第五章【覚醒、咎討つ者】
第五章【覚醒、咎討つ者】
夢を見た。
体験型の夢では無く、僕がもう一人の僕自身を見ている夢。見覚えのある制服は高校の時の物だろう、クラスじゃ用事ある時しか話さなかったような級友達と楽しそうに笑っている僕がそこにいた。
僕が浮かべた事の無い笑顔、僕自身が聴いたことの無い明るい笑い声。級友と笑いあう過去の僕の脇を、幼い子供たちが走り抜けて行った。それは、更に幼き日の僕であり、決別してしまった親友だった。
僕は、ただそれを見つめていた。
僕の前にいる僕たち。
失った僕の過去と、選ばなかった僕の過去。
人間じゃない生き方を選んだ僕が見た、それは後悔と未練の夢だったのだろうか? ……いや、恐らくそれは違う。その光景を眺める僕自身は、驚くほど穏やかなままだった。
『……さよなら』
これはきっと決別の夢だ。戻りたいと願う負の願望では無く、きっと人間として生きた最後の最後に僕自身が見せてくれた……叶えたかった夢。
彼らは僕に気付く事は無く、彼ら自身の生を謳歌している。……それでいい。僕は彼らでは無く、僕にしか選べない、僕だけの道を行くのだから。彼らに背を向けると、そこには一人の少女が立っていた。
『……行こうか』
僕は少女に向かって歩き出す。親友もいない、級友もいない僕だけど。僕の未来には、彼女が隣にいるのだから。
意識が覚醒した。寝起きの薄ぼんやりした感覚では無く、まるで眠らずに起き続けていたようなハッキリした感覚。見える世界は見慣れた自分の部屋なのに、捉えている感覚はまるで違うような違和感。
「……すごいな、これ」
古いブラウン管テレビから最新の液晶モニタに切り替えた、という表現は微妙だろうか。しかし目に見える風景は以前よりも明確に、正確に見えているように思える。以前から視力に自信はあったが、最早目が良いとかそういったレベルでは無い。
「……あれか、マサイの戦士とかはこんな感覚なのか?」
昔テレビで見ただけの知識だが、ケニアだったかタンザニアだったかに住んでいるというマサイ族の人は日本人に比べて視力がとんでもなく高いのだとか。恐らく兵器である僕はそのマサイ族すら凌駕する視力を持っているのだろうけど。
「……それがリンクの力だ。君は指揮個体とのリンクにより、君は完全に兵器として覚醒した事になる」
隣から和の声がする。首を巡らせると、そこには居間の座布団の上に座ってこちらを見ている彼女がいた。
「じゃあ、リンクは成功したって事か」
「うん。そ、そうだな」
リンクの成功を口にした時、和の頬が一気に赤く染まった。なんだろうとは思ったが、リンクを図った手段を思い出せば仕方の無い事かもしれない。布団に寝転がったままじゃ悪いかと思って体を起こすと、既に服を着ていた和に反して僕は裸のままだった。
僕も何か気恥ずかしくなって体を隠すように布団を被った。でも和の反応を見て、僕の中でもハッキリと形になった思いもある。リンクが無事に張れた事も大事だが、それ以上に大事に思える事だ。
「……これで僕は和を守れる力を得た。この力で僕たちは……一緒に未来へ歩ける」
僕は知らず拳を握り締めた。不安がまったく無いかと言えば、そんな事は無い。普通の人間には歩み得ない永劫の時を行く事に、つい先日までただの人間として生きてきた僕が不安を覚えないはずは無い。
それでも、僕は一人じゃない。普通じゃなくなった今になって、僕はやっと一緒にいたい人と巡り合った。孤独ではないと感じることが出来た。今はただ、その思いを支えにして歩いていける。
「……崇、君の得た力は強大だ。しかし奴もまた大妖として名を残した異世界の生物だぞ? 勝算はあるのか?」
「それは……解らない。でも神威の力が本当に僕の思い通りになる物なら、勝算はゼロじゃない」
確かに僕は戦いのノウハウなんて持ってない。力に目覚めた時は狐が勝手に警戒して逃げ出してくれたが、あの時戦っていれば知識と経験の不足をあっさり見抜かれて負けていた可能性もある。しかし、神威という存在を理解していれば次は真っ当に戦えるはずだ。
「……解った、君を信じよう」
「ああ、任せてくれ」
最初の戦闘から既に四日目を迎えている。僕というイレギュラーを含めても、恐らく狐は動き出してくるだろう。いや、僕と言う存在を排さなければ和を手にする事は出来ないのだから間違いなく僕との交戦を含めた手を打ってくる。
「よし……じゃ、化け狐を倒して旅の始まりを飾ろうか」
「ふふ、随分余裕の言い回しじゃないか?」
気を抜くなとか、真面目にやれと叱られる事を予想していたけれど、予想外にも和は柔らかく微笑んでいる。それがプレッシャーを跳ね返す為の虚勢なのか、僕への信頼なのかは解らないけれど、後者だと信じて僕も微笑む。
