ネギと天敵 1
「エルーーーっ!!」
魔女は血相を変え、空を駆ける。宙を浮かんでいた時とは比較にならぬ速度を発揮し、山なりに吹き飛ぶ少年まで一直線に距離を詰めた。爆発的な移動に費やされた魔力は、余波として紫色の光として尾を引く――見る者が見れば、呆れ返る程に魔力が無駄遣いされている。
魔法使いは基本的にケチだ。魔法の探求、真理の追究、そのようなものを目指す過程で、無駄のない魔力運用が宿命づけられる。
勿論、この魔女も日頃から節制を心がけている。しかし焦燥感を通り越し、追い立てられたティアは加護まで発揮して湯水の如く魔力を垂れ流した。漠然としているから不安という――幼馴染みの姿を見て、少女はハッキリと恐怖を覚えた。
「加速、遅延魔法・連続付加――魔法中和、中位強化、中位治癒!」
勇者の落下地点を目指しつつ、一口に唱えられる範囲でティアは魔法を連続詠唱する。元来人の域でラグなしに魔法を連続させることは出来ない。魔女は魔法成立後に生ずる空白を遅延させての同時成立を行うことで世界を騙す。
湧き上がる魔力の波は対象を正確に捉え、黄、赤、緑と順に光を為して少年を包んだ。
(闘神の加護を得た勇者の全力じゃぞ……それが、為す術もなく吹き飛ばされるじゃと?)
目的の地点に到達。直ちに杖から飛び退き、魔女は両手を広げる。悪態も吐きたい心境ではあるが、魔法の制御と同時進行で思考は現状把握に回す――徐々に近づくジオの頭からは冑が解かれていることが確認出来た。
「状態異常? 否、魔法中和は発動したが効果なし。では何なんじゃ!」
己に問いながら、一つ可能性を潰す。アイリス神の加護を棄てたジオは状態変化に弱い。このことを見越しての魔法中和であったが、むしろ謎が一つ増える。
叫ぶ音韻に乗せて、自身には高位強化を発動させた。黄色の光に包まれれば、一時的に身体能力を劇的にまで高められる――この規模の魔法ともなれば詠唱と発動に時間を要するが、生身では落下するジオをとても受け止められたものではない。
「ふぬ、ぬ、ぬぬ!」
少年を受け止めるも、元々の力が非力な魔女では落下の衝撃をいなし切れない。バランスを崩し、諸共に地面を転がってしまう。大手を振って抱きつけるシチュエーションであっても、今は嬉しくともなんともない。
「ジオのこと、任せたぞっ!」
魔女の上を緑色の光が通過していくが、そんなことはどうでもいい。ティアはぐったりとした勇者の心臓に耳を当て、鼓動を確かめることに注力した。
「……ああ、生きとるか」
胸に頭を埋めたまま、少女は腹の奥底から長く息を吐く。ドクンと脈打つものがあれば、一安心だと気を抜きつつあった。
闘神の加護を得ているネギの勇者は、頭か心臓を潰されない限り即死は免れる。冷静に考えれば、死ぬ訳はない――が、魔女の耳は今、鎧ではなく衣服の上に当てられている――冑どころか、残ったのは左の篭手のみ。
ネギの勇者のシンボルである生長鎧は、すっかりと鳴りを潜めていた。神々が強いた規則を逸脱させるような不可思議な状況に、ティアは冷静さをやや欠いてしまう。
(何故じゃ。自ら鎧を解いた? 否、篭手のみにする必要性はない。状態異常……は、魔法により否定された。なら、何じゃ? 闘神ルファイドに与えられた鎧が瓦解するかの如く――――)
可能性を虱潰しに検証しようとしていたところ、思考はジオの咽びに中断される。かはっ、と息が漏れれば、傷ついた内臓から溢れた血液が吐き出され、未だ咳き込みが続けられる。
「エル、エル! 気づいたか?」
大丈夫かと問いたいところであれども、聞くだけ無駄か。余り動かしたくもなかったが、咳き込む姿を見兼ねて、天を仰ぐ少年の身体を横へと向ける。先程から治癒を唱えているため、他に出来そうなことと言えば背中をさするくらいしかなかった。
