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98.いつか過ぎ去った日の話

素戔嗚すさのおって悪い神なの?」

「どうした突然?」

「暇」


 ポカポカ陽気のVRの個人チャット部屋。ゲームのアップデートを待つのもあって、いつもの二人がのんびりしていた。

 開けたアルミサッシの掃き出し窓から桜の花びらが吹き込んでくる。VR空間なので一定時間で溶けて消えていく。掃除要らずである。


「あしきかみのなんちゃらって書いてあったじゃん?」

「ああ、なるほど」


 先日のボス戦の話である。


「あれは古事記にある素戔嗚すさのおが泣いて起こった災害の描写の一つ」


 ひょいっとウェブ上から文面をコピーしてくる。


『其泣状者、青山如枯山泣枯、河海者悉泣乾。

 是以悪神之音、如狭蝿皆満、万物之妖悉発。』


「現代語訳すると、その泣くさまは、青山を枯れ山のごとく泣き枯らし、河海はことごとく泣き乾す。これもって悪しき神のおとない、さ蝿のごとく皆満ち、万物のわざわいことごとおこる。

 山が枯れ、川が枯れ、海は干上がり、そのせいで悪い神が騒いで様々な災害が起こった」


「あ、そーなんだ……中国語?」

「一応日本語のはず」


「何か一部語順おかしくない? 枯れ山のごとくだよね?」


「江戸時代ぐらいまではこんな感じだったの。

 『恐れながら書き付けをもって願い上げたてまつそうろう』って江戸時代の書類の書き出し文だけど、慣れないと読めないと思うぞ」


 言いながら軽いジェスチャーでコピーしてきた文面は『乍恐以書付奉願上候』である。


「読めねぇ!!」


 ギャグではなく、真面目に実在する。



「……この読み方のルールだと「是の悪神の音を以て」じゃないの?」


「いや、全部の以の文字にそのルールが適用されるわけじゃない。平仮名の『い』の字源って以だし。

 国語詳しくないから「こういう根拠で絶対違う」って解説はできないけど、そういう風に読んでる人は見た事ない。

 岩戸隠いわとがくれにも『よろずの神の声でわざわいが起こった』ってそっくりの文章があるんだ。だから多分須佐之男(すさのお)がやってるんじゃなくって動揺とかで神様達が騒いで災害が起こってる。

 つーかどうして須佐之男すさのおを悪神にしたがるんだ。最初の説明でインドシナの神話と結び付けたりしたのは俺が悪かったけど」


「いや別にそういうわけじゃないけど。

 あ、須佐之男すさのお戦で思ったのもう一つ。東洋竜の指って三本なの? なんか五本指のもいるって聞いたんだけど」


「……竜は昔から三本指だな。モデルにした鳥によっては四本指の事もあるけど。

 中国で宋代に四本指竜が流行って、明代から清代に偉い順に五本四本三本指みたいなルールがあったらしいけど、日本は大昔からずっと三本指」


 言いながらテキストを引っ張ってくる。『五爪天子、四爪諸侯、三爪大夫』というらしい。


「あ、そうなんだ宋代から清代って……いつ頃だっけ?」

「……日本に武士が居た期間って考えれば大体合ってるかな」

「中国何千年って聞いたときに長いのか短いのか……」


「五本指なのは龍のモデルがマチカネワニっていう古代の巨大生物の仲間の生き残りで7メートルぐらいあるわにだった説がある。割と最近、中国の国史書の記録から15世紀頃まで生き残ってた可能性があるらしい。

 案外ヨウスコウアリゲーターが2メートルでちょっと小柄で角度によって五本目の指が見えにくいから、蛇からだんだん大きくなって指がしっかりするって発想になったんだったりしてね。おたまじゃくしは蛙になるし」


「蛇足の人、もしかして竜描いちゃったから失格だったのか?」


 蛇の絵を描くお題で時間が余ったので脚を描き足して失格になる故事である。


「あと完全に空想上の動物としても、彫刻とかだと強度の問題がある。鋳造とかでも細かいと失敗しやすいだろうし、技術が上がって作れるようになったなら権威のアピールに丁度良かったんじゃないかな」


「なるほど―……いや、絵なら別に多少指増えても描けるんじゃね?」


「描けない事は無いだろうけど、東洋竜の絵の肝って顔だろ? 権威付けでも無いなら変なとこでミスる確率上げたくないと思うぞ」


「そんなもん?」


「そんなもんだろ。当時はctrl+Zでやり直しできるわけでもあるまいし。

 ……全然違う場面だけど、ミスを減らすプロのアイデアに関してはなるほどと思ったのがあったな。勝手な考察だから本当の所は知らないけど」


「それも例のトンデモオカルト?」

「それとは違う。同じ部活だけど暇してた時にぐだぐだやった根拠のない考察」


 やはりツッとジェスチャーでウェブのリンクを引っ張ってくる。画像データであった。



「うお?! がしゃどくろ?」


「これはがしゃどくろじゃない。はっきり分かってはいないけど、戦場の無念が集まった人食い巨大骸骨っていうがしゃどくろは二十世紀後半の妖怪辞典みたいな児童書か何かが初出とされる。戦後だな」


