破壊の使徒は学ぶ
入学式の翌日からフィルは寝床を宿屋のベットから学園寮のベットに移行した。学園寮の設備は中堅どころの宿レベルであり、特に優れた部分も劣る部分もなく、過不足ない生活を送れる。キッチン付きなのは非常に助かっていた。フィルは職業柄、このような部屋で寝起きすることが多く、親しみやすいと結構気に入っているようだが、中には文句を言う者もいる。
その筆頭は想像に容易く、豪奢な暮らしになれた中級以上の貴族の子息子女連中だ。中級以下の貴族は平民の生活より少し贅沢といった程度で身の回りのことを自分でやるのは当然だが、中級以上は身の回りのこと、着替えなども使用人にやらせる始末で相当に苦労しているらしい。学園生活、二日目で既に難があるとは、と哀れに思うフィルだった。
九大公爵家は他の貴族と違い、最低限のことは自分でするよう義務付けられ、教育されている。フィルにとっては苦い思い出だ。才能がなくとも最低限の教育は受けられたが、半分以上は体罰に等しかった。残酷なほど実力主義の環境だったと思う。今のフィルはその事を愚かしいと感じているが。
力のみを追い求めるヴァラレイ家や他の九大公爵家の在り方はフィルをして哀れと思わせるものだ。否、その環境で劣悪な体験をしてきたフィルだから、狂わされたフィルだからこそ思うのだ。実力主義と言えば聞こえはいいが、力を追い求める姿勢は人間のそれではない。兵器のそれだ。九大公爵家とは国家保有の戦力または兵器と同義で国の平和のために捧げられた哀れな生け贄の一族だ。
戦や大規模な害獣討伐の際に戦闘の最前線に立たされるのは九大公爵家の人間であり、それは彼らの勤めだと国の規定に記されている。国民からは魔法大国の象徴として持て囃される英雄達だが、英雄などと呼ばれる人種は大抵は体のいい生け贄だ。超常の力を持つ故に使い潰される存在、異常事態への対処に逸早く駆り出され、不慮の事故で命を落としたり、妬まれ恨まれ人の持つ負の感情の連鎖に巻き込まれたり、本当にそんな役回りである。
自分にはもう関係ないが、とフィルは独りごちた。既にフィル・ランス・ヴァラレイの名は捨てている。今はただのフィルだ。今日は初授業なので、早めに起床して学園の昇降口に張り出されるクラス分けの結果を見ようとお馴染みという程には気慣れていない真新しい白のブレザーを黒いTシャツの上に着込み、白のズボンを着用する。朝食は強引に作り上げた自分専用の倉庫的役割をする亜空間から取り出したサンドイッチだ。血赤の大熊の腹肉をフライした物が挟んである。柔らかいパンと程よい歯応えの肉、溢れる肉汁をパンと肉の間にあるレタスが受け止め、中々の味わいだ。
ここで簡単、亜空間の作り方。まず、破壊属性の魔力をそれなりの量消費して魔力剣を形成し周囲に人がいないのを確認してから全力で一閃して空間に裂け目をつくります。ご都合主義的な世界の修正能力とやらで塞がれる前に腕を突っ込んで破壊と再生の魔力を流し込み裂け目の向こうに出来た空間を支配します。支配すると次は注ぎ込んだ魔力を操作して内部から圧力を掛け、空間を押し広げていきます。
適当な広さになったと感じれば、魔力の操作を終了し、内部の魔力を定着させます。これで完成です。定着した魔力は自動的に魔力源であるフィルに引き寄せられるため、いつでもどこでも中の物を出し入れ可能・・以上、フィルによる簡単な亜空間制作講座でした。尚、破壊属性の魔力剣を振り回す行為は非常に危険なので、良い子の皆さんは決して真似しないでください。
と、食事中に誰に対してか脳内で亜空間の制作方法を披露するフィルは少々痛い子だ。深くは突っ込まず、気にしない事がお勧めである。閑話休題。
