表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/132

47.何処かの或る日の果ての途中

 いつもの二人が個人のチャット部屋でコタツにあたっていた。

 ゲームがメンテナンスで暇である。


「カレンダー確認しないと毎回30日か31日か分かんなくなるの何とかしたい」

「『西向く(二、四、六、九)(十一月)(さむらい)小の月、如月きさらぎ(28)四年(よとせ)に暗(29)い』みたいな覚え方あるけどな」

「なにそれ、ごろ合わせ?」

「江戸時代までは月の満ち欠けで暦を作ってたから30日ある大の月と29日の小の月が毎年違ってたんだ。だから毎年それの語呂合わせが作られた。これはたまたまグレゴリオ暦の月の大小に一致していた天保8年、1837年の語呂合わせだと言われる。

 だから後半は誰かが付け加えたんだろうけど、どこが由来かは知らない」


 何をするでもなく雑談である。


「ギリシャの神様が祀られてるっぽい神社ってどこ?」

「……そんな与太話覚えてたのかよ……聞いてどうする?」

「神社って節分でも厄除けか何かやってるって聞いたから初詣行き損ねたから行ってみようかと思って」

「新年早々ご迷惑だから絶対言わねー」


「伊勢神宮とか?」

「何でそう思った?」

「諏訪から清水って言うから東海で有名な神社を検索しただけ」


「清水に卑弥呼が居た説はでたらめだって言っただろーが。

 …………ギリシャ神話の神様の神殿を建てるには神様ごとに特定の条件が必要らしい」


「へー」


「もしかしたら見る人が見ればそれっぽいもの見つかったりしてな。

 あとは途中で神社じゃなくて寺になってたりすることもあるかもな」


「そんなんあんの?! と思ったけどケルトっぽいお坊さんも居たんだったか」


「だからそれは与太話だっての。

 素戔嗚すさのお牛頭天王ごずてんのうと習合してたり、大国主おおくにぬし大黒天だいこくてんと習合してるのが有名だな」


「誰? 集合?」


「習合は―……まぁ別々に伝わった神様を同じ神様として祀る感じ。大黒様は馴染みがあるんじゃないか? 七福神」


「ふーん、正月に見かけたけど、七福神、誰が誰か分かんない」


「袋と小槌持ってて恰幅のいい感じで描かれることが多いな。大黒天は武神ではあるけど、日本に来る頃には福と台所の神様だったはず」


「グルメ系スローライフしてるなら何よりだけど」



牛頭天王ごずてんのうは牛の頭の天の王って書く」

「牛の頭ってミノタウロス的な?」


「資料によってまちまちだな、牛の頭かどうかは書くまでもないと思ったのかは分からんけど、角があるのはほぼ間違いないらしい。平安時代ぐらいから祀られてる謎の神様」


「謎……?」


「道教の神様っぽいって言われるけど中国に記述が無い。インドの神様だっていう話もあるけど該当する神様が見つからない。疫病の神様だけど、きちんと祀ればむしろ守ってくれるっていう陰陽道の御霊ごりょう信仰。

 記録にあるのは平安時代から鎌倉時代頃。釈日本紀しゃくにほんぎっていう本に書いてある備後国びんごのくに風土記によると……ってのが本当なら奈良時代から存在してる。

 そこに速須佐雄能神はやすさのおのかみって名乗ったって書いてあったんだそうだ」


「ええ……ちなみにどの神様か予想はされてないの?」


「諸説あるんだけど伝承によると、牛頭天王ごずてんのうは竜宮の沙掲羅しゃかつ竜王の娘に求婚する旅の途中、大きな屋敷に宿を借りようとする。しかし屋敷の主は裕福でもケチな男で、断られる。

 そのケチな男の兄、蘇民将来そみんしょうらいって人は貧乏だけど、牛頭天王ごずてんのうを快く家に入れ、粗末ながら丁寧なもてなしをした。牛頭天王ごずてんのうはその対応に感激し、願い事の叶う牛玉という宝を蘇民将来そみんしょうらいに授けたとされる。

 無事、竜王の娘に求婚が成立した牛頭天王ごずてんのうは再びこの地を訪れた。宿泊を断った蘇民将来そみんしょうらいの弟に報復するためだ。弟の屋敷に居るという蘇民将来そみんしょうらいの娘にだけ合図のの輪を与えた。

 蘇民将来そみんしょうらいの弟は異変に気づき、千の高徳の僧を呼んで読経させ、大勢の配下に屋敷を守らせたが、一人の僧が眠り込んで守りが破れた。

 その夜、押し寄せた牛頭天王ごずてんのうの部下によって、合図の茅の輪を着けていた蘇民将来そみんしょうらいの娘以外、弟の屋敷の人間は全員死んだっていう話」


「そんだけ詳しいエピソードあるのに該当する話が無いの?」


「詳しいだけに該当する話が見つからなくて決め手に欠けるのかもな。

 部活内対抗さいきょうオカルトバトルでは諸説あり。というか複数の要素が合わさった説を出していた」



「じゃあ結局、牛頭天王ごずてんのうは何の神様?」


牛頭天王ごずてんのうの祇園祭とジャガンナートのラタヤトラの山車の構造が似てるんで、そっちから来てるんじゃないかって説がある。

 インドから来たなら西ガート山脈の牛頭山っていうのがあって、インドの洪水神話でノアの方舟に当たる船が辿り着いたとされる所がある。ノアの方舟で言えばアララト山だな。

 牛頭山は香木の産地でも有名らしい。香木といえば昔は薬だったり魔除けだったりするから、日本の名前はそこからじゃないかって説があるそうだ」


「ジャガンナートってなんか強そうだけど、何?」


「インドの神様。兄妹神と三人合わせて祀られている。ちなみに祇園祭のお神輿みこし素戔嗚すさのお奥さん子供たちで三基出るんだってさ。山車とは違うけど、こんなところもちょっと似てる。

 一方で制止不能の巨大な力、ジャガーノートの語源。信者が救済を求めて山車に飛び込んで轢死するっていう衝撃的な伝聞の形で西洋で有名になったせいらしい。画像で見るとこんな感じ」


