▼10-私が、この国を変えてみせます
▼10-私が、この国を変えてみせます
病院を退院してラーズグリーズに戻ってきたら、みんないなくなっていた。
カーチャはむくれていた。
なんとこの三週間もの間、誰一人としてカーチャの見舞いに現れなかったのである。
確かに最初の二週間は病院側が大げさな対応をして面会謝絶状態になっていたが、最後の一週間には手土産など無くていいから顔ぐらい見せに来てくれたって良いではないか。
寂しかったのに。
仲間だと言ったくせに。私に力を貸してと言ったら、貸してくれるって約束したくせに。なんて薄情な人達なんだ。
涙目でぷんすかしながら、それでもカーチャはグラズヘイムのラーズグリーズ本部へと向かった。
怒りと悲しみの感情は、すぐに怪訝なそれへと変化した。
扉に鍵がかかっていた。おかしいな、とまず思った。毎朝、最初にこの建物を訪れるのはサイラで、それは花壇の世話があるからで、だからこの扉の鍵はカーチャが来た時には絶対に開いているはずなのだ。なのに、今日はその扉が閉まっていた。
――サイラちゃん、お寝坊でもしたんですかね?
そう思って懐を探り、ここに配属されて三日目に渡されたスペアキーを取り出す。こうして鍵は預かっているので、別段困るようなことではなかった。
この時、カーチャは前もって裏庭にあるサイラの花壇を見に行っておくべきだったかもしれない。そこにある涸れた花々を目にしておけば、少しは心づもりが出来たかもしれないのだから。
中に入り、窓のカーテンを引きながら、二階の談話室へ向かう。照明を点けたいのは山々だが『見捨てられた者』であるカーチャにはそんなことすらも出来ない。今まで不便を感じたことがなかったから放置していたが、稀にこういうことがあるのなら、この施設も屋敷と同じ電気式に改造しておかねばなるまい。その際にかかる手間と予算を試算しながら、カーチャは足と手を動かした。
ラーズグリーズでサイラの次に早起きなのはアイリスだ。普段なら彼女もカーチャより先に来て、キッチンでお茶請けになるケーキやクッキーを焼いている。そして、カーチャが顔を出すと真っ先に香茶を出してくれるのだ。
――アイリスさんも寝坊でしょうか? 珍しいこともあるものですねぇ。
カーチャは暢気にそんなことを考える。
この時、カーチャはキッチンの様子を見に行くべきだっただろう。行けば必ず、そこに埃が溜まっていることがわかったはずだ。埃の量が、一日や二日で積もるものではないことも。
薄暗い談話室に足を踏み入れ、椅子に尻を乗せる。
ぽつん、と一人ぼっち。
急に泣きたくなるほど寂しくなって、カーチャは懐から小型通信端末を取り出した。誰かに連絡して早く来てもらおう、と思ったのだ。サイラやアイリスがまだ寝ているようなら、起こしてあげることにもなるだろう。そうも考えた。
取り出した途端、大人用のためカーチャの手には少し余る大きさの通信端末から、呼び出し音が鳴った。タイミング良く、誰かがカーチャに連絡をくれたのだ。カーチャは瞬時にベルのことを想起した。彼女はたまにこんな風に連絡をくれることがあるのだ。内容はとりとめのない話ばかりだが、カーチャは密かに楽しみにしていた。入院してからは端末のスイッチを切っていたので連絡がとれなかったが、退院日は教えてあった。だから『今日は本当に来るの?』という理由か何かでかけてきたのかもしれない。
「もしもしっ?」
期待に胸を躍らせながらスイッチを押し、カーチャは端末を耳に当てた。が、その期待は見事に裏切られた。
通信端末から聞こえてきたのは、ベルの声ではなかった。
「――イーヴァさん、ですか? あれ? どうしたんですか?」
変だな、とカーチャは思った。イーヴァが自分に直接連絡してくるなんて。普通なら彼女はイオナと連絡をとるはずだ。それが一番話が早いのだから。わざわざカーチャのような子供を介する必要など、どこにもないはずだった。
「――はい? これから、ですか? ええ、別に構いませんが……そちらへ行けば良いんですね? わかりました」
