第87話 裁判で会おう!
ブリュンヒルデの解呪が成功したと聞かされてすぐに、オレは眠りに落ちてしまった。
疲れ切っていたのだろう。半日近くも夢も見ずに眠るなんていつ以来かわからない。
「シグヴァルト卿、お起きください」
そんなオレを起こしたのはヘズメル家の執事だ。
白髪のナイスミドルの彼は非常に目端のきく人物で貴族であれば必ず家中に欲しがること間違いなしの人材だ。
オレもここに逗留してからは世話になりっぱなしで、リーヴァですらも学ぶところが多いと一目置いていた。
「僭越ながら、朝餉を用意いたしました。やんごとなきお方も、よろしければ」
「ええ、伝えます。ありがとう」
体を起こし、手足を伸ばす。
たっぷりねむったおかげで体調は万全だ。頭もすっきりとしている。
執事の言う『やんごとなき方』というのはジークリンデのことだ。
彼女がこの館にいることは秘中の秘。外に漏らせば余計な問題を引き起こしかねない。
そこらへんのところはヘズメル館の使用人たちは徹底してくれているが、そろそろ限界ではある。
ブリュンヒルデの解呪も成功し、とりあえず山場は乗り切ったことだし、ジークリンデにはいちどオレと騎士団の兵舎に戻っていただかねばならないだろう。
というわけで、ジークリンデを起こして朝食を戴くこととする。
「ジークリンデ様。シグヴァルトでございます。お目覚めでしょうか?」
「――っ!?」
直前まで静かだったのに、オレが声を掛けた途端、ガタガタという音が扉越しに聞こえる。
どうやら今お目覚めになられて、身だしなみを整えておられるのだろう。
急かすことはしない。
皇族たるもの常に人目を意識しなければならない。服装の乱れはもちろん、寝ぐせなどもってのほか。常に優雅にして美麗でなくてはいけないものだ。
だから、臣下たるもの、主君が身支度を終えるまでは一時間でも、二時間でも黙って待つものだ。
本当な女性の使用人や従者がお世話をしてしかるべきなのだが、今回ばかりはお一人でやっていただけかねばならないしな。時間はかかって当然だ。
「ま、待たせました」
意外にも15分ほどでジークリンデが寝室から出てくる。
さすがはジークリンデ。ほかの皇族であれば使用人がいなければ着替えもできないということもありうるが、ジークリンデにそれはない。
ジークリンデは使用人を酷使することを嫌う。
そのため自分の身の周りのことくらいはできるようにしてあるのだ。着替えも髪の毛のセットも怠ったことは――、
「――へ?」
だから、その時のジークリンデを目にした瞬間、思考が停止した。
寝ぐせが、寝ぐせが付いている。
ジークリンデの長い赤髪の頭頂部に、一本アンテナのような寝癖が屹立していた。
あ、ありえるのか……!? こんなことがありえてしまっていいのか!?
「シグヴァルト卿?」
「あ、いえ、その、なんでも、ありません」
あまりのことに寝ぐせを指摘できない。
そもそも、臣下として主君の寝ぐせを指摘すべきなのか、指摘してはいけないのか、それすらも分からなくなってきた。
というか、あれだ。
かわいいすぎませんか、我が主君。ちょっと惚けた表情も、頭頂部のアンテナも、いつもの凜とした姿とのギャップで破城槌以上の破壊力があった。
「帰ってくれたのですね……」
そんな破壊力を前面に押し出したまま、ジークリンデが一歩間合いを詰めてくる。
目元は潤み、呼吸は少し粗め。オレを見つめるその瞳には歓びと安堵が輝いていた。
やばい、かわいいすぎる。
普段も可憐でお美しいのだが、今のジークリンデには小動物的な魅力を備えておられる。
なんというか、あれだ、庇護欲をくすぐられる。
常日頃からこの命に代えてでもお守りすると固く誓っているのだが、今はそこに別の感情が加わってしまいそうな、そんな感じがする。
これは、これはまずい……!
オレの中の大事何かが根底から揺らいでしまっている気がする……!
「――よかった、本当に……!」
ジークリンデがさらに間合いを詰めてくる。
今にも泣きだしそうな彼女の姿に、心配やら恐怖やらさまざまな感情がない交ぜになっていく。
ど、どどどど、どうするべきなんだ!?
こ、このままではジークリンデの体がオレの体に触れてしまう。
ひ、非常時でもないのにそんな不遜な真似は許されない。
だ、だが、拒絶するのも難しい……!
今回の一件でジークリンデには心配をかけてしまった。
昨夜の宰相府への連行への一件などその最たるものだ。しかも、起こすのは忍びないと思い、彼女への報告が今になってしまった。
その責任がオレにはあるわけで――、
「今戻ったぞ、キリアン!」
そんな思考をトモエの声が中断する。
騎士団の方の様子を見てくるように頼んでいたのだが、もう帰ってきたらしい。
ジークリンデも止まってしまった。呆然と扉の方を見つめたままだ。
いわゆる水入りというやつか。
助かった、のか?