「……これお土産用とか?」

「れっきとした宗教の像だ」

「インドの人、未来を生きてるだろ……この神様が牛頭天王ごずてんのう?」


「いや、土着神だったって説もあるから大本の神話は不明だけど、この神様はクリシュナの姿とされている。

 その昔、ある王様に神像を作るようにお告げが下ったと言われている。

 神像を作るために神様に遣わされたバラモン……あー、インドの賢者とか司祭みたいな人?が「作業が終わるまで覗いてはいけません」って言ってたんだけど、作業の音が止まってるんで心配して開けちゃったんで未完成とか、いや未完成じゃなくてこれで完成ですって後日神様から連絡が来たとか、クリシュナが自分の小さい頃の話で盛り上がってるのにほっこりした時の姿とか色んな説がある。

 ちなみにクリシュナは悪い王様を倒すために生まれたヴィシュヌの化身とされている。

 王は予言を恐れて問題の娘の子供を殺していくが、英雄になる子供は神様達の協力と母親の機転で逃れるっていうクロノスから逃れたゼウスとかのパターン」


「へー……。じゃあ結局、牛頭天王ごずてんのうと関係は分からない感じ? 見た目だけならミノタウロスの方が近くない??」


「牛の角や牛の頭の神話や伝承は世界中にある、まずミノタウロス。これは知っての通りギリシャ神話に伝わるクレタ島の半獣半人。

 モレク。これはカナン、今のシリア、ウガリット神話のあった辺りで崇拝されてた神様。現代まで生き残ってる宗教の記録によると、「新生児を生贄にするんだぜ、マジないわ」みたいな形で記録に残されてる。

 牛頭馬頭ごずめず。動物の頭の地獄の獄卒。これの古い記録は八世紀の中国のオリジナル経典とされる首楞厳経しゅりょうごんきょうっぽいらしい。

 神農しんのう。中国の神話で牛頭で農業と医薬の神様。

 そして逆に人身牛蹄とされてる武神、蚩尤しゆう。中国の神話では黄帝に反逆して敗れたとされる」


「そう言われても中国神話全然分かんないんだけど。中国の皇帝って始皇帝が最初じゃないの?」


黄帝こうていは黄色に帝の方。日本の栄養ドリンクの名前の元になってたりするな。医療とか武器とかを発明したって伝説がある。

 神農しんのうは自分で草を食べて薬効を確認して人々に教えたとされる神様。日本でも牛頭天王ごずてんのうとは別に薬の神様として信仰されてた。

 中国神話は俺も分かんない。っていうか例によって各地域で発生した色んな神話が合わさってるらしいんだ」


「ああ、なるほど」


「とりあえず諸説ある上で中国神話を説明すると、まず創世神たちの創世神話がある。それが大体三皇って呼ばれる神様達。そして五帝が便利なものを発明して広めたり善政を布いたりする。

 誰が三皇で五帝かっていうのも諸説あるっぽい。

 この五帝の一人が黄帝こうてい。その異母兄弟とも言われてるのが神農しんのう。それに反逆したのが蚩尤しゆうとされているが諸説ある。

 もしかしたら一部歴史が混ざってて、古代の巨大勢力同士の衝突を現してるのかもしれない」


「ふむふむ」


蚩尤しゆうは銅の頭に鉄の額って書かれてるけど、絵によっては牛の角より兜の一部っぽいのがある。

 で五世紀頃、南北朝時代の書物には、「こめかみに角がある」って書かれてるみたいだから、その後に日本に渡来したなら角はあるかも」


「全然知らなかったけど結構有名な神様(?)なのか?」


「諸説あるけど、蚩尤しゆうは風や雨の神を引き連れてて霧を起こして黄帝軍を迷わせたが、指南車、つまり方位磁石を使われて敗れたとか。

 黄帝こうていが呼んだ日照りの女神、ばつ。もしくは嵐を操る応竜おうりゅうに敗れたって話もある。

 蚩尤しゆう黄帝こうていに処刑され、その配下は各地に散った。流れた血の影響で赤い塩湖が出来たとか楓が色づくようになったとか言われてるっぽい。

 後の代でも蚩尤しゆうを描いた真っ赤な軍旗が使われ、今は武神として祀られてるって話もある。

 このエピソードで須佐之男すさのおと習合したんじゃないかって説だ。日本に紹介されるときにローカライズされるのはよくあることだし」


「ああなるほど。「神話時代に日の女神に負けた武神」って聞いたらそうなるか」


「一方の神農しんのうだけど、多少混同されることはあったかもしれないけど、日本でも神様の一柱として信仰されてる。

 8世紀頃に日本に梅や茶などの薬用植物が伝わってる。中国の今でいう薬草辞典みたいなのものが神農本草経っていうんだ。書物はいつ頃伝わってたかは分からないけど、噂ぐらいには聞いてたんじゃないかな?

 特に唐代では茶経という本で『薬草として使われる茶を発見したのは神農しんのう』っていう話が広まっている。

 日本でもかなり初期から神農しんのうといえば薬草の神様、薬草の神様と言えば神農しんのうって感じだったみたいだ。日本で薬と言えば漢方薬だし」


「へー」


「ちなみに誤解されそうなんで先に言っとくと、神農しんのうは暴力団絡みの話題で出てくることがある」


「なんで???」


「ちょっと複雑なんだけど、まず神農しんのうは日本で露天商の神様としても信仰されてたんだ。市場の仕組みを考えた神様だからって説もあるし、昔は露店で薬草売ってたからって説もあるらしい。

 露天商は組合を結成して地域のお祭りなどを取り仕切ってたんだ。これが的屋てきや


「あー、何か聞いた事ある」


「一方で主だった暴力団の前身である博徒ばくとは賭場を取り仕切る人達。

 的屋てきや博徒ばくとに限らず、親分子分の強い結びつきでこういった特定の職域を取り仕切る集団っていうのは昔は珍しくなかったみたいだ。

 まぁ多少齟齬そごがあるけど俺らに分かる言い方をすると、ギルド。職人ギルドとか商人ギルドとか行商ギルドとか魔術師ギルドとかそんな感じ。」


「そっちの方が分かる気がする」


「要は特定職域の互助集団なわけだけど、今だってお祭りで皆が好き勝手にお店出して好き勝手な物売ったら、しっちゃかめっちゃかになるのは分かるだろ。

 現代でもちょっと前、ネットオークションの身分証明と取引窓口が厳格化されるまで転売屋とかが猛威振るってた。当時の露店もあんな感じだったんじゃないかな、そこまで元手かかんないから。