「ティア……」
「そんな辛そうな顔をしながら喋るでないわ! シャーロットが行っとる。たまには任せたらどうじゃ?」
起き上がろうとしたジオの額を押さえ、寝ているように促した。勇者は気を抜いていた訳ではない。むしろ、気を引き締めてこの結果なのだ。ここはやる気を見せている精霊の力を借りた方が賢明だと、魔女は判断していた。
「ダメだ。シャロに、辞めるように言ってくれ」
体力はある程度回復しているであろうが、麻痺したように少年の動きはぎこちない。可愛い弟分の頼みは聞きたいのも山々だが、ティアとしては状況がわからぬ内に無茶はさせられたものではない。
「広域魔法の禁止か? 親父越えは悲願じゃろうが、時と場合によるじゃろ?」
「違う、今の装備じゃ、シャロがやられる……頼む、早く、伝えてくれ」
絞り出されたものに、少女は顔を魔女らしいものに戻す。
紅い瞳の人外は、人間は愚か魔物をも凌駕する魔力量を有している。その中で、ネギの勇者がここまで懸念を露わにしていることに、彼女は己が冷静でなかったことに気づかされた。
検討を怠った訳ではない。優先順位を考えると後回しにならざるを得ないのだ。気づきを伝えようとして顔を上げるも、時既に遅し。
「ティア、肩を貸してくれ!」
浮遊の力を失い、地へと落下する精霊を前にして少年は怒鳴った。
「自然は多いけど、緑が少ないねー」
語り口調はいつもの様子。が、あどけない顔も今は困ったように眉が寄せられている。腕組みをしながら、思案顔にもなる。自然霊の結晶とも呼ぶべき精霊シャーロットであるが、魔法の行使のために従えやすいものは、木々や草花といった緑のものだ。
険しい山脈を背に、耕作が放棄された荒涼たる地が広がる。石くれから力を借りることは苦手であるし、地面そのものに働きかけるとなれば広域魔法を使わざるを得ない。
「やっぱり面倒。使っちゃおうかな、大魔法……」
独り言はあくまでも場繋ぎであった。黙っていられない性分であるので、ついこのようなことになる。精霊の狙いは、眼下にて吠える大型の魔物の分析だ。紅い瞳を凝らせば、相手の魔力の本質を見極められ――結果、顎元に手を当てながら唸る。
「やっぱり地属性かぁ。魔物は単純化されてるだけに、加護よりも属性に引っ張られるからー……厄介」
地面を揺るがせたところで、大して効果はないとの判断に至った。そもそもが、地中を移動してきているのだ。地面を掻き混ぜたところで、ただちに致命傷を得るような結果は期待できない。
「ルファイドから、矛でも借りてくればよかった」
むぅ、と頬を膨らませるも後の祭り。彼女が扱える武器、礼装の類があるのだが、余りに物騒であるので普段は神に取り上げられている。
「―――――――――――――っ!!」
金切り声が上げられた。耳を塞いでみるものの、大戦後にはほとんど見られなくなった超大型の魔物は精霊の身にあっても異物に思える。
勇者の一撃で寝かしつけられていたが、そろそろ這いずり回り兼ねない。大口のミミズ――何とも生理的に受け付けない形状を前に、シャロは早々の決着を求めた。
「ジオはああ言っていたが、グリオですら広域魔法を使ったんだ」
精霊は吠える大型の魔物を見下ろし、ふん、と鼻を鳴らす。草木の少ないこの地では、長期戦に持ち込むには不利。人間などは知ったことはでないが、吟遊詩人が潰されればそれこそ弟が泣いてしまう――それは勘弁願いたいところであった。
(やってやろう。たまにはジオも楽をするといい)
弟分の願いはなるべく叶えてやりたいとも思うが、状況が状況だ。以前にグリオやオッサンと共に退治した砂漠蟲と、目の前のものは格が違うとは既に理解している。であれば、これはグリオが、二代目ネギの勇者がやり残したことでもある。
「闘神、ヴァンデリック・ルファイドの名の元に、我が望みを聞け」