ジークリンデは何やら残念そうな顔をしているが、オレとしては気まずいことにならなくてよかったのだが……なんというか、惜しいことをしたという気もしないでもない。
いや、気を緩めている場合じゃない。
オレの予想が正しければ事態が動くのは今日の昼間当たり。それまでに気を引き締めておかなければ……!
◇
「ふぅ……」
と、思っていたのに、朝食を平らげたらなんだか満足してしまった。
ヘズメル家の料理人の腕が良すぎるのがよくない。
赫奕剣騎士団で雇っている料理人も良い腕をしているのだが、ヘズメル家の家格もあってか、どうにもここの料理には上品さがあった。
実際、普段は食が細いジークリンデが今日はよくお食べになっている。
トーストをお代わりされるところなんて初めて見た。
いや、味がいいのもあるが、それ以上にオレもジークリンデもブリュンヒルデの容態が安定したことで安心したのだろう。
人間の体は現金だ。緊急事態を抜け出せば栄養を摂取したくなるものだ。
もっとも、そんなのとは関係なしにいついかなる時でも他人の三倍は食べられるトモエのような逸材もいるわけだが。
いや、むしろ、武人としての適性を考えればトモエが正しい。
オレも見習わないとな。おかわりをもらおう。
「――さてと」
そうしてご機嫌な朝食を終えてからオレは本題を切り出すことにする。
この場、つまり、ヘズメル家の食堂には必要な人材が揃っている。というか、オレが呼び寄せた。
オレにジークリンデ、トモエ、そしてリーヴァ。新たに陣容に加わったローレルも同席している。
唯一、メロディだけは欠席しているが、彼女まで動かしては内部にいる裏切者が自由に動けすぎてしまう。概ねの事情はリーヴァ伝手に共有してあるから問題はない。
ヘズメル家の使用人たちには退席してもらっている。機密保持と彼らの身の安全のためだ。
「リーヴァ、報告を」
「はい、キリアン様」
オレの指示を受けて、リーヴァが立ち上がる。
彼女に命じていたのはフレキセン館の監視だ。そのリーヴァが帰還したってことはフレキセンの連中に動きがあったってことだ。
「夜が明けてすぐ、館から二名の急使が発しました。行き先は、帝都中央部『神明法廷』です」
リーヴァの報告に、ジークリンデとローレルがざわつく。
一方で事前に予想していたオレと神明法廷が何かを知らないトモエに動揺はない。まあ、例えどんな場所かを知っていてもトモエは動じないだろうが。
「……恥知らずが何を訴え出るというのか」
ジークリンデの言葉には心底からの怒りが滲んでいる。
彼女にはすでに今回の件の黒幕がフレキセン侯爵であることは伝えてある。その上での怒りだ。
神明法廷とは、帝都における最大にして唯一の裁判所の名前だ。
通常の犯罪や事件では使用されず、貴族同士の諍いの仲裁や政治的な意味合いを持つ案件でのみ使用される場所だ。
またこの法廷で働く人員は通常の政治権力からは切り離されており、常に公明かつ公正な判決を下すとされている。
なので、貴族間での犯罪の告発の際もこの法廷に訴え出ることが通例となっているのだが――、
「訴えの内容はわかりません。ですが、急使が法廷に入ってから数時間、人の出入りが激しくなりました。間違いなく何かの準備をしています」
「うむ。オレの告発の準備だろう」
訴え出たのは言うまでもなくフレキセン侯爵家だ。
罪状は騎士の殺害か。あるいは、貴族の館への押し込み強盗および暴行の罪か。
正直言ってどちらでもいい。
どちらもさすがに微罪とは言い切れないが、言い訳はいくらでもできる。仮に裁判にまで至ったとしても、その時はこちらもオレへの襲撃やブリュンヒルデの呪殺未遂を告発して報復は可能だ。
というか、裁判沙汰にしてくれるのならむしろ好都合だ。
事が表ざたになって困るのはあちらの方であり、真の黒幕でありながらいまだ領地に引きこもったままのフレキセン侯爵を引きずり出すことができたのなら万々歳だ。
「…………許せない」
心配なのは、ジークリンデの怒りだ。
あのゴミをボコボコにしたオレの言えた義理ではないが、ここまで怒っていると裁判中に法廷を襲撃なんて話にもなりかねない。実際、今回の事件ではジークリンデはオレのために騎士たちを動かしたわけだしな……、
……まったく、主従で思考回路が似てしまうなんてこともあるんだな。
少しうれしい気もするが、臣下としては気を付けないとな。
そうして、その日の夕方、オレのもとに神明法廷からの召喚状が届いた。
予想と違ったのは、訴状の内容だ。
告発の内容は異端と背信。魔導士を雇い入れ、主君を惑した罪とそこには記されていた。
どうやらフレキセンの連中は死にたくてたまらないらしい。そっちがその気ならこっちももう容赦はしない……!