クラス分けの基準は基本的な魔法知識や国の歴史・算術についての筆記試験の結果と実技の得点を合計したもので入学試験終了後に即決定しており、それは覆らない。クラスはSを筆頭にGまで存在し、Gクラスは最底辺として上級のクラスから蔑まれる。悲しいかな上級には貴族の子息子女が多い。金銭的な理由で十分な教育が受けられない平民出の生徒はどうしても下位のクラスに固まってしまう。
もっとも、実力は割と平民出の生徒の方が高い場合が多い。小遣い稼ぎに害獣討伐をする者もいるのだから当然といえば当然だ。逆に貴族は教養があろうとも実戦経験がある例は滅多にない。騎士の家系や軍関係の家系の子供なら多少はあるだろうが。
フィルは教養も実戦経験も抜きん出て高い。実技はともかく筆記なら八歳の頃でも満点近い点数を叩き出せただろう。実際、問題は易しいものだった。もちろん、フィルは手を抜いたが。理由は単純明快で例の加害者集団がいるからだ。九大公爵家に連なる者達や直系の子供は確実にSクラス在籍となる。
フィルはSクラス在籍になると非常に面白くない。思惑としては下位クラスにわざとなり、下克上したい。クラス合同で戦闘訓練をするのも珍しくないので、フィルはそこで九大公爵家に連なる者達を叩き潰す腹積もりでいる。(精神面を含めても)優秀な者もいるが、ここ最近は井の中の蛙ごときが調子に乗りすぎだとフィルは感じている。学園でも彼らを優遇する嫌いがあり、彼らより優秀な人材もSクラス入りは実質上制限されている。
学園の最高権力者である学園長は公正な人物だが、如何せん相手は国であるため無碍にできないようだ。フィル個人としても学園長は尊敬に値する人物である。彼としては自分なりの教育方針で学園を運営したいだろうが、フィルは学園長が国に従わされているのが不憫でならない。
結局のところ、フィルはCクラスだ。ちょうど中間である。学園内に生徒は疎らといった風で今頃は寮で惰眠を貪るか食堂で朝食を摂っているはずだ。適当な席に腰掛けたフィルは机上に配布されている授業選択用紙と選択授業の一覧表を手に取った。
授業は日に六時間で志望学科関連の授業がそのうち二時間、他の四時間は選択授業となっている。フィルの場合、志望学科の授業は魔法科攻撃魔法系の闇属性。驚いた事に得意な魔法系統から使用属性まで細かく分けられるようだ。選択授業は基本自由だが、戦闘訓練は必修だ。二年からは野外での戦闘訓練も多くなってくる。三年は卒業条件として第五級以上の害獣討伐が課される。戦闘訓練はいわば、卒業条件達成のための下準備だ。といっても、戦闘訓練は多くても二日に一回、普通は四日に一回の頻度だそうだ。
最終的にフィルは戦闘訓練の他を全て野外学習にした。野外学習は主にギルドから学園に斡旋された簡単な討伐や薬草の採集などの依頼をこなして達成数により単位を稼ぐ授業だ。別に教師の監視が付くわけでもないので、授業ではない気もするが。卒業条件は第五級以上の害獣討伐だけでは当然なく単位がいる。志望学科の授業だけでは絶対に不足する。その分を補完するのが選択授業だ。
フィルが選択授業を選び終えて、しばらく経って今日からクラスメイトとして過ごす生徒達が投稿してきた。次々と席が埋まっていく。何故か獣人族やエルフ、フェアリーといった種族の人口密度が高いクラス構成になっているが、他種族の友人を持つフィルには特に思うところなどない。
「予想的中」
何をするでもなく窓の外に広がる景色と快晴の空を眺めていたフィルは突然掛けられた声に困惑しつつ、首だけを動かし声の主を視界に捉える。フィルが言えた義理ではないが、男にしては長い茶髪に同系色の明るい瞳を持つ一見男装の麗人風な少年が親しみの感情を全開にして立っていた。不本意ながら一応、友人の一人である。名をリオン・フェン・シュバルツ、付与のシュバルツ家の異端児だ。
