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魔の鴉がやってくる。-The Raven Witch is on a journey-  作者: 安田景壹
第一話『チェルムスフォード深夜妖殺』
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第一話『チェルムスフォード深夜妖殺』 1

決して晴れる事のない霧が立ち込めた世界から

闇の住人達は越境を始めていた。

怪物を狩る戦士たちが戦い続けていたが

現世は闇に呑まれつつあった……。



 チェルムスフォード。深夜。街はずれにあるクラブのけばけばしいネオンが灯る。生温い風が強い。雷雲が遠くから迫っていた。七ツ森(ななつもり)麻來鴉(まきあ)は、風で飛びそうになった帽子を押さえると、十数メートル先にある場末のクラブを眺めた。傍目には何の変哲もない、儲かってはいなさそうなクラブ。それが今夜の仕事場だった。


急な依頼だった。今月は仕事が多い。明日にはロンドン、その次は東京へといった具合だ。麻來鴉のような人間の仕事が増えるのは世の中にとっては不幸な事だが、もはやこれは自然災害と同じだ。世界は歪み、腐り始めている。だから刃を持つ者が、腐った部分を切除しなければならない。

店に近付いた辺りで、麻來鴉は入り口の横に小さな子どもがいる事に気が付いた。地べたにしゃがみ、親から預かったのであろうスマートフォンをいじっている。


「ねえ」


 麻來鴉はかがみ込んで声をかけた。

 子どもは顔を上げた。六歳か七歳くらいの少年。見知らぬ異国の少女に話しかけられたというのに、無感動なダークブラウンの瞳で見返すだけだ。

 少年の顔をじっくりと観察し、麻來鴉は続けて尋ねた。


「親は?」

 少年は黙って麻來鴉を見つめた。幼い両目が冷たく彼女が何者かを探っていた。


「まだ、お店の中? 二人とも?」


 少年はようやく、こくりと頷いた。


「そっか。ありがと。これ買って来たんだけど、食べる?」


 麻來鴉はマントの内側からモルティーザーズの箱を取り出した。中に入った丸いチョコレート菓子をひとつ取り出し、少年に差し出す。

 暗い瞳がはじめて何かに興味を持った。小さな手がチョコレートを摘み取り、口に運ぶ。


「……食べるの久しぶり」


 柔らかい英語が少年の口から漏れた。首元で、銀色のロザリオが光っている。


「あげるよ。それ食べて待ってて」


 麻來鴉は立ち上がった。


「迎えに行ってくる。お父さんとお母さんを」


 帽子を被り直す。先端の折れ曲がった黒のとんがり帽。身に纏った黒マントが風に吹かれ、街灯に照らされた麻來鴉の影が路面に揺れる。


「お姉ちゃん、魔女なの?」


 マントを翻し、麻來鴉はにっと笑う。


「ほかに何に見える?」




「いらっしゃいませ。ご注文は?」

「オレンジジュース」


 麻來鴉の注文に、金髪の若い店員は古いコメディアンみたいに口の端を上げて見せた。


「お嬢さん、未成年?」

「見ての通りだよ。魔女に年齢は聞かないほうがいい。本当の答えなんて返ってこないから」

「ふっ。面白いね、キミ」


 店の中には音楽が流れ、他の客が騒ぐ声が反響している。薄暗い店内はここからでは全体を見渡す事が出来ない。顔のはっきり見えない人影が席を立ったり座ったり、大笑いしているような仕草が見える。