眼前に開いた両手を翳しながら、シャロは魔力を大魔法へと昇華すべく呪文を唱える。闘神に寵愛される精霊は、呼吸をするように、ごく自然に不可視の自然霊へと働きかけた。
空間が歪む程の密度で集められた魔力を、詠唱によって自身が内包する力と混ぜ合わせて奇跡と為す。目指すは完全なる抹消。バカ程にデカい魔物に中途半端な魔法は意味合いが薄れる。
「我呼び込むは、地の雄叫び。示すは破壊、爆ぜよ――」
大地極鳴動。起こすべきは、大地の爆発。地中に潜る蟲に抵抗力があるならば、それを越える力を以って圧し潰す。四方八方から迫りくる土の壁による圧殺をシャロは狙っていた。
だが、奇跡を為す前に少女は音を奪われた。
「――――っ!?」
紅い瞳を白黒とさせながら、次の瞬間には大きな違和感を受ける。言葉を忘れてしまったように、口がパクパクと動くに留まった。
何が起こったか、無敵の精霊は空気を喘ぎながら瞳を回すしか出来ることがない。
「――――――――っ!!」
耳にしたのは、魔物の咆哮。何が何だか、彼女にはわからない。ただ、吐き出された白い煙に包まれたところで、魔力が――否、自然霊との繋がりが遮断されたと、感覚のみで理解する。
「魔力塊っ!」
短い詠唱により、自前の魔力が緑色光となって眼前に絞り出される。以前に対峙した際には見られなかった白い煙、これを何とかせねばならない。
焼け石に水程度であっても、魔力による壁が現れれば白いものを堰き止める防波堤の役割を果たしてくれた。緑色の壁はすぐに消失するが、この僅かな時間の間にシャロは幾つかの呪文を唱えた――ティアのように世界を騙す必要はない。精霊は発動制限なしに、魔法の連続発動が行える。
「石投槍、大地付加、土壁」
唱えれば、不定形である魔力が現象を為すべく蠢き始める――だが、思った効果は得られず、この瞬間に精霊は後退を選んだ。
「シャロ様、代わります!」
「おうともさっ」
届いた声が、後押しとなった。視線を向ければ、半裸の男が走り来る。先の読めぬこの状況では、人間を前衛に自身はバックアップをする方がよいか、そのように彼女は考える。
吠える魔物を間に退くことは癪の他ならない。それでも、離れるしか選択肢はなかった。眼前の蟲が、自分や弟分にとって天敵であると認めなければならなかった。
「あ――」
いつものように軽口を叩きながら、シャロはそそくさとこの場を離れにかかろうとした――だが、蟲から放たれ続ける煙に捕らわれてしまう。自然との繋がりを断ち切られ、精霊は地面に向かって落下を始めた。
「何と言うことでしょう……」
僅かな時間の内に、勇者パーティーの半分が無力化されてしまった。ネギの勇者、その実力を知るハインドは怯えを通り越し、自失のような状態にあった。
「――――――――っ!!」
吠える魔物。見たこともない巨体、その癖出される声は神経に障る甲高いものとあれば、人間の精神は擦り切れ兼ねない。吟遊詩人であることを忘れ、言葉も忘れたことは、半ば自動的な防衛機制であったのかもしれない。
距離としてはやや離れているものの、馬も怯えている。さりとて、逃げる訳にもいかない。勇者には無謀にも一方的に“魔物を倒してくれ”と願ってしまった。
「ちょっと、離れます。危険を感じ――てると思いますので、適当に逃げてくだされ」
既に馬を降りていた半裸の男が言葉を残して走り行く。
「あ、オジサン――」
青年はかろうじて手を伸ばしたが、ネギの従者は地面を軽快に踏みしめていくもので、既に背中は離れていた。
勇者はこの吟遊詩人を護るように、彼へと命をくだしていた。その男が飛び出す事態は、いよいよ以て今後の展開には予測がつかない。見れば、精霊種の少女が防戦を強いられているではないか。
(考えろ、考えろハインド!)
