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第四章【思考、進むべき明日】

第四章【思考、進むべき明日】



 暗い。真っ暗な部屋の中で、僕は膝を抱えたまま蹲っていた。部屋のカーテンは閉めたまま。闇に慣れた目で捉える時計とカレンダーが正しいならば、あの廃工場から帰って三日経った計算になる。

 居間のテーブルに放り出されたままの携帯。不在着信を示すランプが点滅している。……僕に掛かってくる電話なんてアルバイト先くらいしかない。でも、僕はこの三日間のバイトを休んでいた……無断で、だ。

 日々の殆どをバイトで過ごしていた僕は、シフトの大半を出勤で埋めている。そんな僕が三日間もいきなり休めばどうなるかは解ろうものだ。二日目の夕方くらいまではひっきりなしに鳴っていた携帯は、もうピタリと鳴らなくなった。恐らく、クビだろう。

――あの、廃工場。

 そこで見たもの、そこで経験したものを思い出して僕は顔を伏せた。抱えた膝に顔を埋め、強く目を閉じる。何も考えたくない……思い出した物を、もう一度無理矢理忘れ去りたかった。忘れ去ろうという行為が、それを思い出す行為であると解っていても。

 フローリングの床が、キシっと音を立てた。音の主が誰かは解っていたので、僕はずっと顔を伏せたままだった。

「崇……食事は、いいのか?」

「……」

 和の声にも、僕は何も返せない。本当は腹が減って仕方が無いのに、食事をしたいとは思えなかった。普通なら、ここで「食べなければ体がもたない」などと食事を勧められるだろう。しかし和は「解った」と短く言うと、居間の隅に腰掛けた。

 僕が知った事が本当なら、どうせ食事なんて摂っても摂らなくても一緒なのだろう。三日前の晩、僕が彼女に聞いた事が本当なら。


◆◆ ◆


 あの廃工場で狐が逃げたあと、僕も部屋へと逃げ帰った。あの暴力的な意思が抜けた途端、化け物の体が元に戻った。皮膚は硬度を失い、肥大化した部分や獣の爪牙は塵のように崩れていった。

 地面に膝を着いたまま呆けていた僕は、和が自分のコートを掛けてくれた時でやっと思考能力を取り戻した。コートの隙間から吹き込む風に体が震える。どうやらあの姿になった時に、服は破れてしまったらしい。

「……行こう」

 あわやその場で泣き崩れてしまいそうだった僕に、和が短く言葉を掛けた。おかげで何とか涙を堪えることが出来たので、またも夜闇を疾走して帰ってきた訳だ。

 その時もまるで疲れる事は無く、自分自身が信じられない速度で夜の街を走り抜けた。あの、獣の巨躯を思い出す。……僕はもう根本的に人間じゃない物になってしまったのかと思うと、堪えたはずの涙が頬を伝った。


 幸い、財布や携帯の類は和が拾い集めておいてくれたらしい。窓を叩き割って部屋に入る事は免れた。しかし、見慣れた部屋に戻った所で僕の焦燥は一向に晴れない。当たり前だ、僕はまだ信じたくなかった。恐らくは何か知っているであろう和に問いただし、日常へ戻る事を望んでいた。

「和……答えてくれ! 僕は……僕はどうなったんだ! アレは……何だったんだ!」

 僕は和の両肩を強く掴んだ。答えを急いたつもりは無い、無理矢理聞き出そうとした訳でも無い、僕はただ……彼女に縋った。安心したかった。現実から……逃げ出したかった。

 和はその唇を固く引き結んだまま一言も喋らない。それが、辛い。口にする事で僕に止めを刺してしまう事が解っているから、何も言えない。その沈黙が、既に肯定であると解っているのに。

「和……頼むよ、何か言ってくれよ……」

 俯いたまま懇願する僕の手に、そっと和の手が重ねられた。暫くは置かれていただけだった彼女の手が、僕の手を強く握る。それが彼女の決意を示すサインだった。

「言った通りだ……君は私が知る未来の兵器、自律戦闘兵器《神威》の……完全体だ」

「嘘だ……嘘だろぉ……」

 全身から力が抜けて、膝が地面に落ちる。和の肩を掴んだ手は、彼女の腕をなぞるように這って地面に落ちた。決定的な答えを聞いて尚、嘘だ嘘だと僕の心が繰り返す。

 何もかも嘘で、与太話で、このまま眠って起きれば何も無かったみたいに昨日までの日々が始まる……そう思いたかった。

 和と出会った晩、土蜘蛛を見ていなければ。

 廃工場で狐面の化け物を見ていなければ。

 ……月に照らされた、自身の化け物じみた姿を見ていなければ。

 そうやって逃げ出せた筈だった。掌をそっと持ち上げた。ずっと見慣れた自分の手だ。何の変哲も無い、子供の頃はカッターや木の枝で簡単に傷付いた手だ。あんな瓦礫の化け物を殴り壊せるような手じゃない。

「もう……戻れないのか? 人間に戻って、普通に生きられないのか……?」

 彼女は、何も言わない。きっと何を言っても傷付けてしまう……そんな悲壮な沈黙だ。だから、僕は敢えて答えを促した。先ず、知りたかった。知りたくない気持ちも、聞きたくない気持ちも当然ある。それでも、何も知らずに悲嘆に暮れるのは嫌だった。悲嘆に暮れるだけの材料が欲しかった。

 僕の言葉に和は意を決したのか、大きく息を吐き出す。彼女はその場に腰を下ろし、僕に視線を合わせた。

「残念だが……人間に戻るとか戻らないじゃない……そもそも君は人間じゃない。そういう風に作られた兵器なんだ」

「……!」

 大概の事は覚悟していたつもりだったが、僕は絶望のドン底に突き落とされた。淡い期待も何も無い。持つべき希望が始めから無いと、そう言われたのだから。

「なん、だよ……それ」

 乾いた喉で、何とか声を絞り出す。どうしようもない吐き気で途切れ途切れになった言葉はまるで嗚咽のようで、泣いているような声に聞こえた。

「……私の神威が持つ記録とあの姿は合致している。何より、今も神威同士が共鳴しているのを感知している。……この時代に君がいた理由は憶測の域を出ないが、未来からの漂流者である事は間違いない」

