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ネギの勇者って、何ですか?  作者: 三宝すずめ
第五話「少女が戴く花冠」
73/202

赤い勇者と小冒険 1

 背の高い草が鉄靴に踏まれ、ザクザクと音を立てる。日はまだ真上にも来ていないというのに、赤髪の少女は額に汗が浮かぶことを覚えていた。


「……この辺でいいだろう」

「はい、師匠!」


 黒髪黒眼の少年が口を開けば、威勢よく応えてみせる。「いい返事だ」ジオがにこやかに笑う程、キリカは溜め込んだ高揚感を解き放たんとウズウズしていた。


規則(ルール)はわかっているな?」

「勿論! あたしが鬼で、ジオに触ったら勝ちだ!」


 冒険に連れていく――そう約束してから、かれこれ四か月が経とうとしている。それにも関わらず、竜人の件以来、ジオは碌に弟子を連れていくことが出来ないでいた。挙句の果てに手足の長い幸薄そうな男にばかり構うものだから、キリカのフラストレーションは溜まりに溜まっていた。


 ガス抜きのために、子どもの頃にオッサンとしていた遊びでもしようと、二人はレティアと王都の中間にある森へと踏み入れた。ルールは先程、キリカの口で語られたとおり。気力漲る弟子の姿を見れば、準備万端であると師は理解した。


「よろしい。では始めよう」


 勇者らしいと思い込んでいる言葉遣いと共に、ネギの勇者は両腕を広げてみせた。いつもの全身鎧は身に纏われておらず、彼のシンボルは左腕に篭手として納まっている。


「よろしいって、本気出さないのか?」


 動き出したい衝動を押し留めながら、赤風の勇者は問う。遊びとは言え、勝負事なのだ。追われる側が待ち構えているのはどうしてか。ともかくとして、少女は手を抜かれることが不本意だと訴える。


「キリカ、相手をよく見ることだ。今の俺に隙があるように見えたか?」

「だって瞳の色が――ううん、違った」


 ジオの瞳は黒いまま、それをそのまま侮りだと捉えたことへは首を振って打ち消した。キリカは師に似て、妙に素直なところがある。ネギの勇者が胸を貸してくれるのであれば、彼女はそれを疑う必要もない。


「行くぞっ!」


 始めから全力。地を蹴り、真っ向から少年へと突き進んだ。瞳を濃紺色に変えれば、少女の後を加護が、赤い風が追いかける。


「早くなったな」


 平坦な調子で告げるジオであるが、心の内では大いに感心していた。愚かな程真っ直ぐに向かうのは実践的ではない。だが、彼はこれまでずっと真っ直ぐに突き進んでみせた。弟子とは特に語り合った訳ではないが、己と同じスタイルを披露されると感慨も湧く。


「でりゃあぁ!」


 掛け声と共に、地面は一層強く蹴られた。トップスピードを殺すことのない方向転換、この跳躍術は父であるラザロの代名詞。直近の一月で鍛えられたこの技こそ、彼女が師匠に見せつけたいものであった。


(やる気っていうか、殺気が出てるぞ)


 飛び上がりに加え、赤い風が唸れば急速な縦回転まで始められた。これ、本当にタッチしに来るんだよな? と思わないでもないが、弟子の手前では狼狽する姿は見せられない。


「喰らえ弾けろ、あたしの赤い足(ロートリット)


 高く上げられた踵がネギの勇者に迫ったが、そこは左の篭手をぶつけて衝撃をいなした。キリカにしても防がれることは先刻承知で、蹴り足に体重を預けたまま、自由になった両手を脇腹辺りへと運ぶ。


 しかし、手が触れるよりも早くに彼女の細い足首にはジオの右手がかけられていた。


「流石師しょ――ぅわあぁぁぁっ」


 このままタッチ出来ると思っていただけに、防ぎ切られた少女は賛辞を贈りつつ、その身を上空へ投げ出された。


「初撃で怯ませて、触れにかかる。うむ、なかなかいい考えだった」

「ジオも攻撃してくるのかっ!」


 空中で蹴りながら、姿勢を制御する――ウィッツ神の加護というよりは、赤風の勇者固有の特技と考える方がいい。キリカは自分が蹴りかかったことは棚に上げ、ルールの抜け穴というものも考え始めた。


 二、三の木をつたいながら地面へ降りる頃には、質問を投げかける。


「ジオ、触ったらいいんだよな!」

「その通り。ただし、足や魔法では触れたとはみなさないからな」


 両手の指を組んでポキポキと音を鳴らし、そのまま状態でストレッチを始める。赤風の勇者の成長具合を見ようと思ったが、期待以上に楽しめそうだと少年勇者は笑う。


 ガニ股で屈んだ状態で、腕を組みながらキリカが唸っている。考え事をする時は、このところはこのポーズが専らで、本人も身近な魔女の癖が移っていることには気づいていない。