「行こう」
未来を始めるために、僕は今までの全てに決別する。
◆◆ ◆
僕が人として終りを告げた最初の場所。僕が化け物として産声を上げた最初の場所。あの廃工場跡に二人でやってきた。
ゆっくりと街を歩き、それなりに心にあった思い出を一つ一つ確かめて。和と二人で缶コーヒーを傾けて、今から始まるであろう戦いすら日常の一コマであるような気軽さを装って。正面玄関を脇に抜け、あの時と同じように外周の隙間から中庭へ。
そこには砕け散った瓦礫の巨人の残骸と、地面に残った和の血痕。それを見て僕は眉を顰めた。もう、あんなモノを地面に残したりはしない。
「和、ここで良いのか?」
「……ああ、次元断層はここで開く。前はそれを確かめに来た時にヤツが現れた」
時間は夕焼けの光が闇に呑まれ始める時間。少し洒落た言い回しをするならば逢魔ヶ時。化け物同士の饗宴を始めるには良い頃合だろう。
「そっか……じゃあここで終わらせた方がスッキリくるかな? ……九尾の狐」
僕はその場で声を張り上げる。廃墟に僕の声が残響し、一瞬の静寂が訪れた。何の気配も無かった空間に、突如濃密な存在感が滲み出してくる。
【んンー? バレてたんだぁ……流石だねェ。いやいや、当然かなァ?】
建物の影から這い出るように、黒い影が形を成す。耳障りな声と共に現れたのは、間違いなくあの狐ヅラだった。
「そりゃあね。一日中尾けてただろ」
【ふゥゥん? そんな事も解るんだ。キミもすっかり化け物って事だねェ?】
狐がいやらしく口の端を吊り上げる。化け物になった覚悟をしたつもりではあったけど、コイツに言われるとやっぱり不愉快だった。
「……そういうお前も何日か大人しくしてたって事は小賢しいネタでも仕込んでたんだろ? 態度のワリには小さいね」
僕の言葉に狐は目を細め、明らかに気を害しているように見えたがすぐに元の調子を取り戻す。クックックと喉を鳴らして僕らを嘲笑うように肩を竦めた。
【いーやァ? 小賢しいなんて心外だなあ……君たちがちゃあァァんと言う事を聞いてくれるように、精一杯のおもてなしを用意させてもらったよ?】
そういった狐がパチンと指を鳴らす。それを合図に、狐が現れたときのような存在感が幾つも場に現れた。
「……やっぱり小賢しいじゃないか」
落ちかけた夕日の残照に浮かび上がるものは幾つもの異形。多分どれも何かしらの名で妖怪として伝えられた異世界人だろう。角を持つ者、爪牙を持つ者、人に近い形を持つ者もいれば、生き物に見えない者まで幅広い。その数、見えるだけなら十数体という所か。
【みィィィんな私のお友達なんだよ。君が多少強かろうがこれだけ相手にするのは難しいんじゃないかなあ? だからさ、諦めてその子を渡してよ? ね?】
奴が和を指差してケラケラと笑っている。……冗談じゃない、ケラケラ笑いたいのはこっちの方だ。古今東西、悪者が人数をひけらかして上手くいった試しなんて無いのだから。呆れたように和が肩を竦め、狐に問う。
「……一つ聞いておこう。ここにいる奴らの狙いは同じか?」
その問いに、狐がさも愉快そうに笑う。
【だから言ったじゃないさァ? みィんな次元断層の場所を知りたい私の同士さ。目的は各々違うかもしれないけどねェ】
狐のように人を蹂躙する者か、土蜘蛛のように望郷する者か、まったく違う目的を持つ者か。それをいちいち判別する事は難しいが、それでも僕が言う事は一つだ。
「……先に言っておく。アンタらがどんな望みを持っていようが狐に味方して襲って来るって言うなら等しく敵だ。少なくとも話し合いで何とかしようって考えてくれる奴は退いてほしい」
僕と和にしても、あの土蜘蛛のような存在であるならば戦いたくは無い。そう思っての提言だった。しかし、彼らは僕の言葉に答える事は無く、威圧的な気配を放ち続けている。
「交渉決裂か」
「……そうらしいよ」
交渉の余地が消えたなら、やる事は一つしか残されていない。僕らを嘲り笑う狐に向けて一歩。居並ぶ敵に相対するように、和を背に守るように立つ。
「躯体変換」
短く唱えた言葉に反応し、僕の体が硬度を帯び始める。本来は言葉にしなくても神威に転じる事は可能だ。しかし、この言葉は重要な儀式だ。《神威》という兵器ではない、《メギド》というヒーローである為に。
パキパキと音を立てて、僕は鋼の魔神に変貌する。
炎の鬣を揺らし、オレは和の為の剣に成る。
僅かな時を於いて黒銀の巨躯へと転じたオレは、そのまま狐野郎を睨み据える。何も手出しせずに俺の変身を見ていたのは、こちらの戦力を見縊ってやがるのか。オレたちを舐めた態度にムカつくが、戦力を整えさせてくれるってんなら是非もない。せいぜい後で泣きを見てもらうとするさ。
