吟遊詩人にも謳わせないこと
「こんにち――わっ!?」
ラスパの勇者ギルドを訪ねたラリィは、扉を開けるなりくぐもった声を上げた。
「ラリィさん、無事だったんですね!」
制服姿のギルド受付嬢が、口早にそう告げている。早々に返事をしたいところであった少年であったが、思わず膝を付く――ドアノブを握ろうとしたネラの手は、扉が開かれたことで、見事に彼の鳩尾を打っていた。
「あ、ごめんなさい」
半ば貫手の形を取っていた腕を引き、黒髪黒目の少女は同じ色をした少年の肩へと手を添える。
「いえ、お構いなく」
ケホケホ――咳き込みながらもラリィは手を上げ、健在であることを示した。
「今、忙しいですよね?」
目に涙を溜めながら、やや遠慮がちに少年は問うた。ギルドの受付は花形であるが、見た目以上に忙しい。魔物のみならず、人々の暮らしを支えるための細々とした雑務が待っている。そのことは勿論、今ラスパは勇者ギルドの信頼を揺るがしかねない事態に直面していた。
「丁度休憩に入るところですので……え? 勇者ギルドはそこまで酷い労働環境では。他のギルドことは知りませんけど、うちはそこまで大変でもないんですよ」
「よかったです」
立膝のまま、思わずラリィは微笑んでしまった。ギルド花形である受付嬢の笑みは、農作業に明け暮れる少年には高嶺の花に映る。二十歳そこそこに見えるネラが、実年齢に近いにこやかな顔を見せれば、この少年でなくとも笑い返してしまう。
「小麦の搬送が始まった頃です。アレクラから、またラリィさんが来るんじゃないかと思いまして」
「え――」
ネラから出た言葉に、息を呑む。
「マイロさんの一件がありましたからね。ちょっと心配していました」
「ああ、そういう……」
成人前の少年は、胸の奥ではしなだれながらも、体裁だけは取り繕って返事は出来た。
過去ラスパで名を上げ、今でも影響力のある勇者が資格を剥奪された。昨日の出来事とあり、通信手段に乏しいこの世界では今最もホットな話題であった。
「後、おじさんは大丈夫でした?」
「うーん、大丈夫じゃないでしょうか。僕は事の顛末を聞かされただけでしたので」
マイロがアレクラで暴れたことについて、少年は完全に蚊帳の外だった。黒衣の神父と騎士について、決死の思いで村の入り口を目指したものの、ボロボロになったネギの勇者一行と、一層に無残な姿になったマイロを見ただけであった。
兄が言うには砂漠蟲を倒した後に、鈍色の勇者との一悶着を制したところであったそうだ。生まれ故郷を滅ぼしたという魔物が滅んだ――そのことに対しては哀しいかな、ラリィは特に思うところはない。ただ、兄が晴れやかな表情をしていたことが嬉しかった。
「取り敢えずですね、魔物討伐の依頼は必要なくなったので、小麦運搬がてらご挨拶にと思ったところです」
ハインドに倣うつもりもなかったが、この少年もまたいい笑顔を浮かべていた。
「おめでとうございます、と言うのも変でしょうか?」
「どう、なんでしょう。でもまぁ、兄さんが嘘吐きでなくてよかったと思います」
「はい?」
ネラが疑問符を浮かべていたとしても、構わない。ラリィは嘘吐きハインドと呼ばれた兄が語った“緑の人”が実在したことが嬉しくて堪らない。騒動が解決すれば、すぐにまた吟遊詩人は外へ飛び出してしまったが、ようやくだと思う。
緑の人の奇跡を謳う――そう嘯く兄の姿は清々しく、嘘臭さはなかった。
「吟遊詩人のリバーハインドって知っていますか?」
「知ってますよ! 吟遊詩人なのに、英雄譚を語る途中で聴衆に問い掛けちゃう人でしょ? 闘技場では実況もするとか、一風変わった人ですね」
喋りながら、受付嬢は手を伸ばす。
休憩時間とは言え、ラスパのギルドから勇者失格者が出てバタバタとしているところだ。魔物との大戦が終わり、人々を護るために勇者ギルドは作られた。そこで人を脅かす者を輩出してしまったことは、今後のギルド制度の根幹を揺るがしかねない。