 和は僕に向かって話を続けるか否かを問うた。正直、人間じゃないという事で充分ショックだった。これ以上何を聞いたところで意味は無い。残っているのは僕が化け物だという事実だけだ。

 それでも僕は彼女に先を促した。それは、どうせ絶望するなら底の底まで行ってしまえという自虐以外の何物でもない。

「……僕はどうしてここで生きてるんだ?」

「……次元兵器の生んだ断層に巻き込まれたとしか思えない。神威は本来なら人間の胎児と融合させた後は、培養槽で短期間の育成を促される……尤も、培養槽が無くても人並みの速度で成長する事は出来る。培養槽が無くても死ぬわけじゃない」

「僕も和と同じように、死なない体なのか?」

「いや、神威は不老不朽であっても不死じゃない……指揮個体とのリンクが無い限りは個体性能や再生能力も著しく制限されるからな、外部からの破壊でなら死亡する。……私が不死なのは次元断層内の空間に取り込まれていたことに起因する物だろう」

 要するに、死にたければ殺されるか自殺しろという事だ。生きる事に先が見えず、死にたければ自ら死ぬように仕向けなければならない……僕は、生きるも死ぬも苦痛の選択肢を選ばなければならないというのか。

「僕は……どうなる?」

「君の肉体は二十歳前後で成長が止まり、以降は融合している神威が君を兵器としてベストのコンディションを整え続ける……5~6年は誤魔化せても、肉体が老いる事のない君はいずれ周囲から怪しまれる……だろうな」

 人間のフリをして生きていくことも無理。つまり人間から距離を置いて独りで生き続けるか、自ら命を絶つか。それとも化け物として開き直って生きていくか。

「なあ……死んだ方が良いのかなあ」

 弱りに弱った僕の心は、普段なら言わないような最悪の弱音を漏らす。もう絶望的だった。死ぬ事で楽になれるなら、それが悪い事とは思えない。

「自殺するな」とか「死んじゃダメだ」なんて理屈は、もう僕に適用されなくてもいいじゃないか。だって僕は化け物で、人間ではないのだから。

「……すまない、私にはそれに答えることは出来ない。君の生死を判断する事は出来ない……したくない。残酷だが、如何なる命でも選択権は自分にしかないんだ」

 和は永遠を生きるからこそ、死ねるという事実を幸福と答える事も出来る。

 和は永遠に死なないからこそ、生きる意義を求め続けている。

 その葛藤を抱いて数百年を生き抜いた彼女の言葉は、僕に重く圧し掛かった。結局、この命を……化け物の命をどう扱うかは、僕にしか決められないのだ。僕は何も言えなくなって、ただ蹲るしかなかった。

「すまない……」

 彼女の謝罪の声にすら何も返せず、僕は俯いたまま泣いた。


◆◆ ◆


 最悪の現実を知ってから三日間。結局僕は何一つ答えを出せないままで居た。壁に背を預けたまま眠り、起きても殆ど動かず。

空腹感というリアリティはまだ僕が人間だと言う事を教えてくれているけれど、食事と言う行為もその内必要無くなるらしい。嗜好として摂る分には問題無いらしいが、やろうと思えば僅かな栄養分からエネルギーを自己生成できるという。

人として生きてきた誇りを胸に、生きよう。

人として生きてきた誇りがあるうちに、死のう。

化け物としてでも生きていたい。

化け物でいるくらいなら死んでしまいたい。

そんな葛藤を、闇の中でグルグルと繰り返していた。居間の隅では、和が小さく寝息を立てていた。……無理もない。狐との戦闘後、彼女は一刻も早く休みべきだったのに僕を気遣っていた。

僕から目を離すのもかなり心配だっただろう、二日目の夜中までは一睡もせずに僕を見ていてくれたのだ。僕がベッドから起き上がり、毛布を掛けてやっても起きる気配は無い。

「……ごめん」

起こしてしまわないように小さく呟くと、足音を忍ばせてそっと玄関へと向かう。寒風が吹き込まないように小さくドアを開けて、隙間から体を押し出す。居間を伺うと、僕が動いた事に気付く事無く和は昏々と眠り続けていた。

なるべく音を立てないように鍵を掛けると、表の様子を伺う。ずっと暗闇の中にいたので昼夜の感覚が麻痺していたが、外はとっくに夜闇に包まれていた。三日前と変わらない、吐く息を白く染める冷たい世界だ。

部屋で着ていた服はそのままで、寒気が肌を刺す。だが、このままで良い。特に気にする必要は無い。

「……僕は、どうしたらいいのかな」

 鍵を郵便受けの中に隠す。部屋を背にして、僕は街へと歩き出す。とりあえず考えたかった。今まで生きてきた街を見て、溜め込んだ思い出を確かめて。部屋の暗闇で悩んだ時間はループを繰り返して煮詰まらなかったから、答えが欲しくて僕は街へ飛び出した。

 パキパキと何かが乾く音がする。

 そっと頬を撫でると、カツンと硬い音がした。指の先も、同じくパキパキと乾いた音を立てている。その指先に、分厚い白銀の爪が生まれつつあった。

「……もう、そう意識すれば出来るのか」

 ビッと布地が裂ける音がする。次第に音が連続し、ビリビリと服が悲鳴を上げた。

 肌の色は徐々に黒く染まり、生物の物とは思えない光沢が生まれ、黒銀に輝く。やがて肉体の変化に耐え切れなくなった服は、ただの布キレになって地面に舞い落ちた。ああ、わざわざ着替えなくて正解だ。

『………………ッ!』

 無言の咆哮に応えて、オレの頭に青白い炎の鬣が生まれた。ボンッと派手な音を立てて広がった炎が踊るように揺らめいている。まったく、冗談じゃねェ生き物だ。

 地面を蹴って走り出す。一歩の間隔が馬鹿みてェにデカく、脚を踏み出す旅に加速が増していく。歩数にしてたったの七歩。十にも足りないその歩数で、景色が線に見えるくらいの速度になった。

