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ネギの勇者って、何ですか?  作者: 三宝すずめ
第五話「少女が戴く花冠」
78/202

緑と橙 3

 まだ運動もしていないというのに、手足の長い青年の額に汗が流れる。暑いと思っていれば、いつの間にやら季節は真夏に移り変わっている。


 カナン亭の裏口では、荷物を抱えたコーディーをその主と主の妹分が見送りに出ていた。


 日課のネギ売りは実入りがいい仕事で文句はない。だというのに、青年は汗が入ることとはまた別の理由で、細い瞳を一層細めた。


「旦那、行ってきますぜ?」

「頼んだ」

「本当に、本当に行ってきますぜ?」

「ああ、頼んだ」


 チラチラと振り返る従者を見ながら、少年は右手――ここ最近は素手であることが多い――を挙げて応える。


 従者の熱に比べれば随分と淡々としたものであったが、彼のぶっきらぼうな物の言い方を気にすることは今更だ。ついでに、日頃から主に女性陣へ向けて邪な想いを抱くコーディーを擁護する者は、この場にはいなかった。


「お兄ちゃん、今日は何をするの?」


 ネギ売りに出かけた男の姿が見えなくなると、マリィは橙の瞳に嬉々とした色を乗せて尋ねる。「そうさなぁ……」適当に返しながら、ジオは頭を掻いた。レティアの名所巡りもとうに終わっていれば、旅人である勇者は頭を悩ませてしまう。


 腕組みをすれば、左手だけが緑色の装備に包まれているために不均衡さが窺えた。いつもの全身鎧は、荒事がなければ不要のもの。むしろ“お兄ちゃん”というものをするには何かと不便なものだと、ジオは最近になって知った。


 マリィと出会ってから、三週程が経過している。妹分を喜ばせてやりたいとは思っているが、闘う以外に能のない彼には気の利いたものなど思い浮かばない。


「あんまり遠出すると、コーディーが泣くからなぁ」


 早朝の修練を終えたジオは、かみ殺し切れなかった欠伸をしつつ告げる。「俺の方が付き合いが長いのに!」とは、ここ最近聞き飽きた従者の台詞だ。「従者と妹、比べるまでもないだろう?」ジオは冗談のつもりだったが、トーンが真に迫っていたため、コーディーは体を折って泣いた。それはもう盛大に。


 幼馴染の魔女がしていた警戒は何処へやら。ただただ平凡な日常が今日もやって来ており、緊張感というものは皆無であった。


(闘わないでいると調子が狂う気がするが……実はそうじゃないんだろうなぁ)


 人生のほとんどを修練と魔物退治に費やした少年は、欠伸で眦に浮かんだ涙を指で払う。横では妹が笑顔を向けるが、花咲くようなそれは眩し過ぎて直視し難くもあった。


 これもルファイドの与えた試練か――腹を括ろうとしたところで、マリィよりもわかりやすい少女が手を振り現れる。


「ジオーー、今日こそ、今日こそギャフンと言わせてやるぞ!」

「……朝から燃えているな、いいことだ」


 来訪した赤髪を視界に収め、弛緩し切った表情から取り繕ってみせる。横では「お兄ちゃん、頑張れ! キリカちゃんも、頑張れ!」そんな言葉を聞いては、自然に勇者らしい顔へと切り替わった。


 橙の瞳に灰色の髪、白いワンピース姿が不思議と似合って見える。レティアでは珍しい風貌の少女が隣に居ることが、勇者しかしてこなかった少年にとって当たり前になりつつある。


(マリィとの日々は俺にとっての非日常だが、これは世間にとっての日常? というか、これが俺にとっての日常になっているけど、俺の日常ってやつは世間にとっては……ダメだ。考えるのはよそう)