事実、王都に多大なる影響力を持つ神父が勇者を捕縛して、名誉を奪って行った。その内にこの町にもハッキリと変化が表れるかもしれない。
「取り敢えず、お食事でもしながらゆっくり聞かせてください」
気忙しいところはあるが、困った人は捨て置けない。そんなネラは少年を起こして、楽観的な意見を出していた。
「休憩に入ったところでしたね」
手を掴み、ラリィは立ち上がった。
何故ここまで親身に? そう思わないでもなかったが、先程ハインドの話題を出した途端に喰いついてきたことから、特に疑問にも思わないでいる。少年を構うことよりも、吟遊詩人や砂漠蟲を倒した勇者の話に興味があると言われた方が、余程納得が出来る。
「お兄さんは今どちらに?」
「今は……どこだっけかな。南西に向かうとか言ってましたが。何か、赤いスカーフの伝説が云々とか言っていましたけど」
純真な目を向けて問われると、ついついそのまま答えてしまった。兄のことばかり気にされ、年頃の少年としては返事をしてから、バカ正直に話さなくてもよかったかと、やや腐る感はあった。
「そうですか。他にご家族は?」
「兄だけですよ。あ、実は兄と言いますけど、血は繋がっていないのですけど」
自分のことをスラスラと喋りながら、少年は少し不思議な気分になる。歩き始めると、どうにも落ち着かない。ギルド受付嬢を伴って歩けば、どうしても町の視線を集めてしまう。
「そうですか……はい、わかりました」
何を思案していたのか、わかったと言ってはネラは再びにこやかな表情に戻る。この変化がよくわからず、ラリィは疑問符を浮かべていた。
「取り敢えずは、お食事からですね」
ふふん、と笑いながら少女は足取り軽く歩く。殺伐とするギルドに務めていると、ラリィのような素朴な少年のリアクションには新鮮さを覚える。当人はよくわかっていない様子だが、ラスパで名を轟かしたマイロをさらっといなすオッサンを味方につけてしまう、そんな少年との再会をネラは単純に喜んでいた。
ネギの勇者がレティアへと戻ったことを、キリカは両手離しで喜んだ。父のような、師のような勇者になるべく修業に明け暮れれば、町の様子にも疎くなる。だが、それにしてもその日は町が賑やかになったと実感していた。
「ジオやあたしはギルド勇者ではないからわからんが……実際、レティアのギルドが崩壊したらどうなるんだ?」
ちらりと横を見ると、あまり背丈の変わらぬ魔女が腕組みをして複雑そうな顔をしてみせる。
「いや、私もギルドに所属してはおらんのじゃが。まぁ、簡潔に言えばじゃな、闘うしか能のない奴らは一気に職を失うってことじゃろて」
「闘うしか能のない奴――つまりは町がジオで溢れ返るってことか!」
「何とも無茶苦茶な発想じゃな」
何を連想したか、嬉々として語る赤髪の少女。それを見てティアは溜め息を吐いた。彼女にしてみれば、あんなバカ者は一人で十分だ。大抵の勇者崩れは田舎に帰るなり、それまでの伝手を頼りに喰いぶちくらい稼ぐ。
闘う以外に能がない。堂々と言ってのけるジオグラフィカエルヴァドスは、それ以外で稼ぐことの出来ない勇者バカに違いない。
「……ティア?」
「ああ、すまんかった。話題を逸らしてしまったのぅ。エル以外なら、まぁ大丈夫じゃ。職を失ったところで、別の仕事くらい探せるじゃろうて」
むしろ、ギルドが機能を落とした途端に勇者が働けなくなるなら、そんなギルドは潰れてしまった方がいい――乱暴な言い方を自覚しながら、ティアは飽きれたように呟いた。
レティアの勇者ギルドで起こった騒動、それ自体はいつでも起こり得ることだ。受付嬢が一人、結婚したいから辞めると言った。ただそれだけのことなので、慌てるようなこともない。
「やー、働く勇者も心配だが、あたしの活躍する場所が減るのは困る気がするんだ」
うーん、と腕組みをして唸るキリカ。