『和』
「ああ、アクティブモードへの移行を許可する」
和が俺の呼びかけに応えた瞬間、全身に力が満ちるのが解った。体中の何かが開いたような、表現し難い感覚。力が外へと伸び、別の力と繋がる事を求めているような感触。そう、ここからが俺たちの新しい力。
『回線接続ッ!』
叫んだ瞬間、オレ自身が一気に膨張したような感覚に襲われる。体中に駆け巡る感覚は間違いなく快感であり、この接続だけでイっちまいそうな程だ。確か個体同調はファーストリンク時の感覚を記憶し、その状態を再現する事で以降の同期連携を行なうというものだったハズだ。……なるほど、そりゃあ快感だ。
「く……は、あぅ……!」
オレの背から艶めいた和の声が聞こえる。……ああ、うん。状態を再現してリンクを張るって事は影響を受けるのはオレだけじゃねェわな。
『大丈夫か?』
「ば……馬鹿! こっちを見るな!」
心配しての事だったんだが怒られた。とは言え敵を目の前にして気を抜くワケにも行かねェ。ここは素直に背中を向けておくとする。
「ふぅ……ぅぅ、同期、完了」
俺の見ている世界と和が見ている世界。雁首並べていやがる敵の位置、体格、総数。ありとあらゆる情報が頭の中に流れ込んでくる。だが情報は膨大でありながらも混在する事は無く、一瞬で整然と理解する事が出来た。オレと和、お互いの神威の全力状態がコレってわけか。
『それじゃあ……こっからがオレの本番だぜ!』
――背面装甲に端末射出口形成。
――無線端末形成。
頭の中で必要な兵装を編み上げる。オレの思考を受けた神威は瞬く間にその意に答え、この身体に武装を出現させた。背面部を展開させ、そこから体内で構成した小型の端末を射出する。大人の拳程の大きさのそれは、上空に飛ぶと一気に四方へ展開した。
【何を企んでるんだよオマエ……】
『ビビんなって……すぐに解るから待ってろよ』
空中で散開したビットを一瞥して訝しげに目を細める狐を挑発するように笑う。化け物どもはオレの行動に警戒し始めたようだが、もう遅い。既に夕日は沈み、夜闇に包まれていた空が再び眩く照らされる。
【なにィ……!?】
上空と四方を覆う光の壁。広大な廃工場の中庭を切り取った光の箱は、やがて眩い光を徐々に収める。箱を形成する四角の頂点にはオレが射ち出したビットが浮かんでいた。
【ちィィィ……閉じ込められたって事かよォオ!】
『半分正解、半分外れだッ! 電磁加速!』
叫びながら、オレは脚に意識を向ける。その瞬間、バチンと派手に火花を散らしてこの巨体が疾駆した。風景が一瞬線のように歪み、正面にいた化け物一体を粉々に吹き飛ばして。
【なァ……!?】
狐野郎が二度目の驚愕を見せた時、オレは一瞬で化け物の群れの真ん中に飛び込んでいた。光の檻は敵を逃がさない為のもの……そして強力な電磁力で編み上げられたこの結界はオレの力を遺憾無く発揮出来る舞台でもある。
「崇、近接対応距離に標的五体。方位二、四、五、七、十」
加速を制動したオレに、和が叫ぶ。彼女が得た情報は互いの神威を介してオレに供給される。彼女の見ている視界がオレの脳に焼き付けられて、位置情報を一瞬で把握した。
『おおおおあああァァァァ!』
指示のあった位置を見ずに爪を振るう。いちいち目で確認する間でも無く、オレの手に伝わった鈍い感触が命中を教えてくれた。或いは鳴き声、或いは言葉を発して断末魔が響く。
「敵五体沈黙。残存勢力は九尾の狐を含め九体……来るぞ」
オレたちの力を見縊った結果、一気に五体の戦力を潰された。不意打ちである事を含めてもそれは驚異的であるはずだ。様子見は危険と判断したのか、敵勢力の一斉攻撃がやってくる。
手にした得物を叩き付けてくる者。無数の光弾を撃ち出して来る者。ありとあらゆる攻撃が折り重なる軌道を描いてオレに襲い掛かる。だがしかし。
『当たらねェよ!』
【何だとォ!?】
全攻撃の僅かなタイムラグを縫って回避する。それは紙一重に、大きく距離を取り、必要とされる動作を駆使してあらゆる攻撃を捌く。重ねられた化け物共の攻撃は悉く空を切り、無様に姿勢を崩す。
「……まさかここまでとはな」
背後から、驚愕を含んで和の感嘆が聞こえた。つい先日までただの人間として暮らし、戦闘経験などあろう筈がないオレがここまでの戦闘力を誇るとは想像し得なかったのだろう。それは当然の反応だ。
例えば和がレーダーであり、神威という存在が銃であったとする。しかし実際に銃を撃つのはオレであり、レーダーが高性能だろうが銃が高威力だろうが使い手が扱いきれなければガラクタにしかならない。事実として北条崇というオレ自身は経験不足のヒヨっ子だ。
しかし、銃そのものが標的に照準を合わせてくれるとすればどうだ?
