親に捨てられた過去を持ち、愛を知らずに生きてきた彼には、冷酷な殺人機械としての才能が満ちていた。だから人を殺すことだけを考え、その術をひたすら磨いてきた。
そんな男に突然おとずれた転機は、稲妻のごとく奔る拳という形をしていた。
顔に覇気がない、それだけの理由でイオナに殴られたのだ。
その瞬間、男の中で何かが目を醒ました。目を醒ましてしまった。それが一体どのような物であったのかは、敢えて言わないでおこう。ともかく男は最終的に自らの性を転換させ、イオナにその身も心も捧げるようになったのである。前代未聞の性転換兵士、アイリス・ララリスの誕生だった。
蝶のように舞い、蜂のように刺す。その言葉を実践するアイリスの口元に、ふと笑みが浮かんだ。イオナのことを考えた時だけ、アイリスの胸は高揚する。感情が動いて、目に写る世界に色がつく。彼女にとって、今やイオナを愛することは生きることそのものだった。
そう、愛。あの時、生まれながらにして死んでいた男は、あの暖かいどころか火傷するほど熱い拳の一撃に、初めて愛を感じたのだ。自分のことを考えて殴ってくれる人がこの世にいるのだ――と。
少し視線を西へ向ければ、ここからでもイオナの放つ強い光が見える。その輝きがアイリスに勇気をくれる。希望を与えてくれる。
イオナの戦いぶりはもはや言うまでもないだろう。元より彼女は条理の範疇から外れた存在だ。サイラやアイリス以上に理不尽な強さでスペルズ兵を蹴散らしていた。
その時、戦場の後方で動きがあった。
空へ一斉に飛び立つ、黒い鳥の群れ。
スペルズの航空部隊が行動を開始したのだ。その目的の大半はベルの撃墜で間違いあるまい。だが一部は地上部隊の援護を任務としているらしく、太陽の光を遮って羽虫のごとくイオナ達の頭上を飛び回る。
混戦の模様はさらに深まっていく。
彼女たちはよく戦った。そう賞賛していいだろう。
一人一人が凄まじき精鋭だった。もし仮にこれがまともな戦闘で、もっと味方が多かったのならば、勝っていたのは彼女たちの属する側だっただろう。
けれど、彼女たちは四人しかおらず、その体力は無尽蔵ではなかった。
まず、ベルがやられた。
彼女はスペルズの航空部隊を相手に、たった一人で善戦した。狙撃戦では幻影術を駆使して敵の狙いを逸らし、冷却装置を全力稼働させて連続発砲。接近されれば両腕と両肩に仕込んだ小型ガトリングで弾幕を張り、さらに距離を詰められた時は『ディオネ』と両足の推進ユニットを全力駆動させて安全圏へ逃げた。それを黙々と繰り返して地道に撃墜数を稼いでいた。
だが突然、スペルズ側が予想外の戦術に出た。
自爆である。
彼我の距離を狭められ『アラドヴァル』が使えず両手肩の小型ガトリングで応戦していたベルの眼前で、数人の兵士が同時にその身を爆発させたのだ。
たかが四人の部隊に負けるわけにはいかない――スペルズ軍のそんな意地が、焦りが、この陰惨極まる戦法をとらせたのだろう。
だが当たらなければどうということはない。瞬時にそう判断して距離を開けようとした瞬間、自爆した兵士が持っていた照明弾が誘爆し、強烈な閃光がベルの目を灼いた。
視力を奪われた体が動きを止め、集中力が途切れ、幻影術が消失する。直後、幾つもの弾丸がベルの体を撃ち抜き、続けて無数の銃剣がその柔肌を突き破った。
「――ッ!?」
全身を突き抜ける激痛と異物の感触に、目が見えずともベルは全てを理解した。自分はもう終わりなのだ、と。
だから彼女は喉奥から溢れてきた血を伝い流す口元に薄い笑みを浮かべ、息も絶え絶えに、こう言った。
「――ごめん、イオナ大佐……ごめん、みんな……」
それは通信波にのって戦場を渡り、イオナ達の耳するところになった。
ベルの言葉を聞いたイオナは、正面の敵の首を斬り飛ばして、こう告げた。
「……赦す、逝け!」