『ガアア アアァ ァァァアアァッ!』

 夜闇を引き裂く咆哮を上げて、オレは跳んだ。地面を蹴り、ブロック塀を蹴り、民家の屋根を蹴り、ビルの屋上を蹴って。オレは、高く高く跳躍した。


 光が流れていく。街灯の明かりが、ビルの窓から見える電灯が、車のライトが。家屋の屋根やビルの屋上を高速で疾駆するオレの目に、流れる光はまるで線のように見える。

「何の音だ?」

「……さあ?」

 そんな会話が地上から聞こえ、一瞬で後ろへと流れていった。超高速で屋根を駆け抜けている体は、実のところそれなりの重量がある。ガツンガツンと屋根を蹴っていれば、そりゃあ派手に音も鳴るだろう。

 この頭に燃え盛る青白い炎の鬣はかなり目立ちそうなモンだが、なるべく人目に触れない場所を走っている事もあってまだ人に見られてはいないようだ。

『人目を避ける……ねぇ』

 人としての平穏な生活はもう望めない今、そんな気遣いは無駄なのかもしれん。事実、こうやって街を走り抜けるだけで自分が化け物だと実感出来る。どうせならバレてギャーギャー騒がれたほうが面白ェんじゃねえのか。

『……どうもこっちになると強気でいけねェな』

 人か化け物か、生きるか死ぬか。迷いの答えを求めて待ちに出たってぇのに何を考えている。オレはビルの屋上を一気に蹴ると、見る限り一番デカい建物を目指した。


 そこは、一面ガラス張りのデカいビルだった。恐らくはどこぞの大企業のオフィスビルなんだろう。外壁に張り巡らされた大きなガラス窓が夜景を映し、建物自体が巨大な美術品にも見えた。

 明かりの消えた窓の前を選び、屋上まで一気に跳ぶ。いくらビルの屋上から屋上を跳んできたとは言え、さすがにこのビルは高すぎる。

しかし、この化け物の体にそんな事は関係無いようで、「跳ぶ」のが無理だと思えた瞬間、「飛ぶ」事を選んでいた。

脚と背でバキバキと何かが蠢く感触がしたので、脚に目をやる。するとそこにはロケットの噴射口みてェなモノが出来上がっていた。ソイツはオレが想像したとおり、激しく火を吹いてオレを空中へと押し上げる。

『神威、ね』

 赤い識別灯が明滅する屋上。僅か数秒でそこへ降り立ったオレは、化け物じみた力を再認識して溜息を零した。屋上の縁まで歩き、眼下の街を見下ろす。そこには車のライトが生み出す光の川がある。

 時間にするとまだ夜の7時程。歩道に行き交う人々には家族連れもチラホラ見掛けられた。その姿に目を細める。オレが知りもしない、手に入れる事も出来ない姿を。

 街の一部に目を向けて意識をそこに集中する。するとそこを四角い照準が囲い、クローズアップした。それを幾度か繰り返す事で、恐らくは数十メートルは先にいるであろう人々の表情までも目視出来ている。

『体温、暗視……生体反応』

 テレビや漫画で見た単語を口にして、そう見たいと考えるだけでオレの視界が目まぐるしく変化した。それこそ映画などで見覚えのある視界が展開される。なるほど、未来の人間はどうだか知らんが、オレにはこう見えるのか。

 自律戦闘兵器《神威》か。あらゆる局面に対応した武装、性能にその場で自己調整を行なう万能兵器。融合者の意思をほぼタイムラグ無しで読み取り、実行するもう一つの命。

未来で支配者と次元兵器を支えた守護兵器であり、世界連合に牙を剥いた破壊兵器。オレの中に巣食う化け物は、俺の知識と想像力を元にこの体をあらゆる兵器に造りかえる。北条崇の人生には不要の、手に余る力。

 眼下に見える世界。

 それを見ている自分。

 どう考えてもそれらは相容れる筈も無く、化け物として生きるには狭すぎる世界だった。力を隠してなら生きていけるだろうか?

それも最初だけなら耐えられるかもしれない。だが知り合う人間が老いて死に、それを見送り続ける事に耐えられるだろうか?何より、老いずに生きている自分に耐えられるだろうか?

『死ねるってェ事を選べるのが唯一の救いたァなあ……』

 和と違って、オレはまだ死ぬ事が出来る。和が言うには、戦闘力に持ち得る力を注ぎ込んでいるせいだか、不良品を廃棄出来るようにだか知らねェが死ねるようには出来ているらしい。今すぐ元の姿に戻ってここから飛び降りればあっさり死ねるってェ寸法だ。

『オレはどうすりゃあいい』

(僕はどうすればいい)

 オレの中で、自問自答を繰り返す。結局どこへ行こうと迷いは消えないのかもしれない。オレが独りで悩んでいるだけじゃあ、結局は同じなんだろう。かと言ってこんな事を相談して誰が信じる訳も無く、相談できる相手だって居やァしねえんだが。

「警察、警察を呼べーッ!」

 不意に、そんな声が聞こえた。一瞬、自分の事がバレたのかと思ったがそうじゃない。傍目に不審者なのは間違いないとは言え、地上数十メートルの高さにいるオレをそう簡単に見られるはずは無い。

『……なんだ?』

 聴覚に意識を集中し、音源を探る。平穏とは遠い悲鳴と怒号、そういった物にターゲットを絞って耳を澄ます。優秀な化け物の耳は、程なく音源を探し当てた。

目標に意識を向け、視界をクローズアップする。照準に切り取られた世界が次々と映し出され、目標の姿を捉えた。

 刃物を振り回す若い男。悲鳴を上げて逃げる人々。男の足元に倒れている女性。刃物についた赤い血と、倒れた女性の服が赤く染まっている事から既に暴れたあとらしい。

「おまえら皆死んじまえ! 死ね!」

 男は叫び散らしながら刃物を振り回している。このまま放っておけば足元の女性が危ない。斬られたのは腕のあたりらしいが、このまま更に刺されるかもしれねェし失血死もありえるだろう。

『……ちィ』

 ツイてねえなと思うが仕方無い。オレはビルの縁を蹴って一気に跳んだ。脚と背に付いてる噴射装置のようなモノを駆使してビルからビルを駆け下りた。

 このまま衆人環視の中に飛び込めば、刃物を振り回すキ○ガイに加えて化け物が揃う。そうなりゃあますますパニックになるのは当たり前だが、それでも警察が来るまでに始末をつけられる力が今のオレにはある。そんな陳腐な、人間だった頃の正義感。