 頭を一つ振り、思考を打ち消す。考え事に没頭していられる程、眼前の勇者を侮ることは出来ない。


「で、やぁあああ!」


 出された叫びと一緒に、赤い風がネギの勇者の頬の薄皮を薙いで行く。キリカが父から譲り受けた鉄靴が、弧を描く軌道で振り抜かれた。


 ゴブリンであれば頭を砕かれる程の威力と速度が備わっている――だが、闘神の加護を得た勇者はその動きを最後まで視線で追い、首を振るだけで躱してみせた。


「んにゃろ!」

「お、今のはなかなか」


 油断をしていた訳ではないが、ジオの回避は遅れてしまった。何度見ても、空中で二度三度と蹴りを放ってくるこの技には興味が尽きない。


 じっと眺めていたため、回避のタイミングを逃したジオは攻撃を額で受け止める――ゴツンと音がなるが、勇者はただただ不敵に笑った。


「い、痛くないのか?」

「痛いけど、勇者が痛がっていたら周りに無用な混乱を招くだろ」

「なるほど、じゃあもう一発蹴っても問題ないな!」

「いや、痛いのが好きって訳じゃぁないから」

「きゃっ――――」


 少女らしい高い声が響く。追撃は用意されていたが、足首から掴まれては蹴りを繰り出すことも出来ない。


 目にも止まらぬ赤風ではあるが、打撃技と掴み技の相性をもっと考えるべしとはここ最近の師の言葉だ。考えたいところではあっても、プラーンと逆さまになった状態では如何ともし難い。


「修行だから仕方ないけど。その……離してくれ」


 背丈の小さな少女であるが、キリカもれっきとした淑女だ。逆さ吊りのまま固定されるのは、何とも言えない羞恥を覚える――女性扱いを始めた所為か、弟子の反応も少しばかり女性らしさが出始めていた。


「すまん。素直に謝る」


 いつもの調子で、師は手を離す。こうして修練をしていると、ついつい弟子が女性であることを忘れてしまう瞬間があった。マリィから「女の子は大切に!」などと叱責が飛んでくれば、ジオは僅かな時間であったが動きを止めてしまう。


「わははは、もらった!」


 瞬間、頭から落下するに身を任せつつ、赤風の勇者は蹴りを放った。滑らかに運ばれた鉄靴のつま先が、師の鳩尾へとめり込む。


 ゴブリンの頭くらいは砕ける力を見せたこと、きっと師も喜んでいるに違いない――そう目測し、少女は逆立ちのような姿勢を保つ。そのまま、怖気を震う感に苛まれていた。


「……淑女扱いは、十分にしたな?」


 こっからは師弟のド付き合いだ。


 宣言がなされると、いつの間にか右手に篭手が現れては戦慄き出す。肉に食い込んだつま先も、緑色の鎧に押し出されていった。


「ひ、卑怯! 緑色鬼(グリーンオーガ)は卑怯だぞ、ジオ!」

「んーー、先にキリカが女の武器を使ってきたからなぁ……仮に俺が卑怯であったとしても、戦場に待ったはない。うん、待ったなし!」


 すっぽりと頭までを緑色に包まれ、勇者は化け物と見紛う様相を呈す。こうなれば、レティアの町で彼を止められる者はいない。


 再び足首が掴まれたが、赤風の勇者は自由になる方で必死に蹴りを繰り出す。残念ながら、体勢の悪さから有効打は一つもなかった。


「う、うぅ……」


 何かを堪えるような声を洩らしながら、少女は必死に蹴り続けた。だが金槌を振るったような金属音が響くのみ――緑色の鎧にはヘコみもない。


「そうれ、高い高ーい!」

「う、うわあぁぁぁ――」


 ジオが腕を振り抜くと、キリカは叫び声を残して空に呑まれていった。


 心なしか、少女が雲を突き破って煌く星になったようにも見える。


「お兄ちゃん、キリカちゃんが可哀想だよ……」


 呟くマリィは渋い表情で兄代わりを見据えた。彼女にしてみれば、勇者などという常識外の人物――今は緑色鬼か――が、幼気(イタイケ)な少女を無残にも放り投げたように映ってしまうのか。