『予測ルート右上腕部、右大腿部。避けるぞ!』
それはオレの狙いか、それともオレの声に反応して体が勝手に動いたか。正しくはその両方だ。種を明かせば、オレは自身に融合している神威そのものに「俺の身体を動かす権利」を与えてやったのだ。
オレが得た情報から、神威が取るべき行動を判断して実行する。銃が勝手に狙いを定めてくれるならば、オレはトリガーを引くだけで良い。
オレが神威を従えて武器を得るように、神威もまた俺の肉体を従えて戦う力を得るというわけだ。一瞬前までオレが居た場所に、大木と見紛う太い腕が突き立つ。
【シマッタァァ!】
必要最小限の動きで化け物の一撃を避けた俺は、反撃まで一秒と掛からない。指先をまとめて貫手の型を作ると、化け物に向けて引き絞った腕を一気に突き立てた。
血飛沫の幕が派手に舞い上がる。その向こうで、狐野郎の顔が憎々しげに歪んでいるのが見えた。
「……崇、敵も警戒しだして近付かなくなる頃だ。可能なら一気に殲滅しよう」
『オーライ』
和の言うとおり、敵勢力は一気に距離を離して防御の構えだ。攻撃の隙を突かれるのにビビッてるんだろう、後の先で対応しようというのが見え見えだ。
しかし、甘い。最初に電磁加速で突っ込んで暴れた手前、オレの戦力が近接戦闘に特化したものと考えていればこその対応だろうが……神威はその場で必要な兵器を生成出来る代物なのだ。尤も、そんな事は奴等にゃ知る由も無し。武器を作り出す余裕を与えてくれた事に感謝しておいてやろう。
『さぁ、大掃除と行こうか』
――躯体外殻部に放電角を形成。
――射出端末及び結界外壁部に電極を設定。
――指揮個体保護用の遮断結界構成開始。
――結界内に通電性ガスの散布を実行。
オレの体が徐々に変化していく。肩や背を中心に巨大な角が突き出し、その表面を雷撃で覆い始める。今や手足は大地に根を張り、ピクリとも動かない。
【ナ……何ダ……!?】
やがて結界の外壁が煌々と光を帯び始め、その表面に雷光が走り出したところで漸く化け物共は明確な危険を察知した。自分たちは失敗したのだ、距離を取ることに意味など無かったのだと。
【しまったァ!お前ら、避けろォォ!】
狐野郎の怒号が響く。しかしもう遅い……そして何よりコレは、避けるとかそういうレベルの武器じゃあねェ。
『プラズマケージディスチャージャーッ!』
雷が至近距離で炸裂する轟音が連続し、オレと結界の間を光の竜が駆け巡る。死の檻に満たされた雷撃は、逃げ場など残さず一切の空間を埋め尽くした。この戦場に着く前に考えたばかり、出来立てホヤホヤの新必殺技だ。
本人の知識がイコール武器になるってェんで、わざわざそれらしい本を事前に読み漁っておいたってワケだ。……まさか神威がここまで便利な兵器とは思わなかったが。
『どうだ……?』
荒れ狂う雷光が収まった時、廃工場の風景は一変していた。外壁は焦げ付いて黒煙をたなびかせ、ガラスは軒並み割れて吹き飛んでしまった。……地面のそこかしこには生物の形をした炭が転がっている。
『……やりすぎたか』
「かもな。あれ程のものなら市街地まで光と音が届いているかもしれん、早めに退散したい所だが……」
和の声は硬い。恐らく彼女は既に気付いているのだろう。オレの動体センサーにも一つ元気な反応が見える。
『そうも行かねェんだろうなあ……』
宙の一点を凝視し、オレは再び身構える。視線の先には自慢の尻尾を大きく広げて浮遊する九尾の狐がいた。正直、プラズマケージディスチャージャーで死んでいて欲しかったんだが、大妖怪様相手にゃあ期待しすぎたか。
【ああ……面倒臭いなァ。アイツらに任せて楽しようと思ってたのにさァァ】
『はん、オトモダチ相手に随分な言い草じゃねェかよ』
狐野郎はフンと鼻を鳴らす。……まあコイツが本気で友達云々言うとも思ってちゃいねェが。むしろ解りやすい悪党っぷりで遠慮なくブチ殺せるってモンだ。
【まァいいよ、どうせ私一人でも充分だし……気晴らしにちょっと本気を出してやるよォ!】
狐の咆哮を共に大気が震える。肌を刺すような殺気は、ただの人間ならそれだけでショック死するかもしれない。九尾の狐が殺生石になって振りまいたってなァこれの事かね?