 金髪の男は自然と麻來鴉の横に座った。


「働かないの?」

「ちょっと休憩さ。オレンジジュースならメアリーが持って来るよ。オレはジョン。ジョン・スターン」


 金髪男は、そう言って軽やかな微笑みを見せた。わざとらしさのない仕草だった。


「わたしは麻來鴉。七ツ森麻來鴉」

「マキア……。不思議な名前だね。日本人?」

「どうもそうらしいわ。小さい頃の記憶がなくてね。気付いたら世界中を飛び回っていた」

「何それ。箒に乗って魔女のお仕事って事?」

「そんなところね」


 ふうん、とジョンはにやけ顔のまま頷く。懐から煙草のソフトケースを取り出し、一本取り出して銜える。

 そこへ、オレンジジュースの入ったグラスが二人の間に強めに置かれた。ソバカスの目立つウェイトレスがジョンをじろりと睨む。


「はい、オレンジジュースね。ナンパもいいけど仕事したら? マシューがお待ちかねよ」

「少し喋るだけさ。いいから、カウンターに戻ってろよ」


 ふん、と鼻を鳴らしてウェイトレスは踵を返した。


「メアリーめ。お客さんにはもう少し愛想よくしろよな。ああ、ごめん。それで、君の仕事って?」

「化け物退治」


ジョンはきっかり十秒経ってから噴き出した。


「プ。アッハ、ハハハハ!」


 ひとしきり笑ったあと、ジョンは涙を指で拭った。


「いやぁ面白い。魔女みたいな恰好しているからどんな子かと思ったけど、スゴイね! 『スーパーナチュラル』みたいだ!」

「ジョン! そろそろ仕事をして!」


 甲高い声が店の奥から聞こえた。


「いやいや。いいだろ、もう少しくらい。魔女の化け物退治ってのがどんなものか、聞いてみたいんだ」

「聞いて面白いものでもないよ。化け物がいる場所に行って、やっつけるだけ」

「魔法の杖で?」

「ええ。魔法の杖で」

「ジョン!」


かつかつと踵を鳴らして、メアリーがやって来た。


「いい加減にしてよ。状況わかってるの?」

「何だよ。別に大した事ないだろ。こうしてお客さんがやって来てくれたんだから、大事にしないとさ」


 店内の音楽が他の客の声と混ざり、聞き取りづらくなる。はっきりと聞こえるのは自分の声と、目の前の二人の声だけ。


「人を探しているんだけど」


 言って、麻來鴉は懐からスマートフォンを取り出し、画面に表示された写真を見せた。

 写っているのは二人の男女だ。男のほうは気軽なシャツに着古したチョッキ、女性のほうは、柔らかな印象のワンピース。お揃いの十字架を首から下げた、どこか張り詰めた表情の二人。その佇まいは仕事仲間のようにも、夫婦のようにも見える。


「これは?」


ジョンが訊いた。


「彼らはエンフィールド夫妻。この業界では有名な二人組のエクソシストだった」


 店のざわめきが遠のいた。気にせず、麻來鴉は続ける。


「一週間前。彼らはある化け物を退治しに行って、そのまま帰って来なかった。彼らには一人息子がいたけれど、その子も四日後に行方不明になった。親に似て霊感の強い子だったから、二人を探しに行ったんだと思う」


 オレンジジュースの中の氷がゆるやかに溶けて、グラスの中で音を立てる。店内のざわめきがまた寄せてくる。不可解な音の塊となって。


「エンフィールド夫妻が最後に訪れたのは、この店だった」


 バリン! と、オレンジジュースのグラスが砕け散る。メアリーの手がグラスを握り潰していた。怨嗟の煮え立った声が、その口から漏れる。


退(たい) () ()かぁぁぁぁ……」

「人を探しているの。メアリー」


構わず、麻來鴉は言った。


「二人は、今もこの中にいる?」


 麻來鴉の問いと、店内に満ちた殺気が交錯した。


「ジョォォォォォォン!!」


 メアリーが咆哮した。体がぐにゃりと曲がっていた。到底人間の物とは思えない牙を剥き出しにしたその顔は、もはや悪鬼そのものだった。


「こいつはああああ、殺さなくっちゃあああああああ!」

「ああ、そうだな。メアリー」


 新たに取り出した煙草に火を着け、ジョンが頷く。


「体はやるよ。終わったら頭はオレに寄越せ」

「めいいいいいれいいいいいををををををををを」


 メアリーの首が、エプロンドレスの首穴から大蛇のように伸びていた。両腕は肉食獣のように床につき、両足は腰が回転して、まるでバッタのように体を支える。腰あたりの皮膚を突き破り、真っ黒な骨が向き出した尾が飛び出す。その先端についているのは、握りのついた大きな針だ。