強い声で言い切った。しかしその中には、微かに震えが入っていた。
ベルは目を閉じたまま、くす、と笑い、
「……ありがと……先に行って待ってるけど……ゆっくり来てね……」
そう言い残し、震える手で『アラドヴァル』のセフティをクルクルと三回転させ、次いで引き金を絞った。
背中の『ディオネ』と両足の推進ユニットに込められていた精霊爆薬が連鎖爆発し、刹那、光が戦場全体を白く染め上げた。
大爆発だった。スペルズの航空部隊の残り半分が道連れにされるほど、それは凄絶な自爆だった。
精霊爆薬は精製が難しく非常に高価だが、それだけに桁違いの破壊力を持つ。少量でも町一つを吹き飛ばすことが出来る。ベルはそれを自らの武装に秘めていたのだ。
サイラの『ブリアレオース』が先程の倍する音量で吼えた。慟哭の叫びだ。野獣の雄叫びを轟かす彼女は一層激しく大刀を振り回し、死を量産していく。
だが彼女も追い詰められていた。今なお漆黒の装甲には罅一つ入っていないが、その全身からは凄まじい熱気が上がっている。精霊機関が発する廃熱、サイラ自身から生じる運動熱量、そして敵の銃撃から受ける摩擦熱とが合わさり、『ブリアレオース』を苛んでいた。無論、冷却装置も働いているのだが、まるで追いつかない状態だった。
ゆっくりと、しかし確実に、熱がサイラを追い詰めていく。スペルズ兵も巨大な怪物のオーバーヒートに狙いを絞り、ひたすら銃弾を集中させる。段々と黒い巨人の動きが鈍くなっていく。
やがて黒かった『ブリアレオース』の装甲面が赤熱し始めた頃、サイラが言葉を放った。
「今までありがとうございました、イオナ大佐」
覚悟を決めた者だけが発する、確かな声だった。その台詞、その口調だけで全てを悟ったのだろう。イオナの返答は簡潔だった。
「……よくやってくれた。お前のことは忘れない!」
サイラからの返答は無かった。その代わり、行動があった。
サイラは全身のブースターとスラスターを駆動させ、敵の本陣めがけて突撃を始めた。並み居る敵を『玄天上帝』で薙ぎ倒しながらひたすら突き進んでいく。死の砲弾と化したその身に上空も含めた全方向から砲火が浴びせられる。
挙げ句、限界を超えた『ブリアレオース』の精霊機関が暴走し、爆裂した。ベルのときほどではなかったが、それでも盛大な爆発を起こした巨大な怪物は、粉微塵になりながらもその威力で多くの敵兵を巻き込んで逝った。
ベルに続き、サイラまで失われた。その結果、アイリスに迫る攻撃の手がより苛烈なものとなる。いくらアイリスが百戦錬磨の戦士とはいえ、その体力には限界があった。長時間の戦闘で蓄積した疲労が、まるで亡者の手のようにアイリスを死の泥沼へ引きずり込もうとしていた。
そんな絶望的な状況にあってもアイリスは健闘した。
しかし、わずかな隙を突かれ、とうとう右腕の関節部に刃を入れられてしまった。腱を傷つけられたらしく、反応が鈍くなる。
こうなっては、怒濤のごとく迫り来る敵兵を退けることなどもう出来そうになかった。
アイリスはそっと囁いた。
「――イオナ、お願いしますわ」
二人きりの時、アイリスはイオナを『イオナ大佐』ではなく、呼び捨てにしていた。
事前に二人で話し合って決めていたのだろう。アイリスから通信を受けたイオナは、その途端に剣を止め、アイリスがいる方向へ向き直った。
「――いいだろう」
その全身を包む精霊の輝きが、さらに強さを増した。イオナは猛烈な威力が込められた『ディオスカール』を大上段に振りかぶる。
せめて死ぬ時は貴女の手にかかって逝きたい――そうアイリスが願ったのだろう。
アイリスは敵軍の向こうに、空へ立ち上る極光を見た。緑の瞳に喜びの光を宿して、彼女は最期の言葉を残す。
「愛していますわ、イオナ」
「俺もだ、アイリス」
イオナは全力で剣を振り下ろした。
一撃でスペルズの残存戦力の三分の一が、アイリスと共に消し飛んだ。