「何が?」
「フィルがCクラス在籍になるって予想さ」
そう言い笑う表情は無邪気な少女のそれなので質が悪い。友人になって長いが、勘違いしてリオンを襲う連中を何度退けたことか。無闇にその表情をするな、と説教したかったフィルだが堪えた。説教して目立つのも考えものだ。ところで。フィルが着用中のブレザーとズボンは男女兼用であるため、容姿によっては本当に男女の区別がつかない。それに気づいたフィルは先の展開を垣間見た気がして少し頭痛がした。
本音を言えば、フィルはこの友人の性別が本当に男なのか測り兼ねている。リオンも十分強いが、心配の種は尽きないのだ。もしものことを考えるとゾッとする。リオン自身が嘘偽りなく自己申告してくれれば対応の仕様もあるのだが、友好関係とはままならないと常々思うフィルだった。
「にしても、フィルの髪は綺麗だよね」
微笑を貼り付けたまま、リオンは自然な動作でフィルの黒髪をひと房掴み取り、弄ぶ。
「やめろ、いらない誤解を生むだろ」
「僕は一向に構わないよ?」
「こっちは構うけどな」
その光景は何処にでも潜んでいる腐女子の妄想を掻き立てるに十分過ぎ後に二人をモデルとした同人誌が発行され、世界中の腐女子や貴腐人に大人気を博し、巨額の富を得た制作者側の腐女子らは卒業後も趣味に埋没する事となるが、それはまた別の話だ。やはり美形二人の絡みは色んな意味で損益の両方を兼ねるものであると件の同人誌を入手したフィルは思うことになる。
リオンはフィルの前の席に陣取り、友人同士の会話もそれなりにした。いつの間にか選択授業もフィルをまねて野外学習を選択しており、頭を抱えたが、それは我慢すれば問題ない。選択授業が全て一緒だと先ほどの誤解をさらに深めそうなのだが、フィルにとってはなぜリオンがCクラスにいるのか激しく疑問だった。異端児と言えど、実力は九大公爵家に連なる者として十分足り得るものだ。
「ああ、その顔はどうしてCクラスなのか気になってるね。単純に家から妨害が入っただけだよ。なにせ、僕は異端児だからね」
家からの妨害、それでフィルは納得した。シュバルツ家の付与魔法は味方の保有戦力を補正する魔法。つまりは強化系の魔法だ。そもそも付与魔法は筋力強化や武器に属性効果を与える属性付与などバリエーションは少ないが劇的な効果をもたらすため、戦闘には必須とも言える。世間一般にも付与魔法とはそういうものだ。しかし、異端児リオン・フェル・シュバルツは違う。
リオンの付与魔法は対象を害をなすものだ。いわゆる状態異常の付与である。対象を殺すことも可能だ。例えば、麻痺・毒の付与。これはリオンが毒属性を持つから可能なのだが、元より付与魔法とは付与属性を持つ者が行使する魔法でリオンはこの付与属性と他の属性を組み合わせて行使しているに過ぎない。それに付与属性だけでもリオンは対象を殺せる。例えば、全身強化を対象の強度を遥かに超えた効果の強化をかけ、対象は動くだけで全身の筋肉・神経がズタズタになる。度を過ぎた強化は内蔵の機能も失わせ、結果対象は死に至る。
付与魔法は存外、難しい。先に挙げた通り、強化が対象の強度を超えれば逆に対象を傷つけ弱体化させる。それを平気で実行するリオンの行動はシュバルツ家の理念に反する。故にリオンは異端児なのだ。もっとも、リオンの付与魔法はフィルに対して一切意味がない。フィルは自身に害がある事象を全て破壊する。毒が体内に入れば毒に犯された部分を完全に破壊した後、再生する。例え心臓をやられても彼の命が耐えるより速く再生が実行される。閑話休題。
