第79話 蛇の毒には血清を
一度、速度に乗ってしまえばヘズメル邸までは一直線だった。
懸念していた二度目の襲撃はなし。こちらにとって想定外の事態であったように、きゃつらの側にとっても今回は急の変事だ。二の矢を用意するほどの余裕はなかったのだろう。
ヘズメル邸に到着すると、完全武装のトモエに迎えられた。
時間にして予定の時間から30分ほどしか遅れてはいないのだが、素晴らしい直感と判断の速さだ。
兵は神速を貴ぶ、の格言通り、何事も早いに越したことはないしな。
一方、オレに最速で連行されたローレルは不機嫌さ丸出しだった。
口もきかないし、目も合わせない。それでも何かを命じられるより先に仕事にとりかかっているのだから根は真面目だ。
「驚いた。あのろーれるが魔導士だったとは」
情報共有を済ませると、トモエがうなった。
オレ同様、トモエが気付いていなかったことに少し安堵する。直感にすぐれるトモエがそう言うなら、オレの鑑識眼が曇っていたわけではないようだ。
またもやヘズメル邸の応接室でのことだ。
ブリュンヒルデを不用意に動かせないとはいえ、ヘズメル邸の家人には迷惑をかけっぱなしだ。あとでジークリンデにも進言して何らかの労いをすべきだろう。
一方では、襲撃のことはジークリンデには伏せている。
ただでさえ今の彼女は親友であるブリュンヒルデの窮地に御心痛だ。これ以上負担をかけたくないし、オレの裁量で対処できる範囲の問題でもある。
「腕はよいはずだ。ブリュンヒルデの解呪もどうにかなるかもしれん」
「本当にそれでいいかは正直怪しいと思うけど」
あけすけにトモエが言った。
彼女にしては珍しく眉をひそめて、難しい顔をしていた。
いや、そもそもトモエがこういう発言をすること自体が珍しい。オレでなければ讒言の類だと受け止めてもおかしくない。
「……君がそこまで言うとはね」
「少しだけ話したが、あれは奸雄の類だ」
さすがの観察眼だと思わずうなずきそうになるが、立場的にそれはまずいので我慢した。
奸雄とは、奸智、つまり、ずるがしこさに長けた人物を指す言葉だ。
それこそブリュンヒルデのあだ名のもとになった三国志の『曹操』などがその代表例と言えるだろう。
当時から奸雄呼ばわりされていたのか、あるいは、後世でそう後付けされたのかは人によるが、ブリュンヒルデの場合は実態に即していると断言してよい。
「トモエのことを随分とほめそやしていたが、目の奥に焔がある。故郷でも見たことのある焔だ」
「……そいつは、なにをした?」
「己の主を寺に押し込めて焼き殺したそうだ。笑いながらな」
脳裏に愉快気に口元を歪めながら修道院に火を付けるブリュンヒルデの姿が浮かぶ。
あいつがそういうことをするか、しないかでいえば、する。ジークリンデを弑するか、しないかは横に置いておくとしても、必要ならば権威を平気で踏みにじるのがブリュンヒルデだ。
「トモエとしては、生かしておくのは危険だと思う。狡兎死して走狗煮らる、とは言うが、主をかみ殺しかねない狼はそれ以前の問題だ」
それにしても、トモエがここまで言い切るとは。よほど、ブリュンヒルデに警戒しているらしい。
「……オレも同じことは考えた。だが、ジークリンデ様がそれを望んでおられない。だから、この話はここまでだ」
ブリュンヒルデを救うべきか、殺すべきか。
そのことについては幾度となく考えた。この事態に陥る前から何度も、何度も思考を巡らせた。
でも、答えはいつも同じだ。
ジークリンデが友人を見捨てるような人ではない以上、オレからブリュンヒルデを殺すことはできない。
そこに、オレの私情は混じっていない。
あくまで、臣下としての論理に基づいての判断だ。
「……まあ、そう言うと思ってた」
そんなオレの思考をトレースしていたトモエ。
我ながら腹芸に向かない単純さだが、忠義もおもねりすぎては毒に転じる。
……いざという時は主君に代わって手を汚す、その覚悟を胸に秘めておけばよい。
「キリアンさん、中に来てください」
奥の寝室で治療をしていたフレインから呼ばれる。
邪魔にならないように、と応接室で待っていたのだが、何か状況に変化があったのだろう。
「ジークリンデ様。失礼いたします」
おそるおそる寝室に入る。
病人の見舞いのようなものとはいえ、女性のいる個室に男一人というのは少々意識してしまう。
豪奢ながらも品よく誂えられた個室。
その中心にあるベッドに、皆がいた。
枕元の傍の椅子にはジークリンデがおり、その反対側ではローレルがなにか薬のようなものを煎じていた。
だが、やはり、最も注目すべきはベッドに横たわるブリュンヒルデだ。
今の彼女は、オレが知るどの彼女とも違っていた。
「やあ、キリアン。寝たままで失礼するよ」
弱弱しい声と共に、白い右腕が上がる。
ただでさえ雪のような肌が死人のような趣を見せていた。
それもそのはず。
今のブリュンヒルデは死に掛けている。顔面は蒼白で、瞳には力がなく、息も絶え絶えだ。
演技ではないのは、顔を見ればわかる。
城を包囲された時でさえあった余裕が消えている。
呪いが進行しているのだ。まさしく臨終のきわだ。
やめろ、そんな姿を見せるな。おまえ、違うだろ。そんなんじゃないはずだ。
「そんな目で見ないでくれよ。これでも、聖女殿と魔導士殿のおかげでだいぶマシになったんだぜ?」
「……そうなのか」
オレの内心を見透かしてか、ブリュンヒルデが言った。
心なしか先ほどよりは顔に血の気が戻っているように見える。呪いのせいで消耗こそしているものの、解呪自体は成功した、のか……?