身体は硬直してしまっている。それでも、忌々しいことに眺望の加護を与えられた吟遊詩人は、眼前で繰り広げられるものを強制的に視界へ放り込まれて行く。
「ひっ――」
漏れ出た微かな悲鳴を、他人事のようにハインドは聞いていた。キョウジが走り込むことを待たずして、精霊は落下を始める。己よりも遥かに強い人たちが、為す術なく散って行く――それはハインドのトラウマを引き起こす。
幼き頃に村を、両親を、妹を奪ったあの魔物。手綱を握る手は震え、唇は縫い付けられたように動きはしない。
どうすれば、どうすれば――必死に考えるも、浮かぶものは英雄譚の一節ばかり。見ることしか出来ぬ自身の矮小さに、恐怖とは異なる歯痒さを覚えた。
「謳え!」
「え?」
震える彼に、よく通る低い声が届けられた。思わず彼は目を瞬かせる。
声が誰を呼んでいるのか、吟遊詩人は一瞬ばかり理解し損ねた。少し先は地獄だ。そこに脆弱な人間が何を出来ようというのか?
「ハインド、謳ってくれ!」
音ではなく、視界に収まるもので青年は理解した。
見ることばかりに長けること、それを悲観する必要は決してない。彼の瞳は、遠くにある緑色の光を確かに捉えている。
故郷を滅ぼした魔物を倒す、そう約束してくれた勇者の姿を見逃さずに居られる。
「ジーオ、ヤツが再びを口を開く! 煙――」
地に堕ちる精霊をキャッチした勇者へ、ハインドは声を張った。届くかもわからない。だが、彼にはどこまでも声を届けるための魔導器がある。
「了解だっ」
少女を腕に抱え、少年勇者は緑色の光を放ち壁を作る。不定形の光は煙を堰き止め、敵の白色を後方へと流していく。
「――――――――っ!!」
怒り狂い、人語にならぬ声を上げる蟲。そこへ向かって、火球が叩き込まれる。
「す、すごい! 初級の魔法なのに、いやいや、初級の魔法だから凄い!」
思わずハインドは手癖、もとい口癖のように実況を始めていた。今も尚、火球が次々と魔物に向かって放り込まれていく。
「広域魔法でないなら、いいじゃろ?」
「勿論っ、こいつにそんな大層な魔法は勿体ない!」
宙に浮かぶ魔女へ、ネギの勇者は高らかに宣言した――こいつは必ず俺がぶっ飛ばす、と。
「何と言うことでしょう……」
次々と飛び込んでくる光景に、ハインドは再び言葉を失った。
「わたーしは、吟遊詩人失格か? いやいやいや、そうじゃない、そうじゃないぞハインド! 余りの凄まじさに、思わず言葉を吟味してしまった。そう、ネギの勇者を謳うに足るものが陳腐であっては、わたーしの名折れですとも!」
早回しの台詞を口に、いつもの調子で青年は語る。
「……エル、あいつ煩いぞ」
「いいじゃないか。俺は好きだぞ、ああいうの」
「軽口叩いてる場合か、来るぞ!」
魔法を躱された魔物は、身体を捩って彼らを押しつぶしにかかる。まずは無力化を行えた精霊に向けてだ。
だが、その身体は頭を伸ばし切ったところで一度止まる。
「何でしょう。何でも実況する気がしましたが、いい表現が見つかりません」
困惑したような、呆れたような調子で言葉が響く。
「ジオ様、少しの間だけですが時間を稼ぎますぞ!」
声の主は半裸の男。その肌には血管を浮かび上がらせながら、ミミズの尻を掴み動きを止めていた。
「人間離れとでも言いましょうか。素手で大型の魔物を止めるなど……やはり勇者一行は常識では計れないんですかね?」