 化け物を見る目をされてはたまらないと、勇者は冑を解いた。外気に晒されると途端に汗を思い出した。頭まで金属に覆ってしまうのは、この時期だとそろそろ辛いものだ。


「いや、その、そんな目で見ないでくれ」

「うーん……どうしようかなぁ」

「わふっ――ジオ、一瞬だけどママが見えた!」


 会話の途中、天より少年の腕に舞い戻ったキリカは興奮した様子で語る。


 瞳を忙しなく動かしているのは、彼女が錐もみ状に投げ出されたからか。やや錯乱した面持ちで赤髪の少女は師の腕に抱かれていた。


「ず、ずるい!」

「んあ?」


 弟子とのやり取りの間に、マリィは衣服の端を握って抗議する。


 さっきは可哀想と言ったではないか――何がずるいかはわからず、少年は困惑した。しかしながら、この橙の瞳に下から見上げる様にジオは弱い。歳の離れた妹というものは何せ可愛くて仕方がなかった。


「私も、私も!」


 両腕を伸ばして少女がせがむのは何なのであろうか。少しばかり想いを巡らせると、少年勇者は観念したように妹分を掴んで天空へと放り投げた。この間にキリカを地面に下ろすと、崩れ落ちるようにして座り込んだ。


「あ、あはははは――」


 笑い声が空へと消えて行き、しばらくした後に緑色の篭手へと吸い込まれるようにして戻った。


「これで、よかったのか?」


 思わず、ジオは問うてしまう。頼まれたから全力で放り投げたが、腕にすっぽりと包まれた少女は憮然とした表情へと変わっていた。


「お母さんの顔、見えなかった」

「あー、うーん……何だろう。残念だったな」


 そっとマリィを下ろし、兄代わりは自身の頬を掻いた。


 キリカが母を見たというのは、死の危機に瀕して走馬燈でも見たのだろう――ただ、それを口にする程ネギの勇者は無粋ではない。


 マリィが喜んでくれるのであれば、何度でも放り投げてやりたいとすら思う。だが、それが母の顔が見たいと言われると考え込んでしまう。


 ひょっとしたら自分の所為で記憶が失われたのでは? そのような考えがジオと彼女の始まりだった。未だ記憶の戻らない少女と暮らす内に、変わり者の少年はこの少女へとすっかり情が移ってしまっている。


「わははは、ジオ、もう一回やってくれ」

「……もう一回、緑色鬼と殴り合いたい。そう理解してよろしいか?」

「うん、そんな気はないから、また今度な!」


 飛びついて来たかと思えば、すぐにキリカは赤風すら纏って距離を取った。


 お星様になりかねない勢いで投げる相手と、ド付き合いは流石に勘弁願うところ。だが、これ程までに逃げられると思わなかったジオとしては、少々傷ついてもいた。


「お兄ちゃん、マリィはもう一回殴り合ってもいいよ?」

「そうか、お前は本当にいい子――待て、マリィとは殴り合ってないからな!」


 夏の暑い空気のなか、弛緩したように緩やかな風が流れた。額に浮かんだ汗も風を受ければ涼やかに思える。


 緑色の勇者には、このズレたやり取りを何と称してよいかはわからない。しかしこれが不快ではないことだけは理解出来た。


「――ジオ、聞こえるか?」


 風には人一倍敏感な赤風の勇者は、思わず耳を欹てた。呆としていたジオであったが、すぐ様キリカに倣って耳に神経を集中し――止めた。


 ギリギリと、何かを引き絞るような、擦り下ろすような音が響いている。もうそれだけで何かがわかれば、勇者はげんなりとした表情を隠すこともしない。


「聞こえない。修練を続けよう」

「いや、絶対に聞こえているだろ!」


 つっこみを入れるキリカを見てはいるが、ジオは自身に言い聞かせるようにして無視を決め込む。


 二人のやり取りを知ってか知らずか。てくてくと、マリィが音源に向けて歩き出す。最早どうしたものかと、ジオは頭を抱えた。


「コーディさん、何しているの?」

「――お嬢ちゃん、何故!?」


 驚いたようにして、幸薄そうな男が声を出していた。隠れていたつもりであろうが、カナン亭の建物、その壁から長い手足がはみ出しているではないか。


 覗き見ようにも、隠密に類する特技を有していないコーディではバレバレであった。


「コーディさん、何しているの?」


 純粋な橙の瞳で、少女は再び問う。


 何をと問われたところで、邪な想いを抱く青年は答えられずに震えるしかない。ただ、目の前の少女のように素直に気持ちを口にすれば、案外と主は聞き入れてくれるのではないか? そのようにも感じていた。


