40話:妹の知らなかったこと
「……何があってそう思った?」
聞き返してから、質問に答えていないことに気づく。
だが、いきなり全部を認めるわけにもいかない。明子が何を知り、どこまで確かめるつもりで俺を呼んだのかが先だ。
暮らしのことで困っているのかと思って来てみれば、問題は俺の素行についてかよ。
「これ、知ってる?」
明子がテーブルのタブレットをこちらへ向ける。表示された小説を数行読んで、小春から感想を求められたあの話だと分かった。
先輩に惹かれた後輩がやがて振り回されるようになる。小春が俺をモチーフに書いた大学物の百合小説だ。
「知ってる。小春が書いたやつだろ」
「うん。この前言ってた小説だよね。でも、一緒に貰ったデータに別のものもあったの」
「別?」
明子が端末を引き寄せ、別のファイルを開く。部誌の既刊も読みたいと頼んだら、小春が自作とまとめて送ってくれたという。
そこまで親しくなっていたのか――俺を通さずに連絡できるようになったんだから、不思議ではないけどな。
「最初はこっちも小説だと思ったんだよ。でもお姉ちゃんと小春さんの名前がそのまま使われているの……」
こちらへ向けられた画面には、俺の名前がある。
いや、俺と小春だけじゃない。ページをスライドさせて確認していけば、真琴や莉理さんの名前まである。
つまりこれは……日記を小説の体裁に直した物と言ったところか?
俺と小春のやり取りには覚えがある。一字一句同じとは限らないが、何を話したかまで忘れたわけじゃない。
そこへ俺の知らない小春の内心まで赤裸々に書き添えてある。
……おい、小春。なんてものを明子に渡してくれたんだ。
俺に褒められて嬉しかっただの、次に呼ばれるまで落ち着かなかっただの、よくもまあ書き残したものだ。
小説に使う時に思い出せるよう、出来事だけでなく自分の感情まで書き残していたのかもしれない。
しかしだからと言って、管理が雑すぎやしないか? 俺のことが好きだとか、そこまではまだいい。
問題なのは金で買った買われたと書いてあることだ。人に見られたら言い訳がきかないだろこれは……
「お姉ちゃんの名前が出てくるし、どこまでが本当なのか分からなくて聞こうと思って……」
「私に確認したいから呼んだわけだな?」
こくりと頷く明子。
さて……なんと言えばいいのやら。
「これを読んだことは、小春に話したか?」
「――まだ。先にお姉ちゃんへ聞こうと思ったの」
俺をイラつかせる策略をする小春だけど、明子にバレることで何の利点があるんだ?
そう考えると単純な凡ミスである可能性が高い。なんて嫌な凡ミスなんだ! よりによって明子に渡す資料に紛れているなんて!
小春に今すぐ詰問したい欲求に駆られるがそんな感情に意味などない。それはまたあとで本人に聞こう。まずは目の前の明子だ。
俺は画面を送る指を止めた。ここは嘘をついて誤魔化すか、真実と認めて開き直るかどちらかを選ばないとならない。
そして俺は嘘をつき続ける自信はない。だから選択肢は一つだ――
「少なくとも、ここに書いてある私の言葉や、私がしたことには覚えがある。ただし、小春がどう感じていたかまで私に聞くなよ。それはあいつの話だ」
「じゃあ、小春先輩とは付き合ってないけど、日記に書いてあるようなことはしたんだよね? 真琴さんや莉理さんとも……」
明子は俺から目を逸らさない。細部を聞きたがっているというより、俺がどう答えるかを待っているように見える。
ちっ……まさか明子に俺の性癖を開示することになるとは、面倒なことになったぞ。
「そうだ。小春だけでなく私は誰とも付き合っていない。それでもあいつらと金を払って寝ていた。……答えられるのはそこまでだ。他の相手の事情まで話すつもりはない」
「……やっぱり、そうなんだ」
驚くでも嫌がるでもなく、明子はタブレットの画面を消した。