「私らに聞くな。自分で考えやれ!」
余裕のない魔女は実況に咆え返しながら、更なる魔法を発動する。火球がダメならばと、今度は中級の魔法による火柱を蟲の腹元へと起こし、その身を僅かではあるが浮かび上がらせた。
「素晴らしい威力、だが利いていない! ジーオ、再び口が開かれますよっ」
「オーライ、力続く限り、魔力塊っ!」
煙を吐かれる度に、防御へ回らねばならない。厄介過ぎるものであるが、いい加減にネギの勇者は飽いていた。
「煙を押し退け、ではない! 開かれた口に壁を捻じ込んでいる!」
やはり煩いくらいに実況は届けられた。実際に、魔物の口へ壁が次々と出現しては、その面積を広げ続けている――魔法を起点に、更なる魔法を目標は敵の口を引き裂くことだ。
「ダメだジーオ、ヤツが身を捩る!」
見た目はミミズであるが、寄生虫のように身体を激しく蠢動させて蟲は魔法の発生点をズラしてしまった。
持ち上げられた頭は、憎き人間の勇者へと振り下ろされる。
「激突っ、だが、勇者の拳は――砕けない!」
実況通り、ネギの勇者は右の拳に篭手を形作り、魔物を迎え討つ。水気を多く孕んだ砂漠蟲は、水袋を打ったような音を響かせつつ、人間を地面に埋めようと足掻く。
「えー、わたーし、それなりに実況を続けてきましたが、同じ台詞を出すことは滅多にありません。ですが、敢えーて、出しましょう。勇者の身体が沈む!」
レティア闘技場での再来。自身よりも大きな存在の一撃を受け止め、ネギの勇者の足は地に埋まる。だが、これもまたレティアの再来だ。
緑色の鉄靴が形作られれば、脹脛の辺りから飛び出した鎖が勇者の身体を固定してみせる。続き、胴体部へ鎧が出現するに連動して左の手甲は丸みを帯びた盾へと変貌を遂げた。
緑色の金属が頭にまで浸食する頃には、その場に強き魔物が恐れるべき存在が再び姿を現す。
「緑色鬼、聞くところによりますと、強き魔物程、死に際に眩き光を見ると巷では囁かれております。わたーしはここに断言しましょう、その光の色は緑であったと!」
実況に乗り、緑色鬼は吠える。
「どぉあらあぁぁ!!」
蟲へとぶつけられていた緑色の拳は変化して、右の腕全体は捩じくれた爪の様相を持つ。その金属塊が、魔力と共にぶっきらぼうに打ち上げられた。
「ダウン、ダーウン! 空に噴き上げられた砂漠蟲がそのまま天を見上げる! ここで終わりか? いーや、まだだ。これから勇者の反撃が始まるのだ!」
巨体が地面を打てば、流石に地響きと共に砂煙が舞い上がる。魔物を吹き飛ばした勇者は、従者が精霊を抱えて下がる様を見て一息吐いた。
「エル、やっぱりあいつ煩いんじゃが」
勇者の傍へ降りて来た魔女は、眉間に皺を寄せながら幼馴染へ言葉を投げかけた。魔女という性分からか、何かを殊更目立たせるようなものは嫌いらしい。
「そう言ってくれるな。ハインドの実況は正確だから、あの蟲が何をするか見渡せて、俺は助かってる」
後ろを振り返り、吟遊詩人へと微笑んでみせた。尤も、化け物のような鋭い眼光を向ける形になるのだが。
「見るしか能がないのでね。せめても正確に語りたいと思っているところですよ?」
自己卑下でもなく、ハインドは思ったことを口にする。しかし、それが案外と皮肉になっていたと魔女は嗤う。
