話の矛盾と、探偵の肯定
幸福というのは簡単であり。
絶望というのは複雑だ。
一連の推論を聞き終えた探偵はソファーから顔を覗かせる。
どうやら先ほどの疲労は取れているのか、少しばかりまともな顔立ちに戻っていた。褐色の良い探偵はだらだらといつも通りの怠惰さを見せつけ、此方を手伝おうともしない。
そんないつも通りの探偵に、俺は少し安心した。
何も失ってはいなかった。いや、離れていたのは俺の意思だが、こうして此処に入り浸れることを止めたのは俺の意思だが。
それでも、もう一度こうしているのは確かな幸せだろう。
「ああ、現実味を帯びない”君らしくない”推論だ」
会話は確かにそんな気分の其れではないが。
彼女が自殺体とするのなら、彼女には自殺願望がある。自殺する意思がある。
それを何が抑えているのかは知らない。彼女は遥かに俺よりも強い。
「漣方面の噂の正体もこれだ。漣方面では自殺者が見られない。ならなぜ、感情の欠損が噂になったのか。それは、この街の欠損の話が噂話として定着したからだ。あの町には、余程の町人がなだれ込んだと聞いているからな。
噂として広がり、噂だから語り継がれたんだ」
「ん、そうだね。君の推論は当たっているよ。少なくとも、私が教えられたことと大体は一致している」
大体は、……か。
「私は、”自殺体”が感情を失しなう事しか聞いていないんだ」
__?
つまり、火事との関連性を知らなかった?
彼女も又、推論で手繰り寄せたと?
「何故?」
「理由は簡単だ、私の親は私達に関わらせたくなかった。だけども、私は知ってしまったからね。理解してしまった。だから、親の活動を手伝わなければならなかった」
成程、彼女と同じ手段を親がしていたという事か。
彼女の家系は代々探偵という職業を以て感情に対するトラブルを解決してきた。それは警察沙汰になる前に、依頼という形で解決していったんだろう。
その方法は分からない。
天城霧が抑制されているのも、探偵である彼女自身が抑制されている事も説明がつく。彼らは抑制する方法を知っており、それを行った。
少なくとも、探偵である。
彼女が、人を殺す事は無いはずだ。
「……それは、決められたことなのか?」
「すべて私の意思だよ。私が君の様に調べ、君のように理解し。この街を守りたいだけだ__これは全部、私が思った事なんだ」
その言葉に嘘は見られない。
「出来たぞ。探偵、俺特製カレーだ。調味料に塩と砂糖しかないのは料理人をなめている証拠だよな?」
「仕方がないだろ?私の妹が用意してくれなかったんだ」
「アンタの妹は料理をするんだろう?」
「家ではね、事務所はあまり覗かないさ。あの子は。私の好きな食糧だけを買ってくれるんだ」
奇麗に整頓されていた冷蔵庫だが、野菜類や肉類の収納は悪かった。
タッパで保存されていた調理物はともかくとして、その几帳面さの無さを垣間見れる収納は彼女の妹君ではなく彼女のせいだという事だろう。
保存された何品かをさらに盛り付けて、電子レンジで温めながらカレーをよそった。
適当に具材を放り投げたと記してはいるが、その調理過程に抜かりはない。記述が面倒なモノでそういった記述を行ったまでだ。自分の記憶まで几帳面になる必要はない。
「……冷蔵庫にプリントヨーグルトが大量に収められてたのは其れか。ってか、この野菜は?」
「前に井辻君を呼んだ時にパーティーをね。私が料理をふるまったモノだ」
「__井辻が、か?」
あいつは、料理が苦手でしょうがないはずだ。
そして、料理自体があまり好きではない。
だから、この場合。目の前の探偵が制作したと思われる。
「先輩として、いいところを見せたいだろう?せっかくの後輩二号だ」
成程、探偵直々に見栄を張った訳か。
どのような料理なのかは想像に難くない。同じものを作ったのだろう。余りモノでカレーを制作した俺同様に、この探偵もカレーを調理したわけだ。
「君みたいに上手く行かなかったが」
「花嫁修業の心算か?」
「それでも良かったな」
「何が?」
ある程度の用意を終え、机に並べる。
時刻は七時を過ぎている。生憎明日は土曜日だ。このまま遅く過ごしても、此処に泊まっても構わない。俺は、どちらでもいい。
「感情が失うから、君は自殺者になると考えているのか?」
「其処までは決めつけようが無いが、感情を失う事が自殺者を判別する方法の一つであるとは考えている」
「ああ、違う違う。私が言いたいのは。元来、自殺するから自殺体なのか。それとも、感情を失うから自殺体なのか。そのどちらも含めてなのかを、私はそう聞きたいのだ」
自殺体は、自殺する衝動を以て自殺をする。
それに感情の欠陥がどう関与するかは分からないが、因果関係はあるのだろう。自殺願望があるから自殺するのではない。感情の欠陥があり、自殺願望があり。その上でこの街の異常は発現する。
つまりどちらも無くては駄目だ。これが人為的でなくても、この街の特性だとしても。その両方がそろっていなければならない。
……なぜ、自殺を望む?
人が自殺を望むには、記憶よりも感情が必要なのに。
何故、欠けた感情が自殺誘う?
「君は、自殺体と人間が同じだと思うか?」
「感情が欠如しているだけだろ?」
「違うね。少なくとも私は別人だ。感情を失った人間が、元の人間たり得ると思うか?」
彼女はスプーンを取り、何時も通り話を続ける。
口に運ぶことも無く、唯々カレーを弄るばかりだ。
「私は、二年前から別人なんだよ。感情が欠如しているのだから。君が知っている、”探偵”ではない。……君の先輩でもない」
そんな筈はない。
目の前の探偵は、ドッペルゲンガーではない。
少なくとも、この街の異常はドッペルゲンガーではない。
「__私が、君を守るよ。君の人生が続けるように」
探偵は、そのように吐いて笑っていた。
その後は、何気ない会話が続いていた。下らない話だけが続いて、この記憶に刻まれる事は無いぐらいそんなくだらない話をだらだらと。
それがとても幸せだった。
不気味なほどに、それだけが幸せだった。
これ以上ない幸福が続いていたんだ。
それが、俺の楔になる事は知らなかった。
探偵、太宰奈々(なな)は死んだ。
彼女は自殺を行った。それは焼死以外の方法だった。
__その自殺により、”人が死ぬ事”は無かった。
火事は起きなかった。
俺の楔は、抜け落ちる事は無い。




