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1.邂逅

それは燃える太陽の輝きだった。

古めかしさを感じさせない金の輪は、騎士の甲冑よりも光沢を帯びている。はめ込まれた赤い宝石は、朝焼けの空を閉じ込めたかのよう。松明にかざしてみれば、ぐっと赤みを増して、血色の光を湛える。手に取れば冷たい。長い間洞窟で眠っていたからだろうか。少女は指輪を落さないように握りこむ。

「これで、まずは一つ」

小さく呟いて、踵を返し、洞窟の出口を目指す。走らず焦らず、決められた道を辿るようにただ歩く。規則的な靴音が響く。洞窟の入り口、明るい陽射しが見えたところで、少女は一度振り返った。不思議な場所だった。魔物も、盗賊も、何もいなかった。ただ最奥に指輪が安置されていた。少女のしたことといえば、洞窟から指輪を持ち帰っただけ。腰に佩いた剣を使う機会もなかった。

「本当に、この指輪であっているのかな」

また一つ、独り言を零す。洞窟の暗闇に目を凝らしても、やはり何もいなかった。やるべきことは果たしたはずなのに、不思議と達成感は込み上げてこない。王都に戻ろう。この指輪と洞窟のことを報告すれば、きっとこの不安も消えるだろう。そう思い直して、少女は洞窟を抜ける。外に出れば、まだ日は高かった。王都までは馬車で3時間。ここから馬車の通る街道まで歩いて行けば、後は馬車に揺られてゆっくりできるだろう。少女は洞窟のあった岩山に沿うように歩き出した。歩きながら岩山を見上げる。標高はさほど高くなく、10メートルほどだろうか。少女の住まう邸の方がずっと高い。【イシュタル山】と呼ばれるこの山は、王都とニーレンベルギア領の境に位置していた。岩山というには頂上部はなだらかで、巨大な一つの岩石のようだった。その昔、この山では宝石が取れたと聞く。しかし今では誰も寄り付かない、忘れられた場所になっていた。街道に辿り着いて馬車を待つ。まだ青い空を眺めながら、少女はこの旅の発端を思い返していた。

 先週のこと。剣の稽古から戻った少女に、騎士団長である彼女の兄は告げた。

「カルラ。お前に重要な任務が下された。国内外に散らばった【魔女の遺品】を集めるんだ」

少女─カルラは、短く返事をした。重々しく切り出した兄はこう続けた。「この国は近いうちに滅ぶと予言が出た」

カルラの紅茶に砂糖を入れながら兄は続ける。

「滅びを回避するには、【魔女の遺品】を集める必要があるらしい。全部で七つ。ほとんどはありかもわかっていないものだ」

カルラは砂糖の入った瓶を引き寄せながら、静かにうなずく。

「予言の中には、お前の姿があったらしい。そこで国王はそれらの回収を、お前に命じたんだ」

妹が大役を任ぜられたのに、兄は浮かない顔をしていた。

「しかもたった一人でだ。予言と食い違ってはいけないからと」

絞り出すような声だ。苦虫をかみつぶしたような顔で、手を固く握りしめている。そして深呼吸の後、カルラを見据えた。

「団長命令だ。【魔女の遺品】を探し出し、国を破滅から救え」

「そしてこれは当主命令だ。…無事に帰ってこい」

そう言って兄は柔らかく笑った。それは騎士団を率いる凛々しい団長ではなく、妹を案じる一人の兄の姿だった。

カルラは二つ返事で了承した。それからは【魔女の遺品】に関して判明している情報の精査や、探索ルートの構築など、慣れない事務仕事に忙殺されていた。昨晩王都を離れ,この岩山を訪れていたが、予想をはるかに上回る速さで初調査は幕を閉じた。


 岩山の麓に春風が吹いて、カルラの赤毛を泳がせる。遠くから蹄鉄の音が聞こえた。カルラはおもむろに立ち上がる。やってきた御者に王都まで乗せてほしいと伝えれば、途中で馬を休めるから4時間はかかると言われた。それでも今日中に着くのなら構わないと、馬車に乗り込む。御者が手綱を引いて馬を走らせようとするが、馬は動かない。

「どうした。さっきまで絶好調だったじゃねえか」

御者が降りて馬を宥める。しかし馬は嘶きを発し、その声はだんだんと激しくなっていく。

「本当にどうしちまったんだ。すまんが嬢ちゃん。ちっとばかし待ってくれ」

御者は懸命に馬を落ち着かせようとするが、馬の興奮は治まらない。カルラは周囲を見渡す。魔物などに反応しているのかもしれないと思ったのだ。しかしどれほど目を凝らしても、ただ静かに野花が揺れているだけだった。直後、轟音と共に地響きが起きた。岩山の方角からのようだった。馬車は縦に大きく突き上げられる。馬の嘶きは空を裂くように響き渡り、御者を振り払わんとしている。カルラは揺れる馬車から躊躇なく飛び降り、御者を馬から引き離す。安全な距離を取り、御者に向き直る。