「そうなんだ。がしゃ髑髏どくろじゃないならこれは? 有名な絵だよね?」


「これは十九世紀。幕末の浮世絵うきよえ画家がか歌川国芳うたがわくによしが描いた絵。山東京伝さんとうきょうでんが書いた物語、善知安方うとうやすかた忠義伝ちゅうぎでんという話の一幕。

 左上。女の人の上のとこに粗筋あらすじ書いてあるだろ?」


「え?! ここに何か書いてあるの今初めて知った……もしかして江戸時代のラノベの挿絵?」


「……そんな感じかな? 江戸時代は絵双紙えぞうしだから……コミカライズかも?

 江戸時代のコミカライズ?」


「江戸時代のコミカライズ!!??」

「でなければラノベの販促ポスターとかが近いかな? ネタバレしてるけど」


「ネタバレって……読めない」


「旧字体が多いけど読めないって事は無いだろ……

相馬そうま古内裏ふるだいり

 将門まさかど姫君ひめぎみ滝夜叉たきやしゃ

 妖術ようじゅつもっ味方みかたあつ

 むる大宅おおやの太郎たろう光国みつくに

 妖怪ようかいためさんと……』

 ここか、潰れてて読めなかった……」


「読めてねーじゃん。味方もこれ振り仮名みかたで合ってる?? ようりさ、とか、とらのさ、みたいにしか読めないんだけど……」


「『とら』っぽく見えるのは美の崩し字とかじゃないかな? それで『の』みたいなのは可の崩し字で『さ』っぽいのは多の崩し字だと思う。分かんないけど」


「どうやって読んでんだよ……?」

「古文書素人しろうとだからな……勘? 見た事ある形を探してるから……AIとやってる事は変わらない気がする」

「……何の話だっけ?」


「これ、原作ではクライマックスで滝夜叉姫たきやしゃひめが妖術で大量の骸骨を呼び出して戦う場面らしいんだ」

「死霊術師の不死系無限湧き物量ゴリ押し戦法って江戸時代からあったのか……」

「それがこの絵では一体の巨大骸骨になってる。この迫力が高く評価されたと聞いた」

「確かに」


「で、俺の横に居た奴が「骸骨いっぱい描くのしんどかったんじゃないの?」って」

「身も蓋も無いな!」

「でも確かに切り張りとかでも限度があるからな。ミスったら終わりだし」

「なるほど、表現手法に合わせた良改変なのか」


「そういう事。当時ならプロだからこそミスる原因はできるだけ減らしたかったはず。そうなると竜の指は絵でも三本だったんじゃないかなって話」


「へー……なるほど。ところでこれが江戸時代のマンガとすると、どういう進化を遂げれば今の形になるんだろ?」


「詳しくないけど、絵草紙えぞうしはそのまま絵本になったとして、多分最初にいわゆる図説とかで枠線で区切って1ページに複数の絵を入れるやつができた。これが多分コマ割りの元祖の辺り。北斎漫画とか。

 一方、多分明治ぐらいに絵草紙えぞうしと合わさって四コマ漫画と絵本の中間みたいなのができた。コマの外に文章が書いてあるやつ。これが紙上紙芝居とか絵物語とか呼ばれた。こっちの形式はほぼ絶滅してるな」


「へー……紙芝居かー、もう見ないよな」


「どっちかっていうと動画の一形式として生き残ってる印象あるけどな、紙芝居本体が。

 あの形式、解説とかに滅茶苦茶親和性高い」


「そういえばそうか」


「一方で、『諸職吾沢銭しょしょくごたくせん』とかを見るに、幕末の頃にこういう表現から吹き出しが発達して今のマンガになったのかなとは思ったりするけど」


 と、当の画をWebから引っ張ってくる。


「何この黒いでかいの。微妙にかわいいんだけど」


「これはなまず。昔は地面の下の大鯰が暴れると地震が起こるって伝説があった。幕末の安政の大地震で復興景気が起こって、なまずが職人・商人さんたちに崇められてるっていう絵」


「不謹慎って怒られそうだけど」

「実際多くは不正出版物だったみたいだけど一般には広く受け入れられたみたいだ」


 日本では古来よりあらゆるものを絵姿にして封じ、護符とする習慣をまじない絵という。平安時代であれば辟邪絵へきじゃえ。近年で言えば疫病に対する疱瘡絵ほうそうえ、地震に対する鯰絵なまずえなどである。

 許許太久ここだくの罪を含め、何事もとがめられることなく絵姿にできるのはいつでもその封印術を使えるという精神的安寧に関わるのかもしれない。


「このうねうねした字読めないけどさ……もしかしてこれセリフ上下逆じゃない?」


「そう、セリフを読むために上下逆にしたら絵が見えにくいし、不便ではあるよな。逆に言うと個々人で試行錯誤してた時代の表現なんじゃないかと思ったりする。作者不詳なんだ」


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