第十九話 一矢に賭ける
聞こえてくる雄叫びは、心の底を震わせて来る。家々は次々と村人たちの手で焼き払われていく。
アランの時とは違い、相手は村のことなどどうなっても良いと思っている。つまり、相手は手段を択ばないということだし、こちらはこの前のような作戦は通用しないというもの。
――せめて、サーシャに近づく方法があれば。
隠れている家の陰から、イリスは顔を覗かせる。
広場の真ん中に彼女は陣取っていた。晩餐用に出された机に、行儀悪く座っている。彼女の周りには、数人の村人たちが守るように徘徊していた。
彼らに見つかれば、あっという間に囲まれてしまうだろう。そうなれば、どうなるか火を見るよりも明らかである。だったら村を放っぽりだして逃げればいい。その選択肢も頭の中でよぎったが、すぐに否定した。
村人たちを放ったらかしで、逃げられるわけがない。
町だって彼女の術中にはまっているのだ。逃げたところで、イリス・フォーゲルには行くべき場所がない。
だったらここで彼女を討つしかなかった。
「ほらほら銀色ちゃん! 逃げてばっかりじゃつまらないよぉ!」
彼女の楽しそうな声が響く。実に逆なでするのがうまい声色だ。
「い、イリスちゃん……。ど、どうします?」
横にいるマリルが、小声で訊ねてくる。
「どうにもこうにも……」
「で、ですよね……。だ、だったら私が囮になって……!」
「だめだ!」
彼女の提案に思わず声を上げてしまった。口をつぐんで、村人たちの動向に目を配る。
幸い気づかれていないようで、胸をなでおろした。
「役に立ちたいのは分かる。でも、犠牲になれって言ってるわけじゃない」
「で、でも……」
「イリスにとって、マリルは大切なパートナーってことだろ。そういう心を組んでやるのも、役に立つってことじゃないか?」
ラルフの一言によって、マリルはうつむいてしまった。
「んで? 何か策はあるのか?」
「……困ったことにない」
「だろうな」
ラルフが諦めるように肩を竦める。
「とりあえず、ここにいたらいつ見つかるか分からんぞ?」
「……分かってる」
「ま、オレについてこい。広場の死角を回りながら隙を伺おう」
ここは土地勘の強いラルフについて行くしか、道はないだろう。マリルの手を握り、彼の後ろをこっそりと移動する。
しかし、隠密に行動するということは、そう簡単にはいかなかった。
「助けてー!」
「いや、みんななんでこんなことになってるの!?」
「こっちくんな!!」
響いてきたのは子どもたちの声。農具を持っている村人たちに、追いかけられている。放っておけば殺されるのも時間の問題だ。
明らかに罠だと、心の中が警鐘を鳴らしていた。
しかし、気がついた時には足が動いていた。
「……おい!」
ラルフが手を握って止めようとする。そんな彼の手を、振り払った。
「……クソ」
悪態を吐きながらも、ラルフは一緒に来てくれた。もちろんマリルも後についてくる。
一人の子どもに向かってクワが振り下ろされようとしている。防ぐように、イリスが剣で弾いた。続けて後方から迫った二人目を、ラルフが頬を殴って撃退する。
殴られた村民は、体を半回転させてから、数メートル吹っ飛んだ。
「ひっさびさに人を殴ったけど、いってぇわこれ」
ラルフは手を数回振ってから、次に来る村人と取っ組み合っていた。
「だ、大丈夫?」
マリルが子どもたちを庇うように抱いていた。
子どもたちの目は、涙で濡れていた。怖かったのか、震えている。そんな彼らを気遣うのはマリルに任せて、迫る村人たちを一人一人相手取る。
なるべく傷をつけないように気をつけながら、一人一人と相対していく。しかし、村人たちは痛覚が通っていないかのように立ち上がり、再び襲ってきていた。
アランのときと魔力量も違えば、魔法の質も違う。完全に一人一人の肉体が、強化されている。このままではじり貧なのは必至。
振り下ろされた鎌を剣ではじき返し、後方によろけたところに顎を蹴り上げる。村人は上体を後方にそらしていた。そのまま後方に倒れるかと思いきや、無理やり姿勢を戻してくる。とても人間のなせるわざではないことは確かだ。
その気持ち悪い動きに負けまいと、腕を掴んで背負い投げの要領で投げ飛ばした。数人の村人たちを巻き込み、転倒させる。
