第百七話 不自然な訴え
「父さんも、最初に話を聞いた時には信じられない思いだったが、本当のことらしい」
その言葉が俺の耳に届いた瞬間、俺は両手のひらをテーブルにつき身を乗り出すように立ち上がっていた。
『ガタンッ』
俺の背後で大きな音を立て、俺が座っていた椅子が床の上に倒れた。
「どうして、そんなことをしたんだっ」
母に向かって問い詰めるように声を荒げた俺を、母は背中を丸めたまま見上げるとたどたどしく反論した。
「だって……、しょうがなかったのよ。相手は、あなたの会社の……、上司の、お嬢さんなんでしょ。……このまま、あなたが、知らぬ存ぜぬを通せば……、大変なことになるって……」
樫山専務が雇うほどの弁護士が、未熟な駆け出しの弁護士では有り得ないことは分かっていた。
おそらくは、『凄腕』と冠される名を持つ者なのだろうと推測もできた。
そんな人物を相手に、一般的な日常を過ごしていた母が、対抗できる可能性などあるはずもないことは頭では理解できていた。
だが、感情は簡単には割り切れなかった。
「それなら、なぜっ。なぜ俺に、一言も問い質さなかったんだ」
母の反論に 切り返した俺に、母は丸めていた背中を伸ばし身体ごと俺の方を向くと、さっきとは違い力の入った言葉で返してきた。
「しようとしたのよ。でも、美咲さんが、誰も赤ちゃんができたことを喜んでくれない。生まれて来るのを楽しみにもしてくれないって言って、泣くのよ。それなのに、そんな美咲さんを前にして、あなたに電話なんてできないでしょ」
美咲が子供を憐れむ言葉を口にしながら泣いたと聞き、俺にはまだ会ったこともない黒木と名乗った弁護士と樫山専務、それに美咲が膝をつき合わせて相談している様子が目に見えるようだった。
俺はこれまで美咲から多くの言葉を聞いていたが、その殆どが自分本位のもので母親として子供を心から案ずる類の言葉は一度も聞いたことがなかった。
美咲の実父であり、美咲の子供の祖父でもある樫山専務にしても孫に対する憐憫の情というものを感じたことは、これまでになかったことだった。
そんな二人から出てくるはずもない言葉を口にし、俺の前でも泣いて訴えたことなどない美咲が俺の母の前で泣いて見せたというのはあまりにも不自然で、俺はそこに黒木弁護士の作為を感じ取っていた。
「座って話そう」
いつの間にか席を立ち、俺が倒した椅子を立て直した父が俺の肩に手を置き座るようにと力を入れて俺の肩を押した。
その時、俺の警戒心が怒りで頭が沸騰しそうになっていた俺に
“今は、一分一秒でも早く対策を講じるべきだ。怒り散らして時間を無駄にできる余裕は、どこにもないんだぞ”
と告げた。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。
今年の投稿は、今回で最後になります。
投稿を始めてから、六ヶ月になりました。
この六ヶ月間、途中で投稿が間に合わなくなりそうで焦ったこともありましたが、無事に過ごすことができ、充実した時間を過ごすことができました。
来年もこれまで通り、毎週月曜日から木曜日まで毎日投稿できるように頑張るつもりです。
来年もよろしくお願いします。