予想が事実に変わっただけで、ただの確認なんだろう。
で、話がここで終わるか? ……終わるはずはないだろうな。絶対に続きがあるはずだ。
「最近、何か言いかけてやめてただろ、これが理由だとは思う。それで何かあるのか?」
「何かって?」
「私に聞かれても困る。この先を話したいから私を呼び出したんだろう? 聞いてやるよ。お説教でもなんでもな」
本当にお説教で済むならほっと一息つくだけだ。
でも、明子の目を見ればそれは違うと分かる。言いたいこと、口に出したいこと、それでも話し難い何かがあるとその目が語っている。
明子は俺の問いに少し間を置いた。聞き方を考えているようで、視線だけは俺から外さない。
そして出て来た言葉は――
「恋人じゃなくても女の人とできるなら、私が同じことをしたいって言ったら、お姉ちゃんはどうする?」
「……それは、明子と寝ろって言っているのか?」
「……うん。お姉ちゃんが女の子を抱くなら、私じゃ駄目?」
「――断る」
考えるより早く答えが口から出ていた。
拒絶と言ってもいい発言だけど、明子に傷ついたような表情はない。ただ、返事の速さから何かを測るように俺を見ている。
小春や真琴、そして莉理さん――彼女たちなら条件を整理してから考えられる、でも明子だけは検討するまでもないし、するべきではない。
姉妹ではあるけど、俺には男としての精神がある。本当の意味で家族であり姉妹という感覚は薄い。
男の感性だけで判断するなら明子は俺の好みだ。高校生になったばかりであまりにも若いけど……肉体年齢相応に若年化した精神にとってそんな言い訳は意味がない。
でもな。明子を小春たちと同じ条件で考え始めた時点で駄目なんだ。例え俺の本心が本当の意味で家族ではないと思っていても、越えられない一線は存在する――
「私がお姉ちゃんの好みじゃないから?」
明子が見当違いなことを言う。
俺がただ欲望に流されるだけならこの場で押し倒してもいい。口に出せない欲望なんていくらでもあるさ。
「そういう問題じゃない。お前は妹だろ」
何より尊いと思ったあの時の感情は今でも俺の心の中にある。踏み越えてはいけない一線ってのはそれだ。
この感情を口に出せれば楽になるだろう。でも、俺に前世があると言って何になる? 頭のおかしい女がこの世に一人誕生するだけだ。
口惜しさを感じながらも一般論だけを口にする。それを聞いて明子の目がわずかに細くなる。
「……妹じゃなければ考えた?」
「仮定に意味などない。明子は私の妹だ」
「……それだけ?」
「それだけで十分だろ」
明子は「ふうん」と呟いた。納得した声ではない。
タブレットから手を離し、今度は少しだけ身を乗り出しながら俺の目を覗き込んでくる。
まるで何かを見透かすように――
「じゃあ、昔のキスは?」
「……いつの話だよ」
「分かってるくせに」
元は明子からのおねだりだった。
それを良い事にふざけて始めたにしては長く、途中からは遊びだと言い張れないキスをしたのを覚えている。明子が嫌がらなかったのをいいことに、俺のほうが調子に乗った。
「あれは昔の話だ。今と一緒にするな」
「昔なら妹じゃなかったの?」
本気で肉親だと俺は思っていたのか? そう言い切るのは難しい。なにせ本当に欲望に突き動かされたときがあったのだから。
――でも、それを認めてやるわけにはいかない。
「過去は過去だろ。それにもうお互い何もしらない子供じゃないんだ。年齢とか、距離感とか、色々違うだろ」
「その距離、お姉ちゃんが勝手に決めたんだよね?」
明子の声に責めるような色はない。だから余計に、簡単な言葉で言い返せなくなる。
昔と今で何が違うのか――明子が成長して女らしくなったことに大きな理由があるのは確かだ。
でもそれを口にすれば……その瞬間――確実に俺たちの関係が変わることを意味している。
いや、こんな問答をしているんだ。もう変わってしまったのか?