しかしだ。オレは狐が叫んだ言葉に身構えちまうどころかついつい笑いが込み上げてくる。もう表情なんぞ作れない鋼の貌すら笑いで歪んでしまいそうだ。
【……何が可笑しいんだよオマエ。恐怖で狂ったかァァ?】
その言葉が限界だった。何とか我慢して笑いを堪えていたんだが、ついに盛大に噴出して大笑いしてしまう。まったくコイツは勉強不足だ。オレは狐野郎を見上げて言ってやった。
『おい……てめェが今吐いた台詞はよ、世間じゃ「死亡フラグ」っつーんだぜ?』
【抜かせェェェ!】
奴は宙から動かずに大きく振りかぶった手を振り下ろす。何の真似かと思った瞬間、オレの肩口にガツンと鈍い衝撃が走った。
『こいつは……!』
あの時、和を攻撃していた不可視の一撃だ。オレの装甲ならこの程度では大したダメージにもならないが、遠距離からチクチクやられるのは気分が悪い。それに、嫌な予感がしている。仮にも大妖として名を残すコイツが、こんな手品程度の技で終わるだろうか?
『つっても手の内なんざ聞いても教えちゃくれねェわなあ!』
腕を砲身に変形させる。得体の知れない相手に突っ込んで行くのも馬鹿だが、防御を固めて待っている手もない。体組織から弾丸を生成すると、腕の砲身に電流を通して高速で射出した。即席の電磁投射砲だが威力は充分、立て続けに三発の弾丸が奴を襲う。
しかし超高速でブっ放した弾丸は、ガガガンっと派手な音を連続させて不可視の壁に防がれた。素直に命中してハイ終りとも思っていなかったが、ここまで完全に防がれるのも予想外だ。
【ひひッ! そんな玩具じゃ届かないよォ!】
『うるせェんだよ馬ァ鹿!』
獣ヅラを上機嫌に歪ませてケラケラと笑う姿が癇に障る。とりあえず効く、効かないは別にしても手を休めるのは得策じゃあ無い。空中に浮かんだままの狐に連続して弾丸を撃ち込む。しかし依然として弾丸が奴に命中する様子は無かった。
【じゃあ、そろそろ力の差って奴を教えてあげるよォ……】
弾丸の嵐を物ともせず、狐が一本指で天を指す。そこからレーザーの一発でも飛び出して来たっておかしくない。オレは警戒して防御姿勢を固めたが、その防御姿勢を見た事で狐の頬が更に吊り上ったように見えた。
【ヒヒッ! 馬ァァ鹿!】
嘲りの言葉と共に、天を指していた指が地に向けて振り下ろされる。レーザーだ飛び道具だが撃たれた気配は無い。何の真似かと訝った瞬間、オレの肩口から縦一文字に線が走る。
『なんだッ……!?』
そこに気付いた瞬間、浮かび上がった線をなぞるように肩がバッサリ切断された。並の武器じゃあ傷も付かないはずの強度を持つ体が。
『くぅぅあああぁぁぁぁっ!』
この体になってからは凡そ無縁であったろう「痛み」が肩から押し寄せてくる。幸いにも切断されたのは肥大化した装甲部分のみであり、腕ごと落とされなかったのは幸いと言えた。
切り落とされた肩を一瞥して舌打ちする。切断面は鏡のようにツルツルで、あの攻撃が恐ろしく鋭利なものであると容易に判別出来た。
「崇っ! その攻撃は防ぐな、避けろ! ……空間歪曲を確認した。恐らく奴は物質では無く空間そのものを切断した。厄介な話だが、奴は空間操作能力者だ」
鋭く叫ぶ和の言葉に舌打ちする。要するに漫画でありがちな「空間ごとぶった斬るから防御出来ない」ってチート技か。まがいなりにも大妖怪とは言え反則が過ぎる。
【クフェフェフェ! ほォォうら、痛いだろォォォ?】
狐は空中で腹を抱えて笑っている。この隙に弾丸の一つや二つブチ込んでやりたいが、恐らくはまた不可視の壁に止められる。こんなモンが体のド真ん中に当てられたら、いくらオレでもヤバい。
『つまり遊ばれてるってワケかよ……!』
あの一撃で最初に致命傷を狙われていれば、恐らく既に勝負は付いていた。それをせずに肩を狙ったという事は、圧倒的な優位性を理解した上で嬲り殺そうという腹なんだろう。
『クソ狐が……それも死亡フラグだってェんだよッ!』
【イーィヒヒヒィ! じゃあ何とかしてみなよォ!】
狐の指が縦横に空を凪ぐ。足を止めているのは拙い、狙いを付けられないように廃工場の中庭内を高速で跳躍する。先程までオレが立っていた場所に、カッターナイフで紙を切ったように鋭利な断面が生まれた。
『精々今のうちに調子に乗ってやがれってんだ』
攻撃を避け続けている間に気付いた事がある。幸いにも能力の発動から作用まで、ほんの少しだがタイムラグがあるようだ。一秒にも満たない時間ではあるが、それだけでも猶予があるならありがたい話だ。