ただの受付嬢ならば大したことはなかった。損失は勿論あるが、十分取り戻せる。ただ、今回辞めると言い出したのは、十年選手のラフィーネであったから困ったものだ。
「興味がない――と言いたいが、身内が絡んでるので何とも」
すまん、と言葉を続けて紫の瞳をした少女は項垂れた。
話は数日前に遡る。北方で砂漠蟲を倒した後、何やかんや事後処理をして勇者一行はレティアへの帰路についた。胡散臭い神父が鈍色の勇者を引き取ってくれたから、早々に帰ることが出来たのだが。ティアとしては誤算だらけであった。
まず一つに、勇者がレティアへ直帰すると言ったこと。ちょっと温泉宿でダラダラしようと提案をしてみたが、幼馴染みにはスッパリと断られてしまった。
もう一つが彼女の伯父に対するものだ。人が好いのは認めるところ。だが、人生を魔物退治――否、勇者の従者として過ごしてきた彼が、花束片手に女の元へ向かうなどは想像も出来なかった。
「ティアも苦労するよな。あたしもこの町のゴタゴタを見てきたつもりだったが、ラフィーネ姉ちゃんがあんなに表情を崩したのは、驚いた。うん、驚いたぞ?」
「実に恐ろしきは女の執念よ……いや、伯父がバカ正直なだけか?」
言葉にしながら、二人して首を盛大に傾げてみせる。思い返してみても、劇的過ぎた。
流石に好意を寄せられていることを知ったキョウジは、ラフィーネを無碍にする訳には行かないと花くらい持って行ったことだろう。だが、プレゼントなどを想像していなかった女が突然感涙咽び泣くものだから、四十を迎えたオッサンは困惑しきり。
『私、お仕事辞めます』
突然に彼女がそう宣言するものだから、オッサンは完全に退路を断たれていた。今頃は二人して実家の両親への挨拶であろうか。魔女は傾げた首の角度を益々深くする。
「半裸の中年、どこに魅力があるのじゃろうか。その他、あれ程に伯父を連れ戻したがっていたエルが、さらっと従者を手放そうとするとか……もう訳がわからんな」
考える程に意味がわからない。魔女らしい思考に偏っていたティアは、天を見上げて余分な思考を停止させることに気力を割いた――幼馴染に日頃から思考停止するなと文句を言っていたが、心境としてはどうとでもしてくれというところだ。
「それで、ジオは何処に行ったんだ? まさか、オッサンにくっ付いている訳は――」
「そりゃぁ流石にない。いや、むしろその方が気が楽じゃったて……何が楽しゅうて幸薄そうな男と殴り合いをしておるのか」
「ああ、コー……コーデスだっけ? ジオが旅に出たら、何かドヤ顔しながらあたしに喧嘩ふっかけてきたぞ。お前も旦那に鍛えてもらえよー、だとか。うん、思い出しても腹が立つ」
後二、三発は蹴っておけばよかったかと呟くも、異様な回復力を得たコーディーはニヤつきながら起き上がる。成人前の少女に張り合う姿は、怒りを通り越して、最早恐怖すらあった。
「取り敢えず、ティアには宣言しておこう!」
手足の長い男の姿を振り払うように、キリカは徐に立ち上がる。指を突き付ける様は、宣言に相応しい。
「いいか、あたしは父の元で強い勇者になる。そしたらティア、あたしがジオと結婚するんだ、覚えとけ!」
「……ああ、そうか。精々頑張れよ」
堂々と言い切った少女を前に、魔女らしい表情を作ることも面倒になってきていた。投げやりに溢しながら、ティアは物憂げな瞳を眼前の子どもへと向ける。
「因みに、強くなってどうするんじゃ?」
残ったものは、単純な好奇心。己も少し前まではこうだったなー、などと思いつつ、ティアとしては真っ直ぐな少女が何を想っているかが気にかかった。半分は己と重ねながら問う。
「よくぞ聞いてくれた! 聞けば勇者は孤独な生き物だと聞く。あたしは、ジオが一人にならないよう、隣に立てるようにどこまでも強くなるんだ!」
「ほぅ、そいつはいいな。こう言っては失礼なのじゃろうが、見物じゃな」
「……よくわからん。でも、宣言したからな。今日からティアはあたしの恋敵だ!」
