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ネギの勇者って、何ですか?  作者: 三宝すずめ
第四話「ネギを讃えよ、吟遊詩人」
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緑の勇者は、人知れずに 3

 レジナス王国は、主要機能を東南に集めている。悠然たる姿を誇るアイリスの樹がそこにあるからだ。どれだけ魔物の脅威に晒されようとも、人々は大樹に寄り添い、立ち上がる。


 先の魔物との大戦も然り、更には百年以上も前に行われた、十二の種族による神々の代理戦争も然り。大陸の中央にあるレジナス王国は、どうあっても争いに巻き込まれる。人も魔も、ありとあらゆるものから脅威に晒されながら、アイリスの加護により王国は存続されている。


 アイリス信仰は王国の屋台骨であり、人々を導く教えであった。一国の王も、彼女の前ではただの信徒となる――レジーム王が国王でありながら枢機卿という立場をとるのは、より上位の神の徒が存在していることを示している。


 人を越えた存在は、何も魔物や神のみではない。神に愛され、その座に届かんとする力を持つものとして精霊は位置づけられている。


「あー、いいなぁ。精霊、いいなぁ」


 仮面の下は見えないが、恍惚にも近い声音で仮面の黒騎士は繰り返し唱える。廊下へと出たものの、視線は謁見を行った部屋へ向けられたままだ。


 アイリスの敬虔なる信徒であれば、祈りの後は労働に勤しむべきだ。しかし正に今、奇跡を目の当たりにしたばかりだ。余韻に引き摺られても仕方あるまいと、教会の騎士は後ろ髪を引かれることを正当化していた。


「カーラ、気持ちはわからないでもないですが、戻っておいでなさい。主は我らを身捨てることはありませんが、お勤めが出来ねば神の愛に応えることが出来ません」

「うるさいやつだ……」


 聞こえは何とも博愛に満ちた声に、カーラは仮面の下で顔を顰めた。国境を守る騎士団を任されたアジード司教に対して、不敬たることこの上ない。


「おやおや、今日はいつにも増して感情が表に出ている」


 部下の無礼すら、神父は笑って許した。何せ、国王たるレジーム枢機卿よりも上位である教皇との謁見の後だ。興奮が隠せないことは、この神父もよく理解している。


「とは言え、彼の方をみだりに精霊などと呼びませぬように。教会上層部の老人共は薄々は気づいているものの、それを認められずにいるのですよ? 神の恩恵を受けるのは人間種だと思い込んでおきたいようです。何とも浅ましい考えですが、外では必ず――」

「一々言われなくとも、わかっている。アイリス神と我らを繋ぐ、サリナ・アイリス教皇猊下。或いは白き御方、だな」


 猛禽類のような、カラスのような――そんな姿をした白き人外を思い起こし、黒騎士は再びうっとりとした表情に戻った。無論、仮面が邪魔をしてそれは見えないが、神父は微細な変化を読み取る。


「そうです。あの御方への表現には、全身全霊を以て気を払いなさい。アイリス神の寵愛を受けしあの御方を白いカラス、などと呼ぶ輩は懲罰対象です。カラスなど、魔鳥神アーニュスと混同させるような呼び方を、我々は決して容認しない!」


 固めた拳を震わせながら、アジードは語気を荒げた。常に冷静たるこの神父が、目に見えて頭に血を上らせることは珍しい。


「……前から思っていたが、魔神、邪神、魔鳥神って呼び方には統一性がないのではないか?」


 フルゥエラ大陸に住まう者は十二神のいずれかの恩恵を受けている。一般には第五位までの神の名を聞くことしかないため、第十位のアーニュス神などを知る者は少ない……それがためにアイリス信仰者であっても、主神と人々をつなぐ精霊サリナを“カラス”などと呼ぶ事態にも陥ることになる。


 アジードと共に教会へと深く関わる仮面の騎士ですら、神の序列はよく理解が出来ていないでいる。廊下を歩きながらする話ではないが、ここが神父に任された町――その中央に位置する彼の教会であれば、人目を気にする必要もない。


「統一性がなくとも、よいのですよカーラ。いい機会です、少しレクチャーしましょう」


 再び優しい神父然とした顔を取り戻し、アジードは講釈を始めた。


「主たるアイリスを頂点に、十二の神が存在する――これは旧知のことですね。頂点とは言いましたが、それは人間種への影響力を示してのものです。主神の力は凄まじいものですが、これはつまり人間が勝手に見立てたこと。邪神という名称もまた然りです」


 途中、言葉を区切って神父は隣の黒騎士を見た。少年のような少女のようなカーラであるが、顔を持ち上げて見返してくる辺り、興味の色が見て取れる。


 相手が話題に喰いついていることを感じ入り、アジードは説明を続けた。


「邪神と呼ばれるランギス神は、人間への影響力で言えば第二位。振りまかれる厄災は、病となり人の身に降りかかる――アイリス神の加護なくば六十歳を待たずに死を迎えることでしょう。このランギス神の力が強すぎるため、主神と対立する他の神は区別する必要があります」


