ブラッドムーン
「……すさまじいブラッドムーンだな」
ヴァルクは地面の土を手に取ると、指の腹で感触を確かめてみた。
湿り気のあるその土は、まるで血に濡れているかのように赤みを帯びており、少し力を加えるとジワリと中から粘着性のある液体が零れ出す。
「これが原因で、近隣の村の者たちを悩ませておるようじゃな。川の水に侵食して作物が育たんようになるらしいぞ、ヴァルクよ」
「やはり、あのブラッドムーンが呪いの元凶か」
そう言うと、ヴァルクは空を見上げて煌々と頬を照らす満月を眺めた。
満月は異様なほどに赤く、まるで全面が血の色に染まっているかの様相である。
巷間で『ブラッドムーン』と呼ばれるその月は、その地に吸血鬼が生息すると現れると言われており、一度目にした者は永遠に呪われるとの噂がある。
「これでワシらも呪われてしもうたな。ホッホッホッ」
「馬鹿な、呪われる訳がない。我らはヴァンパイア・ハンターだぞ、マリウス爺。それに、アマリアと盟約も交わしている」
「分かっておるわい、冗談じゃよ冗談。まったく、おまえさんは若いのに頭デッカチでいかん」
マリウス爺と呼ばれたその老人は、持っていた杖の先でコンコンと苛立たしく地面を突いた。
「しかし……本当に一人で行くのか、アマリア?」
ヴァルクが運搬用の馬車に乗っていたアマリアに声を掛けると、中から麻のチュニックの上にマントル(外套)を纏った可憐な少女が顔を出す。
「私一人で行きます。その決意に変わりはありません」
「あのブラッドムーンを見よ。今までにない邪悪な呪いを感じるぞ」
「それでも、私は行かなければならないのです」
「……しかしだな!」
「これこれ、よさんかヴァルクよ。アマリアは我らの主であるぞ、口答えするのは感心せんな」
マリウスはヴァルクの肩をポンポンと叩き、心を落ち着かせるよう諫める。
「いずれにせよ、アマリアだけが招待されたのじゃ。あの空中に浮かぶ『ヴルトゥル城』にな」
マリウスが指差した先に、巨大な城が満月の隣で屹立しているのが見えた。
その城は宙に浮かんでおり、人間の侵入を拒むかのように行く道が途中で分断されている。
あそこへ辿り着くには、魔法を使って鳥になるか、近くにある断崖絶壁をよじ登って飛び乗るしか方法がなさそうである。
「……マリウス爺よ、鳥になれる魔法なんてあるのか?」
「そんなもんないわい。魔法使いは便利屋じゃないぞ、勘違いしてもらっては困る」
「二人とも、私は一人で行くと言っています。案内は迎えの者が来るまでで、手助けは一切必要ありません!」
アマリアが少し語気を荒げたため、ヴァルクとマリウスは押し黙ってしまう。
「ほれ、嬢ちゃんが怒ってしまったぞい」
「俺はただ……アマリアの身を案じて意見したまでのことで……」
ドドドッ、ドドドッ、ドドドッ!
――そんなことを話していると、向かい側の道より蹄の音を立てながら近付いて来る者が見えた。
そして手綱を引いて三人の前で馬を止めると、乗っていた青年がヴァルクに向かってこう一喝する。
「ヴァルクよ! 貴様、アマリア一人でヴルトゥル城へ行かせるつもりか!」
「……誰かと思えばアレクサンドルではないか。こんなところまでなにをしに来た?」
「知れたこと、アマリアを止めるためだ。彼女を危険な身に晒す訳にはいかんからな!」
突然現れたアレクサンドルという男は、ヴァルクの精悍な顔立ちとは対照的に、女性のような際立つ白い肌を持っており、街中を歩けば誰もが振り向くような、美男子と呼ばれるに相応しい風貌である。
「アレクサンドルよ、おまえはアマリア自身に惹かれているのではなく、彼女の体内に流れる血に魅了されているのだ。無用な心配などせず、棺桶の中で永遠に眠っていれば良かろう」
「おのれ言わせておけば……」
「お止めなさい! アレクサンドル」
アマリアの叱責により、慌てて馬から降りたアレクサンドルは、彼女の前で跪いて深く頭を下げた。
「……申し訳ありません、我が妃。貴方の身を案じて参上仕りました」
「分かっておりますが、もう少し感情を抑えてください。それに、ヴルトゥル城へ行くのは私一人だけですから、その決意に変わりはありません」
「し、しかし……」
「ヴァルクの言う通り心配は無用。どうかお帰りください」
「ヴァルクよ、貴様はそれで納得できるのか?」
ヴァルクはアレクサンドルの問い掛けに、顔を横に向けながら渋々コクリと頷いた。
「そうか……主の決意であれば仕方あるまい。私は早々に退散しよう」
アレクサンドルはそう告げると、華麗に馬へ飛び乗り、アマリアに背を向けて立ち去ろうとする。
「だがアマリアよ、なにか危険があれば私を頼るが良い。私はヴルトゥル城の主と懇意にしているからな、口利きくらいはできる」
「……お気遣い感謝します」
アレクサンドルは「ハッ!」と掛け声を上げると、馬と共にその場を後にした。
「やれやれ騒々しいことじゃ。あの男、どさくさに紛れて我が妃などと言いおったぞ。自分の嫁さんにする気満々じゃな」
「ヴルトゥル城の主も似たようなものです。ヴァルクの言う通り、彼らは私に流れる血に魅了されていますから」
アマリアは少し暗い表情になるも、マリウスは努めて明るい振る舞いで彼女を諭す。
「まあこれも運命じゃろ。執拗にヴァンパイアに付け狙われるのも、その血の影響に因るものじゃ。だから、ワシらのような狩人が存在する。それを忘れんでくれ」
そんな話をしていると、今度は黒塗りの馬車が目の前に現れ、手綱を引いている者が馬車を降りて三人に向かって深々と頭を下げた。
その男は、頭まですっぽりとフードを被っており、こちらからでは表情を読み取ることができない。
「……アマリア・ドゥミトレスク様をお迎えに上がりやした」
フードの男は、掠れた不気味な声でそう告げた。