『……まだ、北条崇として終わっちまうワケじゃない』

 いや、ここで力を振りかざすことで本当に終わっちまうのかもしれない。しかしまあ、残念ながら既に現場は足元に見えている。バカな男の頭上数メートル上、着地まで数秒ってェトコだろう。

 コンクリートを踏み砕き、派手な音を散らして男の真後ろに着地する。当然、男より先に周りの人々がオレに気付き……、

「なんだ……アレ」

 そして絶句した。そりゃそうだろう。明らかに人間に見えない巨体が空から降ってきてビビらねェ奴はそういない。着地体勢から立ち上がって青白い眼光で周囲の睨み付けた瞬間、それこそ火がついたようにキャーキャーと甲高い悲鳴が連鎖した。

「なな、なんだコイツ!」

 周囲よりも少し遅れて男も漸くオレに気付いたようだった。流石に得体の知れないオレにいきなり刃物を突き立てて来る事は無く、むしろ逃げようと距離を取ろうとしていた。賢明な判断ではある。

『待て』

 逃げようとする男の手を掴む。手にした刃物ごとガッチリ握りこみ、男が逃げるのを無理矢理止めた。それなりに力を加減して掴んでいるつもりだが、男からすれば相当痛いらしい。ヒィヒィと情けない悲鳴を上げながら必死に腕を引き抜こうをしていた。

『おまえにちょっと聞きてェんだけどよ。何でこんな真似してンだ? アレか? 世の中が嫌になったとかそういう奴か?』

 依然として未知の存在であり、恐怖の対象ではあるとは言え会話が通じるというのは大きな安心であるらしい。男は相変わらず逃げようともがいていたが、上擦った声で返答する程度には思考能力が残ったようだ。

「そうだよ……! 生きててもつまらないし、周りは何もしてくれない。ムシャクシャしてたから誰でもいいから殺そうと思ったんだ!」

 この手の事件が起きた時、ニュースキャスターが読み上げるような定型文。テレビやネットで見た時は怒りすら感じた言葉が、今は呆れるくらい哀れに聞こえる。

少なくともオレが押さえ込んでいる間は被害が広がる事は無い。どうせならと、常々思っていたことを男に聞いてみる事にした。

『世の中がイヤんなったっつーならよ、てめェ一人で死ねよ。他人を殺そうってェ考えが理解できねェ』

 確かに世の中が嫌になる事はある。オレにだって今までそういう事はあったし、ある意味今がその絶頂だろう。しかしあくまで人生の判断は自分だけのものであり、そこに人を巻き込んで良い道理は無い。

「イヤだ、俺は死にたくない……俺がなんで死ななきゃいけないんだ!」

『はァ?』

「俺は悪くない、俺は悪くない!」

 男は無様に足掻き、叫ぶ。……この手のバカは脳みそ膿んでんじゃねェのか? 世の中がイヤんなろうがてめェが悪くなかろうが、そこから人を刺そうなんてェ思考に飛ぶのは狂ってるとしか思えねェ。

『じゃあてめェのウサ晴らしに殺された奴はどうなンだ』

「知るかよ! 知りもしない他人が死んでも俺には関係ない!」

 じゃあ知ってる奴なら殺さねェって事か。他人なら殺せるって事は、そいつの人格を知らないからか。認めていないからか。それなら……人として見ずに殺せてしまうからか。

『うぜェわ、てめェ』

 オレは、男の手を刃物ごと一気に握りつぶした。刃物が砕ける音と骨の砕ける音が重なって響く。ボタボタと赤い滴が道路に零れた。

「いぎゃああひいいぃぃぃぃ!」

 悲鳴を上げてのた打ち回る男の手を離してやる。先程まで刃物を握っていた男の手は元の半分ほど大きさまで圧壊され、砕けた刃物が突き立って奇妙なオブジェのようになっていた。

「ちくしょおォォ……なんで俺がぁ……!」

 男は蹲って呪詛の言葉を吐き出す。……今てめェが味わってる痛みを他人にやってたクセして何を言ってやがるのか。どうせこれ以上聞いてても悲鳴か恨み言しか聞けないだろう。面倒くさいのでさっさと黙らせてしまおう。

『うるせェよ』

 のた打ち回る男の腕を掴み上げ、そのまま振り回して街路樹に叩きつける。上手く背中から叩きつけてやったし、まァ死にゃあしないだろう。背骨がイッたかもしれねェが死ななかった分だけマシな筈だ。

「か……は」

 男は背中を強く打ち付けたせいか上手く息が出来てないようだ。だが、オレの興味は既に男には無い。男の足元に倒れていた女性に歩み寄ると、傷の具合を確認した。

どうやら意識が飛んでいるようで、オレの姿は既に見えていない。まァ、意識があったらあったでビビられちまうんで面倒が無くて良い。

『……失血で気を失った……とかじゃねェな。傷自体は思ったよか浅い。とりあえず血ィ止めときゃあいいだろ』

 悪いとは思ったが、女性の着ていた服を一部破いて傷口を縛る。なんとか力加減を調整して傷口を塞いだ。まったく、今のオレの力だと締め付けすぎて傷どころか腕全体の血を止めてしまいかねない。

『まあ後は警察か救急車に任せりゃあイイか』

 オレは立ち上がって周囲を見回す。そこには遠巻きにこちらを伺う多くの人々が見えた。男を始末した一部始終がバッチリ見られていたのだろう、その目は化け物を見る目そのものだ。

『……こりゃあキツいわ』

 つまり化け物として開き直って生きて行くって事は、こんな目で見られることに耐えろという事だ。残念ながらオレはそんなに図太い神経は持ってない。人として生きる事は叶わず、化け物として生きるも苦痛。

