その、聲としての機能
天城さんは、自殺を考えている。
それは僕が知る限りの事実であり、彼女との契約に基づいた楔だ。
天城さんが生きる理由を作る為に、僕は晴天という名称に縋りついている。
その路が偶然であるとはいえ、彼女が生きる理由になる作品を作る為に僕は存在している。
そして、目の前の後輩が作品を愛してくれたからこそ、僕は挫折せずに此処まで来れた。
僕の覚悟は、とうの昔から続いている。
カーテンコールを、拍手喝采の準備を終えた。
万雷のようなその手よ。_晴天の最強の作品を、目に焼き付けるがいい。
これが、君が望む僕の作品だ。
僕は、天城霧を救わなければならないのだから。
文化祭前日。
後輩との談笑を終え、理科準備室の扉を閉める。アクアリウムの淡水魚たちが、優雅に泳ぎ回る姿を横目にカギを廻した。
様々な創作物に溢れた廊下を鼻歌交じりに通り過ぎ、野暮用があると分かれた後輩を見送りながら、僕は脚を進める。
時折、知人との会話に勤しみながら。
僕は校舎を出て目的地へと脚を進めた。
待合先は、とある喫茶店。
隠れ家的雰囲気を醸し出すその場所は、僕のお気に入りの喫茶店の一つであり。執筆作業を仕事としている僕にとっても思い入れの深い場所である。
僕は幼い頃、この場所で彼女にコーヒーをお互ってもらい。
自分の物書きとしての才能を肯定され、その趣味を経た。
「やあ、井辻君。仕事の調子はどうかな?」
僕の趣味がどのように関わっているのか。それを知らぬか存ぜぬか。彼女はあっけらかんと仕事の話を持ち掛ける。
待合席は、何時も通り窓際でありl。彼女はブレンドコーヒーを嗜みながら雑誌を広げていた。どうやら衣服の情報が書かれた其れは、演劇の衣装として採用するために奔走している証のようだ。
「私は落ち着いたものがいいと言ったのだがね。さすがにジャージは止められた」
それは衣装というよりも、部屋着とかした現場だろうと僕は思う。
「ジャージのどこが落ち着いているんだい、天城さんや」
「私としては形崩れない制服が一番身の程を知っていると思っているのだがね。__ほかに候補があるかと問われれば、其れはもうジャージに他ならないだろう?」
謎理論の飛躍的推論を呈しながら、彼女は目の前のコーヒーに口を付けた。
殆ど舞台準備も整い、役者たちの練度も申し分ない。しかし、糖の衣装については本人の自由意思の尊重というあいまいなモノとなった。元々何かしらの大会に出る訳でもなく、単なる文化祭の熱気の燃料としての今回の舞台は、気合十分の部員とは違い時間も労力も足りない状況だった。
主軸としては機能しないまでも、其れなりに人材としては優秀だった三年生が受験や終活に勤しむ為。それまでの衣装担当などが欠如しているのが大きい。
「まあ、学生諸君の話だし?ジャージはともかく、制服で統一するのはいい案だろうけど」
それに、私服センスも好評らしい彼女が悩むような問題ではない。
制服を着こなした彼女は、どのような人間でも釣り合いが取れる制服が汎用性としてお勧めできると言いたげだが、この場合。原作者としての意見を織り交ぜるとするなら。制服ではなく、私服がいい。
協調性ではなく、個性的な彼ら彼女らの話なのだ。
これは、学生の話ではなく人の話なのだから。
__そうであるべきだ。
「これは、学生の話ではなく。人の話でなければならないんだ」
何故なら。
天城霧が、人間だからである。
「天城さん。学校は生活の一部に過ぎないよ。生きる為の手段に他ならない。目的とは違う」
規則性の中にオリジナリティーが追求出来る所も、制服の利点だと彼女は言う。
考えるまでも無く、自身の演じる人物を理解している彼女だ。その人間がどのような思考を持ち、どのような個性を得ていることは僕以上に理解している筈だ。
「参考までに、君の目的は?」
ページをめくりながら、天城さんが問う。
「__それは」
目の前の、好きな人間を救う事。
そんな話を溢すわけにもいかない。
とは言え答えが無い訳でもない。嘘というのは半分の真実を織り交ぜる事で真実性が増すらしいが、それを含めず濁した言葉でも十分に通用する。
例え彼女であろうと、僕の心情を晒さずに答える事は出来る。
「俺の目的は、今を続ける事だ」
「__そうか」
今を続ける事。
それは、目の前の天城さんが生きている理由の最たるもの。
「私も似たようなものだ。たとえ私が誰であろうと、この記憶がある限り。例え感情が無くなろうが、楽しかった日々は蓄積されていたのだから__」
それを、僕は知っている。
「こういうのも何だが、私も今を続けたいだけさ。
霧のように霧散していくこの現状を、少しでも長く」
なにが、とは言わなかった。
僕も、それを問う事は無い。
「君は覚えているか?私の話を」
「覚えているよ、あの約束も」
彼女はコーヒーカップを片手に言う。
僕は、机に片腕を載せて宣言する。
「なら、勝負としよう。君が勝てば、天城霧は自殺をしない」
「なら、勝負といこう。貴方が勝てば、天城霧は好きに死ねる」
必ず”生かす”という誓いを立てる。
「だから、僕は君を殺さない。君自身に殺させはしない」
注文を取りに来た店員に、僕はメニューを流し読みしながら答えた。
「__コーヒーを、一杯」
その言葉に、彼女は笑う。
「君、コーヒーは飲めないだろう?」
彼女の言う通り、僕は珈琲が苦手だ。
苦手を通り越して嫌いである。カフェオレやココアは十分好きだけど、苦く渋みがキツイその泥水を飲むには僕は子供のようだ。
「ミルクと砂糖を入れれば、大抵は何とかなるのさ」
「コーヒーは、苦味を味わう飲み物だろ_?」
僕とは違い、御唱えある彼女は口を付ける。
「僕はミルクと砂糖を入れたコーヒーが好きなんだ」
苦虫を食いつぶしたような泥水よりも、マシな飲み物を飲みたい気分だと僕は言う。
付け加えられたミルクと砂糖を無視し、僕は一口それを啜った。苦味が押し押せ、味覚が破綻していく。それでもその手を止める事は無く、その泥水を飲み込んだ。
これが彼女の好きな味だと、僕は改めて認識する。
苦くて飲めたものではないと、自嘲気味に笑みを溢した。
「__成程。それは新説だ」
「学会に発表するほどじゃないだろ?」
「いやいや、コーヒーブラック理論はその界隈では多少論争が過激でね。各いう私もその一人だ」
「何処の界隈だよ。どんな暇人の集まり?」
からのコーヒーカップを置きながら、彼女は僕の目を見る。
「そんな君も、こうして暇だろ?」
確かにそうだ。
暇であるからこそ、こうして彼女と苦虫を食い潰している。
「この後、何処かに行くかい?」
「何処がいいんだ?天城さん」
「水族館」
「君は何時もそればかりだな」
あきれ顔を晒しながら、僕はコーヒーカップに砂糖を入れた。
三つでは足りなかったので、もう一つを入れれば丁度良い。甘すぎる程が僕には好みだ。それ位で無ければ、吞めたものではない。
他人がどうであるかは知らないが。__などとは言うまい。
「いいじゃないか。アクアリウムほどに静かでいい場所は無い」
__君が死にたいだけだなんて、僕は口にも出さないだろう。