「すううううるううううなアアッ!」


 ぐん、とメアリーの伸びた首が麻來鴉に肉薄する。耳元まで裂けた口が開かれ、唾液でぬめった気味の悪い並びの歯が眼前に迫る。

 対して、麻來鴉が取り出したのは、平たい石だった。何の変哲もない石――いや、石の表面には、奇妙な文字が一字彫られている。


「〝(ソーン)〟」


 魔力を込めて呪文を唱え、麻來鴉はパチンと指を鳴らす。


「拘束」


 石に刻まれた(ソーン)のルーンが発動する。刻印が輝きを放ったかと思った次の瞬間、石から幾本もの茨の蔓が放たれ、瞬く間に怪物と化したメアリーへ絡み付く。メアリーが獣の唸りを上げた。


「締め上げろ」


 茨がきつく、きつくメアリーの長い首を締め上げ、どうっと音を立てて怪物と化した体が床に倒れ込んだ。

 店内は異様な静寂に包まれていた。音楽もざわめきもない。どうやらほかの客は幻だったようだ。忌まわしい気配が店内に充満していくのがわかる。


「魔法の杖は? お嬢さん」


 まだ人間の姿のままのジョンが、変わらぬ口調で尋ねた。


「あんたらなら石だけで十分かもね。マシューとやらを出しなよ。あんたらの元締めをさ」

「うちのおっさんに会いたいのかい? その前にオレと遊んでくれよ。ま、もっとも――」


 銜え煙草で、ジョンがにっと笑う。


「メアリーを倒せたらだけどね」

「っ!」


 気付くのが一瞬遅れた。茨に絡み付かれたまま、メアリーが長い首を振り回す。店内に満ち満ちた邪気が魔力のセンサーを鈍らせていた。判断は一瞬だ。拘束できないのであれば――


「〝野牛(ウル)〟!」


 素早くポケットから取り出した刻印石に魔力を通し、指を鳴らしてルーンを発動させる。野牛(ウル)は力のルーンだ。ルーンが発動している間、膂力(りょりょく)と運動能力が飛躍的に向上する。


「ふっ――」


 麻來鴉は跳んだ。メアリーの不意打ちを躱すために跳び、攻撃のために跳んだ。跳躍の勢いそのままに、こちらの腹目がけて迫って来ていたメアリーの頭部を踏みつけ、背後へと回る。バッタのように曲がった二本の足を掴み、増強した膂力で引き上げる。


「オオオオォォラアアッ!」


 ジャイアントスイングの要領で振り回したメアリーの体を店内の壁へと放り投げた。

 衝突音は、しかし、ない。太鼓のように弾む壁にぶつかったメアリーの体は、跳ね返って着地する。筋肉を膨らませると、黒い靄のような波動が発生し、魔術で作り出した茨を切り裂いた。

 呪力だ。怪物どもの持つエネルギー。侵食し、傷つけるための力。単純な力の放出だが、店内の邪気が強すぎる。毒液が満ちていくグラスの中で戦うようなものだ。


「大人しく縛られていてくれないの?」


 答える代わりに、長い鎌首をもたげ、奇怪な虫の声でメアリーは吼えた。腹からさらに虫のような足が左右合わせて四本飛び出す。前脚代わりに体を支えていた両腕は持ち上がり、耳障りな音を立てて二本の鎌へと変化する。