「なあ、なにマンだ?」

『…………は?』

 こりゃあ死ぬしかねェか、なんて考えていたオレに酷く場違いな言葉が掛けられた。何事かと思って音源を探るが、何も探る程でもない。声の主はオレの足元にいた。

 声の主はまだちっこいガキだった。親は近くにいない。いや、いるかもしれないがオレにビビって近寄って来れないだけかもしれん。ガキは興奮した顔でオレを見上げている。

『オレの事か』

「そう! なあ、何マン?」

 なにマンってェのはその前にウルトラだスーパーだと付くような代物だろうか。

『……こんな怪獣みたいな何とかマンがいるのか?』

「えー……じゃあ何のカイジュウ? 火? しっぽが生えてるからドラゴン?」

『つーか怖くねェんかお前は』

「え? 怖そうだけどいいもののカイジュウだろ? テレビでみたことあるよ! でっかくて空飛ぶカメとか」

 確かにそういう怪獣も見たことはある。そしてその手の怪獣は得てして子供の味方だったりするのが常だ。そう考えれば、なるほどオレが正義の怪獣であってもいいんだろう。しかし、だがしかしだ。

『オレが何でいいもんだよ。そこの馬鹿を見れば正義の味方にゃあ見えねェだろが』

 顎で指し示した先には、息も絶え絶えになって地面に転がっている男が一人。手首から先を完全に握り潰され、砕けた刃物が刺さった手は目を背けたくなるほど無残な有様だ。

まだ自分が化け物じゃなかった頃のオレだったとしよう。人からこの光景を又聞きしたり、ネットや新聞で見たなら「ザマぁみろ」と思えるかもしれないが、直接見たとなると男に幾らかの同情すら禁じ得ない。血と悲鳴ってのはそこまでリアルで痛々しいもんだ。

「でも、アイツはワルイ奴だから」

『……あ?』

 ガキの口から、明確過ぎる、単純すぎる答えが返ってきた。しかし、何故かそれを笑い飛ばせずオレはその場に屈みこむ。それでもオレの方がでけェのでガキを見下ろす格好になるんだが、さっきより話しやすくはなった。

『おうガキ、確かにソイツはナイフを振り回して人を刺す悪者だ。でもそいつだって人間だぜ?オレがやった事は酷かァねえのか?』

「でも、アイツはワルイ奴だ! ワルイ事したらやっつけられるんだぜ!」

 ガキは片手を腰だめに構えたり、もう片方の手で空を切ったりとせわしなく動いている。詳しくは無いがある程度は解る。日曜の朝にやってそうなヒーロー物の変身ポーズを真似ているんだろう。ガキは、俺の前にビシっと拳を突き出した。

「おとうさんがね、いつもビール飲みながらいってる。『このくには、ワルイやつばっかりたすかるんだ』って」

 そりゃガキの親父がそう言うのも無理は無い。母子を犯して殺すようなクソの裁くのに何年も掛けるわ、精神鑑定次第じゃ責任能力云々で減刑される。

 未成年のガキどもは少年法を盾に暴れに暴れ、結果他人の命を奪ったところで名前も顔も伏せられたまま世間にその正体を知られる事は無い。てめェさえ良ければそれでイイなんて考えが蔓延し、結果として他人を傷つける事に恐怖を感じられない馬鹿が大量生産された。目の前で転がってる馬鹿のようにだ。

『……助かっちゃあならねェ悪者をブッ飛ばす。それが当たり前ってか?』

「うん!」

 いや正直、最近のガキはもっとマセてるモンかと思ってたんだがな。テレビのヒーローなんて全部嘘っぱちの作り物だと解っているようなイメージがあった。まだこういうガキも居るんだなあと感心する。

『なあ、ガキんちょ』

「なに?」

『ヒーローってなァ、どんなんだ?』

「ワルイ奴をブッ飛ばして、困ってる人を助ける人!」

『ヒーロー、好きか?』

「うん! かっこいいんだぜ! 何でもできるんだ!」

『オレは、化け物なんだぜ?』


「でも、ワルイ奴をブッ飛ばしてみんなをたすけてくれたじゃん!」


 ガキは、真っ直ぐな目でオレを見ていた。誰も彼もビビって近寄ってこない中で、大の大人が泣き叫んで転がっている中で、その恐怖の根源であるオレを。

 心の中にジワリと広がる何かを感じる。いや、感じるも何もそれはずっと心の中で燻っていたのかもしれない。

ああ、そうだろうよクソったれ。本当はやりたかったんだろう? 何だってオレはこの考えを最初に除外した。どうせ化け物として生きるなら、思う存分この力を奮ってみたいと……一度でも! 僅かでも! オレは思い付いていたじゃないか。

『ク……ククク……クハハハハハハハハッ!』

 解っている。それは酷く歪で、傲慢な考えだ。相手が悪だから遠慮なくこの力を使うなんて、エゴの塊で、人間を見下した化け物の考え。オレはそれに蓋をした。いくら悪人でも、この化け物の力で一方的に処断していいはずが無いと。

『くだらねえ』

 まったく下らない。それはオレが疎んだものと一緒じゃないか。

 人権を盾に加害者を守るこの国と。

 我が身可愛さに弱者を見捨てる傍観者と。

 裁く力を持つにも関らず、善を謳って悪すら守ろうとする愚者と。

 いいだろう、ならばオレは無法と暴威を以って悪を滅ぼす者になろう。最早人ならぬこの身を、悪を裁く剣にしよう。

 遠くサイレンの音が響いている。どうやら立ち去る頃合らしい。まあ警察も救急車も充分間に合うだろう。踵を返し、悲鳴を割って俺は歩き出す。その時、背中からあのガキの声がした。

「なあ、おまえ何!?」

 何、とは随分な言い方だ。残念ながら何マンでもなければ何怪獣でもない。……が、そうだな。名前は必要かもしれない。北条崇では無く、神威という兵器としてでもない名前が。

 とは言えパっと小洒落た名前が浮かぶ程の知識がある訳じゃない。サイレンの音も近づいてくる中、さてどうしたものかと考えていた。ふと視線を巡らせると、電灯の消えた大きな窓に映る自分の姿が見えた。相変わらずの化け物姿と派手に燃え盛る青白い炎。

『……炎。炎か』

 何とかネーミングの指針となるものを見つけ、本やTVで見た知識を総動員させる。ややあって、《炎》と《悪をブッ飛ばす》というキーワードから納得の行くものを思い付いた。ガキんちょに振り返り、その名を告げる。