ホームルームの時間になり、教室のドアが慎ましやかな音を立て開けられる。楚々とした動きで入室してきたのは赤髪の女性だ。所作のどれをとっても洗練されており、言いようのない圧力を発していた。ホームルーム開始以前の雰囲気は完全に封殺され、ほとんどの生徒が圧倒されていた。フィルやリオンを含め少数派のっけから殺気立ってるなぁと冷静な思考を有していたが。
「皆さん、おはようございます」
『お、おはようございます』
少数以外は圧倒されて思わず、といった風に挨拶を返した。別に良い心がけなのだが。
「皆さんの担任のティリア・アンジュです。良い子には優しくするのでよろしくお願いします」
非常におっとりとした口調だが、良い子にはの部分がやけに強調されたばかりか殺気の密度が上昇して大多数の生徒に恐怖を与えた。後にモブキャラの生徒Aは卒業式で語る。第五級の害獣の殺気なんて最初のホームルームで感じたティリア先生からの殺気に比べれば赤ん坊とドラゴンの違いだったと。それもそのはず、ティリア先生はネタバレするとドラゴンである。ぶっちゃけ、学園長の奥さんだ。そして、学園長は人間の身でドラゴンを口説き落とした凄い人物なのだ。
定例とも言える自己紹介の後、授業選択を終えた生徒から学科別の授業に向かった。リオンは何げに闇属性も保持するスペックの高い人物で予想通りフィルに付いてく。そして腐女子らの誤解は、否妄想は深く深くなっていった。件の同人誌発刊まで残り二ヶ月、さあ全国の腐女子及び貴婦人よ!刮目して待て!と謎の宣伝が行われていたが、スルーしてほしい。
無駄に広く複雑な学園内をフィルとリオンは迷わずに歩く。冒険者には地図を一回でお覚え適切に理解する技能が必須だ。冒険者歴がそれなりに長い二人には学園内の構造を記憶する作業は容易にできた。そして、歩くこと数分。到着した教室は確実に数ヶ月は人の出入りがない様子を呈しており、教卓の側に人型の物体が倒れ伏していた。空気の読める二人はせっせと溜まった汚れを闇属性の闇影という自分の影を基点として闇を生み出し、対象を呑み込む魔法で掃除した。ちなみに呑み込んだ物体は出し入れしたり、消滅させたり、と結構自由度が高い。空気の読める二人は人型の物体を呑み込んでしまったが、瞬時に吐き出し放置して自主勉強を開始した。
闇属性魔法は質量のある闇を生み出し操作する、それが基本だ。闇影は闇属性魔法の基本中の基本で闇を生み出す魔法だ。生み出された闇は何かを呑み込む性質を持つ。魔力さえあれば闇は生産され続けるため、単純に防御魔法にも使える。生み出した闇を触手のごとく操作し、圧倒的な質量で攻めるのが闇属性魔法の常道だ。
他にも触手の先を多種多様な武器のそれに変化させ、圧倒的な手数で攻める手もある。また、上級レベルになると精神干渉系の効果を持つ魔法もある。圧倒的な物量と精神干渉系の特に精神を攻撃する魔法を組み合わせるのが闇属性の攻撃魔法である。早速、二人は備え付けの本棚から闇属性魔法が記された魔法書を出し闇で虫や染みを駆除した後、発動の練習をする。
さすがのフィルも闇属性の魔法書は読んだことがなく、夢中になって読み進め、幾つか気になった魔法を試していく。単純な攻撃魔法の例で言うとダーク・アローやダーク・ランスだ。魔力剣も実証済みだ。二人共、人型の物体には一言も触れず、二時間を全て自主勉強に費やして何事もなかったかのように教室を出て行こうとしたが、良心がその行動を咎め、埃塗れのそれを闇で綺麗にしてフィルが再生属性の魔力で元に戻す。
それの正体は怪しげな格好の占い師然とした姿の女性だった。彼女は一体何者なのか、次回それは明らかになる、と謎のナレーションが入ったが、普通に闇属性の攻撃魔法を教える教師なのであしからず。