「馬に鎮静魔法をかけても構いませんか」

「嬢ちゃん魔法が使えるのか。ぜひやってくれ」

カルラは馬と対峙し、その首元に右手で触れる。

「『静謐たる(ヒュプノス)』」

カルラの右手に、淡く白い光が灯る。御者の目には、曇り空の向こうで輝く太陽の光に見えた。ほどなくして馬は落ち着きを取り戻し、ヒヒンと軽やかに啼いた。馬を優しくなでながら、カルラは御者に目線を向ける。

「私は先ほどの地響きでけが人が出ていないか、調査をしてきます。私のことはお気になさらず、お仕事を続けてください」

カルラの言葉に御者は首を横に振る。

「いいや嬢ちゃんを待つよ。もしけが人がいたら、運ぶ足も必要だろう?」

御者の厚意に頭を下げ、カルラは岩山に引き返す。洞窟を出たときとは違い足早に。

カルラが調査をした洞窟に戻れば、中は崩落していた。入り口は大小の落石で塞がれ、ネズミが入る隙間もなさそうだ。中に人がいたら大変だ。

「『天柱()たる(トラ)巨人()』」

重力魔法で慎重に石を退かす。やがて人の顔ほどの小さな隙間ができた。中から物音や人の気配は感じられない。誰もいないはずだ。それはカルラ自身もわかっている。けれど調べもせずに、この場を去ることはできなかった。カルラはさらに岩を除去し続ける。最初の地響き以来、特に異変は感じられない。後続の崩落の可能性は低いだろう。人一人分通り抜けられる隙間ができたところで、カルラは洞窟の中に立ち入る。入り口で松明を拾い、小さな明かりを頼りに奥へ進む。

「誰かいませんか」

返事はない。カルラの声だけが虚しく反響する。どうやら内部では崩落がなかったようだ。カルラが調査をした時と変わらず、岩肌の道が続いている。指輪の置かれていた最深部に辿り着くも、結局人を発見することはなかった。

「いなければいないに越したことはないわ」

けが人がいないことを確認したカルラは踵を返そうとして、違和感を覚える。─風が吹いている。何かを揺らすほどの力もない風が、最深部に流れている。カルラは風の吹いてくる方向を探り当て、壁面に触れる。すると突然岩壁が崩壊し、新たな道が出てきた。カルラは迷うことなく奥に進む。そこは最深部よりも空気が冷たい場所だった。ここにもやはり人の気配はない。

「いるのなら返事をしてください」

やはり返事はない。けれどここで引き返すことはできない。返事もできない状態の人が、助けを待っているかもしれないからだ。そして最奥に辿り着くと、一人仰向けに倒れているものを見つけた。男性のようだった。カルラは急いで駆け寄った。

「大丈夫ですか。聞こえますか」

カルラの呼びかけに男は答えない。しかし指先がわずかに動いたのを、カルラは見逃さなかった。

「今助けますから。安心してください」

気道が楽な体勢を取らせ、呼吸を確認する。息はある。目立った外傷も見当たらない。どうやら気絶しているだけのようだった。カルラはほっと胸を撫で下ろした。カルラの気配に気がついたのか、男が軽く身を捩る。ゆっくりと瞼が開かれる。現れたのは、月の輝きにも勝る金の瞳だった。

「お前は」

意識もおぼろげな様子で、男はカルラを見据える。

「目が覚めたのですね。自分の名前は言えますか?」

質問に答えるよりも先に、カルラは男の状態を確認しようとした。3本の指を立て、その本数を尋ねる。

「アル。そう呼んでほしい」

「アルさんですね。詳しいお話は外で伺います。とりあえずはここを出ましょう」

カルラはアルの手を取り抱き起こす。そして洞窟内の安全を確認しながら、出口を目指した。暗い洞窟から出てようやく気がついた。アルは服を着ていなかったのだ。

「あ、ごめんなさい。そんな恰好で、外に連れ出してしまって」

カルラは自分のマントをアルに差し出し、腰に巻くように促す。

「別に寒くはない。大丈夫だ」

遠慮がちに断るアルから目をそらしながら、カルラは再度マントを突き出す。

「変質者として連行されたくはないでしょう。良いから着てください」

マントを受け取ったアルはおぼつかない手つきで腰を隠した。そこでようやくアルに目線を向けたカルラは、彼の様子を観察する。星のように煌めく銀の髪に、蜂蜜色の金の瞳。顔立ちは繊細な美しさを宿し、体躯は健康そのもの。どこかの国の貴族が、追剥にでもあったのだろうか。