普通の人間ならば逃げる間も無くこの世に別れを告げるハメになるが、オレの機動力があればギリギリ避けられる。体の中心辺りを狙われると、避けても端っこは持っていかれるが致命傷にはならない。
『オラ、余裕こいてる暇なんざ無くなるぞ?』
避けると同時に電磁投射砲を数発叩き込む。やはり弾丸は不可視の壁に阻まれたが、狐の顔が鬱陶しげに歪んだ。
【避けるくらしか出来ないくせに吼えるんじゃないよォォ!】
立て続けに放たれた斬撃を何とか避けきる。どうにも無駄にプライドが高いらしい。大見得切った相手にチョコマカと逃げられた挙句に反撃が飛んでくるという事態が相当気に入らないようだ。
奴の力がどれ程の労力を必要とするか解らないが、持久戦になればこちらに分がある。精々逃げ回って体力を削り取ってやろう、そう考えて躯体機構をより移動に特化させようと変化させ始めた時だった。
【よォ、化け物ォォ……私は確か、両手足は潰しても良いって言ったよねェェ?】
狐の口がいやらしく吊り上り、オレとはあさっての方向に指を上げる。何いってやがると言おうとした瞬間、その言葉の思い出し、意味を理解した。反射的に向けた視線の先には彼女がいる。
『フザけろ、馬鹿がァッ!』
全身のブースターを駆動させて和の元へ飛ぶ。移動に特化した体に変形させていたのが幸いか、和の目の前に到着するまで数秒と掛からない。地面を踏み割って着地したオレは、そのまま和を抱えあげた。
『和ッ!』
「きゃっ……!」
短い悲鳴を上げる和の体を軽々と持ち上げる。しかしその瞬間、視界の端でオレの足に走る線を確認した。それは、和の足を狙ったであろう空間切断の跡。あのクソ狐、脅しでもハッタリでもなくマジで和の足を狙ったってェのか。
しかし飛んで避けるには既に遅く、仮に避けられたとしてもオレの加速に和が耐えられるとは思えない。要するに、オレは成す術も無く足をぶった斬られるしかなかった。
『があああぁぁぁ……ッ!』
「崇……? 崇っ!」
膝から下を完全に切断され、バランスを崩す。何とか体を捻って和を抱きとめると背中から地面にブチ落ちた。遅れて、オレの両足がゴトリと地面に倒れる。……斬られた足が超いてェのは勿論、地面に転がった自分の足を見るってのはかなり参る。
「崇……すまない、私が奴の目に付かない場所まで行っていれば良かったのに……!」
斬られた傷跡とオレの顔を見て、和が小さく叫んだ。見れば目尻に僅かながら涙が浮いている。……こりゃいけねぇ、和を泣かすのはどうにも気分が悪い。
『気にすんな、一緒に戦ってたんだから同じ場所にいた方がいい。見えねェ方が心配だぜ』
「……でも、でも私のせいで崇が死んじゃったら、やだよ……!」
……和は気付いてねェのか、素で喋ると可愛いのな。こりゃあ益々いけねえ、狐相手に死にそうになってる暇なんざ一秒だってありゃあしねェ。
しかし両足を落とされた今、奴に対抗し得る機動力を失った。今のオレが持つ再生力ならば、切断面同士を貼り合わせればあっさり繋がるだろうが、和を抱いたまま飛び回る訳にはいかない。どっちみち迂闊に動けはしない。
【イイ雰囲気の所悪いんだけどさァ……どうかな、そろそろ観念してよ? なんなら君も私の手駒にしてやってもいいからさァ?】
『うるせぇハゲ』
狐の目元がピクピクと痙攣している。「殺さずにいてやる上に恩赦までやったのに」ってなもんか? ザマぁみろ、精々気を害してくれ。和を片手で庇い、電磁投射砲を撃つ。効かないと解っちゃあいるが、獣風情の口上を大人しく聞いてやる気は無い。
【だからさァ、無駄だっつってんだろうがよォォォ!】
人を小馬鹿にした口調が消え、荒々しく叫んだ狐が再び指で空を切る。動けないオレに避ける術は無く、砲身に変えていた片腕が切り飛ばされた。激痛に叫びたくなるが、これ以上和の前で無様を見せたくも無い。
【鬱陶しいんだよォ! お前たちの攻撃なんかさっきから一回も通じてないだろォがァ! ええ? お前がどれ程の兵器でも、私の作る壁に外から何をしても通じないんだから大人しく女を渡せよォォォ!】
苛立たしげに、狂ったように、狐野郎は口の端から涎を振りまいて叫ぶ。その狂態にちょいと引いたが、今は気にする事じゃない。和を死なせない為に、打てる手を打たせてもらおう。
『……和』
「な、何? 崇……!」