『オレの名は……浄化の(メギド)だ』

 石畳を蹴って、オレは一気に跳躍する。ガキんちょがどういう反応を示したかは解らないが、この身にメギドの名を冠した時、オレは抱えていた心の重さがかなり軽くなるのを感じていた。

 ビルの屋上を蹴り、壁面を蹴り、一気に駆ける。さて、ヒーローに至る第一歩を踏み出そう。オレにとって倒すべき最初の巨悪がいた事を思い出す。


 脳裏には、あのムカつく狐ヅラが浮かんでいた。


◆◆ ◆


「何をしているんだ君は!」

 部屋に戻った僕は、まず和に怒られた。……まあ、当たり前だと思う。数日間心配し通しだった相手の僕が、目が覚めれば忽然と居なくなっていたとあれば気が気で無かっただろう。挙句、漸く帰ってきたと思ったら全裸だったので色んな意味で驚かせてしまった。

「……いや、その。ほんとにごめん」

 実際、部屋の近くまでは簡単に戻れた。しかし神威状態のままではドアをくぐれず、変身する時に服は破けたので変身解除すれば全裸なのは自明の理だ。結局人通りが完全に無くなる瞬間を見計らって変身を解除し、寒空の下を何とか部屋まで戻った次第である。

 和には色々聞きたい事があったのだが、テンションが上がったままだった僕は帰ってくるなり裸で和に詰め寄ってしまった。頬を紅く染めた和に「いいから先ずは服を着ろ」と睨み付けられたのがほんの数分前だ。

「こほん……で、確か君が聞きたい事とは何だ?」

 小さく咳払いをして和は僕を見た。彼女は少し不思議そうにこちらを見ている。それもそうだろう。ほぼ三日間蹲ったままで自殺にすら追い込まれていた人間がこうまで元通り……いや、元以上になっていれば。

「ああ、和が言っていた『指揮個体とのリンク』ってのを詳しく聞きたい」

「……確かにそういう事も言ったが」

 彼女に対して「僕も不老不死の体なのか」と聞いた時に和はそれを否定した。そして指揮個体とのリンクが無い限りは能力制限され、外部からの破壊も容易であると。ならば逆の話はとても簡単で、指揮個体とのリンクを結べれば今以上の力を有するという事になる。

「いいか? 君が今使える力は強力ではあるが待機形態(スタンバイ)だ。基本的にエネルギーの消費を抑えて行動する為の状態だな」

「……人間の姿が待機状態なのかと思った」

「その状態は休眠状態(スリープ)だ。エネルギーの回復や生成時は完全に変身を解除する」

 和曰く、神威は「兵器」であると同時に「兵士」であるという。つまり指揮個体という上官による戦闘命令が無い限りは本来の力が発揮出来ないようになっているという事だ。

「まあ、人類を素体にした理由は他にもあるが……とりあえず柔軟な思考の為にはあまり自我は抑制出来ない。しかし自我があると勝手な真似をする可能性は無いと言い切れん。その為に指揮個体からの許可制が使われた訳だ」

自律兵器という言葉から感情の無い戦闘機械を想像していたが、実際のところは戦場で臨機応変に武装を変更する柔軟な思想は人間が一番優れていたらしい。まあ、そうでなければ人間を素体にする理由も無い。全部機械でも良いだろう。

「それは僕と……和の神威にも出来る事かな」

 和の眉根が寄る。恐らく僕が何を意図しているか察したのかもしれない。まあ、そうだろう。現状でそこまでの戦闘力を要する相手などアイツしかいないのだから。

「……恐らくは可能だ。指揮個体は専用で作られるケースが多いが、指揮個体破損時などの緊急措置として神威同士で指揮個体を再認定し、リンクを張れる」

「それは神威同士である以外の条件がある?」

「無いな。神威同士ならばどちらでも指揮個体になれる」

 尤も私は正規の調整を受けた身ではないので戦闘要員にはなれないが、と和は締めくくった。どうやら僕は和を指揮個体とする事で今より高い戦闘力を得る事が出来るようだ。

「……崇。恐らく君は九尾の狐との戦闘を想定してそれを聞いているのだと思う。しかし何故だ? 君が戦う必要は無いだろう。少なくとも私が次元断層を教えなければ奴の野望は叶うことは無いんだぞ?」

「でも、アイツを倒さないと和は和の旅を続けられない。それにアイツ一匹が居るだけでもこの世界には充分な脅威だと思う」

 そこに続けるように、僕は僕自身が得た答えを和に告げた。人に在らざる存在として、裁かれない悪を単身で裁く者になろうという意思を。その答えに最初は呆けていたような和は、やがてその端正な顔を歪めて渋い顔をした。

「正直、その道に進む事を良しと認める事は難しい。君はいずれ罪の意識に押し潰される。如何に人を超えた力を持つ者であっても君が人として生きた時間は長く、そこで培った常識や良識が君を苛むだろう」

「……うん」

「それに……多くの人は君を理解しない。君がどれほどの悪を裁き、人を救っても……人々は君を恐れ、世間は君の行為を《行き過ぎた正義》といい、また《悪》と責めるかもしれない。君はそれでもその道を選ぶというのか?」

「それでも……それでも僕はそうするよ」

 和の問いかけに、僕はそう答えた。僕だってそれを考えなかったわけじゃない。いや、もう刃物を振り回す馬鹿な男を一人裁いただけでもそれを充分に痛感した。遠回りに僕を見つめる目。この世界にいてはならない「異物」を見る視線を刺すように感じた。

「和の言う通りだよ……今はこんな事を言っていても、僕はいつか後悔するかもしれない。やっぱり止めておけば良かったって……化け物になった時に死んでおけば良かったって、後悔するのかもしれない」

「なら、どうして……!」

 和の声は「訳が解らない」という僅かな苛立ちを含んで聞こえた。だから僕は、笑って答えた。精一杯の意地を張る為に、敢えて笑顔で答えようと……そう思った。

「僕は、この世界に僕自身を刻む。北条崇としてじゃなく、化け物として覚えられるとしても。このまま、何も残せずに……誰にも知られずに死んでいくくらいなら! 僕は世界に怖がられても、認めて貰えなくても、誰かを助けて生きていく!」

