いざ、王都へ 3
広い敷地内に、一棟の邸宅がある。王都の居住区で一番大きなこの建物が、大英雄ヴァリスナードの屋敷だ。
二階建てであっても部屋数は多く、さながら平たい城のようでもあった。時期によって人数は異なるが、女性ばかりの使用人がこの日も屋敷や庭の手入れに忙しそうに働いている。ヴァリスナードへ届く依頼や陳情の振り分け、時には市井が何に困っているか等。業務の手は広く、女たちは屋敷を行き来していた。
その中にあって、玄関口を護るように一人佇む者がいた。王城でも採用されている古典的な装いは、背丈の低いこの少女が教養ある侍女だと示している。きりりと引き締められた表情とともに、ごく薄い藍色の髪は陽光に照らされ、客人である勇者一行には緑色に映って見えた。
「やーやー、遠路はるばるお客人。当屋敷の主であるヴァリ助様は不在だ。ごめんよ」
「……」
パリっとした見た目に反して、異様な程に軽い口振り。見間違いであってくれればと思ったが、緑色の鎧を纏った少年の祈りに似た願いは叶えられることもなかった。姉代わりの精霊がヴァリスナード邸でメイドに扮している、そんな場面を前にジオは思わず閉口した。
「おやおや、お客人。頭でも痛いか? 主はいないが、捨て置いたとあらばお叱りを受ける。どうぞ休んでいきなっせ」
いつもの白いローブを脱ごうが、装いが変われどもシャロはいつものシャロであった。弟分には言いたいことが様々にあったが、扉が開かれたために中に入ろうかと逡巡している。黙ってはいるが、不意に覚えた眩暈を解消するべく、人差し指と親指の腹で眉間を挟み込んでいたりもした。
「お兄ちゃん、困った顔してる。あの人は悪い人?」
「……マリィ」
灰色の髪をした少女はジオへ向かって、心配そうに尋ねた。妹分が上目遣いにそうしている姿を見て、勇者は精霊の存在を彼女へ伝えていなかったことに気づく。気づいたところで、どう説明してよいやら途方に暮れてしまう。
少しばかり逡巡してみせた勇者であるが、いつまでも玄関で立ち往生する訳にもいかない。ぶんぶんと手を振り呼ぶメイドを視界に収めると、マリィが被っていた麦わら帽子を取り上げ、腕に抱えさせた。
「んやー……あれな、俺の姉ちゃんなんだよ。きちんと紹介するから、帽子を脱いでお行儀よく頼むぞ」
頬を左手で掻きながら、ジオは続き右手でマリィの手を繋いで歩く。「え、お兄ちゃんにはお姉ちゃんがいたの?」などと驚いた顔を彼女が浮かべていることが、どこか彼には微笑ましく映ってしまう。
「シャーロットって言うんだ。俺の姉ちゃんは、マリィの姉ちゃんでもある。変わったヤツだが、悪い生き物じゃあない……大丈夫さ、きっと、うん」
迷ったように出された言葉であったが、少女は「へぇ、そうなんだ」とあまり気にした様子もない。さていよいよ屋敷に入ろうとしたところで、手足の長い男は飄々とした様子で扉とは逆方向へと身を翻している。
「コーディ、どこへ行く?」
「ちょーっとぶらりとしてきますわ。こんな大邸宅ってのは、どうにも場違いに思えますのでね」
「あ、おい! 王都では許可なく商売出来ないからな!」
荷物を抱えて飛び出す従者へ声を張るが、盗賊よろしく駈け出した彼には聞こえていたかどうか。己を棚に上げるつもりもないが、身内は個性豊かな人が多過ぎるとジオはぼやく。
(まともなのはマリィくらいか)
実際に声に出すことはなかったが、従者に気にかかる部分あれば思わず少年は頭を掻いていた。尤も、利き手が埋まっているために篭手のある方であったために、多少の痛みを伴う。
「コーディーさんのこと、心配? 後、追いかける?」
背中を見送るジオの下から、不安気な表情を妹が覗かせている。自身が枷になっているのではないかとの思いから、兄と繋いでいた手を自然と離す。
「いやいや、あいつはそこらの荒くれよりも余程強いさ。ただ……」
ゴロツキと揶揄されるが、言動以上に器用な面がある。黄金剣士とネギの勇者、まるで方向性の違う主の元で立ち回れるだけで、ジオとしては認めていた。いつでも独り立ち出来るとは思うが、器用な割に言動の酷さが目立つ。
裏社会で生きるには十分だが、あの男には胸を張って生きてもらいたいと思ってしまう。人を育てることの難しさに、改めて少年勇者は己の不甲斐なさを嘆こうとした。
「ただ、なぁに?」
「んーー……王都には生真面目な騎士がいるから、事を荒立てないか心配でな。さぁ、いつまでも突っ立ってないで、中に入ろう」
「いいけど、私は心配だなぁ。王都って、美人がいっぱいいるんでしょ? コーディーさんが捕まらないといいなぁ」
「あいつも一端の男なのだから、大丈夫さ。多分、いや、きっと」
浮かんでいだ悩みの表情を取り払い、ジオは少年らしい笑みでマリィの手を取り歩き出す。青い鎧を纏う女性騎士は間違いなくコーディーと相性が悪い。
(いや、あの騎士姉ちゃんは忙しいから出会わないだろう)
うんうん、と首を振りながら強引にでも納得してみせる。ここのところ悩むことも多くなってきた少年であるが、それは苦痛ではなかった。闘うしか能がないとは、今も思うところ。但し、能がなくとも出来ることはある――
「お兄ちゃん、また変な顔してる。眉間に皺!」
「む、すまん。気をつけよう」
繋いだがブンブンと振られる。我に返ったジオは再び強張った表情を解すように、空いた手、左手の親指で眉間を押した。
「これでどうだ?」
「うん、いつものお兄ちゃんです!」
先程までの不安気な顔はどこへやら。花咲く笑顔をマリィが向けていることに、兄は一層の笑みを浮かべた。
闘い以外に、何も出来ない訳ではない。そのことは妹が教えてくれた。
悩むことは増えたが、それは悪いものではない。勇者になることしか考えて来なかったことが、彼を純粋な人類種の勇者へと育てた。一方、勇者らしくあろうとすればする程、人間らしい暮らしからは離れていく。
「マリィには、いつも助けられているな」
「……お兄ちゃんはすぐ変になる」
怪訝な表情を浮かべる妹分であるが、頬を膨らませたりとコロコロと変わるその顔は見ていて飽きることはない。この小さな少女のことで悩むこと、悩んでいられることが、好ましい――この感情や想いが何であるかを、勇者しかしてこなかった少年は名付けることは未だに出来ずにいたが。
「おいジオ、いつまでお姉ちゃんを待たせるんだ。早くこっちへ来るんだ!」
「もうメイドは飽きたのか」
痺れを切らせたか、いつの間にやらシャーロットは手を振りジオを呼ぶ。見れば、いつもの白いローブ姿に戻ってもいた。愛らしい少女のように見えるが、この精霊は少なくとも四百年はこうして生きている。
「お兄ちゃん、早く行こう?」
「そうだな」
何かとぼやきたくはあったが、目の前にあるのは大英雄の邸宅。マリィがわくわくとした表情を向けてくれば、兄代わりのジオとしては悩みを脇に置いて、再び歩き始めることが出来た。




