第1話 広告の向こう側
6/26 鏡の向こう側の設定との整合性を強める為、少し設定を変更しました
朝の満員電車の中で、
鏡野 透は、
吊り革に掴まったままスマホを取り出した。
ニュースアプリをタップした瞬間、
画面が一瞬だけ暗転した後、
全面広告が表示された。
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【加害者は、本当に裁かれましたか?】
向こう側には、もう一つの司法があります。
鏡像界での“再評価”をご希望の方へ。
〜中略〜
※本窓口は鏡界調整機構(K.M.A.)外郭NPOです。
※鏡像界での処理は現地法に基づき、現実世界の法令とは独立しています。
【超鏡スタッフ補助員 募集】
報酬:日給12万〜(適合検査あり)
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広告を閉じた直後、
アプリ内の新着記事が更新される。
『未成年被告に懲役◯年の判決。
遺族側は“到底納得できない”とコメント』
SNSを開くと、
速報に関する投稿が流れ始めていた。
「また情状酌量かよ。
こういう奴は反省なんてしないって」
「この判決下した裁判官、
自分の家族が被害にあっても
同じこと言えんのかよ」
「自分が被害者遺族になったら、
捕まってでも絶対に私刑で復讐する」
その言葉は冗談のようで、
冗談には見えなかった。
電車の揺れに合わせて、
次のニュース速報が流れる。
『未成年を含む凶悪事件の加害者が、
今年に入り全国で相次いで不審死。
死因はいずれも“急性心停止”とされ、
遺族の量刑不満との関連が指摘も、
政府は“因果関係は確認されていない”とコメント』
すぐ近くの席で、
女子高生2人が小声で話している。
「ねえ、“超鏡スタッフ”って
本当に日給12万なの?」
「知らないけど、
適合率とか出るんでしょ。
怖くない?」
「でも、応募したって子いたよ。
受かったらしい」
透は何かを考えるように画面を2秒ほど見つめ、
スマホをポケットに戻した。
電車は次の駅に滑り込む。
透は目的地に向かう改札を抜けた。
午後の光が薄く、
街路樹の影が歩道に細く伸びている。
足元だけがやけに重い。
総合病院は都内にしては古く、
白い外壁はところどころ灰色にくすみ、
入口の自動ドアは開閉のたびに
微かな埃と風を吐き出し、
救急車のサイレンが遠くで途切れるのが聞こえる。
中に入ると、消毒液の匂いが薄く漂っている。
天井の蛍光灯は白く、廊下の床は磨かれているのに光を吸うように暗い。
病室の前に立つと、
モニターの電子音が薄く漏れてくる。
父の病室は、相変わらず消毒液の匂いが染みついていた。
心電図モニターの電子音が規則正しく響く中、
透は父の痩せた手をタオルで拭いた。
医師の説明は毎回同じだった。
「変化はありません。引き続き、経過観察を」
会計カウンターでは、
職員が申し訳なさそうに言った。
「お伝えしにくいのですが……
これ以上、お支払いが滞るようですと、
お父様の治療を続けるのは……」
透は声にもならない返事をした後、
手持ちの現金を全て置き、
残りは近い内に支払いに来ると伝えた。
いつもと変わらない
先が見えない日常を終えた帰り道、
透はスマホの機内モードをオフにする。
『超鏡スタッフ補助員・適合検査の結果について』
受信したメールの内容は
透を立ち止まらせるには十分だった。
電車内で聞いた“適合率”という単語が、
遅れてハイライトする。
少しだけ足取りが軽く家に帰ると、
母はダイニングテーブルに突っ伏して眠っていた。
督促状とシフト表が画面に映ったまま。
透はそっと毛布をかけ、電気を消した。
まだ、透は何も言わなかった。
部屋に戻り、届いたメールへと返信すると、
数分後、新たなメッセージが届いた。
『応募された求人の件について、
弊社事務所 反町区霞野3-7-12 4Fにて
仕事内容説明のためご足労頂きたいのですが、
本日18:00はご都合いかがでしょうか』
透は画面を見つめながら、
すぐに足を進めた。
夕方の光は薄く、
反町区霞野の行政街は静かだった。
霞野オフィスセンターは、
白いタイル張りの5階建てのビルにあり、
1階には保険代理店の看板。
その隣に「4F 鏡界調整機構(K.M.A.)」
とだけ書かれた小さなプレートがある。
透は立ち止まらず、
エレベーターに乗りこんだ。
4階のボタンは、
ほかの階より少しだけ擦れていた。
エレベーターが開くと、
受付の女性がわざわざ透を出迎えていてくれた。
「鏡野様ですね。
適合検査の結果について、
私と担当者の2人で、
奥の部屋で説明させて頂きます」
声は落ち着いていて、
普通の行政委託機関の受付と変わらない。
透は軽く会釈し、案内に従う。
掃除の行き届いた廊下は白く、
壁には“越境安全ガイドライン”や
“鏡像界との協定概要”といった
公的文書のような掲示が並んでいる。
部屋に入ると、
スーツ姿の男性が資料をめくっていた。
年齢は40代前半。
士業事務所の職員のような落ち着いた雰囲気。
「鏡野透さんですね。
お忙しいところありがとうございます」
採用担当の男性は、
透の応募フォームを見ながら静かに言った。
「今回の件ですが……
鏡野さんは“一般スタッフ枠”で応募ですね。
日給12万円の、いわゆる補助業務です。
最近は遊び半分の応募も多くて、
大半の方が書類選考で落ちるのですが──」
そう言いかけた時、
資料を眺めていた手が止まり、
ある1点を見つめながら、
受付の女性に何やら指示をし始めた。
「鏡野さん、
もし失礼でなければ、
ご家族について何点かご質問しても
よろしいでしょうか」
透は言い淀みながら、
現在は父親が現在入院中で、
母親と2人暮らしの事を伝えた。
男性は女性からの報告を受けながら続けた。
「曾祖父様のお名前は
源一郎様でお間違いありませんか?」
透の指先がわずかに動く。
思いがけない場所で出て来たのは、
曾祖父の名前だった。
受付の女性がノートパソコンを透に向けると、
そこには、古い白黒写真だが、
家の仏壇の脇に飾られていた写真と同じ顔だった。
男性の表情から事務的な色が消えていた。
「……弊機構の記録では、あなた方の家系は
既に途絶えたものとして扱われていました。
申し訳ありません。予定を一旦中断します」
男性は隣の女性に目配せをしながら立ち上がり、
部屋の奥にある扉を開ける。
鏡の前には、
薄いガラス板のような装置が立てかけられ、
心電図のような波形が、
鏡の揺らぎに合わせて微かに上下している。
枠は金属製だが、
どの金属とも言い難い鈍い色
表面は静止しているのに、
視界の端で“わずかに揺れている”ように見える
映る像は正確だが、
反射光だけが微妙に遅れてついてくる
採用担当の男性が
静かにある提案をした。
「源一郎様の血縁者が確認された場合、
当機構では追加検査を行う規定があります。
恐れ入りますが、触れるだけで結構ですので、
こちらの鏡に軽く触れてみてください」
鏡に近づく。表面は冷たくない。
むしろ、人の体温よりわずかに温かい。
まるで大切な人を迎え入れるような、
愛おしむような視線を感じる。
指先が触れた瞬間、
鏡の奥で“何か”が透に触れた。
奥から、すき通るような女性の声が響いた。
「……ずっと、待ってたよ」
透は息を呑んだ。
鏡面が静かに波打ち、
美しい水色の髪の輪郭が一瞬だけ浮かんだ。