奥の方からまだまだ迫ってきているのが見える。このままではやられてしまう。とにかく安全な場所にと、振り返った。
「い、イリスちゃん……こ、これ」
マリルが手渡しのは、子どもたちからもらった荒削りの弓だった。抵抗するために、咄嗟に武器となるものを持ってきたらしい。
貰って、イリスは口の端を釣り上げる。
――そういえば、僕の運ステータスは測定不可能だったね。
彼女から弓を受け取って、告げる。
「マリル、ラルフ! 数秒でいいから、時間を稼いでくれないか!?」
「……わ、分かった!」
ラルフは、新たに一人を殴り飛ばして、ガッツポーズを見せた。
さてと、矢を一本子どもから受け取る。
――舐め腐った態度を取ったらどうなるか、身をもってお仕置きしてやる。
「あれ? あれれ? 銀色ちゃんはどうしちゃったのかな? 逃げちゃったのかな?」
机の上に座り、足をぶらつかせるサーシャは面白げに口を開く。
「ぼーこくの騎士が、なんだかんだ言ってた人が、ピンチになったら逃げるって、そりゃさいてーだ。さいてーだよね?」
正面から殴り込みをかけてきたマリルとラルフに向かって言う。
彼女たちは襲い掛かる村人たちを対処しながら、サーシャと相対していた。一方のサーシャは余裕を崩さない。
彼女を守るように、村人たちが蹂躙してくる。ある程度までは近づけるが、彼女に一撃を入れるのは無理な話だった。
一人の村人の攻撃をかいくぐったマリルが、サーシャを睨みつける。
「た、例えイリスちゃんが逃げたとしても、わ、私は最低だとは思いません!」
「ふーん、仲が良いこと♪ 君たちは銀色ちゃんが逃げるまでの時間稼ぎってところ? 結局無駄なことなのに」
「な、なんて言ってもらっても構いません!」
「その威勢、つまんなーい! つまんないからー、さっさと殺しちゃおう」
童女とは思えないほどのドスの効いた声に、マリルがビクリと体を震わせる。それでもと、マリルは一歩も引かない。
「や、やれるものなら……!」
「……殺すよ」
その言葉と同時に、風の切る音が響いた。
運はこちらに向いているようだ。
もし、村人一人一人と視覚を共有していたら終わっていただろう。
もし、子どもたちがラビアの肉を食べていたら終わっていただろう。
もし、弓を持ってこなければ終わっていただろう。
もし、マリルとラルフがいなければおわっていただろう。
もし、もし、もし、もし……。
いくつものもしが重なって、イリスはここにいる。
サーシャの目は、マリルとラルフに向かっている。村人たちの気もそちらに向かっている。近くにいる子どもたちが、心配そうにこちらを見上げていた。
大丈夫だと、笑顔で迎える。
今は素早く片をつける。いつまた村人たちに、気づかれるとも限らない。
息を整えて、矢をつがえる。腕を引き、弦を引き絞る。耳元に、弦が張り詰める音が鳴る。
目標までは目測で二十は空いている。荒削りの弓で狙うには、難しすぎる距離である。しかし、イリスは当たるという自信があった。
たった一本に賭けて、弦から指を放した。
◆
風の切る音がした。そう感知した瞬間には、サーシャの視界が暗転していた。
何があったと理解する前に、右目から痛みが広がっていく。
じんわりじんわりと、奥底から熱い何かがこみあげてくる。
「……ぁ」
小さい声が自分の口から漏れた。矢が刺さったと気づいたのは、数秒後のことだった。
サーシャには己が傷をつけられない自信があった。例え、相手の前に姿をさらしたとしても、負けないという自負があった。
だからこそ敵を一般人の手でグチャグチャにするところは、目の前で行おうとしていた。自分が楽しむためだけに。
それが仇となったのは、今の彼女は考えられない。
「い、たい……」
じくじくじくじくじくじく。右目から痛みが溢れてくる。
「いたいいたい……!」
頭が、体が、痛みで言うことを聞かない。
「いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい!」
魔力が自分の中から溢れているのが分かる。しかし、止められない。制御するための“与えられた瞳”に、傷をつけられてしまったのだから。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁああああああああ――!」
頭を抱えて暴れる彼女から、魔力が飛び散った。