 麻來鴉は腰に差した鞘からナイフを引き抜いた。ルーン刻みのナイフ。武器というよりは日用品だが、狩りには使える。


 ナイフを逆手に構え、麻來鴉は駆けた。弾丸のような速度で、メアリーの尾針が顔を目がけて突っ込んでくる。野牛(ウル)の効力は持ってあと三十秒ほど。一時的に向上した運動能力で、麻來鴉は尾の一撃を躱しながら身を横に、独楽のように回転し、ナイフでメアリーの長い首筋を狙った。

 ガキン! と刃物の擦れる音が響く。メアリーの鎌がナイフの一撃を弾いたのだ。


着地したのはメアリーのすぐそばだ。すかさず返しの尻尾が唸りを上げて迫ってくる。後ろからはメアリーの鎌だ。ナイフを順手に持ち換え、床に突き立てると素早く手を動かす。


「〝動け(ラド)〟」


 ルーンを刻むと同時に左手の指を鳴らす。次の瞬間、ルーンを刻まれた床が鼓動し、麻來鴉を勢いよく真上へ弾き飛ばした。

 狙いを外したメアリーの尾が、自身の鎌と体を打った。呻き声に怒りと困惑が混じる。天井をナイフで切り裂いて速度を殺しつつ、麻來鴉は弧を描いてメアリーの死角へ着地する。


「薄汚い魔女がああああああああああああああ!!」


 針の先端がすぐそこまで迫ってくる。マントを翻し、身を捻りながら針の一撃を弾き、ルーン刻みのナイフでその胴体を切り裂く。

どす黒い血が噴出した。悲鳴を上げた怪物の虫が口を開け、今度こそ麻來鴉を喰らい殺そうと肉薄する。

 それが隙だった。一呼吸の間、メアリーの長く伸びた柔らかい喉元を目がけて、ナイフを一閃する。


 時が、止まった。

 次の瞬間には真っ黒な血が噴出し、メアリーの巨体はどうっと倒れた。

 同時に、野牛(ウル)のルーンの効力が切れた。


「……っ。役立たずが」


 ジョンは忌々しげに呟くと、銜えていた煙草を放り捨てた。

 麻來鴉は倒れたメアリーの体から生えた尻尾を見た。その先端についた針は人間が握るための柄があり、刺せば軽々と皮膚を貫通しそうな太い針が伸びている。


「〈針刺し〉用の針ね」

「ほう? 知っているのかい。さすがは魔女だな」


 ジョンはどこか嬉しそうに言った。麻來鴉は顔色ひとつ変えない。

 〈針刺し〉はかつて魔女狩りで使われた、魔女を生み出すための方法である。魔女の体のどこかにあるというマークを刺し、血も痛みもなければその証は本物、というのが当時の理屈だ。針には仕掛けがあり、体に押し付ければ針が引っ込み、痛みも血もない代わりにマークをその体に残す。結果として、何の罪もない人間が魔女に仕立て上げられる。


 忌まわしき暗黒時代の道具――……


「噂には聞いていたよ。とっくの昔に死んだはずの魔女狩り三人組が、化け物になってうろついているってね」


 軽く足を開き、麻來鴉は体勢を整える。


「因果は巡るって事だ。今度はあんたが狩られる番だよ、ジョン・スターン。古い魔女狩りが一人よ」

「はっ。あまり調子に乗るなよ、お嬢さん」


 金髪をかき上げ、男はにやりと笑う。ジョンが捨てた煙草の先から立ち上る紫煙が、徐々に毒々しい色合いを帯びていく。


「可愛い魔女かと思ったらこれだ。しょせん退魔屋って連中はどいつも同じ。人間の分際でオレらを狩れると思っていやがる」

「ずいぶん腕に自信があるようね。化け物の分際で」

「そりゃもちろん。出来が違うからな、人間風情とは」


 どろりと、周囲の壁や床が異様な色彩となって蠢く。

 ジョンの両脇の空間が歪む。波紋のように広がる空間の歪みから何者かの影が見える。

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