序章
傷口から止めどなく流れ出し作業着の染みを広げるその血は、流れ出た命の量を物語るようだった。
体が重いのはきっと、作業着が体に張り付くせいだけではない。それでも意識を保てているのは、手負いの獣に似た興奮と、輸送鑑内全体に鳴り響く耳障りな警告アラームの不快感からだった。
アナウンスが緊急着陸態勢に入ったこと、搭乗員は衝撃に備えることを無表情に告げる。果たして効果があるのかはわからないが、少女はとにかく身を隠そうとした末にたどり着いた無人の操舵室の一席、操作盤下の足を置く空間に身を潜ませていた。
この判断が生死を分けるとは思えない。だが最早目の前の操縦席によじ登ってベルトを締める体力すら惜しいし、操舵室を離れたところで助かる見込みは薄い。なによりも”奴”と遭遇する可能性がわずかでも上がるのが嫌だった。
奴も今は衝撃に備えてどこかの部屋に避難しているのだろう。無事着陸時に生存していても、血の跡を辿れば少女が操作盤下に隠れていることぐらい容易にわかる。
失血死か、はたまた墜落死か。
どちらからも逃れられたとしても、今度は銃殺。
実に分かりやすい詰みだった。
「……どこだ……」
体温調整がうまくいかない。歯の根があわない。
「どこで間違った……!」
少女は必死に自身の過去の行動からミスを見つけ出そうとするが、そんなことをしても意味がない。次に生かせないのだから。
「ハッキングはちゃんと隠蔽した、監視カメラの映像もすり替えた、これの監視網にも引っかからなかった……!」
視界がかすむ。血液が本格的に足りない。本来なら涙が出ているはずだが、どうやら今の自分の体は涙を流す余裕すらないらしい。
なにかにすがりたくて、少女は手元の戦利品を強く抱き寄せた。
「強いて挙げるなら準備段階からだな。私の警備網を甘くみすぎだ。まぁ征服戦争時の英雄の延長五体マリオネットが配属されていることは極秘事項だったからな。無理もあるまい」
抱き寄せた戦利品は感情の一切を排除した音声で少女の反省を引き継ぐ。
「うるさい……!」
「だがその英雄と一対一の状況で私を保持したまま、ここまで脱出したのは称賛に値する」
そして戦利品は、一番残酷な結論を微塵の躊躇もなく述べる。
「まぁ君はこのままだと死んでしまうから、評価しても意味がないのだけども」
「うるせぇよ!」
最後の言葉が少女の逆鱗に触れた。
少女は怒りに任せて戦利品を両手で投げつける。が、狭い空間で押し出すように投げたので、目の前の座席に当たって勢いの大半を殺されてしまう。結果飛んだのは数メートルで、少女のかすんだ視界からはずすにも至らなかった。
「うるせぇよ! さっきからピーチクパーチク! なんなんだよお前! 銃のくせになんでしゃべるんだよ……!」
パニックによる激情を目の前の銃に叩きつける。だがその勢いも五体を満足に動かせない状況では長くは続かなかった。
「……死にたくない……」
姿勢を維持する余力も使い果たし、少女は膝を抱える形で倒れ込む。威勢とは裏腹に、体力が気勢を維持できないほどに消耗しているのだ。
体が少しずつ座席の奥へとはまっていく。輸送鑑が機首を傾けたのだろう。投げつけたはずの戦利品の銃が滑り落ち、少女のスネで止まる。
「助けてやろうか?」
そんな底なし沼に沈みゆく意識に差し伸べられた、救いの手。
「……ぇ」
少女は反応こそしたものの、言葉の意味はうまく飲み込めなかった。
「生存の可能性は低い。私も初めてだからな。途中で死なれては元も子もない。仮に成功しても出血多量や英雄との対峙という問題は消えない。
だがこんな人語を話す奇怪な銃の狂言に乗ろうと思うのなら、ーー私でその身を撃て。あとは私が何とかしてやる」
言っている意味がよくわからない。自分の体を撃て? 自害しろといっているのだろうか。それが助け? 新興宗教だとしてもあまりにもお粗末すぎる。
「……助かるの?」
「さぁな。私と、お前次第だ」
だが本当に自分を救ってくれるのなら、この世界を作ったくそったれな神様なんかよりも信じるに値すると、今の少女なら本気でそう思えるのだった。
例え、その結果としてより困難な現実が待ち受けていたとしても、少女は目の前の生を握りしめる。
ーー引き金を、引いた。