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街に動の気配はない。人の手が長らく加えられず、老朽化を通り越して風化すら始まっており、植物が根を張りツタを絡ませ覆い尽くしている。ヘルメット越しからでも蒸せ返るような青臭さが鼻を攻撃するが、同時に人工太陽の日差しを受けて一斉に行われる、光合成による気化熱の発散が気休め程度には涼しさをもたらしてくれているかもしれないし、点在する葉枝のひさしがありがたい。
結論としては冷房の利いたトラックの快適さに勝るものでは到底なかった。
だがこの最短経路は路面の損傷が著しく、荷物満載のの四輪車で走ろうものならすぐにコンクリートを踏み抜いて地下へ落下する。作業用の重機の運搬が多いので、非力な浮遊車両は使えない。比較的路面状況のいい経路を使って、大型トラックであらかじめ作業予定地点に機材とバイクを運搬し、作業完了まで接地面積の少ないバイクで路面の劣化が激しい最短経路を痛めずに通う、というのが一番行程に無駄がないのだ。トラックにも休憩設備はあるが、この最短経路なら三十分程度で通える。仕事上がりにシャワーを浴びる権利ぐらいはあるだろう。
そのような炎天下での走行だったため、唐突に日光を遮って訪れた日陰にリスキィは安堵の息を吐きーーすぐにその違和感に気づいた。
日陰の範囲がきわめて狭いのだ。数十メートル先はまだ日光が当たっているし、バイクの速度を上げるとすぐに日向にでるが、速度を落とすと再び日陰に飲み込まれる。それに雲にしては速度が遅いのだ。そしてヘルメットを通してもよく聞こえる、金属の塊が空気を裂く音と押しつぶされそうな重圧感。
つまり何かがリスキィの後を追う形で墜落している。
「……っ!」
最悪の結果が頭をよぎったリスキィは反射的にブレーキをかける。タイヤとブレーキが心臓に悪いスキール音を盛大に立ててバイクは停止し、リスキィはヘルメットのシールドを上げて空を見上げた。
そんなリスキィの頭上を通過していくのは、見慣れた一隻の輸送鑑。
「おい」
それもそのはずで、あの輸送鑑は全世界の惑星清掃員に対して定期的に物資を輸送している、いわばリスキィ達の生命線なのだ。その輸送鑑が、後部エンジンから明らかに異常事態であることを示す灰色の煙を上げている。あれでは操縦は不可能だろう。
「おいおい」
付け加えると輸送鑑の高度と角度を概算すると、墜落すると予想される地点はリスキィの作業地に非常に近い。直撃とは言わないまでも、周辺の地盤が沈下すれば、作業値近くに停めてあるトラックもその機材も仲良く真下に落ちるだろう。
「おいおいおいおい!ちょっと待てよ!」
シャツが冷や汗で重みを増すのを感じながら、リスキィは急発進する。落下を食い止めようなどと言う蛮勇は持ち合わせていない。ただ推定落下地点近くの機材のうち、あらかじめトラックに積みっぱなしにしている分ぐらいは避難させておきたいのだ。幸い、輸送鑑は緊急着陸システムが虫の息程度には機能しており、できるだけ緩やかに落下しようとしている。バイクであれば十分に追い抜ける。
そう思考を巡らせている間にバイクは輸送鑑の陰を通り抜け、一足先に作業予定地へと到着する。かつては最短経路と同じように植物に覆われたビルの立ち並んでいたこの地は、既に平坦な荒れ野と帰している。本日の業務は片づけの続きからだったので、大型の機材は前日のうちにトラックに積んであったのが功を奏した。小型の機材や杭などの消耗品はそのままだが、替えが利くだけ諦めがつく。
目算で輸送艦の高度は約五十メートル。地面と接触するまで約十秒と言ったところだろうか。予定地点はここからかなり手前だが、その勢いそのままこの辺りは薙ぎ払われてしまうだろう。
トラックのスロープをバイクで駆け上がり、荷台に乗ると同時にブレーキを踏んだままクラッチをつなぎ、強制的にエンジンを止める。飛び降りてセンタースタンドを下げ、荷台から降りてスロープに手をかけ、
「せいっ!」
気合と共にスロープに力をかける。スロープは何かに蹴りあげられたかのように跳ね上がり、頂点の位置で荷台に当たって跳ね返るのを抑えつけ、強引にロックをかける。反対側も素早く固定すると運転席に駆け寄って飛び乗り、ヘルメットを助手席に放り投げベルトも締めずにクラッチを踏み、挿しっぱなしだった鍵を回してエンジンをかける。
バックミラーにはすでに機体が見えている。
轟音と振動。
背後で輸送鑑が墜落したのだ。
輸送鑑は地面を削り派手に粉塵を舞わせながら、なおもその勢いそのままにこちらへ向かってくる。
「根性見せろよ……!」
リスキィは耐用年数をとうの昔に過ぎている老体にそう檄を飛ばすと、アクセルを踏んでクラッチをつないだ。荷物満載の車体はゆっくりと始動する。徐々に加速していくが、輸送鑑との差は縮まるばかりだ。だが遅々としながらも、加速してゆくトラックと摩擦で徐々に速度を落としていく輸送艦の間に詰め切れない空間が生まれる。トラックの速度が輸送艦のそれを越えたのだ。
「っ!」
リスキィはある程度加速が乗ったところでハンドルを右に、あくまでゆっくりと切る。車体は緩やかに右へと曲がるが、荷台に遠心力が乗るには十分で、左に引っ張られる荷台との結合部が甲高い悲鳴を上げる。バックミラーの輸送鑑が少しずつ消えていく。だが背後の地面を削る音は消えない。冷風が直接当たっているのに、リスキィの額には大粒の汗が浮いていた。
バックミラーから輸送鑑の姿が消えたところで、リスキィはアクセルを限界まで踏み込む。蹴り出されたかのようにトラックは加速する。金属音の悲鳴がより大きく、激しくなる。仮に切れてしまっても最早仕方がないと判断したのだ。命あっての物種と思うと同時に、リスキィは強欲な判断を下したと少し後悔した。
だがその判断は結果的に正しかった。右へと梶を切ったトラックは、荷台と輸送鑑の間にわずかな余裕を残しつつ回避したのだ。運転席と両ドアのミラー全てが輸送鑑で覆われ、その巨体が少しずつ小さくなってゆく。
「…………」
命拾いしたことを察したリスキィは大きく息を吐き、ハンドルから手を離しアクセルを緩めて脱力した。エンジンブレーキにより、トラックは緊張を解くように急激に速度を落とす。
「助かった……」
細々とした物は軒並み輸送鑑の下敷きになってしまったが、父親から譲り受けたこのトラックは守り切れた。上場の成果だ。
念のため、地盤に影響のでる心配のない辺りまで退避する。窓から後方を振り返ると、親指程度の大きさになった輸送鑑は動く気配を見せない。完全に沈黙したようだった。