 それで大抵の時代はおまわりさんが常に市場をパトロールとかしてくれるわけじゃないから、そういうのを相手に自力で秩序を維持するわけで……用心棒頼んだり荒っぽくなったりがあったわけだ。

 時代劇とかの「誰に断ってここで商売してる」みたいな」


「ああ、まあ時代によってはそうなるか……」


「くじ引きとか出し物によっては賭け事に近いものがあったりするだろうから、事前にトラブルを防ぐにしろどうしても関りはあったんじゃないかな。

 そして戦後の闇市でその垣根が更に曖昧あいまいになったってのもあるみたいだ。一般市民も含めたほぼ全員が生死をかけて犯罪も辞さないような非常事態だし。覚醒剤も戦後1948年までは合法な薬品だったりするし」


「うわー……」


「そんな感じですごく複雑な経緯で関係があって、時々単語として出てくる」


「なるほど?」



牛頭天王ごずてんのうに話を戻すと、蘇民将来そみんしょうらいに与えたっていう願いを叶える玉が如意宝珠にょいほうじゅっていう宝なら竜かもしれないという説を出してた。

 少なくても西暦で400年頃に漢訳された大智度論っていう仏教の本に竜の頭にそういう宝石がついてるって説があるらしい。牛頭天王ごずてんのうは八大龍王の娘さんをお嫁にもらってるし。

 で、牛頭天王ごずてんのうが竜の一族で八大龍王の関係()とすると、日本名似てるかなーってなったのが九頭竜王ヴァースキだったらしい」


「その理屈だと牛頭か五つ頭の竜が居る事にならない?」


「五つ頭の竜は居るよ。日本の地方伝承だけど。まぁインドにはすごい量のナーガ一族が居るらしいし、どっかに五つ頭か牛頭の竜は居るんじゃないか?」


「居るのかよ」

「そもそも頭九個あるのはヴァースキじゃなくて難陀なんだ竜王だし。千頭って説もあるけど」

八岐大蛇やまたのおろちって、むしろそっちから来てない?」


「どうだろうな? 難陀なんだ竜王はインド神話では真面目で強力なナーガなのを見込まれて、神様に頼まれて地下世界で地上を頭に乗せて支えてるって伝承もあるらしい。本気出すと世界壊せるとか」


「テュポーンがチラ見えした気がする……もしかしてインド発、地中海周辺から中国経由、日本着みたいな感じだったのか」


「とりあえず、日本の五頭竜は鎌倉の江の島に江島縁起という記録がある。

 西暦の1000年頃、平安時代に皇慶こうけいという比叡山のお坊さんによって記録されたとされている。

 記録によれば欽明天皇13年。西暦で言うと550年頃のこと、鎌倉の腰越こしごえは子死越と言われていた。なぜなら五頭竜が暴れて村を荒らし、子供を食っていったから。

 ある日、地震が起こって海から江の島が浮かび上がり、そこに天女が降臨した。五頭竜はその天女に心を奪われて求婚する。しかし五頭竜の過去の悪行を理由に、天女は求婚を断った。

 諦めきれない五頭竜は人の役に立つことを始め、天女に善行を誓う。

 天女は五頭竜を信じて求婚を受け、土地は平和になった」


「求婚要素がある辺りちょっと掠ってなくもない?」


「まぁ確かに……時代的に誤字や混同が発生した上でぎりぎり間に合う可能性はある……か? ってところだ。ただ鎌倉には宇賀神うがじん信仰があるんだ。銭洗弁天ぜにあらいべんてんが祀られたのは12世紀の事だけど、以前から民間伝承的に信仰されてたかもって説だ。本社の八坂神社の御祭神、牛頭天王だし」


宇賀神うがじん?」


宇賀神うがじんは人頭蛇身の神様。名前の音と豊穣神という性質から宇迦之御霊神うかのみたまのかみと関係があるとされるんだけど、この説出したやつは伝来したナーガが訛った説を出しててな。確かにベトナム語とかミャンマー語とかだとナガーって感じで若干ナの音が弱くなってたりするっぽいから、元の地域言語によっては起こらなくもないかなぁ……? ってとこ」


「ミャンマーは遠くね? と思ったけど素戔嗚すさのおの由来あの辺っぽいんだったか……どーなってんだ古代の交通網……」


「とりあえず牛頭天王ごずてんのうに話を戻してインドの方、九頭竜王ヴァースキの血縁を調べると、妹が居て、甥っ子にアステカって賢者が居るらしい」


「アステカってアメリカになかった?」


「カタカナ音写だと現地の発音全然分かんないけど、人類がアメリカ大陸に渡るおよそ一万年前までに共通言語で発生してればもしかしたら同じ語源かもね。

 言語自体は解剖学や集団行動の痕跡から5万年ぐらい前にはあったっぽいって事になってるし。『自分を犠牲にして偉い人を餓死から救おうとした兎が月に居る』ってアジアの神話だけど、他ならぬアステカにもあるらしいし」


「じゃあこのインドのアステカが牛頭天王ごずてんのう?」


「いや、この甥っ子はいわゆる予言の子。

 伝説によればインドのある国で人間と蛇、というかナーガ一族がめちゃくちゃ険悪になっていた。人間の王様が賢者に無礼を働いたんで、八大竜王の一人が果物に潜んで王様を噛んで殺した。その息子王子が父親の復讐としてナーガを虐殺し始めた。

 ヴァースキの妹の子供が事態を解決するって予言が出て、全然関係ない賢者に結婚相談されたヴァースキがうちの妹どう?って勧めて、生まれた子供は見事にナーガを恨む王子を説得して事態を解決したらしい」