「了解した、次はもっと加護を使う、ぞっ」


 言うが早いか、地面に赤い残像を残して飛び上がっていた。それを眼で追いながら「獣化までしてきたか」呟くジオは正対から半身をズラす――左手が前面に出ており、どのような攻撃があれども捌き切ろうと意識を集中させた。


「い、く、ぞーーーっ!」


 遮蔽物の多い森は、赤風の勇者の庭も同然だ。上下左右、縦横無尽に風が暴れ回る――速さは先程とは比べ物にならず、目で追うことも難しい。視力に頼ろうとすれば、赤い残像が網膜に残り、視線の移動を困難にさせた。


「木をしならせてるけど、折らずにか。なかなかやるじゃないか」


 ついつい、ニヤリと不敵な顔へ変わるが、ジオを責められたものではない。単純な力量ではネギの勇者に軍配は上がるが、自身の長所を最大限に発揮してみせた赤風の勇者を思えば、むしろキリカを褒めるべきだ。


 十二から修業を積み続けた少年勇者も、まだまだ挑戦者の心持ちでいられる。しかもそれが彼を師と仰ぐ少女であれば、それはそれは心躍る。


「だが、お前が師と仰ぐ男は案外とすごいってところを見せてやる」


 高揚する気分から強めの言葉が出された。だがジオの内側は、すっと覚めたようにして静まり返る――目にも止まらぬからと視線で追いかけるのを辞めたことは、傍から見る者がいれば清々しくも映ったことだろう。


「うぅ、ぅおりあぁぁぁっ!!」


 飛び回る少女の叫びは、あちらこちらのデタラメな方角から響く。動きのみで終わらず、音による撹乱はラザロにも見られなかったとジオはほとほと感心する。


 しかし少年勇者が半身を更に捻ったところへ、鉄靴が足跡を付けていた。


「どうして? 何にも見てなかったのにっ」


 攻撃が外れても、キリカは立ち止らない。流れるような跳躍と連撃が彼女の生命線であれば、立ち止ることはあり得ない。ネギの勇者程を相手に、一瞬の停止ですら命取りなのだから。


「さーて、どうしてでしょうか。考えろー、工夫しないと負けだぞ?」

「わかった。蹴りながら考える」

「――と、いきなりだな」


 地面スレスレ、滑るようにして足払いが現れた。かと思えば、通り抜けて反対側から上段の回し蹴り――まだ答える余裕のあるジオは足の位置を変え、左の手で蹴りを払った。


「上下でもダメかっ」

「惜し――」


 言葉を紡ぎ切る余裕がない。地面に降り立ち、木々の反動をなくしたにも関わらず、一層蹴りの速度が上がっていた。どこをどう動いたのか、左右から同時に蹴りが迫る。


 土煙を裂く赤い風、人智を越えた速度は加護便りではなく、勇者としての工夫の証だ。


「惜しかったな」


 両の鉄靴を掴み、ジオは今度こそ告げた。ヒヤリとさせられたが、正面からガッチリと足を握られたキリカは空中に仁王立ちをする形になっている――これでは流石に手は届くまいと気を緩め、それが勝敗を分けた。


「いやいや、狙いどおりだぞ」

「何を――」


 不意に、自信に満ちたキリカを捉えていた彼の視界が暗転した。何やら柔らかい感触が顔を伝う。


「ひひひ、やった、ジオに触れてやった!」


 ニカっと晴れやかな表情へ戻りながら、少女は頭から後ろへ倒れ込む。驚きにより掴まれていたものが離されたからであるが、尻もちをついてもご機嫌さは崩れない。


 地面についた時には、獣化により得られたふさふさの尻尾が広がっていた。


「ルール破ってないよな? な?」

「足でも魔法でもなく触れる……うむ。尻尾とは思いもよらなかった」


 負けた側もにこやかな表情を浮かべている。勇者としての在り方ばかりを説いてきて、殴り方蹴り方を教えてこなかったジオは、思えば師匠らしいことをしたのはこれが初めてであった。


 真っ直ぐな突進に加え、蹴りながら考えるなどを実践されると、正直なところ面映(オモハ)ゆさがある。ネギの勇者の真似事など、従者ですら出来なかったことをやってのけるキリカを見れば、これが弟子か、などとようやく実感を持ち始めたところである。


