鮮血の雷獣
「私の居合に対して策も無しに正面からきますか……、舐められたものですね……」
忌々しげに、ヨシュアは吐き捨てた。
しかし、エレナは微塵も舐めてはいなかった。
最大の切り札である『雷獣モード』には、それ相応に追い込まれたときではないと発動しない。
ヨシュアの想像以上の実力に追い詰められていた。全身全霊をもって倒すべく、速度を緩めず、ただ目的地へと歩む。
もうすぐヨシュアの間合い。エレナは構わずそこへと足を踏み入れる。
「死ねっ!」
ヨシュアは一歩前に踏み込み、凄まじい速さで刀を抜く。
「――!? 手応えが……ない!?」
驚き、口が半開きのヨシュアを尻目に、すでに懐に潜り込んでいたエレナは、左手のナイフを突き出した。
「……くっ!」ヨシュアは、咄嗟に僅かだが半身をずらすーーが、ナイフが鎖骨の辺りに突き刺ささる。
そしてえぐる。
肉を裂く感覚を、エレナは刀身から感じた。
「ぐあっ」右肩を押さえて後ずさりするヨシュア。押さえている指の隙間から、赤い液体が溢れだす。「なんだ――!? 消えた……だと!?」
エレナはナイフを抜いて、嘲笑を浮かべた。
「消えた? ただ後ろに下がり、前に踏み込んだだけなんだがな。どうだ? 雷獣――いや、猫の力は満足していただけそうか?」
血の付いたナイフをヨシュアに向けて言う。刃から赤が滴る。
ヨシュアの端正な顔が屈辱で歪んだ。
堪らない――ゾクゾクするよ。もっと、屈辱に塗れた表情を眺めていたいが――、
「時間がない……終わらせよう」
エレナは向けたナイフを横に振り、血を払った。
「こちらの台詞だぁっ!」
怒号を発しながら負傷した右肩を庇いもせず、居合の構えのまま突進してくるヨシュア。
エレナもヨシュアに向かって走り出していた。
――居合。
音より速く抜き放たれる刀。
――雷獣。
超多重並列思考。二桁以上の思考を同時に処理して、戦略を立てる。それを集中させるため、大脳を介さずに脊髄が神経たちへと命令する。脊髄反射に似ているが、非なる能力だ。
エレナは突っ込みながら地面すれすれに屈み込みかわす。
ヨシュアが刀を返そうとする前に、エレナは左手のナイフで刀の根本をおさえ、初動を封じた。
同時に、右手のナイフをヨシュアの庇っている左手もろとも喉元に突き刺す。
右手に伝わる感触を味わい、抜く。
「まる……で稲……光」
上半身が崩れ、地面に両膝をつくヨシュア。
喉元から、血が噴き出した。
「勝負あり――だ」
ヨシュアを見下ろし、エレナは冷たく言い放った。
「エレナぁ……!」
赤い目を濡らしながら駆け寄ってくるガド。
それよりはやく、物陰から飛び出してきた人影がエレナに抱き着いてきた。
「さすがエレナっ!」
その人影がエレナの胸に顔を埋めた。
「ノエル……無事だったか」
抱き着いてきた少女は、ぐりぐりと更に顔を埋めてからエレナを見上げる。
「無事だよー。だけど警報なるし、エレナと連絡つかないしで勝手に計画進めちゃったよ?」
「助かる。お前が計画を進めてくれることを信じて、ここまで来たんだからな」
「にゃー。エレナに信じられてる! 幸せー」
こんな可哀相な感いっぱいな子だが、機械に関しての知識、技術は大人顔負けである。
「エレナ姐さん。その子は誰っスか?」
「ノエルだ。まだ十七才だが、機械に関しては専門家顔負けなほどだ。さあ、話は後だ、さっさと脱出するぞ!」
エレナは、強引にガドの手を引っ張り寄せた。
「エレナ、血が……大丈夫なの?」
「ん? ああ、これか?」エレナは右肘の内側で、額の血を拭い取る。「傷は浅い、大丈夫だ」
心配そうにしているガドにそう答えた。
「エレナ! こっち!」
ノエルが小型飛行船の前で手を振っていた。
エレナ達は次々に乗り込んでいく。
「よおっ、『指切り』に苦戦したみたいだったな」
船内にいた隻腕の男がエレナに声を掛けてきた。
「ああ、強かった。あいつの変態性がひとり歩きしていたせいで、本来の強さが伝わっていなかったんだな……」
ヒュドラと呼んだ隻腕の男にそう答えてから、ノエルに告げた。
「ノエル! すぐに出れるか?」
「もちろん! みんな席に着いて、しっかりつかまっててね!」
席は四つ。エレナは後部座席に腰掛け、ガドを抱き寄せた。
血でガドを汚してしまいそうだが、今はそんなことを気にしている状況ではない。
エレナは、腕に力を込める。
「しっかり私に抱き着いていろ。いいな?」
「はいっ」
そう言って強くしがみついてくるガド。
床が開き、飛行船がゆっくりと下降していく。
順調にことが進んでいた。
「さすがだな、ノエル。今は警戒体制のはずなんだがな。お前は頼りになる」
「えへへー。警報が鳴った時に、格納庫に対する外部からの遠隔操作の無効。それに監視カメラやセキュリティに関するシステムを全部ダウンさせといたからねー」
監視カメラか……なるほど、それで脱出経路に傭兵達もそんなに固まってなかったのか。エレナは、傭兵達と交戦しているときに感じていた違和感が氷解していく。
「部屋に突入するのを手間取っていたり、短機関銃にナイフの組み合わせだったりと、おかしいと思ったんだ。いや、本当に助かった。お陰で格納庫までは、すんなりといけた」
「えへへー」
ノエルは誉められて照れ臭そうに、小型飛行船を操作していた。
「ヨシュアが格納庫にいたのは、あらかじめ私の脱出経路を読んでいてあの場にいたのか……。あいつが単独行動せずに、司令塔のまま機能してればどうなっていたかな」
ヨシュアが自らの恣意に準じたことで、良い方向に噛み合っていたのだ。それは、エレナにとっては嬉しい誤算だった。
完全に小型飛行船が船底につくと上の蓋が閉じる。そして遠く先の外への出入口が開いた。
ここから先は未開の地――エスタバーニャの夜空。
赤く滲む空に、零れんばかりの星々が光り輝いていた。
思わず息を飲んでしまう光景。
「出るよっ! ちゃんとつかまっててねっ!」
ノエルが声を張り上げると、小型飛行船が射出機によって星々の大海へと投げ出される。
「中々、骨を折らしてくれたじゃあないか」
エレナは嘆息し、一人ごちた。