「申し遅れました。私はエカルラート・アスターチス。近衛騎士団所属の騎士です」

簡潔に自己紹介を済ませれば、アルは静かにうなずく。カルラは続ける。

「他に誰か見かけたりはしましたか」その問いにアルは首を横に振る。

「今回の地響きの原因に、何か心当たりはありますか」この問いにアルは一拍置いて、またしても否定した。

「わかりました。念のため、周囲を捜索してからここを離れましょう。着いてこられますか」今度は縦に首を振ったアル。結局アルのほかに人影は見当たらなかった。アルを連れ馬車のいる街道に戻る。御者に声をかければ、丁度馬の休憩も終わったところだという。

「ところで嬢ちゃん。隣のそいつはけが人か?変態か?」

「一応はけが人ということで。それでは王都までお願いします」

カルラはアルの手を引き馬車に乗り込む。戸惑いながらカルラの隣に座るアルに、向かい側に座るように促す。二人が席に着いたのを確認して、馬車は出発した。

「そういえば、貴方についてちゃんと聞いていませんでしたね。どこから来たのですか。なぜあの洞窟に?」カルラの問いに、アルは困ったように眉尻を下げる。

「すまない。わからないんだ」

カルラは調書に『記憶喪失の疑いあり』と記入した。羽ペンで規則的なリズムを取りながら、思考を巡らせる。彼が嘘をついているようには見えないが、名前だけはっきり覚えているというのも違和感が残る。調書とにらめっこをするカルラに、アルはこともなげに質問をしてくる。

「王都には何をしに行くんだ」

「私はまあ、任務の報告ですね。岩山であなたを保護したことも、騎士団に報告しないと」

「俺は何か、悪いことをしてしまったのだろうか」

アルの金の瞳がゆらゆらと不安そうに揺れる。

「いえ。ただ身元不明の貴方を放置するわけにもいかないので。身の振り方が決まるまでは、騎士団の預かりになると思います」

毅然とした態度でカルラが答えると、御者台から声が投げられる。

「もしかして嬢ちゃん、近衛兵か。制服じゃないからわからなかったよ。若いのに大したもんだなあ」

御者は馬を操りながら続ける。

「俺も昔は近衛兵でね。もう10年も前のことだ」

懐かしむような、どこか寂しさをまとった声色で御者は続ける。

「10年前にクーデターがあったろう。それ以来、誰が敵か味方かわからなくなっちまってな。王宮勤めは無理だと悟って、故郷に戻ったってわけさ」

それまで馬車の揺れに困惑していたアルが、御者に問い掛ける。

「クーデターとは、何のことだ?」

アルの質問が何を指しているのか、カルラには判然としなかった。

「兄ちゃん、もしかしてこの国の人じゃねえのかい。いやさ、今から10年前に、王都でクーデターが起きてな。王が死んだのはまだしも、二人の姫さままで死んじまってな。俺は事後処理に当たったんだが、まあ、ろくなもんじゃなかったよ」

カルラは視線を下に落とした。岩山を駆けずり回ったせいだろうか、爪の間に土が残っていた。

「王がいなくなって、国は大丈夫だったのか」

アルの質問に、御者はしばし唸ってから返答を紡ぐ。

「難しい質問だなあ。国のよしあしってのは、立場や時代によって変わるもんだ。あの政変の答え合わせは、まだ誰にもできやしないのさ」

アルはそれ以上追及することなく、そうか、と小さな呟きを残して口を噤む。会話が途切れて、馬車を沈黙が包む。車輪が小石をはじく音。蹄鉄の響き。遠くから聞こえる鳥の歌声。あらゆる音を友にして、緩やかな時間が流れていく。カルラは静かに目を閉じた。昨日出てきたばかりの家に思いを馳せる。王都に戻れば、別の遺品を探しに行かなければならない。時間の余裕はあまりないだろうが、兄たちと茶会をする暇くらいはあるだろう。父も母も、きっとカルラの帰りを待ち望んでいるはずだ。家に戻ったら、楽しい話をしよう。初めて一人で馬車に乗ったこと。洞窟は案外過ごしやすいこと。兵糧食はあまり美味しくないこと。話したいことが、たくさんあるのだ。

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