『動くな』
「……え?」
オレは和を立たせると、残った片手を砲身に変形させる。作り出した銃は、弾丸を撃ち出す電磁投射砲では無く、膨大な電力をそのまま弾丸に変えて発射するプラズマキャノン。そして、その銃口は和に向けられていた。
【な……お前、何考えてる……ッ!?】
『……てめェも動くんじゃねェ。指一本、尾の一本でも動かしたら……どうなるか解るよな?』
余程の馬鹿じゃなければこのシチュエーションと言葉の意味は解る筈だ。俺が全てを言うまでも無く、狐は歯噛みしたまま身動きをとめた。砲身の中には、既に高圧のプラズマ弾が生成されている。
「た……崇……?」
自分に向けられた銃口と、その中で唸りをあげるプラズマに、和の声が震えている。彼女もまた、先程のオレの言葉を狐と同じように意味を理解していたようだ。どうして?とオレに目で問うているが……しかし、オレが彼女に意味を求めるのはこれから(・・・・)だ。
『初めて……初めて和の力を見た時、オレはすげェ驚いた。人間の力じゃ、あんな風にはならないって』
「崇……?」
和は、オレが何を言いたいか解らないといった風に困惑している。しかしオレはまだそれをズバリ切り出す訳にはいかない。条件は、まだ揃っていない。両足と片手を失ったオレは、バランスを崩してよろめく。銃口を突きつけたまま、オレは地面に倒れこんだ。
『なぁ、和。もしもアイツが土蜘蛛みたいに死んだとして、魂は故郷に帰れるかな?』
オレの言葉をキョトンとしたまま聞いていた和が、気付いたように目を見開く。彼女の手が、弾丸を宿した砲身をそっと包み込む。
「ううん……きっと何処にも行けないね」
そう言って彼女が微笑んだ瞬間、彼女の黒髪は一瞬で変貌を遂げた。
和の髪が白く染まっていく。
まるで水の中に絵の具を落としたように。
夜明けの光が闇を駆逐するように。
頭の天辺から、毛の先まで一気に。
亜麻色の目は眩い金色に輝き、和から力が溢れ出してくる。オレが神威になったからなのか、和とリンクを結んだからなのかは解らないが、初めて出会ったときには見えなかったそれは光で編まれた翼のように見えた。
【お前らァァァ! 何をしてるんだよォォォ!】
ここに来てさすがに狐もオレが何か企んでいる事に気付いたようだ。指を振り上げ、空間を切り裂こうとする。
【ぬ……あァ……ッ!?】
だが指は振り下ろされない、振り下ろせない。もう一度オレの腕を斬り落として砲撃を防ごうとしたのだろうが、奴の斬撃の射線上にオレの砲身を庇うように和が立っている。バランスを崩して倒れこんだのは、この位置取りの為だ。
『チェックメイトだぜ、狐野郎』
オレが何を企んでいても、奴が和を狙う以上は手を止めざるを得ない。そしてここに来ても不可視の壁を過信し、反撃を防ぐ為に和ごとオレを斬らなかった事で奴は完全に詰んだ(・・・)。
和に目配せし、互いに頷きあう。オレは空中で固まったままの狐を見上げた。
『ああ、冥土の土産に一個教えておいてやるよ』
【!?】
腕の砲身からプラズマ弾が消滅する。初めから何も無かったように、忽然と。その賭けが上手く行ったかなんて心配する事は無い。オレが信じる和に、失敗なんてありはしないのだ。
『ここに次元断層が開くっつーのもウソだから。残念でした』
【ッ! き……貴様らァァ、ガ!】
断末魔は最後まで続かない。狐野郎の体内に転送されたプラズマ弾はオレの制御を失って暴走を起こす。体の内側から内臓を焼かれ、喉を焼かれ、叫び声を上げる事も許されない。
【――――――――ッ!】
無音の絶叫を上げて、九尾の狐と呼ばれた生き物が焼滅する。派手に爆発した死体は火の尾を引いて中庭に散らばった。
『は……風情の無ェ花火だぜ……』
ゴトンと腕を地面に叩きつけて仰向けに倒れる。どうにも無様な格好で終わっちまったが、どうやら最悪の敵は始末出来たようだった。
「く……っ!」
『……和!?』
小さく漏れた苦悶の声に、オレは反射的に首を巡らせる。そこでは和が額を押さえて肩膝をついていた。それが記憶の流入であると気付き、オレは反射的に和を掴み寄せた。
『おい……和、しっかりしろ! 飲まれるんじゃねェ!』
力を使い出してからこの場にいたのはオレと狐野郎。最悪の場合、二人分の記憶に食われて和が壊れる可能性がある。……奴を倒す為に仕方なかったとは言え、こうならない為にオレが力を得たってぇのになんてザマだ……!