 そんな僕の口上を黙って聞いていた和だったが、暫くすると呆れたように溜息をこぼした。

「……一つ聞くが、指揮個体の件が無理だったらどうする気だったんだ?」

「このまま狐と戦ってた」

 僕の答えに、見た目にも解りやすく和の肩が落ちたが、和に何事か言われる前に言葉を続ける。実のところ、まだ言いたい事はあるのだから。

「それに……僕は和を守りたい」

「な……ッ!」

 突如自分に向けられた言葉に、その内容に、和は驚くほどに狼狽していた。僕の言った言葉が徐々に理解出来たのか、次第に頬が紅く染まっていくのが見えた。困った事に僕の頬が釣られて熱くなっていくのが解る。

「き……君は何を言っているんだ? 君の今後の在り方に何故いきなり私が含まれる!?」

「い、いきなりって訳じゃない。その……会ってそんなに日は経ってないけど色々あったし、その……僕の人生でかなり特別な感じがするっていうか」

「それは吊り橋効果に似た錯覚に過ぎん! 非日常に叩き込まれた君が、たまさか頼れる相手が私だけだったに過ぎなくてだな……!」

「だとしても! 今、和を守りたい気持ちは本物だっ!」

 吼えるように言った言葉に、和が「む」と呻いて押し黙る。しかし、和が何と言おうとこればかりは理屈じゃない。神威同士として惹かれあっているのでも構わない。

「あの狐野郎に限った事じゃない、これから先にちょっかい掛けてくる奴らの相手だって出来る! 和が力を使うと人格崩壊のリスクがあるんだろう!? でも僕なら戦える!」

「う……確かにそうだが……しかし、しかしだな……何故、君はそこまで……」

 何故か。……何故と問われて用意出来る答えなんて多くない。


 友達がいない寂しがり屋が、たまたま優しくされたから気になった?

 

吊り橋効果で特別な好意を持ってると勘違いしている?


 神威同士が反応してるだけで、僕の意思じゃない?

 

そのどれでも構わないし、どうでもいい。僕が今大事にしたいのはそんな理屈じゃない。

ああ、ご都合主義も大いに結構。「一目惚れ」が嘘だなんて言う奴はそれを理屈で全部説明してくれ。


――僕はそれでも胸を張ろう。


「和の事を好きになったからだ」 

「……馬鹿者」

 ついに反論の気力も無くしたか、和は俯いたまま黙り込んでしまった。正直気まずいが、僕も何も言えない。僕の一方的な気持ちでも良いとか、そんな取り繕った言葉を言いたくなる。ところが、僕が耐えかねて言葉を発する前に、和の諦めたような言葉が聞こえた。

「解った……私の負けだ」

「え、と。それじゃ」

「待て。勘違いしてくれるなよ? あくまで指揮個体のリンクを張って君を強化する事に賛同しただけだ。……いや、その、君の気持ちがどうでもいいという事では無くてだな。あくまで今は九尾の狐を如何にするかという事実が重要なのであって……」

 こちらに目も合わせずに和は途中からごにょごにょと言葉を濁していた。いや、僕も気持ちに嘘は無い。でも今は「何故」と問われたから答えただけであり、告白の返答を求めている訳ではない。

「う、うん。解ってる……先ずはあの狐を何とかしないとな」

 そう、何に於いても先ずはあの狐野郎を何とかしなければならない。和が彼女自身の旅を再開する為にも、僕が選んだこの先の生を歩む為にも、奴を何とかしない限りは進む事が出来ないのだ。

「よし、じゃあ指揮個体のリンク作業に入ろう。僕は何をすればいい?」

 場の空気を変えようと、表情を引き締める。和は空気を読んだのだろう、先程までの慌てた空気は一気に霧散していた。腕を組んだ彼女は、親指を唇に当てて黙考していた。

「……まず、リンクの条件は二点だ。《遺伝子認証》と《個体同調》のプロセスを行なう必要がある」

 和の言うところ、まず《遺伝子認証》によって指揮個体と戦闘個体間で認証を取る必要があるらしい。これは簡単な話で、銀行などの暗証番号や指紋認証を一緒だ。ようはリンク相手が誰であるか、またはそれが本物であるかを認証する為のものと考えていいだろう。

 次の《個体同調》は、戦略的な部分で重要なものらしい。というのも、指揮個体はその能力の殆どを戦場の情報収集、分析、戦略組み立て、指示に使う。指揮個体の戦術は戦闘個体との専用周波数により情報展開され、実行に移される。

「つまり指揮個体は頭脳であり、戦闘個体は手足。人間の体と同じでな、考えてから行動に移すまでにタイムラグが無いように情報伝達の同期連携を図る必要があるんだ」

 実際、未来では指揮個体一体に対して複数体の戦闘個体をつける事でありとあらゆる戦況に対応したらしい。今は僕一人と言えども、和が僕の後方から戦況を確認して僕に伝えてくれるだけでも相当有利である事に変わりない。和が見える範囲なら、僕に死角は無くなるのだから。

「そうか……で、その方法は?」

「うん。まず《遺伝子認証》はそう難しい話では無い。文字通り、互いの遺伝子情報さえ得られれば良いんだ。髪でも爪でもいい、それさえあれば神威が情報をスキャニングして取り込んでくれるだろう」

 和は身振り手振りを交えて僕に遺伝子認証の手段を教えてくれた。どうやらそれ自体は思ったより簡単だ。極端な話、僕が和の髪にでも触れて遺伝子情報のスキャンを望めば神威はそれを実行してくれる。

「しかし問題は《個体同調》だ。未来では支配者が専用のシステムや施設を使って強制的に個体同調を行なえたのだが……」

 個体同調は指揮個体と戦闘個体の精神状態を一時的に完全同期させ、以降はその状態を記憶させる事でいつでも同期を図れるようにするものらしい。

 指揮個体撃破時などの緊急事態も想定されているので、基本的に全ての神威は調整段階で特定の同期周波数を組み込まれているらしいのだが……。

「私たちは二人とも正規の調整を受けた神威では無い。従って個体同調が非常に困難であると言える」

「……その、個体同調ってのはどういう風にするんだ?」

「未来では、感情の幅をゼロにした状態に特定の周波を埋め込むようだが……ごく簡単に言えば、同じ思考や感情を共有し、同調させるという手段になる。しかし『合わせよう』と考えるほど同期はズレがちだ」