イオナの限界も近い。
精霊の力が足りなくなってきたのではない。相変わらず全身を包む輝きは彼女を無傷のまま守護し、その剣はどんな屈強な兵士をも斬り倒す。
逆である。今やイオナを包む極光は彼女自身を蚕食し、その身を精霊に変えようとしていた。強すぎる精霊の愛が、イオナを同質の存在へ変化させようとしているのだ。
ここに至ってなお諦めずに挑みかかってくる者を斬りながら、イオナは精霊の輝きに同化しつつある自らの掌を眺めやる。このまま精霊の愛に甘え、力を使い続ければ、遠からずイオナ自身が精霊と化してしまうだろう。かつての英雄アノイ・デル・ジェラルディーンのように。しかし、
「かまうものか」
と、イオナは不敵な笑みを浮かべた。彼女は冷静な頭で状況を検分している。このまま時間の針が進めば、勝つのは自分だ。必ず本国へ戻って、カーチャと合流し、三人の仇をとる。それが進むべき未来なのだ――と。
だが、そうはならなかった。
敵軍も残るは一万程度。どんな武器も世界を司る精霊に愛された彼女を傷つけることは出来ない。時間さえあればイオナただ一人が最後に戦場に立っているはずだった。
北の山脈の向こうから、一隻の航空戦艦が現れるまでは。
「――――」
流石のイオナも唖然とした。まさか、ここまでするとは。
「……どうしても俺達を勝たせたくないようだな……!」
山の陰から姿を現したのは、スペルズの最新兵器と思しき巨大な航空戦艦だった。まるで山がまるごと空を飛んでいるかのような威容である。
この時、イオナはグラッテンとスペルズが裏で手を結んでいることを知らない。故に、彼女はこう考えた。
もしこの戦艦がこのまま本国へ攻め入ることになったら、と。
止めるしかない。いくら嫌いな奴らの巣窟であっても、あそこにはそれ以上に大切な人々がいるのだから。
歯ぎしりでもしそうな顔付きで戦艦を睨んでいたイオナだったが、やおら、ふっ、と笑うと、
「……やれやれ。クローンとして生まれ変わっても、最期は【これ】か。因果なものだ」
自嘲するようにそう呟き、軽く頭を振った。
そして、わずかに俯いていたイオナは顔を上げ、まなじりを決し、頭上の戦艦を見据えた。『ディオスカール』の切っ先を下げ、下段に構える。
イオナの極光が爆発的に膨張した。猛烈に吹き出る間欠泉のごとく、精霊の光が飛沫を撒き散らしながら天へ伸び上がる。
戦場に太い光の柱が生まれ、空と大地とを繋いだ。
地上のスペルズ兵は、ただそれを見上げることしか出来なかった。
不意に、光が消えた。その直後、再び地上から天空へ一条の光が奔った。
光は目にも止まらぬ速度で宙を駆け、スペルズの戦艦を一瞬にして貫き、そのまま空の向こうへ消えた。
一瞬遅れて、戦艦が空中で真っ二つに切り裂かれた。
その後、ロガネにはこの世の地獄が生じた。
二つに分かたれた戦艦が地上のスペルズ兵を巻き込みながら墜落し、爆発炎上したのだ。小規模な爆発が連続して、大地と大気を大きく揺るがす。
これが、この戦いの最後だった。
後に判明することだが、この戦いにおけるスペルズ軍の生き残りはわずか三千名程度だったという。殉死者三万五千超という信じがたい数字は、当然ながらスペルズ全体においてもとんでもない被害であった。それも最新鋭の戦艦を一隻まるごとを失うというおまけ付きだ。全滅と呼んでも差し支えない結果は、とても勝利とは言えなかった。
それでも、それは歴史に『勝利』の文字と共に刻まれることになる。
多くの命が散り、負傷者が怨嗟の声を上げ、助け合うスペルズ兵の怒号が飛び交う中に、イオナの姿はなかった。
イーヴァの〝エア・レンズ〟がどこを捜しても、イオナの姿は見つからなかった。
捜索の末ようやく見つかったのは、戦場となったロガネの北の果て、ハーディール山脈の麓に突き刺さった『ディオスカール』だけだった。
それが、結果だった。