「やっぱ牛頭天王ごずてんのう要素どこにもないけど。疫病神っていうのと疫病退散、どっから来たんだ?」


「そのヴァースキの妹、アステカの母、マナサっていう女神様が気になったらしい。

 創造神に作られた破毒の力を持つ蛇の支配者らしいんだけど、十三世紀頃の一説によるとやたらドアマットヒロイン属性。

 シヴァの愛人と疑われて嫉妬されていじめられて片目を潰されてめんどくさくなったシヴァに捨てられたとか。

 結婚した賢者が居眠りしてて礼拝の時間ですよって起こしたらキレられたとか起こさなくて礼拝に遅刻したからキレられたとか」


「DVのダブルバインドじゃねーか。どのみちキレられるやつ」


「これはマナサがベンガル地方の土着神で、宗教対立に巻き込まれたっていう背景があるっぽいんだ。

 そんなわけで、伝承によっては神として高みに上るために信者を集めるのに執着していて、信仰する者に加護を、疑う者に災いを、という説がある。

 この女神様の加護は蛇毒封じ、水痘、天然痘などの疫病封じ。

 一部がこの女神マナサのエピソード辺りから来たんじゃないかなーとか思ったりしたそうだ」


「でも男女入れ代わったりする??」


「そこから中国の辺りを通過するときに道教の王爺ワンイェー千歳シンスイ? でいいのかな?読み。とにかくその信仰の影響があったんじゃないかって話だ。

 王爺ワンエイ信仰の中心地は台湾らしい。記録に残されてるのは結構最近なんだけど、由来のエピソードがものすごく多様なんだ。案外記録に残されてないだけで古代からあったんじゃないかという考えだ。

 この王爺ワンエイという神様は疫病の神様でもあるけど、善に報い、悪を罰し、悪鬼疫鬼を退けるという神様らしい」


「結構近そう」


「厄を船に乗せて流すっていう信仰もここだそうだ。雛流しや人形祓いの原型はここから来た可能性はある。台湾の話では舟幽霊から助けてくれるみたいな話もあるみたいだから、文化的に日本と近いかも」


「舟幽霊って船に柄杓ひしゃくで水流し込んでくるやつ?」

「そう、それ」

「台湾にも舟幽霊居たんだ……」


「この王爺ワンエイは多様なルーツを持ってる。一説には賢者が井戸の毒に気付いて忠告したが村人に信じてもらえず、自ら井戸の毒を飲んでみせて、もしくは井戸に身投げすることで水を飲ませないようにして村を救って死んだ。一説には疫鬼を退ける祖先の英雄の霊。

 そしていくつかの伝説で『王様のちょっとした戯れが原因で惨殺された数百人を弔ったところ、同じ様な悲惨な人を出さないように玉皇大帝の配下王爺ワンエイとして巡視するようになった』とか『惨殺の犯人もしくは元凶となった王が贖罪しょくざいとして王爺ワンエイになった』みたいなパターンがあるんだそうだ」


「数百人惨殺って……もしかして蘇民将来そみんしょうらいの弟の屋敷が全滅したシーン?」


「そう。そしてドアマットヒロイン版マナサのエピソードに、自分を信仰しない男の子供たちを皆殺しにした話があるらしい。後で復活させてるけど」


「微妙にかすってるけど……でもなぁ……」


牛頭天王ごずてんのう関係の記述、前後の意味が合わなくて多分どっかに元の資料があるんだろうなって個所がちょこちょこあるんだ。

 蘇民将来そみんしょうらいとその弟なのに蘇民の娘が弟の妻とか。弟将来、小丹将来って書いてあるから苗字が後ろとか。

 複数の話が合わさってる可能性はあるっていう説だ」


「なるほど、途中で色々合わさって……っていうならそういう事もある……かなぁ?」


王爺ワンエイ信仰が盛んなのは台湾だけど、現在の福建省から来たと考えられている。あの辺は10世紀の初め、戦乱を避けた知識人たちが集まってびんっていう国として栄えた。その後百年経たない内に後継者争いと戦乱によって衰退していたはず。

 唐の動乱を理由に遣唐使が廃止されたのは9世紀末。それでも商品や情報が欲しかった日本人は安定した貿易港を求めたはずだ。王爺ワンエイ信仰に接触したとしたらこのタイミングなんじゃないかというわけだ」


「えーと、てことはインドのジャガンナートとマナサとナーガから派生した宇賀神うがじんと、日本の五頭竜と、中国の蚩尤しゆう王爺ワンエイ?」



牛頭天王ごずてんのうの信仰がどこから来たのかはマジで分からない。

 どっちかというと情勢が安定して文献を扱える人も増え、情報量が爆発的に増えて、伝言ゲーム的に混ざったんじゃないかって説だ。

 西暦の600年頃に玄奘三蔵げんじょうさんぞうがお経の原本取りに行ってるのって、中国ではその頃に情報爆発に直面してあーもう!って歯がゆい思いしたのかも」


「確かにこれは歯痒いな……」


 あちこちに転載されてニュースソースが見つからないやつである。雑多な情報に紛れて必要な情報が見つからない。いわゆる情報洪水である。


「あ! じゃあさ、西遊記の牛魔王は? 原型が同じだったりするんじゃない?」


「当然牛頭天王ごずてんのう習合説の奴は牛魔王もチェックしてたけど、現代に近い西遊記になったのって15世紀辺りらしい。平安時代だと多分孫悟空と沙悟浄の原型がギリギリ居るか居ないかぐらい」


「牛魔王の原型も無いの?」

「そもそも牛魔王の原型がどこから来たのかは不明なんだ。そのことを踏まえたうえで背景説明から行きたい」

「そんな長い話あんの?」


「まず、西遊記は史実の玄奘三蔵げんじょうさんぞうの取経の旅を原型にしている。

 しかし仏教説話を民衆に分かりやすい形で広めるために、中国各地で仏様が不思議な超パワーで活躍する娯楽要素が追加された。それが数世紀後にまとめられるという経緯で成立したと考えられている。

 時代が下るごとに神怪小説の要素が濃くなって、中国では娯楽作品、子供騙しとして下に見られていった。

 一方日本では唐代に留学した道昭どうしょうっていうお坊さんが玄奘げんじょうに弟子入りしていた。禅を学んで日本で広めたんだ」


玄奘げんじょうってまさか三蔵法師本人?」

「そうらしい」

「三蔵法師の直弟子、日本にも居んの!? 悟空とかの弟弟子ってこと?!」

「そっち!?」


「いや、知識として三蔵法師が実在するのは知ってはいたけど、物語の人物が急に現実感が出て来てびっくりした……」


「あー……当時はそこまでフィクション要素無かったから、三弟子妖怪が出てくるのはずっと後代だな。

 とにかくそういった繋がりもあってか、日本ではかなり初期から三蔵法師の取経の旅の話は人気があったらしいんだ。道昭どうしょうさんの弟子の一人が行基ぎょうきで、この人は民衆のために土木や救貧の施策をして非常に市民から人気が高かった」