「聞いたか? あの吟遊詩人、一芸で終わってないぞ。闘うしか能のない勇者のままでいいのか?」
「んー、あー……」
くふふ、と底意地の悪い声に緑色鬼は腕を組んで俯いた。魔物が恐れる化け物であるが、こうした姿を見ると何とも滑稽なものだ。
「まぁ、いいんじゃないか? 事実、俺は闘うしか能がない。だから、あれだけ喋れるハインドは凄いと思うしな」
こちらも卑下するでもなく、さっぱりと勇者は言い切った。幼馴染みとしては思考放棄にも捉えられないでもないところが、やや歯痒い。
「……問答はこの辺にしようと思うが、どうする? 吹き飛ばしはしたが、ダメージは少ないようじゃし。あの煙をくらったら、次はないぞ。やはり広域魔法でしとめようぞ?」
「ダメだ」
魔女の提案を、ややキツめに断る。ここで周囲を巻き込む魔法を使っては、意地を張ってきたことが水泡に帰す。それはどうしても避けたかった。
「ギリギリまでわがままさせてくれ。本当に、誰かの命が危険なら、その時は頼む――ティアなら、あいつを跡形もなく吹き飛ばせるんだろ?」
「そんな簡単にいくものかよ。何だ、その私に対する無責任な期待は……」
魔法使いを何と心得るか。彼自身も森司祭であろうにと、魔女は頬を膨らませた。
「期待というか、信頼だよ。俺を信じてもらう前に、俺はティアを信じている」
冑を解き、ジオは黒い瞳を真っ直ぐに幼馴染みへと向けていた。
「何じゃ、何なんじゃ! もう、そういうのはもっと艶っぽいシーンで言わんか!」
もぞもぞと起き上がろうとする蟲、それに代わって今度はティアが天を仰ぐ。自覚してやっているのではないかと思うが、そうでないところがこの少年の性質の悪いところだ――信じていると言われれば、もう他に出す言葉がない。
杖を地面に突き差し、魔女は溜め息を吐いた。
「広域魔法の準備を始める。ヌシ、策はあるのか? 負けたら、容赦なく打つからな?」
「助かるよ。あと一つ、試してないものがある」
ヒラヒラと手を振りながら、呑気にジオは歩き始めた。その背中には少女の視線と、蟲が動き出したと告げる実況。
勇者としての舞台は整った。
「さぁ、やってやろうじゃないか。俺なりの勇者らしさを全力で見せてやる」
両の拳を打ち合わせ、少年勇者は気合を入れる。利き腕を地面に合わせ、姿勢を低くすれば、反撃の準備も十分だ。言葉どおり、これまでの旅で得た全てをぶつけに勇者は構える。
「ジーオ、気張りなさい!」
「エル、とっとと終わらせて湯治じゃ。もう疲れたから、贅沢してダラダラするんじゃ。私を愛しているって言葉は、その時に聞かせい!」
誰も見向きもしない地味な闘い。だが、その場には己を鼓舞する者も、心配してくれる者もいる。勇者になって、もう六年が過ぎた。しかし誰かが応援してくれると、不思議と力が湧くことは、最近覚えたばかり。先程、蟲相手に不覚をとったこともあり、まだまだ途上なのだと噛み締めている。
(……愛の告白をしたつもりはないんだが)
態々反論するのも野暮かと、頭までを金属で覆い、ジオは巨大な魔物を睨み据えた。加護を発揮する過程で、冑に空いた鋭い穴から緑色の光が涙のように溢れ出る。
怒っているような泣いているような――歪な姿をした勇者は、魔物を屠るためだけに自らを鋭い一つの牙へと変えた。