「痛みと呪いの進行はどうにか止めてる。でも、解呪はまだよ」
煎じた薬を懐紙に包みながら、ローレルが状況を説明してくれる。
つまり、とりあえずは対症療法で症状を抑えはしたものの、まだまだ予断を許さない状況ということか。
「蛇毒の特定はできたのか? それさえわかれば治療はできるんだろ?」
「どうにかね。でも、それが分かっただけじゃまだ駄目よ。あ、そこの人、水とって」
質問に答えつつも、てきぱきと調剤を行っていくローレル。
あの襲撃の時に彼女の道具箱が壊れなくてよかった。あの時はそこまで気が回っていなかったから、こればかりは運に助けられた。
ちなみに、そこの人扱いで使われているのはフレインだ。
相手が聖女でもローレルには関係ないらしい。それに口調も素のものになっているし、だいぶ熱中しているのは間違いない。
「かけられた呪いは、『蛇毒の呪い』の中でもかなり厄介な類のやつよ。古い蛇、そうね、『オルム』、『世界蛇』って言えば、分かるでしょう?」
「神話の話じゃないのか、それは……」
『オルム』もしくは『世界蛇』と呼ばれる蛇のことはオレも知っている。
世界を支える『九界樹』の根っこに巻き付く巨大な蛇。その毒は銀鉄鋼を溶かし、神を殺すとされていた。
しかし、『世界蛇』は神話の存在だ。
いくらこの『帝国物語』に神話の時代の『遺物』が実在しているとはいえ、そんなもの入手できるようなものなのか……?
「もちろん、『世界蛇』そのものじゃなくてその末裔のものだけど、それでも効果は折り紙付きね」
末裔……というと、辺境域に時折出現する『魔獣』の類か。
確かにオレがジークリンデから頂戴した『緋色羆』のように通常の生態系から外れ強力な野獣がこの世界には存在している。世界蛇の末裔とやらがその一種ならば強力な毒を持っているのも頷ける。
しかし、そんなものを入手できるとなると、相手は相当な組織力と時間をかけて今回の暗殺を用意したということになる。
オレの予想は、どうやら当たってほしくない方向で実現しそうだ。
「普通だったら即死しててもおかしくない。あなた、ずいぶん、運がいいのね」
「まあ、昔からそれだけが取り柄なんだ。まあ、あとはしぶとさもね」
オレの方に視線を送るブリュンヒルデ。
確かに、原作でもこの世界でもブリュンヒルデはしぶとい。こいつならこんなに死にかけの状態からでもどうにか回復するんじゃないかと、そう思わせてくれる。
「それに、ほら、両手に華だ。もったいなくてまだまだくたばれないよ」
「言ってろ。それで、ローレル、解呪はできるのか?」
「時間を掛ければね。それと、同種の蛇の一部、できれば牙が欲しい」
「……分かった。伝手を当たってみよう」
魔獣がらみの品となると、通常の商人よりも美術品がらみの方が分野としては近い。
であれば、第七皇女殿下こと、エイラ殿下に頼るのがいいだろうか。政治的に借りを作るのはできれば避けたかったが、お人柄に甘えるほかあるまい。
そのためにも、エイラ殿下と親しいジークリンデの力が必要だ。
「ジークリンデ様。少しお話が――」
「――キリアン! 何かがおかしい!」
トモエの叫びが響く。
すぐさま応接室へと戻り、事態を察した。
トモエがいるのは窓の傍。カーテンに身を隠し、伺う先にあるのはヘズメル館の正面玄関だ。
そこでは完全武装の騎士たちが列をなして、こう叫んでいた。
「キリアン・シグヴァルト卿! 近衛兵団である! 直ちに出頭されたし!」
…………どうやら、敵は思っていたよりもかなり面倒な手を使うようだ。




