第一話 還暦の夜とゴブリン
第一話 還暦の夜とゴブリン
ふくちーぬはスピリチュアル系YouTuberだ。
主に気功を扱い、占いやエネルギーワーク、チャネリングなどの動画を配信している。
世間一般から見れば少々怪しい職業かもしれない。
だが本人としては真面目に活動しており、気が付けば還暦を迎える歳になっていた。
そして今日。
2030年5月16日。
日付こそ変わっているが、出生時刻はまだ来ていない。
つまり、あと少しで正式に六十歳になる。
スピリチュアル業界では、2030年12月に地球のアセンションが起こると言われていた。
本当かどうかは分からない。
だが長年この世界に関わってきた身としては、まったく気にしていないわけでもない。
「還暦かぁ……」
誰もいない部屋で、ふくちーぬはぽつりと呟いた。
普通なら眠る時間だ。
しかし記念すべき夜である。
どうせなら何か特別なことをしてみたい。
そう思い、水晶玉を机の上に置いた。
スクライイング。
水晶を使った透視法の一種である。
ぼんやりと光を落とした部屋の中で、水晶を見つめる。
ゆっくり呼吸を整える。
そして意識を静かに沈めていく。
すると。
水晶の奥が揺らぎ始めた。
「お?」
映像が見える。
これは珍しくない。
スクライイング中に映像を見ること自体は何度も経験している。
しかし、ふくちーぬの場合は少し事情が違った。
過去に何度か。
本当に何度かだけ。
映像を見るだけではなく、そのまま宇宙のどこかへ飛ばされたことがあるのだ。
最初は死ぬほど焦った。
だが毎回ちゃんと地球へ戻ってこれた。
なので今では多少慣れている。
「また宇宙かな?」
そう思った瞬間。
視界が切り替わった。
◇
土の感触。
風の匂い。
遠くで鳴く鳥の声。
気づけば、ふくちーぬは見知らぬ場所に立っていた。
「また来ちゃったか」
周囲を見回す。
そして首を傾げる。
「……中世ヨーロッパ?」
目の前には街道。
それもアスファルトではなく土の道だ。
遠くには高い城壁。
石造りらしき建物。
近代的な建築物はどこにも見当たらない。
どう考えても現代日本ではなかった。
「タイムリープ?」
あり得なくはない。
だが違和感がある。
「いや、こんな都合よく中世ヨーロッパみたいな場所あるか?」
自分で言って自分で否定する。
異世界。
そう言われた方が納得できる風景だった。
街道沿いには誰もいない。
森の中から動物の気配がする程度だ。
すると。
遠くに馬車らしきものが見えた。
「あれ?」
何だか様子がおかしい。
目を凝らす。
そして。
「ゴブリンじゃん」
思わず口に出た。
馬車が襲われていた。
緑色の小柄な人型生物。
誰がどう見てもファンタジー作品でおなじみのゴブリンである。
三体の大型個体が剣を振り回し、その周囲を八体ほどの小型ゴブリンが取り囲んでいる。
それに対して戦っているのは三人の冒険者らしき男女だった。
「おお、本当に異世界っぽい」
どこか他人事のように感心する。
少し距離を詰めて観察する。
すると状況はかなり悪かった。
冒険者二人が大型ゴブリンと交戦中。
残る一人が小型ゴブリンを押さえている。
問題は別にあった。
どこかに弓兵がいる。
森の中だ。
見えない場所から矢が飛んでくる。
不意打ちを受けた冒険者の一人は肩から大量に出血していた。
「うわぁ……あれ危ないな」
普通なら関わらない。
日本育ちの平和な還暦男性である。
モンスター相手に戦う経験などあるわけがない。
だが。
不思議と恐怖が薄かった。
夢の中で感じるような、妙な万能感。
どうせ夢だろうという気持ちもあった。
「とりあえず弓兵だけでも何とかなるんじゃ?」
そう思った。
森の中へ回り込む。
気配を探る。
すると一体いた。
大きな木の陰に隠れたゴブリンアーチャーだ。
こちらに気付いていない。
ふくちーぬは地面に落ちていた木の枝を握った。
「えいっ!」
思い切り振り下ろした。
ゴッ。
鈍い音が響く。
ゴブリンアーチャーはそのまま倒れた。
ぴくりとも動かない。
「えっ?」
自分でも驚く。
本当に倒してしまった。
その瞬間だった。
頭の中に声が響いた。
機械的な女性の声で
【コモンスキル初級弓術を獲得しました】
「は?」
ふくちーぬは固まった。
今の何だ。
ゲームみたいなアナウンスが聞こえたぞ。
夢だからだろうか。
いや。
今までこんな経験はない。
宇宙へ飛んだことはあっても、頭の中にシステムメッセージが流れたことなど一度もなかった。
「もしかして……」
嫌な予感がした。
「本当に異世界?」
風を感じる。
土の匂いがする。
遠くではまだ戦闘音が続いている。
どれも妙にリアルだった。
「いやいや」
首を振る。
「大丈夫だ。きっとイベントみたいなものだ」
そう。
ゴブリンと冒険者。
ファンタジーイベント。
それが終われば目が覚める。
いつものように地球へ戻るはずだ。
たぶん。
おそらく。
きっと。
……そうであってくれ。
そんなことを考えながら、ふくちーぬは再び馬車の方へ視線を向けた。
まだ彼は知らない。
この世界が夢ではないことも。
還暦の夜に終わったはずの人生が、ここから再び始まることも。
そして、ゴブリンアーチャーから手に入れた小さなスキルが、長い冒険の第一歩になることも。
第一話 完