 こんなことを告げるのは憚られるが、意を決して主へと向かった。


「旦那! 俺も、このハーレムに混ぜ――――」

「ちょっと黙ってろ」


 緑色鬼の姿をとったジオは、一足飛びに距離を詰めてコーディーの顎元を払った。


 何が羨ましいか、それは個人によって異なるものだと少年勇者は理解している。ただ従者を名乗るのであれば、頼まれた仕事をこなしてから不平を漏らして欲しいところだ。ついでに、先程届いたギリギリという音は従者の歯噛みだと知れれば、情けない想いが込み上げる。


 倒れた長身の青年がネギの粉末を落としてみせれば、主である少年は冑の上からも尚、顔を手で覆って嘆息を吐いていた。怒っているような泣いているような――緑色の光を漏らす瞳も、今この時ばかりは泣いているようにしか見えなかった。




「それで、迷った挙句にここか?」


 赤毛の中年は驚きと呆れの混ざった表情でジオとマリィを迎え入れた。いつもならばキリカが一人で帰ってくるところ、ネギの勇者たちも一緒だ。あまりお喋りでない町の英雄は、何とも言えない表情を浮かべてみせる。


 観光場所を尋ねられても困る。だが、一人娘が歳の近い子と遊んでいる姿は想像出来なかったため、客人としてもてなそすこともやぶさかでない。


「ああ、そうなんだ。どこかにマリィを連れて行ってやりたかったんだけど……おっちゃん、いい所はないか?」

「取り敢えず座りな。メシは――食ったか。いつもキリカが世話になってすまないな」


 ラザロに木製の椅子を勧められ、ジオは素直に腰かけた。石製の建物であるが、石造りなどと呼ぶのも躊躇われる粗末な家であった。椅子こそ座り心地のよいものであったので、尚のこと少年に疑問が浮かんだ。


「……余計なことを聞くが、おっちゃんやキリカはそれなりに稼いでるだろ?」

「お前さんね、ここいらでは――そうか、ネギの勇者は流れていくのが基本だったな」


 嘗てロッカで先代と出会っていた元勇者は、台詞の途中で渋い表情から真顔に戻った。


 掻い摘んで言えば、都市になると土地代が驚く程に高くなるというものだ。流石に一等地を買う余裕はないが、メインストリートを離れたこの区画で立派な家を立てるのは悪目立ちをしてしまう。


「家具やら調度品にはそこそこ金を掛けている。娘の寝床なんざ、今やちょっとした貴族くらい豪華なものだぞ」


 ハッハッハ、とラズロは豪快に笑った。


「そういうもんか。いや、本当に余計なことだった――すまない」

「いいってことよ。外見より中身、そいつは大体何にでも当てはまる」

「……勇者もか?」

「あー、勇者ばっかりは外見の良さも求められるな」


 神に愛された強者、魔物から人類種を救う者――民衆が勇者に向ける羨望は熱く、そして過剰な期待が込められている。


 英雄譚も手伝って美化は進み、絶世の美男子だと思われてしまうのが常であった。


 大抵の場合は、神に愛された時点で漲る魔力により瞳や髪は美しい色合いとなる。ラザロもまた、実年齢よりも若く見える。幼いという訳ではなく、精悍な顔立ちが手伝って赤風の勇者としての活躍を一層に宣伝することが出来ていた。


「ジオくんなら、心配はないだろう?」


 考え込むような顔を見せる少年勇者だが、見た目は悪くない。自身のことは棚上げになるが、ラザロはむしろジオのぶっきらぼうさの方が心配になってしまう。


「いや、ネギの勇者って時点で、な。ガッシュのような勇者らしい勇者を見た後だと、どうしても……後、よくネギ臭いって言われるんだ」

「流石に暁の勇者と比べるのは無謀だろ。あの小僧――青年は、アイリス神がただ一人選んだ勇者だと聞いている。ネギ臭いのは……どうしようもねえな」


 割合、本気で悩んでいる少年へは言葉を選んで話した。慰めになるかどうかもわからないが、この程度の言葉しか不器用なラザロには出てこない。


「お、お兄ちゃんは臭くないよ!」

「……マリィ?」


 唐突に腕を掴まれ、ジオはキョトンとした瞳を少女へと向けた。身を投げ出すようにして腕を引く姿には、必死さが窺える。加えて、睨むまでに真っ直ぐな橙の瞳は嘘を吐いているようには見えなかった。


