第4話 崩れた前提
朝の本部は、
思ったよりも静かだった。
昨日の資料室で見たものは、
まだ胸の奥に重く残っているが、
他に選択肢は無い。
透はいつものように改札を抜け、
K.M.A.のビルに入る。
受付窓口の女性に名を告げ、
どこに行けば良いか尋ねる。
「おはようございます、鏡野さん。
本日付けで正式に補助員見習いとして、
特殊執行部・第7班所属で
しばらく業務を覚えて頂くよう
霞野より言伝を預かっております」
それは、
観察越境後に告げられた
"配属先を再検討する"
という霞野の言葉通りの配属だった。
情報班、解析、通信。
医療班、技術班、一般補助員。
それらを通り抜けた先にある
案内された第7班フロアの1区画は、
明らかに他部署とは空気が違った。
三十代後半、短く切った髪。
第一印象は冷たそうな男性が
待ち構えていた。
「こいつが鏡野か。
まだガキじゃねえか」
透は言葉を飲み込み、
愛想笑いをしながら頷くしかなかった。
壁には部署名と役割が整理されている。
この屈強な男性は第7班の班長で、
榊原という人物らしい。
義手の金具、縫い目の残る顔、片目を覆う眼帯。
班の面々は、誰もが何かを失っていた。
報告に来た医療班の女性が透に気づき、
すれ違いざまに言った。
「また若い子……無事で帰って来てね」
装備担当はいきなり透のサイズを測り始めた。
悲しげな笑顔で付け加える。
「何か装具や装備が必要になったら
調整してあげるからね。
気になるところは言って」
その一言が、
透の胸に小さな温度を残した。
榊原は会議の途中らしく、
奥の会議室へと戻る前に
簡潔に業務の枠組みを示した。
「いいか、鏡野。
越境先では状況は刻一刻と変わる。
守護体討伐の想定を鵜呑みにするな。
今までもそれで何人も死んで来た。
鏡核をいかに破壊するか──それだけを考えろ」
……守護体?
……討伐?
……鏡核?
透はそれらの言葉の意味が分からず、
その場に立ち尽くしていると、
後ろから別の隊員である
村瀬に声を掛けられた。
「やぁ。鏡野くん、でよかったかな?
僕は村瀬。もう何年もこの部署にいるから、
何か分からない事があれば聞いてくれていいから」
榊原の話した内容で
理解出来なかった言葉を
透は村瀬に尋ねた。
「簡単に言えば、処理が守護体討伐さ。
少し前まで鏡像体の処理は楽だったんだ。
越境して殺してしまえば終わりだったからね」
「でも5年前、
"守護体”と呼ばれる奴等が現れたんだ。
"自動防衛装置”で、鏡核を壊せば消滅する。
意思はない。感情もない。会話もできない。
鏡像人格をただ守るためだけに動く。
だけど、守護体ごとに異なる能力が厄介でね。
多くの犠牲が出たんだ──」
義手の継ぎ目を指で触りながら、
村瀬は言った。
その後、併設されている
情報解析部の会議室に通された透は、
榊原の横に設けられた席に座る。
室内はモニターと資料で埋まっており、
解析官が説明していた。
「現実世界の事件は放火殺人。
複数の建物が焼失し、死者が出ています」
モニターにはニュース映像、
現場写真、被疑者の顔。
解析官が次のスライドを映す。
「鏡像界での同一人物の記録です」
そこには、
被災地で泥にまみれながら人を助ける男の姿。
瓦礫の中から子どもを抱き上げる写真。
感謝状の写真。住民の笑顔。
透の表情が静かに沈む。
解析官は続ける。
「初期予測では守護体は炎型──」
その言葉に、
部屋の空気が一瞬変わった。
隅にいた一人の隊員が、
低く首を振る。
「放火だから炎、
ってのは単純過ぎないか?」
全員の視線がその隊員に集まる。
榊原が問い返す。
「理由は?」
隊員は資料を指差した。
「今までの守護体の多様な能力を考えると、
単純に炎型と決め付けるのは危険かと」
まぁ、一理あるかもな、
そんな表情をした後、
榊原は企のある微笑みを浮かべ、
透の方へ顔を向けた。
「おい、鏡野。
適応率Sなんだろ?
お前ならどう見る」
場の視線が、班長である榊原が連れて来た
得体の知れない少年に集まる。
……炎型?
……煙生成型?
……挙動?
……何の話を──。
「え、あの、
何を言ったらいいのか……」
言葉に詰まる透を一瞥した後、
不満の顔を隠さず、
榊原は小さく舌打ちした。
「ったく、
頭脳も使えねぇのかよ。
上層部は何を考えて、
こんな野郎を配属したんだ」
場の空気が一瞬冷たくなる。
透は視線を見ないよう顔を伏せた。
その時、解析席の端に座っていた
人物が静かに口を開く。
燈原という青年だ。
年齢は透より上だが、
顔つきは理知的に見える。
目が冷静に資料を追っている。
「……すいません、ちょっといいですか」
透に向けられていた視線が、
深い興味を帯びて少年へと移る。
「被害者の死因は焼死じゃない
救急の所見は一酸化炭素中毒だ。
つまり"炎は手段"で、
致命的だったのは”煙”の可能性が高い」
その一言で、
会議室の空気が変わる。
解析官の指が急いでスライドをスクロールする。
通報記録、救急のメモ、現場の配置図が映る。
「……確かに。それならば、
煙の拡散と封鎖を想定した対策が必要だ。
単純な耐火だけでは足りない。
ただ、そうなると──」
解析官が何かのファイルを開くと
数値が並んだ画面が現れた。
【対守護体 能力別勝率表】
炎型 勝率91%
煙型 勝率68%
毒霧型 勝率42%
重力固定 勝率19%
※重力固定型は接近不能のため予想値
.
