いざ、王都へ 6
準備中という札が掛かっていたが、カナン亭は賑わいを通り越して騒々しかった。特に後から来店した少女が口を開く度に、黒髪の少年は申し訳なさそうに頭を下げていた。
「あはは、こちらにはお構いなくー」
リリは愉快そうに手を振って応える。隣にいるスティンが相変わらずむっつりとした表情をしているので、相方としては愛想良すぎるくらいで丁度いい――教会の潜入任務の最中であれば、人目は気にし過ぎるに越したことはない。
(パっと見からして、ボンボンですねぃ……それにしても、綺麗な女の子ばっかり連れている)
顔色は一つも変えず、にこやかなままでリリは謝ってきた黒髪の少年をそっと見つめる。歳の頃は自身とさして変わらないように思えた。左手にはめられた緑色の手甲は立派だが、国教を護る黒騎士が気にかける程強くは見えない。
「ティア、お前ここんところ――」
「いいかジオ! お姉ちゃんを放ったらかしてはいけないんだぞ?」
低い声で隣の幼女へ語りかけていたが、それは騒がしい少女にカットされる。眉根こそ寄せたものの、少年が怒っている様子もない。
(んー、あーしはどこが気になるんだろうかいね)
不自然にならないようチラ目を保ちつつ、リリは不思議な少年から視線を切ることが出来ずにいた。
育ちは良さそうだが、黒髪黒目とどこから見ても平凡な少年だ。ただし、お連れの少女たちは平凡と呼ぶには華やか過ぎた。緑、藍、灰――三者三様の髪色は屋内にあっても目立つ。ずっと騒がしいあの少女は上質のローブを着た上にフードまで被っているから顔は見えない。煩いが声だけでも美人であることは容易に想像出来てしまう。
本当に不思議だ――リリは内心で呟いてしまう。
「痛っ!? お姉ちゃんに手を挙げるなんて、弟の隅にも置けないんだぞ!」
「他のお客に迷惑だろ。姉を名乗るならマリィの手本になってくれよ」
「な、なんだとー、ジオの癖に生意気なんだ!」
相変わらずギャーギャーと騒がしい客であったが、黒騎士の二人は身体が強張ることを隠すことが出来なかった。煩いことが問題なのではない。少年に頭を叩かれたところ、そのフードが少し後ろにズレた――露わになった少女の素顔、それこそが問題だ。
「――っ」
少女にしか見えないこの黒騎士は、不自然に美貌を崩さぬよう殺気を押さえ込むことに必死になった。同時に、不思議さの正体がわかった。ようやく、平凡な少年が気になることへの得心がいった。
ごく薄い藍色をした髪は店内であっても、光を受けて緑色の輝きを見せる。何より、その少女のような生き物が持つ瞳は紅をしていた。輝かしい瞳は神に愛された証である。彼らの信奉するアイリス神の加護を得た者は水色の瞳となり、異なる色は他の神の影響下にあることを示している。
「お、お姉ちゃんは、お姉ちゃんはーー!」
先程まではこの騒ぎ声にも寛大な気分でいられた黒騎士だ。だが、リリは身体の奥底から沸々と湧き上がるマグマを押さえることに必死になった。
アイリス神を脅かすものどもには速やかに鉄槌を。博愛を説く神は異教徒にも寛容過ぎるため、熱心な黒騎士であればある程、己らと異なる者たちへは強い疑いを向けるものだ。
潜入任務の最中と言えども、職務の本分を忘れることはない。熱狂的信者であるリリは表情筋を笑顔の形に留めたまま、腕を外套の中へと運んでいく。見た目は可憐な少女のそれであるが、隠し切れなかった部分が尖った口の端に現れた。
携帯式、折り畳みの錫杖の先端には魔力をたんまりと溜め込んだ石が嵌められている。目の前に居るのは人間を気取った人外だ。そいつへ目に物を見せてやろうと、黒騎士はアイリスへの信仰心を爆発させにかかり――
「やめないか、リリ」
見た目に似合わぬ少年らしい声で、スティンは告げた。聞こえる分には落ち着き払った声を出しつつも、有無を言わせぬ迫力が込められている。
同時に置かれた手は、強さと共に包むような優しさを持ってリリの肩へと触れていた。途端にドロドロとした怒りは霧散する。
「兄様……ありがとうございます」
「止まればそれでいい。礼を言う程のものでもない」
紅の瞳をした人外、はしゃぐそれと同じ程に暴れ狂いそうになったが、今のリリはしゅんとしては反省の色を見せていた。
