第八十六話 イギリスへの旅
浅い眠りを繰り返し、翌朝、目覚めると頭痛は止んでいた。
昨夜は美咲が傍にいなかったことと、これから仕事とは関係なくイギリスへ旅立つということで、ストレスが軽減されたのかも知れない。
体調不良で横田教授に迷惑をかけずに済んで、ホッとしながら空港へ向かった。
久し振りに会った横田教授は、外見上は数年の時の流れを感じたが、話してみると以前と変わりなく今でも法律に関わる事に使命感を燃やしているのだと分かった。
パネルディスカッションへの参加は直前に決まったということもあり、準備に十分な時間をかけられずばたばたと慌しく行われたが、その後の交流会は和やかな雰囲気の中で催された。
俺が世界にその名を知られている四葉環境株式会社の本社に勤める現役の営業マンだと知り、話し掛けてきた人たちからいろいろと尋ねられる場面もあった。
中には営業とはあまり関係のない質問もあったが、プロジェクトチームの一員として蓄えていた知識が役に立った。
そして、俺の方からも気になったことをあれこれと、感じたままに尋ねると詳しく教えてもらえ、有意義な時間を持つことができた。
次の日からは、横田教授と親交のある人の家へ招かれたり、せっかく来たのだからと観光をしたりと充実した数日を送ることができた。
また、横田教授との雑談の中で、俺が近い将来に会社を退職して弁護士を目指すつもりだということを話すと、横田教授からこれまでのキャリアを生かせるように国際弁護士を目指してはどうかと勧められた。
優秀な弁護士は数え切れないほどいても、俺のように大企業に勤めて海外の取引先も含め第一線で営業の仕事をしていた経歴を持つ弁護士はそれほど多くなく、その貴重な経験を無駄にしないようにとも助言された。
他にもさまざまな話を聞かせてもらえたことで、今後、自分が目標とするものをはっきりと思い描くことができるようになったことは大きな収穫といえた。
しかし、横田教授とのイギリス行きを画策してくれた達樹に感謝しながら帰国した俺を待っていたのは、甘くない現実だった。
年末年始休暇を終えて出社し、仕事に取り掛かる準備をしていた俺は、就業時間が終わり次第、専務室へ来るようにと樫山専務から呼び出しを受けた。
以前は、就業時間に関係なく樫山専務の都合に合わせて呼び出されていたが、営業部の部長の方から私的な理由での呼び出しは就業時間内は控えてくれるようにとの申し入れがあり、今は就業時間内の呼び出しはなくなっていた。
時間を見計らったように再び樫山専務から連絡が入り、俺は時間を確かめて席を立ち専務室へ向かった。
「イギリスへ行っていたらしいな」
専務室の中へ入ると窓際に立っていた樫山専務が待ち兼ねたように、挨拶もそこそこに話し始めた。
「美咲を置き去りにして出掛けた後、一人残された美咲がどうなったか、気にならなかったのかね」
険のある顔で言葉をぶつけるようにして話す樫山専務に
“梨奈を、一人にせざるを得ない状況を作り上げたのは、誰なんだ”
と腹の底から怒りが沸き起こり、両手をきつく握り締めて口から言葉が飛び出そうになるのをすんでのところで呑み込んだ。