「でも牛魔王が出てくるのってずっと後なんだよね?」


「それから数世紀後、9世紀ぐらい。チベットでランダルマという王様が出てくる。

 伝承によればこの王様は仏教を弾圧して国が乱れたため僧に暗殺されたとされる。実際は大臣による暗殺だったとされているみたいだけど……とにかくこの王が仏敵とされ、国が大きく乱れたのは確かみたいだ。

 このランダルマという名前のランがチベット語で牡牛を意味するらしい。

 そしてチベットにはその王様とは別に、牛の悪鬼と化した僧侶の伝説がある」


「僧侶の悪鬼……?」


「伝承によると悟りを開く直前だった僧が盗賊たちに襲われ、飼っていた牛ともども首を刎ねられる。

 よほど無念だったのか、首の無い僧の体はそばに落ちていた飼い牛の頭を自分に繋げて起き上がり盗賊たちを皆殺しにした。

 それどころか周囲の人間を殺戮し始めた。

 そこで人々を助けに現れたのが文殊菩薩もんじゅぼさつの化身、大威徳明王だいいとくみょうおうヤマンタカとされている。

 ヤマンタカは暴走する僧侶にそっくりな牛頭の姿になり、六本ある手に武器をとってしばらく打ちあった末に倒したとされる」


「名前から察すると冥界のヤマ関係の神様?」

「ヤマンタカはヤマを倒すものって意味らしい」

「倒しちゃっていいものなのそれは? ヤマって閻魔様だよね?」


「原型はシヴァの化身カランタカ、破壊するもの、終わらせるものみたいな意味とされている。ヤマと戦って信者を死から守ったという話があるらしい。

 そもそも仏教もそうらしいんだけど、あの辺の宗教観では天国……極楽行ってアガリじゃないんだってさ。極楽行ってもしばらくしたらまた生まれ変わって苦しむ。

 それを破壊して不死にしてもらう事はそこからの救いを意味する、ものすごいご利益りやくなんだそうだ」


「ヤマは死んだ人の面倒見てただけでは……まぁいいか」


「とにかく、このチベットの二つエピソードが『西方に牛の名を持つ仏敵の王が居た』『西方に明王に調伏された牛頭の化け物が居た』という情報として中国に伝わっていた可能性がある。これが合わさって牛魔王の原型になったんじゃないかって説は普通に言われてるらしい。

 何なら伝え聞いた話が民間で合わさって「西方に居るっていう仏敵の牛の化け物王、三蔵法師の邪魔した事もあるんじゃね?」ぐらいまで一気に膨らんだ説だ。

 最初期の孫悟空と沙悟浄は仏様の化身や使いだけど、少し時代が下って10世紀頃だと悪さする妖怪が心を入れ替えたっていうエピソードになってくる。三蔵法師の旅に強敵の妖怪が立ち塞がるみたいな様式ができ始めていた可能性がある。

 それなら恐らく9~10世紀頃に取経物語の単発エピソードとして成立してもおかしくない」


「当時そんなにすぐ情報伝わる? 特に王様暗殺、時期的にほぼ直後に物語になってるよね?」


「ところが8世紀半ば、唐は国内で反乱が起こった隙を突かれてチベット、当時の吐蕃とばんに長安を攻略されてたりするんだ。

 9世紀初頭に和睦したけど、かなりこの地域の情勢には神経とがらせてたと思う。情報の伝播も速かったんじゃないかな」


「そうだったの?」


「遣唐使は9世紀後半に廃止されているけど、それ以降も民間での交易は続いていた。

 そして日本の三蔵法師人気だ。

 中国では子供向け物語みたいに見られてた話を熱心に研究した日本人も居たんじゃないか。

 チベットのエピソードから派生したマイナー時代の牛魔王の原型みたいなのが一足先に日本に来てたんじゃないか。

 神農は既に渡来していたからあまり混同されることはなかったけど、代わりに一部の性質や先に上げたインドや中国、道教の神様のエピソードがもたらされる事で混ざった。

 むしろ遣唐使が廃止され、一大多文化交易都市のびんと交流することで情報の断片化に拍車がかかった。

 それが牛頭天王ごずてんのうになったんじゃないか、って説。

 牛魔王と対決したのって哪吒太子なたたいしなんだけど、武器六種持ってて牛魔王は何度も首を落とされても生きてるんだよ。この話が昔からあったならその辺で八岐大蛇やまたのおろちと混ざったんじゃないか? って」


「へぇ~……確かに長かった」


「習合に関しては困る事もあるだろうけど、共通点のある神様が混同されたり、人気にあやかったり、習合によって同じ神様って事にして争いを避けるパターンもあったんじゃないかな」


「なんか複雑な経緯ありそう」


「仏教でも延暦寺の天台宗とかはそもそも「どんな人も救われる」「どんな神様も時、場所、場合を考えたご本尊が姿を変えたもの」っていう思想で、割と積極的に他宗教を取り入れたらしいんだ。

 だから進んだ大陸文化を受け入れる中で多少異質で排斥されかねないものでも、大きな問題が無ければ「オッケー、君も天台宗」って受け入れ体制作ってた可能性はある。

 あとはもしかしたら密教の影響とかかもね」


「密教って何? ちょくちょく聞くけど仏教じゃないの?」


「密教は仏教のはずだけど、結構異質。話を聞く限り、何かやたら周囲の宗教の影響を受けやすい印象。

 そもそも核心の教義が偉いお坊さんにならないと知らされないらしい」


「そんなんあるんだ」


「細かい事は専門家に任せて、密教は大きく初期、中期、後期の3つに分けられる。これらは性質が全然違う。

 初期密教は「とりあえず呪文を唱えると効く」という信仰。これはインド現地のバラモン教の影響っぽいらしい。

 中期密教は日本で大事にされてる密教で「自宅でプロになる方法教えます」みたいな感じ。一般庶民でもお坊さんにならずに悟りを開けるって教え。だからかなりゆるい。

 後期密教は、ゆるいを通り越して、エロい」


「なんか今変な事言った?」


「エロい物が不思議パワーを発揮するみたいな信仰なのかな? これもインドのどっかの宗教の影響だったらしい。

 シャクティ思想っていって、本来は男神女神が一緒に活躍する神話みたいに、お互い最良のパフォーマンスを発揮できるのがベストパートナーみたいな発想だったっぽいんだけど」


