奈落
暗い、溟い洞窟の中、ヒュージアントのごそごそと土を掘る音に従い、ニッツは歩く。
(ゼークトとかいうやつ……面倒だな。どうする……? 作戦を立て直すにしても戦については知識も経験も向こうが上……。相手が思いつかないこと、知らないことを使って……)
知らず、爪を噛んでいた。思索を巡らすほどに強く、強く噛み締める。
じわり、と甘い血の味。
(将軍……人間の、なら……そっか、相手は人間との戦いの専門家なんだ)
ニッツは思いつきを頭の中で試み、穴がないか探し、他の案も探るも、現状勝ち目がありそうなのはこのひとつだけ。
もう賭けだ。やるしかない。
ニッツは次の手をうつため、帰路を急いだ。
×××
バエル。かつては王国最西端の街であり、今ではニッツの根拠地。
街の建物は瓦解し、地下には巨大な蟻の巣が掘られている。
地下の巣では、出発前に産んでおいた二万もの卵が羽化を終えていた。
ニッツは生き残った蟻とともにバエルに入ると、即座に二万の兵力と合流。五千を作戦のための作業に当て、残りを連れて出た。
10匹でひとつの斥候部隊を作り、定期的に索敵に出す。
斥候には、「敵にぶつかったらすぐに帰ってこい」と命じている。これなら意思疎通できない蟻からでも情報を得ることができる。
斥候が帰ってくる時間は徐々に短くなっている。つまり、敵は近づいているということだ。
翌朝、街道の彼方に敵影が見えた。
ニッツは三千ほど出し、敵にぶつける。
敵が剣をぬき、硬質な外骨格とぶつかり合う音。
ニッツは全速力で後退する。だが敵の騎兵部隊が猛然と追ってきた。
(くそ……三千じゃ足止めにも少なすぎた……!)
舌打ち。
こういったところでの兵力配分の匙加減がやはり、経験の差だろう。
それでも対抗策はある。
ヒュージアントたちは敵にお尻を向ける。
そして、蟻酸を噴き出した。
一匹のはく蟻酸の量は大したことはない。せいぜい小型の魔物を追い払うくらいだ。
しかし、七千のヒュージアントである。
ガスで視界はぼんやりと霧がかかり、騎兵たちは咳き込み目を抑える。
動きが鈍ったその隙に——突撃を命じた。
戦闘がはじまる。
相手は動きの鈍った騎兵。突撃の勢いで一気に戦力を削る。
ヒュージアントを横隊に展開し、敵を包み込むようにして包囲を狭めていく。
もう少しで全滅できる。
だが、もう時間切れだ。
最初に送り出した三千は駆逐され、敵の主力が向かってきていた。
ニッツはダメ押しにもう一度蟻酸を振り撒く。騎兵を動けなくし、離脱した。
これ以上の時間稼ぎは出来ない。ニッツは全力でバエルを目指す。
敵もまた、ニッツを追う。
巨大蟻と人間のレース。わずかに人間の方が早い。
——それでも。
なんとか追いつかれず、ニッツはバエルにたどり着いた。
城門をくぐると、門番の蟻がロープを噛み切る。鉄の門が勢いよく落ちた。
敵は攻城兵器の準備をはじめる。
近くの木々を切り倒し、巨大な投石機、破城槌、城門よりも高い塔が、またたく間に組み立てられる。
敵は作業を終えるや、休息もせず攻撃をはじめた。
投石機が岩を投げ、破城槌が鉄の門をぶったたく。
移動式の塔に乗った兵が城壁に乗り上がり、守っていたヒュージアントを斬り殺す。
ニッツに城を守るノウハウなどなく、そもそも弓矢などを使えないヒュージアントではろくに戦うことすらできない。
堅固な城壁はわずか二日で崩落。人間たちは破った城門から、あるいは投石機で開けた城壁の穴から、街へ攻め込んでくる。
街に入った兵たちが見たのは、異様な光景だった。
建物の多くは瓦解し、あちこちに卵や、幼虫の繭がある。
かつては賑わっていた街道も人間はひとりも見当たらない。あるのは巨大な白い幼虫や、蟻の食べ残したゴミだけ。
勢いづいていた兵たちも、顔をしかめて歩調をゆるめる。
兵たちは不快感を覚えながらも、先頭で指揮をとるゼークトのもと、戦いを続けた。
街道を進みつつ周囲の建物を制圧していく。
最後に残ったのは街中央にある行政府。
兵たちは行政府へと足を踏み入れる。
そして——地面が、崩れた。
行政府の地下には無数のトンネルが掘られており、大量の兵が乗ると、その重みに耐えきれず、地下室の天井が落ちたのだ。
彼らが落下した穴の中には無数の蟻がひしめいている。
足場は悪く、光も少ない。
人間が戦うには、あまりに不利な地形。
周囲には、壁まで埋め尽くすヒュージアント。
無数の蟻が、人間に襲いかかった。
×××
ニッツは遠間から策があたったのを確認した。
ゼークト率いる部隊は蟻の巣へと落ちていった。あの中には一万もの蟻。もはや生きては出られまい。
女王に命じ、周囲にいたヒュージアントを集めさせた。地上に残っている敵部隊へ攻撃を命じる。
指揮官を失った軍団はいともたやすく崩壊した。