「キリカ、嬉しそうだな」

「そりゃあ、師匠に勝ったんだからな。ジオこそ、にこにこだぞ」


 ふふふ、と二人の笑い声が森に密やかに響いた。




「ジオ、知っているか。これはサンドウィッチと言うもので、大変おいしいのだぞ」

「……いやさ、レティアに四か月もいたら、流石にわかるって」


 大木に背を預け、昼食を摂っていた時に師匠は弟子から、案外失礼な言葉を聞かされていた。


 もしゃもしゃと頬張られたサンドウィッチは、確かに美味い。レタスとハム、それにチーズとそれなりに贅沢さがある。


「ふむ。この生地に塗られたマスタードとやらが、おいしさの秘密か」


 むむむ、と眉根を寄せながらジオは唸る。少し前では手の込んだ料理というものは全く知らなかったというのに、味を覚えるとついあれこれ考え始めてしまう。贅沢になったものだ、とは彼の心の声だ。


(そういや、カラシの勇者は元気にしているのだろうか)


 茶のかかった黄色の調味料を見て、不意に同世代の勇者のことを想う。金髪碧眼、立ち居振る舞いもスマートな青年であった。竜人を倒した後、少しだけ話す時間が取れたが、宝石剣というシンボルを携えた彼は、ジオが子どもの頃に英雄譚で聞かされた勇者像に合致し過ぎる。


 黄金剣士トリルとは似て非なる、勇者道とでも呼ぶ志を持った青年とは、もう少しばかり語り合ってみたいものだと思う。


「――レディと食事中にはな、他の女のことを考えては失礼なのだぞ」

「ん、ああ、すまん。気をつけよう」


 声が届けられれば、空想を中断して現実へ。まだ幼子だと思っていたが、そうか、彼女も立派な淑女であったなとジオは頭を振って改める。


 前回の旅で、ティアを女扱いしていなかったと猛省したところだ。勇者としてはこれからであっても、女性としては一人前の扱いをすると決めていた。


「ジオー、そういうところだぞ。言い訳しないのは潔いけど、言ってくれなきゃほんとに女のことを考えてると思われるぞ? それじゃぁティアが可哀想だ」

「いや、俺は……うん? どうしてティアの名前がそこで出る」


 少年は疑問符を浮かべているが、段々とキリカの表情が渋いものへと変わっていく。どうやら、またやってしまったかと頭を掻くが、闘うこと以外にはどうにも彼の頭は回ってくれない。


「このサンドウィッチ、作ったの誰だと思う?」


 ん、と突き出されたバスケットには、後一切れ残っている。ただ、それを見てもピンと来ず、ジオは眉間に皺を寄せた。


「この話の流れだと、ティアか? あいつは今朝早くから王都に……まさか作ってから出ていったのか?」

「ぶっぶー! 作ったのはあたしだ。ティアのことを考えたのは嬉しいが、それはそれで複雑だな」

「これ、キリカが作ったのか! すげぇぞ、お店で買ったもんかと思ったくらいだ」

「お、ぉぉ……喜んでくれたのならよかった。あたしは案外やれる女だ。もっと褒めるんだ」


 少し話題が逸れてきていると自覚するも、褒められると嬉しくなってしまう。大好きな魔女に花を持たせようと思っていたが、彼女自身、師匠が好きなのだから仕方なくもある。ただし、浮かれ気分は次の言葉を聞くまでであった。


「いやぁ、すまんすまん。スープしか作れないティアが、こんな美味いもの作れる訳ないもんな」

「――待て。それは失礼だ」


 いつになく、少女は瞳を鋭くさせた。師は好きだが、余りに鈍い。それも彼の持ち味だと思わないでもないが、今の言葉は聞き捨てならない。


「さっきの問いかけの続きだ。サンドウィッチを作ったのは、あたし。でもそのレシピを置いていったのはティアだ」


 レシピだけなら――そんな言葉が出かかったが、少年は言葉を呑み込んだ。普通の暮らしというやつをしていると、闘うしか能のない己が恨めしくも思える。せめて、後少し会話の意図などが掴めれば、この少女が目に涙を溜めることもなかっただろう。


「このサンドウィッチな、ジオの好みの具材ばっかなんだぞ。今度ティアに会ったら……な?」

「そうか。ようやく、何を言いたかったかわかってきた気がするよ」


 俺はポンコツだなぁ、と呟きながらティアとキリカ、二人の少女の心配りを顧みる。やはり気の利いた言葉は出てこないが、オッサンだったら何と言うか――そう考えれば、自然と口が開かれた。