「どうしてそうなった。大惨事になるやつ」


「実際、後期密教では妻帯オッケーみたいなゆるさを越えて破戒、いわゆる性犯罪まで行っちゃうケースが増えたらしくてな。

 初期から真面目に研究してたチベット密教が「ゆるいってそういう事じゃねーんだわ!」ってブチギレるなどして色々改めたらしい」


「もう三つとも別物だろ。むしろどうしてそうなった??」


「そうだよな。この辺はインド周辺で宗教事情が激変してきた結果って解釈をされることもあるみたいだ。

 ちなみに後期密教が日本に入ってきて陰陽道と合わさった結果、真言立川流というエログロな宗教ができて邪法として潰された。

 と、言われてたんだが、研究の結果、どうも違うかもしれないという説がある。

 何でそんな事を言われたかっていうと、1200年頃に立川流と関係の深い心定しんじょうって人が書いた受法用心集という文献に、エロい儀式しながら髑髏どくろを加工して本尊にし、神様を降臨させるっていう方法の詳細が書いてあったかららしい。

 でもその受法用心集の内容は、やばい系宗教団体の特徴を列挙して注意を促してただけらしいっていう説があるんだ」


「部分的に切り取られて炎上するやつ、ウェブ上で百万回見た。書いた人たまったもんじゃないな」


「真言立川流の資料が物理的に燃やされたのが14世紀で、消えたのは江戸中期、西暦の18世紀頃って話だから、その後も500年近く続いたことになるな……風評被害のせいだったのかはちょっと分からない」


「流石に別の要因なんじゃないか? 風評被害が500年続いたならもう呪いだろそれ」


「ただ、そうなると真言立川流とは別にエロいことしながら髑髏を加工する宗教団体が居た事になる。

 葬式の夜に大臣の首を持ってかれる事件があったとか。まぁ大臣が荒っぽい人だったって説があるし、恨み買ってたのかもしれないけど」


「何で他人の持ってくんだよ、せめて自分のとこでやれよ」

「受法用心集に偉い人とか聖人とかの髑髏は価値が高いみたいなこと書いてるって説がある」


「そんな教義あったら死体損壊待ったなしだな……ちなみに過去に日本に来てた説を出した外国の宗教にそれっぽいのは無いよね?」


「……ある。正規の秘儀なのか裏技的な外法なのかは知らないけど、古代メソポタミア、エジプト、ギリシャローマ、ケルト辺りには頭蓋骨を降霊術に使って死者に色々教えてもらうっていう魔術がかなりある。儀式跡もちょくちょく発掘されてる。

 でも髑髏本尊は作る時に、うるし使うらしいんだよね。多分西洋は漆使わないだろ? 松脂まつやにとかならそっち使うだろうし。アジア圏なんじゃないかな。

 陰陽道ならもうちょっと大々的にやってたと思う。そもそも冥府の神様の祈祷を盛大にやってたみたいだし。むしろ死後に祀られたい権力者ぐらい居たはずだ。

 言われてるのが、やっぱり密教の一流派だけど真言立川流ではないって説」


「なあ、髑髏に漆って、何か信長にそんな話無かった?

