悪役令嬢じゃありません
本日2話目です。
「お忙しいところ失礼します」
扉をノックした後に入室を促された私たちは、彼に続いてその部屋に入った。
初めて会う彼の上司だという人物は、見た目こそ有能な上司だということが分かるがその顔には疲労の色が浮かんでいる。
「あぁ、遠征お疲れ様。…色々と申し訳なかったね」
「はい、本当に」
ちょっと、上司に向かってその口の利き方はまずいんじゃないの。
そう思ったけれど上司の方が言ったその“色々”に含みを感じた私は二人のやり取りを見届ける。
「はぁ…参ったよ。帰ってくるなりヒステリーを起こすし、さっきやっと落ち着いたところなんだ」
「そうですか。でももう僕は良いですよね。というか、もう無理ですけれど」
「あぁ、そうか…彼女が。上層部からも許可が下りたから大丈夫だ」
二人の話を聞いていてもわからないことが多いが、上司と言う人が私を見て申し訳なさそうにしたことに何か理由があるのだとわかった。
「彼女が僕の婚約者です」
「初めまして。カロリーヌ・モンタニエと申します。普段は魔術薬師として勤務しております」
「モンタニエ家のお嬢さんだったんだね。日ごろから真面目にコツコツと頑張っているという話はこちらの棟にも届いているよ。当初、クロヴィスに婚約者がいるとは知らなかったというのは言い訳にしかならないが、色々と迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思う」
詳しいことはクロヴィスに後から聞くことにして、上司やその上の人たちを巻き込んだ騒動だったらしい。上司の方の謝罪を受け入れ、その部屋を出たときだった。
「クロヴィス!ここにいたのね!!」
例の甲高い声が廊下に響く。
先に帰ったとはいえ、服も化粧もばっちり綺麗にしてあるところがさすがというか何というか。
小さくため息が出そうになる前に、彼からチッという盛大な舌打ちが聞こえた。
「…あら、あなたは野蛮な魔術薬師さん?」
野蛮を枕詞にするなと思いながらも、ニコリと微笑んでお辞儀をする。
「ミラベル様、ご紹介が遅れましたが彼女が僕の婚約者です」
「……はっ!!?」
美しいご尊顔を歪ませているその顔は、髪の毛が蛇で出来ている神話の女性のようだ。美人なのにもったいない。
「クロヴィスはわたくしのものよ!野蛮なあなたが婚約者なんておかしいわ!」
野蛮、野蛮とさっきから失礼だ。
ふとクロヴィスを見ると、さきほどの上司の方との話で吹っ切れたのか、めんどくさそうな表情を隠しもしていない。
「あーえっと、オレべつにあなた様のものでも何でもないです。あと、キャロのこと野蛮とか言うのやめていただけますか」
一応、王女様という事もあり最低限の敬語は使いつつも、魔術薬師のみんなに見せたキラキラオーラはどこへやら。小さい頃によく見せていた悪戯っこの顔だ。
「どういうこと!?」
いちいち声が響くので疲れが取りきれていない身体にはつらい。そんなに元気なら野営でもっと活躍できただろうに。
クロヴィス、うるせーなとか小声で言わない。
「あー、ミラベル様。その件に関してはわたくしからお話しますので一度こちらに…」
先ほどの上司が部屋から出てきて、彼女を回収してくれることになった。さらに疲労の色が濃くなったことに申し訳なさを感じつつも、ここは二人で押し付けて逃げることにする。
「ちょ、ちょっと!わたくしはまだ話がっ…!」
ミラベル様の後ろに控えていた護衛らしき人が、ぎゅうぎゅうと背中を押してミラベル様を部屋に押し込んだ。護衛の服を見る限りわが国の人ということが分かるが、不敬じゃないか大丈夫かと思いつつクロヴィスがさっさと行ってしまうので、私も慌てて追いかけた。