通信を切った後、カーチャは一人きりの談話室で小首を傾げた。何故だか分からないが、イーヴァに呼び出されたのだ。今すぐ自分の官舎に来て欲しい、と。官舎があるのはグラズヘイムの敷地内だが、専用車やバスなどは使わず、可能な限り歩いてきて欲しい、とも。
肝心の用件には一切触れないまま通信は終わってしまった。カーチャは首を捻りつつ、急ぎの用事であるらしいので、とにもかくにも出ることにした。
サイラやアイリス、ベルやイオナがいつ来ても良いように、鍵は開けたままでラーズグリーズを後にした。
そして、真実を知らされた。
照明を落とした部屋で、カーチャは【その映像】を見終わった。
光源は視線の先にあるディスプレイだけだった。それは今の今まで、〝エア・レンズ〟で撮影された一つの映像を流していた。今は、灰色の基準画面を映していて、何の変化もない。だが、カーチャの目線はそこから離れようとしなかった。瞬き一つ、しようとしなかった。
カーチャの右斜め後ろでは、同じようにイーヴァが椅子に座っていた。勝ち気な彼女が、両手で顔を覆って子供のように泣いていた。嗚咽と鼻水を垂れ流して、しゃくり上げていた。
カーチャは無表情だった。ただ呆然と、目の前にある画面を見つめ続けている。ディスプレイの光に照らされたその横顔は、まるで人形のようだった。
泣きじゃくるイーヴァが、それでも息も絶え絶えな感じで、
「ごめんなさい……ごめんなさいっ……! アタシ、アタシが、撮ったの……! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ……!」
さっきから何度も『ごめんなさい』を繰り返していた。その謝罪の言葉は、誰に向けてのものなのか。
イーヴァ・クロフォード少尉はワルキュリア軍の中でも珍しい特務機関ラーズグリーズの支援部隊の一つ、イーヴァ隊の隊長だった。その主な任務はその名の通りラーズグリーズの支援で、例えば斥候であるとか、『戦闘訓練』では付近の住民を避難誘導であるとか、直接戦闘には参加しないが非常に重要な役割を請け負っていた。その中には〝エア・レンズ〟を操作しての戦闘記録もあり、隊長のイーヴァは一際重要視されているその任務の担当者でもあった。これまで撮られたラーズグリーズの戦闘記録は全て、彼女の撮影によるものである。
だから、彼女が【この映像】を撮影した張本人であることは、仕方のないことだった。ラーズグリーズの全てを撮影してきたイーヴァが、その最後を撮るのは、至極当然の流れだった。
イオナ大佐はきっと予感していたんだ、とイーヴァは涙ながらに語った。イオナはこうなることを予想していたに違いない、と。でなければここ最近の、【急に想い出作りでもするかのように遊び呆けたこと】に理由がつかない、とも。
カーチャは、何も知らなかった。
まただ、とカーチャは思ったことだろう。またこれだ、と。いつもそうだった。いつも世界は、カーチャの見ていない所で動いている。カーチャに前兆も伏線も見せぬまま、胎動する鼓動も忍び寄る足音も聞かせぬまま、いつの間にかよくわからない大きな理由で、この世界は少女の大切な人々をどこか遠くへ連れ去ってしまうのだ。
イオナは、【敵】が感づいているかもしれないことに感づいていた。それを前提に行動していた。カーチャはその事を知らなかったし、気付いていなかった。
――もういいだろう。まどろっこしい真似はやめて、これより事実だけを述べよう。
イオナが死んだ。
アイリスも死んだ。
ベルも死んだ。
サイラも死んだ。
――以上である。繰り返すが、これは事実である。嘘でも、虚言でも、世迷い言でもない。
不思議なことではあるまい。とうとう【敵】が動いたのだ。それに抗いきれず、イオナ達は犠牲になった。ただそれだけだった。
つい先刻までカーチャとイーヴァが並んで見ていた映像は、〝戦争賭博〟の最新記録だった。それには、四人の死が映っていた。