 裏切った外戚の髑髏を杯にしたとか、いや本当はそんなんしてないとか」


さかずきにはしてないけど、髑髏を漆と金箔で飾ったのは本当っぽいらしい。

 密教では変な方の宗教じゃなくて死化粧しにげしょう、西洋のデスマスクみたいな感じで、髑髏を漆とかで肉付けして飾るのが葬儀の一方式としてあったっぽいって話がある。

 もちろん滅茶苦茶手間暇かかるだろうからおいそれとできる葬儀でもなかっただろ。

 信長、丁寧な葬儀をしてあげたかったんじゃないの? っていう説はあるんだ」


「ちょくちょく聞くよな、信長超やばい人説と超いい人説」


「結構敬虔な人ではあるみたいなんだよな。

 それで寺が強訴だ何だって荒れてるの見たら……憤る気持ちはあったんじゃないかな。武力行使に出た理由はそれだけじゃないだろうけど」


「……てことは髑髏の宗教は密教がらみかもしれないけど海外から来た別のものの可能性もあるのか……? もしかしてまた冥界関係の神様来てない?」


「受法用心集によれば、この怪しい宗教の神様はインドから来た荼枳尼天だきにてんっていう女神様らしい。

 密教の経典によれば荼枳尼天だきにてんは人食いの女神様で日本に来たとき調伏された。生きてる人を襲わない、死者の肉しか食べないと誓わせたって話だ」


「死体は食っちゃっていいんだ……」


「半年後に死ぬ人が分かるんで、その人を6カ月守ってくれる代わりに死後心臓をもらってくそうだ。

 人の心臓や肝臓にできる真珠みたいなのが必要らしい」


「それってもしかして脂肪粒」


「何でフォアグラなんだよ。って言いたいとこだけど、元の資料は読めてないけど、牛黄ごおうみたいなもんって書いてあるから結石かな。牛黄は漢方の一種で牛の胆石」


 そして人の心臓や肝臓の真珠みたいなのは人黄とされる。ウンコの漢方の人中黄とは名前は似てるけど別物である。

 牛の胆石の別名は牛玉というが、牛頭天王ごずてんのうの牛玉とは別物と思われる。


「ちなみに荼枳尼天だきにてんを調伏したのは大黒天」

「大黒天……そういやさっき言ってた?」

「仏教と習合した大国主おおくにぬしだよ。シヴァ神の化身の一つ、マハーカーラ」

「隠居した冥王様がわりかしハードな仕事しとる」


「まぁ、そんな感じで色々あって荼枳尼天だきにてんは豊穣神と習合してあちこちに祀られてる。いわゆるお稲荷様。

 荼枳尼天だきにてん、元はベンガル地方土着の豊穣神だったって説があるから、日本に来るまでに苦労したのかもね」


荼枳尼天だきにてんは他の仏教の神様と一緒に日本に来ただけだよな? あれ? ベンガル地方って何か聞いたような……」


「八大龍王の妹のマナサだろ? 破毒の女神」

「そっか」


「こっからはお前が好きなオカルトバトルの、ケルトの僧が日本に来てた仮説の人の密教のパートと混ざる」

「別に好きなわけじゃないけど……ケルトと密教……?」


「密教は初期密教が成立したのが7世紀頃、それ以前に千年近い歴史があるインド仏教としては割と最近。

 この時代って、中東のイスラム教とかが勢力を急速に拡大させてた時代なんだ」


「あの辺全然わからん」


「安心しろ、俺も分からん。

 密教はその後百年ほどで性質を変えていき、最終的にインド本国の仏教はヒンドゥーと同化してほとんど姿を消したとされる」


「……? 宗教が同化して消えるって、あんまり想像つかないんだけど」

仏陀ぶっだもヴィシュヌ……だったかな?とにかく別の神様の化身って事になったらしい」


「……あれこれ習合してる日本が言うこっちゃないけど、それって現地の人モヤモヤしなかったの?」


「あの辺の地域では習合とか化身ってポピュラーっぽいんだ。仏教も他の宗教の神様を仏陀の前世とかにして習合してたりする」


「そういえば比叡山の仏さまもTPOで姿使い分けるんだっけか……」


「明王とか、天部、護法神っていうのは仏教に帰依して仏教を守ることにしたっていう神様達とされてるんだけど、まんまインドの神様達だし。

 まぁ、そのモヤモヤをモヤったままにせずに全力殴り合いしたのが宗教戦争なのかもね。

 キリスト教の異端認定とかも、当時は教義を厳格化して周りの宗教に取り込まれるのを防ごうとしてたのかもしれない」


「解釈違いで異端認定とか心狭っとか思ってたんだけど、その話聞くと何かしらの事情はあったんだな」


「仏教も大昔から仏陀や戒律に関して色んな考察があったけど、異端認定とかはしなくて大分裂したらしい。そして外的要因も相まってかインド仏教は消えた」


「そっか……」


「話を戻して、密教の要所は7世紀頃のカシミール地方とベンガル地方と言われてる」

「カシミールは分からんけど、ベンガル地方ってさっき出てきた女神マナサと荼枳尼天だきにてんの実家か」


「カシミール地方は古くは仏教の経典が集まった所らしい、イスラム教が急拡大し始めた中東に近い。

 ベンガル地方は今のバングラディッシュの辺り。国が仏教を保護していた。

 ここに近いインド南部は急速にバクティ思想っていうのが勢力を伸ばしてたらしいんだ。バラモン……司祭とか賢者?聖人?とにかく偉い人に頼らなくても、日夜神様を思っていれば救われるっていうシンプルな教えとされている。

 そうであればこの辺の地域ではギリシャ神殿やケルトがキリスト教に押されたみたいに、弱い宗教が拡大してきた他宗教や他宗派に圧迫されるって事が起こったんじゃないかって説」


「じゃあもしかして荼枳尼天だきにてんやマナサが怖いのって、若いママさんが威嚇するために髪染めてサングラスかけてヒョウ柄着てるような感じだったりする?」


「例え方……いや、本来の信仰は知らん。古代の神様だと普通に生贄とか要求する神様居るし、仏陀もしょっちゅう殺人人食いたしなめてるし」


「そういえば関係あるかは分からん中米アステカ、祭壇に人の心臓捧げないと太陽が弱る信仰だったな」


「ただ仏教に怨敵調伏の考え方が出てきたのがこの頃って話があるから、もしかしたら関係あったかもね」

「やっぱ威嚇も必要だったのかな?」


「とにかくインド密教に話を戻すと、そういった宗教を圧力から救いたいって思いから、仏教に新しい教えが生まれたんじゃないか。

 密教の秘密って、圧迫された他宗教に仏教って衣装を着せて匿う事だったんじゃないかっていう仮説」


「おー、それっぽい。密教のお坊さんに聞いたら教えてくれないかな?」


「合ってても間違ってても教えてくれるわけないだろ、何のための最高機密だ。

 根拠は最澄さいちょうさんがやたら異国っぽい信仰も保護してるっぽく見えるってだけだからな。天台宗は本来そういう方針なんだから密教の秘密全然関係ない可能性が高いし。

 そもそもどのインドの宗教も化身と習合の考え方によって他神の信者の囲い込みはよくやってたみたいだから「どうせ取り込まれるなら仏教」ってなるかは不明だぞ」


「そういえばそう」



「ちなみにこの仮説で行くと、密教が最初に受け入れた被害者はバラモン教の一部。だからちょっとしたおまじないみたいな小規模な信仰を取り込んだみたいに見える。

 次にあちこちで大型宗教に遭遇し、ヨーロッパもダメ、アラビア半島もダメ、ペルシャもダメ、インドもダメってなった人たちの、文字通り駆け込み寺になった。なるべく広範な宗教に耐えれるように教義を緩くして、チベットを通って砂漠を越え、中国へ脱出する道を整備した。七、八世紀の中国が基本的に仏教を推奨してたのも幸いした。

 最後に「え、マジでここも救済するんすか?」って仏教とは相容れなそうな所を回収して役目を終え、チベットは地理的な理由も相まってインド方面最後の密教の砦となり、ごく一部が中国を渡って日本にまで来た」


「そんで中国の密教を頼って少数派宗教の人達の一部が日本まで逃げてきた感じなのね」



「ケルトもその一つっていうのがそいつの仮説。特に根拠は無い。どこかに残ってたのか、偶然合わさってそれっぽい形になったのか、妙な所で過去の信仰に似てるやつが出てくるのはちょくちょくあるから」


「まぁ極東サブカルチャー界隈に古代ギリシャ信仰の発想がリポップとか言われたらな……」


地蔵十王経じぞうじゅうおうきょうっていうのがある。

 インドの冥王、ヤマ信仰はインドから中国経由で広まる間に、徐々にローカライズされたんだ。

 結果、中国では十王と呼ばれる十人の裁判官が冥府の審判を下すことになる。

 それが日本でさらにローカライズされたのが地蔵十王経じぞうじゅうおうきょうと言われている」


「地獄の裁判官って十人も居たのか」


「ギリシャ神話でも裁判官は三人居るしな。

 で、厳密な時期と場所は分からないんだけど、日本で地獄がローカライズされた頃に奪衣婆だつえばっていうのが入ってくる。

 周辺の信仰で見つからなかったのを見るに割と急に入って来たっぽいんだけど、奪衣婆だつえばは冥府の入り口で亡者の衣装を剥ぎとり、コンビである懸衣翁けんえのうとともに衣装でその罪の重さを確認する役とされる。