あの王女様のせいで、とてつもない疲労に見舞われた私たち。
遠征終わりということもあり二日間のお休みをもらったのでクロヴィスはまた明日詳しく話すと言って、その日はお互いの家に帰った。
……目のあたりがくすぐったい。
あぁ、これ。懐かしい感じ、でもちょっとイライラするやつ。
「……!!」
パッと目を覚ますと、クツクツと笑いながらこちらを見るクロヴィスの姿が目に入った。
「ちょ、ちょっと……!」
「あはは!懐かしいだろ、これ。オマエまつ毛長いからよくやってたなー、オレ」
人差し指を動かして、楽しそうにしている。
そうだ。私が小さい頃うっかり外で寝てしまったときなど、彼は寝ている私の睫毛を指で触って悪戯をしたのだ。
スヤスヤと気持ちよく寝ているところに、さわさわとした変な感覚が気持ち悪くて目覚めが最悪になるやつ。
久しぶりに蘇った感覚にイライラがこみ上げるが、しゃがんでベッドにもたれかかり、こちらを見上げて楽しそうに笑っている。
扉が開いているとはいえ淑女の部屋に朝っぱらから入り込むのはいかがなものか。小さな怒りと羞恥心で顔に熱がこもるが、昔と変わらないそんな彼の顔を見たら何だか泣けてきた。
「……お、おい、何も泣くことないだろ!?」
疲れてるのかしら。
あれだけコントロールできていた感情の糸が切れてしまったのか、涙がぽろぽろとこぼれる。
「キャロ、泣くなよ。ごめんて!もうしないから…」
幼い頃、私にいじわるをして私が泣いてしまったときに彼が慌てている姿を思い出す。捨てられた子犬のような顔で、なんだかそれがとっても可愛くていつもゆるしちゃったのよね。
「……ふふっ」
そんなことを考えていたら泣きながらも自然と笑いが出てしまった。
「な、なんだよ!なんで笑って…」
「だって、小さい頃のこと思い出しちゃったの」
涙を流しながら笑う私を見て、まだ困惑気味の彼。大人になっても可愛いと思うなんて変かもしれないけど。
「最後にはわたくしが泣いて、いつもあなたを困らせてたわ」
「……そうだな、キャロは本当は泣き虫だったもんな」
「…大嫌いなんて言ってごめんなさい」
いくら傷つけられたからと言って、思ってもいないことを言ってしまった自分をずっと後悔していた。
また涙がこぼれそうになり、俯いて必死に堪える。
するとクロヴィスが両手を伸ばして、私の頬にそっと触れた。
「違う。オレが悪いんだ。あの時、オレがお前を傷つけたからだよ。驚いてしまったとはいえ、女の子の手を振り払って拒絶するなんて最低だった」
また懺悔をするように苦しげな表情をして、コツンと私のおでこに彼のおでこがくっついた。
「い、いいえ…もういいのよ…」
「よくない。あの時はごめん」
赦しを請うかのように小さな声で彼は言う。
けれど、私は今それどころではない。
顔が近い、近すぎるのだ。
ましてやここは私の部屋で、私はベッドの上で、さらに言えば寝起き姿のままだ。
息づかいまで聞こえてくるので、私の心臓はおかしな音を立てている。
「あのね、もう大丈夫だから、ちょっと…」
早く離れて欲しいという意味で、軽く両手で彼の胸を押す。
それに気づいた彼がやっと顔を離してくれた……と思ったのも束の間、ニヤリと何かを企む笑みを浮かべたかと思ったその時だった。
「…………!!」
「あの時の仕返しだ」
あまり長居するのはさすがに婚約者でも問題だからと、部屋を出て行った彼の背中を呆然と見つめる私の頬に落とされた甘い熱はそこからじわじわと全身に広がり、私はしばらくベッドの上で悶えることになった。
まつ毛をわさわさされるのは、私が小さい頃にお姉ちゃんにされてました。