「感謝せねばなりませんぞ、だな。不器用な俺に、本当に二人はよくしてくれてるんだから」

「うん、そうだぞ。あたしはともかく、ティアには労いが必要だ。口は悪いけど、世話焼きで見た目も可愛い、そうなったら他の男がほっとかないぞ。盗られるぞ?」

「ティアは俺の物ではないんだが……いや、待て待て。盗られるなんて、あいつが? 盗られ――何だろう。すげぇ、ムカついてきた」


 理由はわからないが、幼馴染みの少女へ声をかける男の姿を想像すれば、ともかく不快な思いを少年は抱いた。


「そうだジオ、そうなんだ。勇者は稼げないかもしれない、気をつけないと稼ぎのいい男にティアが盗られるぞ。その点、同じ勇者ならそんな心配はないから――」

「え、稼げないってなんだ。俺が闘うしか能のないだけであって、ギルド勇者は貧乏じゃないぞ?」

「え?」

「え?」


 二人して驚きに目が開かれる。何とも言えない、噛み合わない空気にその場が満たされていた。


「でもジオは貧乏だろ? あれか、稼げなくともヒモになる才能があれば、強い勇者になれるのか?」

「……ヒモ、ですか?」


 飛び出した単語の威力に、少年勇者は思わず敬語になってしまった。キリカはその様子がわからなかったようで、いつものように素直過ぎる疑問をぶつけた。


「女性にお小遣いをもらう男の人のことを、ヒモと言うんだろ? あたしはヒモになれるかわからんが、頑張って師匠のように立派な勇者になるんだ」

「どこからツッコめばいいのだろうか……女に追いかけられるのが勇者の(サガ)なら、貢がれるって点ではヒモもあながち間違いじゃないが。それにしても、俺はいつからヒモになったんだ?」

「そうだ、思い出した。ジオはあたしと風呂に入ってくれないのに、ティアとは温泉で混浴したんだろ?」


 ずるいぞ、と続けられた言葉に思わず勇者は絶句した。情報が歪められている気がするが、部分部分は事実であるので否定し難い。


 幼馴染みの魔女に飼われているヒモ勇者――そんな謳い文句が浮かべば、ジオは膝を折ってがっくりとうなだれた。


「ちなみに、その話をしたのは誰?」


 噂を確かめようなど、勇者らしくないことこの上ないと彼は思うが、素直過ぎる弟子に妙なことを吹き込まれるのだけはやめて欲しい。


「ティアが教えてくれたぞ。あ、ティアは悪くないんだ。あたしが北方での話をしつこく聞いたから、根負けしただけだ。あと、ごちそうさまでした」


 しゃーしゃーと語りながら、マイペースに食事を終えたキリカ。手を握り合わせ、食後の祈りを捧げる彼女には、勇者の表情の変化も届かなかった。


「けどな、心配しなくていいぞ。聞くところによると、ヒモも才能らしいんだ。ティアのヒモであることを、誇るがいい!」

「――取り敢えず、そんな悪いことを言っているのは、今のところはキリカだけか」

「え、何、あたし悪いことした?」


 ぎょっとしながら視線を送るが、ジオは未だうなだれたままで、少女には表情を窺うことが出来ない。ただ、獣化し続けた甲斐もあってか、張り詰めた空気の揺らぎのようなものを肌で感じ取っている。


「ジオ……怒ってるのか? 何だろう、空気に揺らめきを感じるんだ」

「怒ってないよ。前にも教えたとおり、今感じているのは魔力の波だ。魔法に昇華する前には、こんな揺らぎが起こる。感じ取ったらすぐに対処しような」

「ぉ、ぉぉっ」


 口調こそ優しくあるが、いつもの師とはどこかが異なる。声が更に低いだとか、淡々と語るだとか――上手くは言語にならないが、キリカは野性的な直感で『今は余計なことを言うべきでない』と結論づけた。


「キリカ」

「――はいっ」


 いつも以上にハキハキと少女は応える。こうしている間にも、何やら不穏な空気の波が彼女を包んでいる。何となくだが、レティア闘技場で彼を見た時のことを思い出してしまうのは何故か。


「飯も食い終わったし、さっきの続きをしようか。今度は俺が十秒かけて鬼になるから、全力で逃げるんだぞ?」

「え?」


 聞き返す間に、十と呟きが出される。九と発せられた時、姿勢はそのままにネギの勇者の篭手が蠢動し始めていた。その震えを前に、獣化の加護を得た勇者は本能的にじりじりと後退をしてしまう。


(鬼になるって、何? 後、十数えるのに、どうしてカウントダウンなんだ?)