 これ、メソポタミア神話のイシュタルの冥界下りの冥府の門の話にちょっと似てるんだ。

 冥界にふさわしくない装いで来たイシュタルが冥界の7つの門で次々止められて、最後はすっぽんぽんっていう」


「どんだけTPOをわきまえてなかったらそうなるんだ」


「もう一つは、紀元前5世紀頃にプラトンのゴルギアスっていう本の中で「死者が服を着てたので冥界の裁判官達が正当な判断ができなかった。ゼウスが服を脱がせるように裁定した」って話が出てくるらしいんだよね。

 もしかしたらあの辺では冥府の裁判では服を脱ぐみたいな考えがあったのかもしれない」


「ほっといたら副葬品どんどん増えて資源を圧迫するからじゃね?」


「案外本当の所はそういう事情かもな。

 地蔵十王経じぞうじゅうおうきょうには三途の川の原型と思しき描写もある。浅瀬を渡る、深みを渡る、橋を渡るという三つの方法が紹介されているらしい。多分罪の重さによるのかな?

 しかし、その少し後の時代には渡し守に六文銭を渡す事が日本の定番になってる」


「ギリシャ神話のカロンが突然のリポップ? 仏教なら中国とかから渡って来たんじゃなくて?」


「中国も広いから場所によって違うのかもしれんけど、中国の三途の川は地獄にあって、渡ると転生できるっていう奈河が該当するのかな? 橋が架かってて、記憶を消すスープをふるまわれるとか」


「その部分は飲むと記憶が無くなるレテ川に近いのか」


「まぁ冥銭は大陸全体にあるし、ギリシャのスティクス川はもちろん、冥界に川が流れてる神話は多い。それこそギルガメシュ叙事詩でウルシャナビっていう、それっぽい船頭とかが出てくる。

 で、葬式で用意する冥銭と合わせて渡し船一本に絞られてもおかしくは無いとは思う」


「ああ、複数地域から伝わった風習から逆に再形成されることもありうるのか。

 ……もしかしたらマジで何かの保存活動が功を奏して偶然文化が復活することもあるの……?」


「どうだろな? 今んとこネタとして消費しようとする人から科学的手法や大量の文献を駆使して古代宗教の復元を試みる人まで色々あるみたいだ。

 こんだけあれこれ言っといてなんだけど、あんま宗教にのめり込まない方がいいぞ」


「そりゃ分かってるけど、ちょっと調べるぐらいは別にいいじゃん」


「千年単位で歴史のあるディープな世界なんで、半端な知識で物を言うと滅茶苦茶失礼なことがある。俺も全然人の事言えないから他所では話してない」


「ああ……オタク界隈ですら半端な知識で知ったかぶると嫌われるよね」


「あとは周りが心配する。今は法整備や制度がしっかりしててネタにできるレベルだけど、俺らよりちょっと上の世代は宗教関係ってトラウマだらけなんだ。宗教って聞けばテロのニュースと結びつく世代だ。

 個人の経験でも、道でしつこく声かけられたとか家に押しかけられたとか、十人に聞けば半分ぐらい経験あるって答えるレベル」


「今だと犯罪じゃん」


「メジャーな宗教の一派の振りしたりするんで気が抜けない」

「そんなんちょっと知識有ればわかるでしょ? 俺は知らなかったけど」


「無理だね。頭が良かろうが知識があろうが、ひたすら間違ったインプットが入ってくる環境に置かれたらバグるんだよ。洗脳ってそういうもんだから」


「洗脳……」


「何が怖いって普通の宗教の簡単な集まりや修行や出家。洗脳にちょうどいい環境なわけ、だから既存宗教の皮被ってフレンドリーに接してくるのもある」


「こわ……」


「言っとくけど、今でも世間はものすごい警戒してるぞ。

 駅に行くのに便利な道があってさ、入り組んでるからあんまり人通らないんだ。その道の先って諸々の事件とは全然関係ない新興宗教団体の建物と駅しかないんだよね。その宗教は妙な音楽ガンガン流して何か叫んでる胡散臭い感じだけど、今の所何かやらかしたことは無い。

 で、そこ通る時って、交番のおまわりさんがじーっとこっち見てんの」


「顔確認するだけなら録画でよくない?」


「最近はAIで映像から検知するやつあるけど、それが整備される前の時代の話。

 薬物やってないか見てたんだと思う」


「いいっ?! 何で??」


「今どきいい大人が人目も気にせず騒いでたらそりゃ疑われる」

「カラオケのストレス発散法もあるから許してやれよと思うけど防音には気を配った方がいいな」


「防音してたらそれはそれで何か疑われそうだけど。

 まぁ薬物による酩酊状態って宗教と縁が深くてさ、LSDやコカインも古代から宗教儀式に使われてたって言われてる。古代ギリシャとかメジャーどころの儀式に薬物使われてた説もあるわけだし。

 良くない新興宗教でこっそり使ってるって定番だったりする」


「LSDとかって最近合成されたんじゃないの?」


「植物や菌類から採取できる幻覚剤や精神に影響する薬もあるんだよ。大麻とかも原料は植物だろ。

 そんなわけだから極力関わんない方がいい。わざわざ知り合いの年配者のトラウマ刺激する事ないし、歴史のある有名なとこに、ちょっと遅めの初詣ぐらいで済ませといた方が安全。

 どこにでも変な人は居る。既存の宗教関係者を装うって言ったろ? 分かりやすく怪しかったらあんなに被害者出てないんだよ」


「お、おう」


「あと神域に居るのは人だけじゃないから」

「ん?」


「火山の熱で蒸気やガスが上がってる場所を地学で地獄っていうんだけど、そこに石のお地蔵さんが祀られてて、誰も居ないはずなのに杖の音が」


「待ってなんかちがう怖い話になってる」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