破壊の使徒は世に出ずる
今にも泣き出しそうな曇天の空、吹き荒ぶ風はレイ・インパクトの余波で砕かれた小石の破片や砂利を巻き上げて何処かへと運んでいく。半身を襲う激痛に眉を顰めながらも状態を起こしたフィルは気を失う前との変化を敏感に感じ取る。
何の変化か、それは当然体内の魔力の流れの変化である。フィルは光属性の魔法に、いや光を含め四大属性などにも適性がなかったが、内包する魔力量のみならば九大公爵家の現当主勢の保有量の和でさえ比にもならない魔力をその身に宿していた。
しかし、どの属性にも適正を示さず、体内の魔力はどこか行き場に困っているようでもあり、正常な流れから外れ迷っていたようでもあった。それが今は綺麗に体内を循環している。フィルは単純に嬉しかった。魔力の廻りが悪いのはお世辞にも健康に良くはない。
魔力はある種抽象的な物質であるが、身体に酸素や栄養など必要不可欠なものを運搬して回る血液と同様に魔力は循環することで薄い薄い障壁を体表に張り巡らせて、瘴気と呼ばれる大気中に含まれる自然魔力が魔力が精神に大きく関係するものである故に人類の持つ過ぎた欲望や悪意に感化されて人体に悪影響を及ぼすものに変化したそれを防ぐ役割がある。
瘴気に蝕まれた人体は徐々に機能に弊害が現れ始め、最後は全身不随と化し、最後は死を待つのみとなる。また、魔力は循環することで人体を蝕む瘴気を浄化する作用もあるからして、魔力を消費し尽くしてしまうと厄介なことに瘴気は魔力が急激に減少した場所へピンポイントに集まる性質を持つため、魔力循環による瘴気の浄化が追いつかぬ速度で体を蝕まれる危険性がある。
とにもかくにもフィルの魔力の体内循環の悪さはただでさえ薄い障壁をさらに薄くし半ば瘴気を防ぎきれぬ状態に有り、若干とは言えフィルは瘴気に蝕まれていた段階にあったのだ。魔力の循環が正常化され、瘴気も浄化され、ようやく一安心といったところだ。
フィルは安心して気が緩んだ瞬間にバランスを崩して複雑骨折中の半身を勢いつけて地面に横たえる結果となり、声にならぬ悲鳴を上げた。痛みの波が弱まるのを待ち、恐らく自分の属性であるはずの破壊と再生のうち再生の方を早速使用してみる。自身の司る属性とはひいては自身の魔力の属性である。なので、多少の効果であれば魔力を目的の属性に変換して自分の目的に沿わせて運用するだけでも簡単なことであれば効果を十分に望める。
さしものフィルも半信半疑であったし、いきなり魔法を使う度胸はなかった。今まで幾多の魔法書を読み漁り、血の滲むようなではなく実際に流血沙汰に何度もなった過酷な努力及び鍛錬を積み重ねても発動できはしなかったのだから度胸がないのも仕様がない。
フィルは年の割に絶望した回数が多いせいか多少のことでは同年代の子供達のように舞い上がったりはしない。あの家族とも言えぬ下衆集団が上げて落とす手法を得意とすることも手伝って物事に過度な期待はしない非常に枯れた価値観を既に確立してしまっているのだ。人は生い立ちで如何様にも変わる。
それはそうと努力と鍛錬の甲斐あって知識だけは大変遺憾ながら知識だけなら高等魔法学園の学生にも匹敵するため、魔力の属性変換はお手の物だ。今度は変換した魔力を患部へ集中する。夢の中での直感が正しいなら治癒、いや再生するはずだ。藁にもすがる思いになるのはフィルにとって日常だったが、今回ばかりは本気で優しくない神にも辛すぎる世界にも願った。存在意義が欲しかった。
運命の神もさすがに今回は微笑んだ。フィルには過酷な運命を与え過ぎたと割と本気で反省したのかもしれない。かくして属性変換されたフィルの魔力は見事に粉砕された骨も折れ曲がった足も再生した。元通りに完璧に、それは絶望の淵にいたフィルが垣間見て掴み取った飴玉くらいの小さな小さな希望の光、忘れかけていた喜びの感情を思い出すきっかけだった。
絶望しか体験しなかった負の感情しか持たなかった彼の寂れた心に、色のない心に明るい色が差す。根本が狂いに狂った彼であることに違いはないが、あるいは彼に親しい友人でもいれば喜んだはずだ。それほどに彼は、フィル・ランス・ヴァラレイは色褪せていた。
五体満足となったフィルは幼い体躯には不釣合に大きなクレーターから這い出る。もっとも、釣り合いの取れたクレーターが存在しようとも役に立ちは絶対にしないことは確かである。大きな凹みを造られる土地が迷惑しそうだ。土地に意思はないけれど、意思を看過されずに物事を強要される様は少し自分に似ているとフィルは自嘲する。だが、と逆説を用いてフィルは宣誓する。
檻を破り、外に出る。出て人生を再出発すると・・人生の再出発なんてワードは失業した人間や失恋・訃報などで気持ちの沈み込んだ人生の最底辺に落っこちた人々が奮起する時を表現したような言葉だ。幼いフィルが使うと存外えげつない。既に食事に間に合う時間は過ぎ去っている。空腹を訴える腹の虫を一蹴して敷地外へ一歩を踏み出した。今なら出来るのだ。完全に閉ざされた箱庭を包み込む不可視の障壁を打ち破り、外界を知ることが、外界への脱出が出来るのだ。
広範囲に及ぶ敷地の実質的な現在の保有者であり、広域の障壁の制御を担っている当主のディオル・ミディ・ヴァラレイはフィルを除く家族全員が一堂に会する食事の席で信じられない現象を感知した。屋敷全域を包む障壁が破壊され屋敷内から一人、人間が逃げ去ったことを。障壁自体は急速に修復されたが、その出来事は実質上フィル・ランス・ヴァラレイの失踪を意味していた。狂うことに狂った破壊と再生の獣が世に放たれる瞬間である。箱庭からの脱出、外界に出たフィルは何を得えるのか、何を得たのか、未だ誰も知りえない。フィルという名が表に再び顔を見せたのは王都にある魔法学園の第二百代新入生入学式の当日、新入生名簿の中だ。