 八――現れた緑の鉄靴は重量があり、柔らかな地面に深くめり込む。七――右の手にも篭手が現れるが、いつもの形とは異なり節くれだった凶悪な姿に見える。


「う、ぅ、うぅわあぁぁあ――」


 カウントが続けられるなか、少女は叫んで後退りを始めた。外套の下にも緑の装甲が表られた頃、師が本当に鬼になろうとしていると気づいた。


「二……」

「に、逃げなきゃ」


 ぞわぞわと肌が粟立ち、頭には警鐘が鳴り響く。背中を見せることが出来ず、勇者の頭が緑色の金属に呑み込まれることを見送っていた。


「一ぃっ」


 頭が持ち上げられると、そこには緑色の化け物が現れている。顔には口がないにも関わらず、歪な笑顔を浮かべているかの如く映る。


 緑色鬼(グリーン・オーガ)のことは格好いいと思っていたが、それはあくまでも傍から眺めている分の話だ。幼い少女が真正面から立ち向かうことなど出来たものではない。


(殺されるっ!?)


 目が合った瞬間、キリカは赤い風を纏って走り出す。「ゼロ」背後から声が聞こえるが、振り返る時間も惜しまれた。昼食前の攻防で、彼女の魔力や気力は相当に消費されている。


 ともかく、出来る得る限り遠くへ――駆け抜けるが、後ろの化け物も類似の移動術を習得している。後ろから地響きが迫れば、少女は観念して覗き見た。


 緑の金属に覆われた鬼が、彼女の名を呼びながら走り来る。


「ふ、ふふ、吹っ飛べ!」


 半ば錯乱状態にある赤風の勇者は、振り返る力を鬼に向かって大きく足を振り抜いた。纏われていた赤い風が打ち出され、鋭い突風となって緑を地面へ縫い付けた。


「やった……か?」


 彼女のとっておきだけあり、破裂音と共に地の表面部分を巻き込んで土煙が巻き起こる。流石に死ぬことはないと思うが、地面に埋めてしまえば――――


「キリカアァァ!」


 煙を付き割って、吼える鬼の姿現れた。瞳と思わしき二つの穴からは緑色光が滾滾と涙のように溢れ出している。


「ご、ごめ、ごめんなさい! ごめんなさいぃぃ!!」


 泣いているような、怒っているような表情で来る師に対しては、やっぱり怒っているじゃないか! そのように思わずにはいられない。


「あ――」


 何処までも逃げるしかない、だが無情にも彼女の足は止まる。前を見る余裕もなかったため、進行方向に土壁が聳え立っていたことに気づけないでいた。


(む、無理だーーっ!)


 半狂乱なまま、せめても身を守ろうと頭を低くすると、その上を緑色の化け物は通り過ぎる。直後、大砲でも放ったかのような大きな音が響いてキリカは恐る恐る視線を上げてみる。


「ジ、ジオー……」


 眼前にあった筈の壁が崩れており、衝突の凄まじさが窺えた。


「流石に弟子を本気で追い回したりはしないぞ?」


 のっそりと顔出したネギの勇者、その頭からは既に冑が取り払われている。土の壁を壊す程の激突があり、流石にところどころ汚れが目立つがケロっと話す姿は健在であった。


「ご、ごめんよジオー」

「うむ、俺はまったく怒っていないが、素直に謝ったことに免じて許そう。勇者って生き物は矜持を大事にしたり、非常に頑固だったりする。だからな、ヒモなんて不名誉な呼び方、してはいけないぞ」


 ふん、と鼻から息を吐き出しつつ、ジオはやや早口に語った。弟子はその姿を見て、やっぱり怒っているじゃないかと思う。思うのだが、それ以上は口にすることはなかった。


「なぁ、あれ何だ?」

「ん?」


 代わりに、少女は師の背後を指差して尋ねた。壊れた土壁は空洞が続いており、奥からは橙色の光が微かに覗く。


「洞窟、迷宮……否、ひょっとしたら神殿かもしれんな」


 その昔訪れた、ルファイド神の神殿がこれによく似ていた。先程までのおふざけはどこへやら、勇者然とした表情でジオは考え込む。


「神殿へ冒険か?」


 再び好奇心の火を瞳に灯してキリカが勇む。弟子を思えば、すぐに引き返すべきであるが……


「魔物が巣食っていないか、ざっと確認だけする。俺から離れないように」

「あいあい、了解だっ」


 レティアから目と鼻の先、脅威が疑われるのならば勇者として放っておくことは出来ない。長居をする気はないが、まずは橙の光を確認するために、ジオとキリカは暗がりの中へ足を踏み入れた。




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