.
.
「過去の守護体別勝率ですが、
煙型となると勝率が……」
部屋の空気が一転して重くなるが、
榊原は意に介する様子も無く短くまとめた。
「煙型なら──
志摩が適任だな。
準備をさせておけ。
村瀬は補佐。
鏡野は後方でついて来い」
「いいか、お前ら!
情報は変わる。現地での判断が最優先だ。
だが、今の段階ではいつも通り、
“鏡核を破壊すること”を最重要に組め!」
隊員の返事が飛び交う中、
透は小さく頷いた。
作戦会議の後、越鏡までに資料の再検討と
装備の調整に数日の猶予が設けられた。
解析班は煙の拡散シミュレーションを回し、
技術班は鏡素兵装の微調整を行う。
透は短剣の扱いを反復しながら、
何度も資料に目を落とした。
何かを失っている隊員が目に入る度、
父の病室の横顔がふと浮かぶ。
技術フロアでは、
短剣、ワイヤー、手袋、ガントレット、
鏡の小片を収めたケースなど、
隊員たちが武器を確認していた。
透は思わず訊いた。
「武器が、全部違うんですか」
技術班の若い男が笑った。
「守護体討伐で重要なのは
“勝ち方”だからね」
彼は短剣を軽く振って見せる。
「鏡像体を守っている相手の核を
どう破壊するかを基準に装備を組む。
見た目の派手さは関係ないのさ。
最初は後ろで見てれば大丈夫だよ」
”最初は後ろで見てれば大丈夫”
その言葉は、張り詰めていた透の緊張の糸を
少しだけ緩めてくれた。
数日後、準備は整ったとの連絡が入り、
越鏡する透たち隊員が集められた。
榊原の横には、初めて見る顔が並んでいた。
長い黒髪を束ねた若い女性、志摩だった。
彼女は村瀬より若いが、立場的には榊原の下、
何人か居る副隊長の内の1人らしい。
技術主任が最後のチェックを行い、
榊原も通信機器の最終確認をする。
志摩、村瀬など、透以外の隊員たちは
それぞれの鏡素兵装を最終点検していた。
ガントレットを装着する者、
金属糸を巻く者、鏡をケースに収める者。
透は自分の短剣を握りしめる。
互いの装備を確かめ合う手つきに、
連帯と緊張が混ざる。
医療班が最後のチェックをした後、
隊員の1人が透に小さな袋を差し出す。
中には布製のタグが数枚入っていた。
「これ、持って行きなさい。
後で必ず返してね」
透は戸惑いながら一枚を受け取る。
タグの裏には小さな文字で
「祈・帰還」とだけ書かれていた。
『転界鏡』と呼ばれる転送装置あるフロアは、
金属の匂いと機械の低い振動に満ちている。
転界鏡が起動し、空気が震える。
透は頷き、鏡面を見つめた。
そこに映る自分の顔は、いつもより少し硬い。
光が身体を包み、世界が歪み始める。
越境の光が収まる。
透はまだ目を開けていないが、
空気の重さが変わったことだけは分かった。
ゆっくりと目を開けると、
煙が上がる瓦礫の向こうに、
救助隊員として動く鏡像人格が見えた。
泥にまみれ、誰かを抱き上げるその姿は、
現実の写真と同じ輪郭をしている。
榊原の声が響く。
「散開!!」
瓦礫の間を走り出す隊員たち。
指示が飛び交い、無線が鳴る。
すると、周囲に立ち昇っていた煙が
隊員たちの周りを包み込み空へと向かい、
突然黒く染まり始めた。
街の向こうからも、
巨大な煙の塊が立ち上る。
風が一瞬止まり匂いが変わる。
煙の一部が消え、
守護体の輪郭が現れる。
黒く歪んだ影が空を侵食していく。
モニターで確認していた記録写真と
何かが違っていた。
榊原が短く言う。
「やはり煙型だな。
村瀬は"鏡界閉鎖"で煙を固定!
志摩は核露出を狙え!」
その瞬間、守護体の影が広がり、
煙が隊員全員を包んだ。
「──解析、終了」
低く、はっきりとした音が響いた。
機械的な響きだが、
明確な意思表示を持つ”言葉”だった。
意思はない。
感情もない。
会話もできない。
自動防衛装置。
ではもし、意思を持つ者が
防衛能力を攻撃手段として操るとしたら?
無線の音も、風の音も、
消えたように感じられた。
榊原の顔が硬直する。
「……おい、こいつ今、喋ったか?」
煙の守護体は、ゆっくりと流動しながら
煙で出来たその黒い頭部を透たちへ向けた。
「更新開始。対象排除アルゴリズム変更」