あんなにも強かった四人が。負ける場面など想像も出来なかった四人が。画面に映る映像の中で――まずベルが、次にサイラが、続けてアイリスが、そして最後にイオナが、順に死んでいった。
悪い夢なら、それでよかった。だが、そうではなかった。現実は、決して醒めることのない夢なのだ。
「私は、どうすればいいんでしょうか?」
ポツリと、軽く戸惑うような声でカーチャは言った。今この場において、そのあまりにも不釣り合いな言葉と口調に、イーヴァが思わず頭を上げる。涙と鼻水でドロドロになった顔で、困ったような表情で振り返るカーチャと目を合わせる。
幼い少女の体は、何かの痛みを堪えるかのように、小刻みに震えていた。だが当人はその震えに気付いていないようでもあった。
「わからないんです」
震える声音で、カーチャは呟いた。その瞳は、未曾有の経験に恐怖を感じているのか、怯える小動物のごとく揺らめいていた。
「どうすればいいか、わからないんです。私は、悲しめばいいんですか? それとも、怒ればいいんですか? 恨めばいいんですか? 絶望すればいいんですか?」
その瞬間、イーヴァは過たずに理解した。カーチャが決して、冷酷な台詞を口にしているわけではないことを。
「わからないんです。本当に……どうすればいいのか、わからないんです」
何も感じていないわけではなかった。頭が狂ったわけでもなかった。
カーチャの感情は、確かにそこにあった。途轍もなく、ひどく大きな情動の塊が、カーチャの内部には誕生していたのだ。ただ、それがあまりにも巨大すぎて、どう処理すればよいのか、幼すぎる少女にはわからなくなってしまったのだ。
凄まじい激情なのだろう。イーヴァはそう察した。それ故に、怒りや憎しみに転化すれば良いのか、悲しみの涙に変えればよいのか、カーチャは決めあぐねている。自分の気持ちを、持て余している。
当たり前だ。生まれてすぐに母を奪われ、三ヶ月前には父を奪われ、今度は仲間すら奪われたのだ。その想いの痛々しさは、想像することすら恐ろしい。むしろ、今、失神もせずに意識を保っていることが奇跡的ですらあった。
イーヴァにはカーチャにかけてやれる慰めの言葉など、何一つ無かった。少女が負った致命的な傷は、ちょっとやそっとのことで癒えるような【ちゃち】なものではなかった。無論、それはイーヴァ自身もそうだったが。
だから、鼻水をすすり上げ、泣きはらした目で、伝えるべき事だけを伝えた。
「――イオナ大佐が最期に言ってたんだ。アンタへの伝言。たった一言だったけど」
そこで、一拍。次からは、イオナの言葉だ。そんな間を置いてから、イーヴァは言った。
「【後を頼んだ】」
本当に一言だった。しかし、その一言こそが、万感交到る言葉だった。全ての想いが、そこに収束していた。
「……アタシはアンタについていくよ。イオナ大佐が後を任せたアンタに、アタシはどこまでもついていく。――けど、アンタはどうする?」
酷な問いかけであることは、イーヴァにもわかっていた。だが彼女は聞かねばならなかった。
体を静かに震わせたまま、顔を俯かせたカーチャは、しばし沈黙した。やがて、少女はこう呟く。
「約束をしました」
と。そして、再び顔を上げて、どこか遠くを見つめる瞳で、
「私が、この国を変えてみせます。私は、そう言いました。そう、皆さんと約束をしました。その約束は、守らなければなりません」
虚ろな呟きの中に、しかし金剛石がごとき硬い芯が通っているのをイーヴァは感じた。イーヴァはその声音から、カーチャの心がまだ折れていないことを知った。息を呑み、少女の顔をまじまじと見つめる。
怒っているのか、悲しんでいるのか、憎んでいるのか、絶望しているのか、よくわからない表情で。あるいは、その全てを内包した顔で、カーチャは自らに言い聞かせるかのように、もう一度こう呟いた。
「【私が、この国を変えてみせます】」
それは誓いの言葉だったのか。
それとも、呪いの言葉だったのか。
カーチャは自らの言葉で、自らを切り裂いた。