 ……それは解る。例えば「集中しよう」と考えて集中すると。無駄な雑念が沸きがちだ。「集中しよう、って考えてるのが既に集中してないんじゃないのか?」とか「本当に集中している状態って何も考えてない状態じゃないのか? じゃあこうやって思考を巡らせているのは集中出来てないんじゃないのか?」みたいな無駄な思考がドンドン沸いてくるのである。

「つまり頭が空っぽの状態なら神威が勝手に同期を組んでくれるのかな?」

「言うには易いが、そういう事だ」

 さて、これは困った。残念ながら僕は瞑想して心を無にするなんて特技は持っていない。睡眠中とかなら無の境地に近いだろうか。いや、そもそも宿主が寝ている状態で神威は連携を取ろうとしてくれるのだろうか。

 考えを巡らせようにも、僕はまだ神威の事を知らなさすぎる。どうしたものかと思案にくれる僕だったが、そこで和が重々しく口を開いた。

「方法が……無い訳ではないんだ。おそらく現状取り得る手段としては最上、未来でやっていたような完全な同期には及ばんかもしれんが……その、かなり高い精度で連携が取れるのではないかと思う」

「ほ……ほんとに!? どうやって?」

 その言葉に、僕は食いつくように彼女に詰め寄る。勢いに押されたのか、和は「うぅ」と呻くと俯いた。驚かせてしまっただろうかと少しバツが悪くなる。反射的にゴメンと言い掛けたが、僕の言葉を待たず和が喋りだした。

「まあ、そのだな。緊急事態であるし他に方法も無い……あ、いや……別に君に不満があるとかそういう事では無い。むしろ私としても君を好ましいと思う部分は多々あってだな……」

「……和?」

 はて。彼女が何を言っているかサッパリ理解出来ない。こちらから目を逸らしたままブツブツと何事か呟き続けているが、その内容はいまいち要領を得なかった。

「いや……つまりだな? 君が私に好意を抱いてくれていると同様にだ、私としても己の危険を省みずに九尾の狐の傀儡から助けようとしてくれた君に少しばかり好意を抱いているというか何と言うか……」

「し……和?」

 何か。何故か。彼女が言わんとする事がうっすら解ってきたようなそうでないような。しかし感覚でそれを理解しつつあるのか、僕は自分の鼓動が嘗て無いほど高鳴り、頬が熱くなってきてるのを感じた。

「つ……つまりだな、九尾のヤツめを倒す為に仕方なくという事では無く、私自身の意思で君とそういった行為(・・・・・・・)に及ぶ事は吝かではないと……」

「あ……うん、ストップ。その、解った……解ったからさ」

 二人して真っ赤になって俯く。……何をしてるんだろう僕らは。しかし彼女の考えは解った。お互いを想っている《好意》……いや、野暮はよそう。《恋愛感情》という感情の同期。そして、その行為による《快感》という感覚の同期。感情と感覚。意思や思考に囚われないシンプルな共有。

「……わ、私はその方法で構わない。崇、異論はあるか……?」

「よ…………よろしくお願いします」

「なぜ畏まる!?」

 和は焦ったように叫ぶが、仕方が無いじゃないか。幼い頃から孤立する事を選んだ自分に今までそういった機会はあるはずも無く、一人暮らしの生活を維持する為には無駄金は使えないのでそういった店にも行った事は無い。端的に言えば僕は童貞なのだから。

「……崇、恥ずかしいついでに言わせて貰うが……私にリードを期待されても困るんだぞ?」

「そ、そうなの?」

「うぐ……その、四百年生きてはいるが君ほど心を許した相手は居なかったのだ。仕方無いだろう!」

 ……物凄いプレッシャーを感じる。童貞の身で、年上のお姉さんをリードせねばならないという事でしょうか。何かもう、固まって動けなくなるような重圧。

「……私は死なずの身だからな。やはり私自身、誰かに心を預ける事が怖かったのだろう。誰を想った所で……その人は先に死んでしまうのだ」

「和……」

和の口から不意に漏らされたその告白に、茹った頭が少し落ち着いた気がする。

「思えば……君を好きだと思えたのは、私と同じ時を歩める者という安心もあったのかもしれない。君ならば……心を預けても、いなくならないという安心が」

 そうだ……僕は死なない。正しくは不死では無いにしろ、不老不朽のこの体は彼女の隣で生き続ける事が出来る。もしこのリンクが上手く行けば、僕の体は更なる戦闘力と共に滅多な事では行動不能に陥らない再生力まで手にする事が出来るのだ。

 自分なら彼女の永劫の孤独を癒してあげられるのだと気付いた時、驚くほど肩の力が抜けた。確かに彼女は僕より人生経験が豊富で、僕より遥かに大人だ。だからと言って、あまりに特別視しすぎるのは良くないのかもしれない。

 彼女が未来に求めているのは「普通」になる事だ。……なら、側にいる僕が彼女を普通の女の子として扱ってあげるべきじゃないだろうか。

「あー……その、上手く出来るかは解らないけど……和の事をちゃんと受け入れるよ」

「うん、君に出来る範囲でいい……私を受け止めてくれ」

 どうにか絞り出した僕の言葉に、和は目を閉じる。……流石にそれが何を意味するか解らないほど僕も朴念仁では無い。和の唇に自分の唇を重ねて、目を閉じた。

「……ん」

 ぴくりと震える和と、柔らかな唇の感触。もう正直、これだけで大分ヤバいというかいっぱいいっぱいなのですが。しかし男子に二言は無し。

「む……シャワーくらいは浴びるべきかもしれん。少し待っていてくれ」

 そんな事を言って部屋から出て行く和を、既に死にそうな気分で見送っていた。正直、心臓の鼓動が痛いくらいだ。


 僕は、この先の人生を和と生きていくだろう。でも……どれだけの時を重ねても、どれほどの苦難に日々を迎えたとしても、恐らく僕はこの気持ちを忘れないだろう。

 僕の記憶からこの日が無くなる事は決してありえないと、そう思った。

 この気持ちは僕の中にある正義を曲げないでくれると、そう信じた。

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