「……う、あ……崇。大丈夫、大丈夫だ……」
『そうなのか!? 無理してねェだろうな?』
「ああ……土蜘蛛の時と違って、使ったのは最後の瞬間移動だけだ。奴の記憶が入り込んできたのは気分が悪いが……崇の分は、前に吸収してからの差分程度だ」
和の手がオレの手に添えられる。少し弱々しい手付きではあるが、意識はそれなりにしっかりしているらしい。
どうやらそれ以前のオレの記憶は上書き程度のもので大したダメージでは無いようだ。感覚的には二~三日程度の記憶量のようで、致命的なダメージではないと和は言う。
『…………そうか』
どうやらオレは和を失わずに済んだらしい。安堵も手伝って再び地面に倒れこむ。支えも無いままに倒れこんだオレの図体は、重々しい地響きを立ててコンクリートにヒビを入れた。
『……和?』
和は膝をついていた場所にぺたりと座り込んでいる。その頬と耳は、何故か紅く染まっていた。……なんでだ。ここでそんな顔をされる理由はトンと見当たらない。不意に彼女と目が合ったのだが、その瞬間にものスゴイ勢いで顔を逸らされた。
『そーゆー反応をされる理由が解らんのだが』
「あ……いや、その……」
和は気まずそうにこちらに向き直る。依然頬は紅いままで、顔はこっちに向き直ったが目は逸らしっ放しだ。いや、さすがにちょっと傷付くと申しましょうか。ボスキャラを倒したご褒美的なものがあっても良いんじゃなかろうかとか。
そんな事をモヤモヤと考えていると、やがて意を決したように和は口を開く。それでも何度か「うー」とか「あー」とか言いよどみ、ようやくそれを口にした。
「…………あ、あのね? その、前に吸収した記憶から差分を吸収したって言う事は……あの晩の事も、解っちゃったって事で……」
『……あー』
地雷踏んだ。和の言うあの晩という事はあの晩であり、赤面して言うような事であればあの晩以外の何物でも無い訳で。
「崇が、えーと……どんな風に私を思ってくれてたのか、どういう気持ちで私を見てくれるのか全部見えちゃったっていうか感じたっていうか解ったっていうか……」
『オーケーストップマジすんませんでした』
すっかり素の口調に戻ってもじもじと話す姿は可愛いとしか言い様が無い。しかしてオレ自身の気持ちを見られてそれを語られるというのは気恥ずかしいというより普通に恥ずかしい。一種の拷問と言っても過言ではない。
今後も化け物どもと一戦やらかすような事があるとしたら、その時こそはこんな事が無いようにと心に誓った。それがオレの為でもあり、彼女の為でもある。
『い……今、変身解いたら拙いか?』
「……! い、い、いま崇の顔を見たら私が恥ずかしくて死んじゃう!」
和は何故かちょっと涙目だった。あと不死身なんだから死なないだろという突っ込みはこの際飲み込んだ。正直言えばオレも恥ずかしさで涙目気分なのかもしれないが、表情に乏しい化け物状態なので顔には出ないようで。
いや……まあどっちみち手足の再生が終わるまでは変身は解けないし、部屋に戻るにしたってこのままの方が手っ取り早く帰れるから良いんだが。
仕方が無いのでオレは和から顔を逸らして体の再生に集中する事にした。
ボスキャラを倒したご褒美的なものがあっても良いんじゃなかろうかとか。
こいつに関しては訂正しておこう。最後の最後でとんでもないご褒美を頂いてしまった。頬を赤らめたまま俯く和を見て、オレはそう思ったのだった。