離れているものの、あちらのテーブルが騒がしいことは確かだ。赤い瞳は危険かもしれないが、ここで騒ぎを起こすことは適切でないとスティンは判断した。何より、新しい命を宿しているであろう女性を巻き込むことは出来ない。
ならば、このいきり立った同僚をどうするか。任務で一緒になったばかりとは言え、今は妹分だ。
(どうしたものか)
唸りたい程に逡巡してみせる彼を救ったのは、彼が気に掛けていた人物であった。
「すんません、お待たせしたっす! 当店名物テールスープ……、のテール抜きっす。後はガーリックトーストと、肉抜き野菜炒めっすね。あれやこれや品切れ、準備中で申し訳ないっす」
コトリと、小さな音がして皿が置かれる。渋い表情をしていたスティンも、思わず瞳を細めてしまう程の香りがそこにあった。
あれもこれも美味しそうな料理たちだ。机に乗せられたスープからは、ほかほかと湯気が立つ。透明色の液体には程よく油が浮かび、店内の照明にさらされ黄金色を放って何とも食欲が掻き立てられる。
(牛のしっぽが何だと思ったが、実物を前にするとこう……。ないことが惜しまれるな)
具なしのスープを前に、スティンは複雑な表情をしてみせる。狙っていた訳ではなく、単に準備中の店に入ってしまったのだから文句を言うべくもない。それにしても鼻孔をくすぐる香りに炙られ、食事を目前にして空腹を自覚させられてしまった。
どうするかと考えるまでもない。美味しい料理が待っているのだから、ただの客として振る舞えばそれでいい。
「いいか、リリ。俺らはここでは――」
「美味い! 兄様これ、本当に美味しいですよ!」
「ん、ああ、そうか」
任務に忠実であろうと、生返事をして兄役は己を律することに努めた。
先程まで暴れ出し兼ねなかった妹分――正確には弟であるが――は、頬一杯にトーストやらスープやらを招き入れて喜色満面、ご満悦の面を晒していた。
お前、あれ程怒り狂っていただろうにと、呆れつつもあった。眉間の皺を深くしつつ、料理の一口を放り込めば成る程。平素は仏頂面を晒している彼も頬を緩めてしまった。これは確かに美味いと、湧き上がるものを噛みしめた。味わうことに集中して手を止めたのは、後から考えればよくなかった。
「兄様ーあんまりお腹空いてないなら、あーしがいただきますけど? 無言は同意とみなしますですよー」
「……」
全四切れ中、三切れ目のガーリックトーストへと手が伸ばされたところ、スティンは割と本気でリリの手の甲を叩く。乾いた音が割と派手に響き、他方のテーブルから視線を集めもした。
「い、痛っ! あんた――兄様、本気で叩いたでしょう!」
コミュニケーションが上手くいったかはさておき、スティンは他方のテーブルを気にしながらも食事を楽しむことにした。今ではただの客にしか映らぬことだろうと、しかめっ面を緩めてみせた。
「いいか? お姉ちゃんはだな――」
「マリィ、ティア、冷める前にいただこう」
相変わらず喋り続けるシャロを手で制して、ネギの勇者である少年は運ばれてきた料理を食べるように他の少女らへと促す。
「いただきます」
「召し上がれ、だな」
小さな手を合わせ、行儀よくする妹分。マリィの態度にはにこにこ顔を返しながら、ジオは眉間に出来た皺をほぐすようにして人差し指をあてがった。
「……何じゃ、ヌシは食わんのか?」
「食べるよ。食べるけどな」
うむぅ、と難しそうな顔をして幼馴染の少女を見る。店に入った直後は柔らかな表情をしていた筈なのだが、その後のティアはどうにも難しい顔をしていると少年の瞳には映っていた。
「なら、ごちゃごちゃ言わんと食え。冷めたらカンナと……、カンナの旦那が折角作ったものが勿体ない」
何が彼女の琴線に触れたのか、魔女らしい底意地の悪い笑みを浮かべてティアは嗤う。
「いやさ、カンナさんの料理は美味しくいただきたいとこ――旦那?」
え、あー、え? などと混乱しているジオ。それを見ると、ティアは今度こそ愉快そうに笑った。
「ふはっ、ふははははは! 何だ知らなんだか? 否、そらそうか? カンナは結婚しよったのだとさ」
「え、えー……」
衝撃の事実。意識もせず、むしろ手から意識が抜けたためにスプーンをスープ皿の中へと少年は落下させていた。