「そうそう、いい匂いかどうかなんて、人それぞれだろ。あたしは気にならんぞ」


 続いた赤髪の少女が凭れかかってきたことで、椅子がギィと軋んで鳴った。いつものように背中に密着するキリカは「勿論、ティアもそう思ってる筈だ」告げながら獣化されて現れた尻尾を振っていた。


「そ、うか。ああ、なんだ。妙な気を遣わせてしまったな」


 気にしないようにしようと、却って妙に意識をしていたのかもしれないと、ジオは薄く笑う。


 橙の瞳の少女と出会って三週間、幼馴染の魔法使いの顔を見なくなって三週間。恐らくは己よりも格上の勇者と一緒であろう、そのように思えば、これまでに抱いたことのない感傷に心は揺れていた。


 だがしかしと、ジオは頭を振って弱気を振り払う。北方で告げた通り、ティアには信じてもらう以前に信じている――連絡を寄越せない程に忙しい状態だが、心配もいらない。そのように思う他ない。


(……何で俺はこんなに悩んでいたんだろうか)


「どうした、ジオ?」


 ニコりと微笑むキリカの顔を見ていると、少年の心には何か靄がかかるような気がしてしまう。


「ティアがガッシュに盗られたとしても、それはそれだ。ジオにはあたしがいるからな!」

「――ああ、それか」


 思わず舌打ちが出そうになったが、弟子やその親、妹分たちの手前であったので呑み下した。


 初めから信じているのだ。それが何故こんなに心がざわついたのか? それはキリカの言葉にあった。


「どうした、ジオ?」


 同じ言葉を繰り返しながら、キリカは師を心配気な瞳で見つめていた。先程まで振れていた尻尾も随分と大人しい。


「……何でもない、ってことはないな。色々気づいてしまって、いや、まぁ、大丈夫さ」


 ハハハと笑うが、口の中が乾く想いである。


 人を護るために勇者となった。それは謳われることのなかった父の名誉を得るためだ。


 ただ、勇者として活躍する程に、それもここ最近は特に人とかかわることが増えた。人の間で生きることは、心を揺らされることが多い――己の不甲斐なさを弟子へとぶつけかけたことに、ネギの勇者は独りで落胆していた。


 ティアへ向けた想いが何であるか、まったく考えたこともない。兆しは見えるが整理もつかない。思考放棄と揶揄されるだろうが、ジオは意図的に考えを放棄していることを認めつつあった。


 そもそも彼は人を護るために勇者になったのではなく――――


「お兄ちゃん?」

「んあー、呆けてたわ。心配かけたか?」

「ううん。平気よ」


 先送りになっているとはわかっていたが、やはり思考を中断してジオは声をかけてきた妹分の頭を撫でた。


 素手の方の右手で撫でれば、マリィは目を細める。ここ最近になって、彼女を撫でて痛がられることがなくなってきていた。


「ジオくん、これは無粋な話かもしれないが……」


 さっき余計なことを聞かれたし、お互い様だよな? 闘うしか能のない少年勇者へ、先達は口を開いていた。




 夕刻を前に、ラザロ宅を離れたジオはぼんやりと歩いていた。この時間は子どもも少ないのか、彼に纏わりつくのは妹分だけだ。


「マリィ、今日は――」


 楽しかったか? そのような言葉を出そうとしたが、形にはならなかった。


――妙な気遣いや遠慮をしていたら、家族にはなれない。腹の探り合いをするようになったら、家族ではいられない。


 先程ラザロから聞かされたものが、妙に残っている。


「楽しかったよ? キリカちゃんとも遊べたし」

「そうか」


 彼女の瞳を見れば、それが嘘ではないこともよくわかる。自分は本当に闘う以外に能がない――そのように思ったが、頭を掻きながら少しだけ考えを進める。


(違うな。闘うこと以外を考えていないだけだ)