堂々と言い切った少女を、ティアは眩しいものを見るようにして少し目を細める。
闘うしか能のない少年、それの傍に居続けることは案外と難しい。幼馴染みがもう少し邪な生き物であれば、ここまで悩むこともないのに――少女らしい想いが彼女の胸を掠めていく。
ティアとキリカは、ジオにとっては家族のようなものだ。彼なりに大切にしていることはわかる。だが、それも女扱いを初めから外しているからこそ成り立っている。キリカという少女の胸が膨らむ頃、不器用な少年勇者は距離を置き始めることとティアは憂う。
「じゃがな、ヌシのように真っ直ぐ見つめられるなら、違うのかもしれんな」
負けたとは言わない。だが、幼馴染の心に誰かが棲み着きかけていることも事実。
顔も知らぬ女に向けた想いが何であるか、己のことであるのに魔女ばかりをしてきたティアにはわからない。
「……ティア?」
赤髪の少女は、背丈の変わらない魔女を気遣うような視線を向けた。言動が突き放したようなティアであっても、結局のところ自分の滅茶苦茶な言動にも付き合ってくれていると、このところキリカは彼女のことをわかってきた気がしている。
「英雄譚で聞いておろうが、勇者の嫁ってのは大変ぞ?」
くすりと笑い、少女らしい顔を魔女は浮かべた。
「嫁かー、あたしは取り敢えず勇者として隣に立つつもりだから、ちょっと違うかもな」
うん、強くなるぞ――出された言葉は実にキリカらしいものであった。師匠に似たのか、妙なところで素直であったりする彼女がどうなるか。それは最近のティアにとっては、結構な楽しみにもなっている。
「まぁ、まずはあのバカが帰ってきたときのために、食事の用意でもしてやるか」
今日は溜め息が多いなと自覚はするが、何かと気にかかることが多いので仕方ない。伯父が北方に向かったのは、間違いなく彼女の母親に関することだ。
ここ六年ばかり魔女らしさに徹してみたものの、身内たちを前にすると、弱い少女の頃に揺り戻される気がしてもならない。いっそのこと何もかもを投げ出してやりたくもなるが、それが惜しまれる程ジオ少年を想った時間は永かった。
「なんか手伝うか?」
「そういう時はじゃな、自分でこれを手伝うと言うのじゃよ。そうでないと、大抵は相手に断られてしまう」
「わかった。あたしはネギを切ろう。師匠は好きだが、ティアも好きだ。ティアに哀しそうな顔をしているジオを想って、あたしはネギを切り刻もう!」
ぐっと握り拳を掲げる少女を見れば、捻くれ者の魔女もついに噴き出してしまった。
「なるほどのぅ、エルのヤツがヌシを傍に置きたがる気もわかった気がするわ」
ネギをふんだんに使ったスープ、それを作るために少女はゆっくりと立ち上がった。何にでも一生懸命なキリカを見据えようと、ジオが書きかけのままで放置していた手紙からは視線を外すことが出来た。
「スープ以外のレシピは増えたか?」
「勿論。じゃがな、今日もスープだ」
えー、何でー、とキリカが問いかけるも、これ以上は応える気もない。その昔、幼馴染を実験体にしてきた中で、スープだけは旨いと褒められた。そんなことは口が裂けても言えやしない。
これだけは、少年と彼女だけの思い出だ。喋りたがりの煩い吟遊詩人も知らないネギの勇者の逸話、それを思い返しながら少女は台所へと向かった。
舞台は再び、王都トトリ。
大英雄の頼みを受けて暁の勇者が動き出す。
最近になって発見された、古代の遺跡。
魔導器の鑑定のためにティアが赴けば、思わぬ戦利品を手にしてしまう。
造形の神、フィロッサ・ロジェクトも噛んでいるとなれば、闘神ルファイドも動き出す。
闘いがないなら出番はない。そのように高を括っていたネギの勇者も巻き込んで一波乱。
かくして、神とかかわる少女と少年勇者は出会う。
魔女と二人の勇者の旅は波乱含みで、先は吟遊詩人にも予測不可能。
次回、第五話「少女が戴く花冠」に続く。