ジオから見て、あの女料理人はただの依頼人と呼ぶには複雑過ぎた。レティアで世話になっている宿、彼に料理というものの素晴らしさを教えてくれたモータリアの一番弟子。まして真摯に料理へと向き合う彼女の姿には、並々ならぬ想いを向けてもいた。
それが慕情かと言われれば首を捻るが、かと言って魅力ある女性が他の男の物になったと聞かされ、平静で居られる程ジオは大人でもなかった。化粧っ気もなければ、過剰に愛想を振りまくタイプでもないカンナだったが、それでも好意を全く抱かなかったかと言えば嘘になる。
「後な、もう少し先の予定じゃがのぅ、あいつはその内に母になるってよ」
「母――」
衝撃再び。これまでの人生のほとんどを勇者稼業で過ごしてきた少年には、想像もつかない言葉が飛び出していた。
「ティアティアー、ジオをいじめちゃダメなんだぞ!」
「これはいじめか? そう言いながらもシャーロットよ、ヌシは笑っとらんか?」
姉代わり二人のやり取りがあったが、ジオはスプーンを拾おうとした姿勢のまま固まっている。恋愛対象ではなくとも、カンナは素敵な女性だ――初恋を抱いた親戚のお姉ちゃんが、知らぬ内に結婚と出産していたと聞かされる感覚に近い。
「変な顔……、それはいつもだけど、今日は何かしんどそうだよお兄ちゃん」
「ん、ああ」
マリィが食事の手を止めて心配そうな顔で覗き込む。それを見れば少年は何とか取り繕って返事をしていた。兄と呼ばれたことでプライドとでも言おうか、最後の砦を守ろうとスプーンを拾う。
ジオは勇者であれば、民に心配されるようなことはあってはならないと考えている。まして、相手は妹だ。言葉は竜人との衝突後、廃人になりかけていた時のものと同様の精神状態へ足を踏み入れたが、ぐっと堪えようと努力だけはしてみせた。
「お待たせしたっす。こちら、熟成肉のステーキです」
ドン、と音を立てて置かれた皿は大きい。湯気を立てる肉は豪快に盛り付けられており、皿からはみ出す程。たっぷりとかけられたソースに、これまた大胆に切られたニンニクが目立っていた。
「お兄ちゃんお兄ちゃん、これ、これ凄い!」
目の前に現れた巨大ステーキに、マリィは歓喜の声を上げていた。既にスープとサラダは胃に運んでいたが、ここにきて現れたものはインパクトは勿論、言葉では説明するのも無粋なくらいに美味しそうなもので――否、食べる前から美味いと確信出来るものであった。
「おー……、確かに。これは凄いな」
まだ油の切れた魔導器の如き動きであったが、ジオは瞳を輝かせる。これもまた、彼が食べたことのない料理だった。彼の母も食事は出してくれていたが、今思えばそれは料理と呼べるものではなかった。勇者になるためとは言え、味を度外視したそれらは怒られると知りながらも、料理とは呼びたくない。
「喜んでもらえたのなら、何よりっす。みなさんの今の顔を見たら、旦那も喜ぶっすよ」
準備中に現れた客へは、十分なもてなしが出来ないでいる。申し訳なさやら、旦那の妙なこだわりやらに心が揺れていたが、目の前の人たちは目を輝かせて喜んでくれている。
腹を空かせた人たちを料理で笑顔にしたい。それは料理人として常々想うところだ。
「おいシャロ、何してんだ?」
「うむ、確かに美味しそうだが、色彩が足りない。ネギを入れているのだ」
「……、お店に無断で入れてしもうてよいのか?」
「いいんじゃないかな、刻んだネギ入れてるだけだよ」
カンナにしてみれば作ったものに手を加えられることは、本来は不本意でしかない。だが、店も準備中であればいいかと思える。まして、不器用な勇者であるジオが一家団欒を楽しんでいるのであれば、そこに文句を言うのも違う気がする。
「ごゆっくりどうぞっす」
料理を運んできたお盆で口元を多いながら、ふふふと笑みが零れることをカンナは隠し切れない。厨房へ入ったところで旦那に気味悪がられたが、今日のところはそれも笑って許してやろうと思えた。
大戦は終われども、王都周辺は魔物の脅威と隣合わせ。願わくば、これから生まれてくる我が子が笑って暮らせる世界を……。母となる料理人は主神アイリスと、加護を授けてくれたエギレア神へそっと祈りを捧ぐ。




