長い夜
投票が終わった日の夕方。
シュタール労働者党本部には、いつもとは違う静かな緊張が漂っていた。
誰も大きな声では話さない。
時計の針だけが、ゆっくりと時を刻んでいる。
いよいよ開票が始まった。
この時代、まだラジオは一般家庭には普及していない。
結果を知る方法は限られている。
各地から届く電報。そして新聞社の速報。
それだけが頼りだった。
部屋の隅では、通信係が一台の電報機の前に座っている。
カタカタカタ……
規則正しい音だけが部屋へ響いていた。
その電報機は、数日前にウス・ライの新聞社から借り受けた古い機械だった。
「選挙期間中だけなら使ってください」
そう言って貸してくれた一台である。
最新式ではない。印字も少しかすれ、時折通信が途切れることもある。
それでも、各地の新聞支局を経由して送られてくる速報は、この党にとって何よりも貴重な情報源だった。
ヘルムは通信係の後ろで腕を組み、共和国全土の地図を机へ広げている。
「新聞社との繋がりを作っといて正解だったな」
私は頷いた。
「本当に助かりました」
その時だった。
通信係が勢いよく立ち上がる。
「来ました!」
部屋中の視線が一斉に集まる。
紙テープを慎重に読み上げる。
「北部第三選挙区!」
「接戦です!」
ヘルムは赤鉛筆で地図へ印を付けた。
「予想通りだ」
しばらくして、再び電報機が鳴り始める。
カタカタカタ……
「工業地区!シュタール労働者党、やや優勢!」
「おお!」
部屋が少しだけ明るくなる。
しかし、その数分後。
「港湾地区!既存政党優勢!」
今度は静まり返る。
一喜一憂。
その繰り返しだった。
私は窓際の椅子へ座り、静かに紅茶を口へ運ぶ。
ラインが心配そうに私を見る。
「お嬢様は落ち着いていらっしゃいますね」
私は苦笑した。
「いいえ」
カップを机へ置く。
その時、自分でも気付いた。
トン……トントン……トントントン……
無意識に机を指先で叩いていた。
私は思わず手を止める。
「ふぅ〜……中々落ち着かないものね」
ヴィルが微笑む。
「珍しいですね。お嬢様でも緊張されるんですね」
私は素直に頷いた。
「当然よ。演説もした。討論もした。全国も回った。でも、今はもう何もできないもの」
ヘルムは笑いながら椅子へ腰掛ける。
「だから待つしかねぇ」
私は静かに頷く。
「そうね。最後まで分からないわ」
ヘルムも真剣な表情へ戻る。
「ああ。一票差でひっくり返る選挙区なんて珍しくもない。最後の一枚まで気を抜くな」
時計は夜十時を回った。
それでも電報機は止まらない。
カタカタカタ……
「南部第五選挙区!接戦!」
カタカタカタ……
「中央第二区!再集計!」
カタカタカタ……
「炭鉱地区!シュタール労働者党、優勢!」
通信係の声が響くたび、部屋の空気が大きく揺れる。
私は共和国の地図を見つめた。
二十人の候補者達。
今頃、それぞれの町でも同じように結果を待っているはずだ。
私は心の中で静かに呟く。
みんな……頑張って。
窓の外では、夜空いっぱいに星が輝いていた。
その長い夜は、まだ始まったばかりだった。