 オッサンやシャロ、ここまで共に旅をしてくれた人たちを想う。


 彼らは本当にジオの“勇者になりたい”という願いを叶えるため、それ以外の雑多な事柄を取り去ってくれていた。そのことに、ようやく気付いた。


「マリィはさ。記憶が戻ったら、どうしたい?」

「うーーん……」


 ふと、そのようなことを尋ねていた。


 仮初めであれ、兄と呼ばれたことはこれまでにないものだ。お陰で闘うこと以外を、少年は遅まきながら経験出来ていた。


 この少女は自分の知らない、見ようとしなかったものを教えてくれる――ティアやキリカとはまた異なる。勇者としてのジオをそれはそれとして、兄として見ている。


「わかんない」


 一頻り考えた後、マリィは困ったように笑った。


「けど、多分ね、お兄ちゃんが迷惑でないなら一緒にいたいと思うよ。出来れば、お嫁さんになるまで妹が出来たら、嬉しいな」

「……嫁に、行くのか」

「そりゃあ、余程のことがない限り。そういうものでしょ?」

「わからん」


 今度はジオの方が困った顔をしてみせる。


 勇者失格であると自覚しつつも、こうして頼られることが嬉しかった。どれだけ強くなっても、上手くやれないことがまだまだある――それは嬉しいことであった。


 まだまだ上手くやれる可能性もある。


「やっぱり、ジオは変なお兄ちゃんだね」


 ふふふと笑うマリィ。瞳が細められ、橙の色が隠れればどこにでもいる少女にしか見えない。


「俺が変なのは、まぁ、諦めてくれ」

「……諦めたら何かいいことあるの?」


 ぐいっと腕を引きながら、半ば腕にぶら下がるような形で妹は抗議する。諦めることは、大抵悪いことだ。


 だが、そうではないとジオは出来る限りで笑う。


「そうさな、俺は勇者になる前から森司祭(ドルイド)だったりする。魔法なんてものを使うんだ、この変さ加減を許容してくれたらな――」


 妹にぶら下がられることを気にすることなく、腕を持ち上げて両掌を勇者は合わせる。


 左の篭手から零れ落ちた植物を握って、緑色の柔らかな光が届けられた。


「わぁ……」


 現れた奇跡に、思わず少女は声を漏らした。


 光が消えた後、手に残ったものには紫の花が握られている――球状に小さな花が群れなすようにして咲く。素朴ながら、それは綺麗なネギの花であった。


「ネギボウズっていうんだ。花束は作れないが、これくらいならマリィにあげられる」


 利き腕に尚も絡む少女へ、その花を差し出した。


 これをしてどうなるか。そんなことは考えもしない――どうやら妙な気遣いはよくないらしいとあれば、彼が自然と出来ることはこのくらいのものしかない。


「ありがとう、お兄ちゃん!」

「――ああ、うん。いや、喜んでくれたなら、いい」


 言葉を濁しながら、ジオは未だ素直になり切れない部分を自覚する。だが、彼の顔は自然と笑顔であった。


 橙の瞳をした妹、この不思議な少女が己に向けているのは彼と同じような笑みである。闘うばかりを追求してきた少年は、今の想いを上手く言葉に出来ない。


 ただ、またこの笑顔を見たいと思った。


「……」

「どうした?」


 不意に、妹が無表情になったことでジオには不安が過る。


「私ね、お花が好きみたい。知らなかった……ううん、覚えてないって、不思議な感覚だね」


 伏目がちに言葉が出されたが、その一瞬後にはまたいつもの笑顔へと戻った。


 神殿で出会った記憶喪失の少女。兄と呼んでくれるものの、いつかは己の手元から離れていくものだ。


「不思議か。そうだな……なら、また花をあげるよ。俺は魔法が下手だから直ぐにはいかんが、幾つもあげる。マリィが記憶を取り戻すまで、きっとね」


 この感覚は何も怖いものではない。ジオもまた、こうして語りながら不思議な感覚に捉われているのだ。


 ただ一緒に居てやればいい、そのようにラザロは言った。彼女がジオを兄と呼ぶ限り一緒にいよう。


 家族という当たり前のものを知らなかった少年は、笑顔を向ける少女の手を繋いで宿へとゆったりと足を運んだ。


「お花、いい匂いだね」

「そうだな。ネギの香りも、悪くない」




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