 第七位から第九位までの三神は、人間の立場から見ればいずれも悪である。


 悪神ラティオスは苦痛を司り、魔人種を争いへ駆り立てる。魔鳥神アーニュスは空を愛し、魔人種の翼種に多大なる加護を授ける。魔神ヴォークリッサに至っては、人類に直接災いを齎そうとした――そのような伝承までも見受けられた。


「十二神の内、実に四神が人間に悪影響を及ぼすのです。それぞれがどのような存在であるか、それは明確に区別する必要があるのですよ」


 我々、神の徒は特にね。淡々と語るものの、言葉の端々には嫌悪感が滲み出すことを神父は抑えられなかった。人間種へ影響どころか興味すら示さぬ神もいるなか、これら四神は非常に厄介であると言える。


「そうか、それで闘神ヴァンデリック・ルファイドは何位なんだ?」


 説明をある程度理解するものの、カーラにとってみれば興味はもっと他にある。力を欲する黒騎士は、人間を勇者へと変える神の名を上げる。


「言いにくいのですが、影響力はアーニュス神よりも下ですよ。何せ闘神は、非常に限定した範囲にしか加護を授けません。先程も言いましたが、この序列はあくまでも人間種に対する影響力での話なのです」

「ふーん……実力はどうか?」


 子どものように、自身の興味だけを掘り下げて行くカーラ。だが、その問いは熱狂的アイリス信者であるアジードの心をくすぐるものであった。


 不意に立ち止まり、顔の位置まで拳を持ち上げるとビシリと人差し指を伸ばしてみせる。


「闘神と呼ばれるだけあり、単体では並ぶものがないと白き御方は仰います。だが、いいですか、カーラ? 何と彼の闘神はアイリス神側の神なのですよ。今からおよそ二百年前、魔神ヴォークリッサをアイリスの勇者が討った際、それはそれは強力に力を貸したとか」


 それは王歴以前、神歴の時代の話だ。アイリス教徒として神学を誰よりも学んだこの男は、説法よりも遥かに熱の入った調子で語る。


 いつもよりも流暢に話す神父であるが、部下としては少し思うところもあった。カーラはその熱を冷ますために敢えて口を挟む。


「闘神が強いことは素晴らしい。だがな、そうして語っていると、まるで吟遊詩人のようだぞ」

「……心外です。神のお告げを受ける身である神職と、道楽者を同じくされると――」

「失言だった。許して欲しい」


 言葉の途中ではあったが、すぐさまに謝意を示す。そうすればこの神父は、機嫌はともかくとして表面を取り繕う。これがわかっているから、時折カーラは態と口を挟む。


 他の人間がやれば、問答無用で首が撥ね飛ぶことになるが、カーラは例外であった。この黒騎士は、自身がアジードにとってどれ程有用な存在であるかを存分に自覚している。


 喰えない奴だ――実際にアジード神父がそう思ったかは別として、仮面の黒騎士がすんなり謝ればこれ以上追及のしようもない。神父は小さく頭を振って再び歩き始めた。


「謝罪ついでに、先程入った情報を提供したい」


 魔力によって生成された仮想地図、それを脳内で展開しながらカーラは告げる。


 北方の町ラスパに集まっていた職業勇者を振り切り、ネギの勇者は今や更に北上していることがわかる。そこは嘗て大型の魔物が猛威を振るった村跡であり、カーラが大いに力を振るった場所でもある。


「闘神の加護を受けた勇者が行く先、それはあの魔物の巣だろうな」


 放っておいていいのか? このように黒騎士は続ける。


 人間相手であれば問題ない――それは先日アジードが漏らした言葉だ。では、一昼夜の内に村を滅ぼし切る魔物相手であればどうなのか。


「やはり、放っておいても構わないでしょう。これ程の大型ともなれば、勇者は精霊を連れている。そうですね?」

「……よくわかったなアジード」


 思わず、仮面の下で目を丸くしてみせた。情報提供と言いながらも、カーラはその全てをオープンにしている訳ではない。そこを見抜く様を見れば、この神父が人間から畏怖を集めていることを再度認識させられる。


「ええ、ネギの勇者とは少々因縁がありましてね。その在り様は私も独自に調べているところ。端的に言えば、彼は人間側の勇者です。人に危害を為す魔物を前にすれば、敗北は赦されません。となれば――」

「当然、彼を助けるべく精霊は現れると」

「その通り」


 計算尽くの話を、この上なく爽やかな表情で神父は語り切った。


「さて、では行きましょうか」


 長い廊下を抜け、手は扉に掛けられる。しばらくはこの町に留まるものとばかり思っていたカーラとしては、小首を傾げることになった。


「彼らは放っておいていいのですが、魔物を討伐するとなれば、ややこしいことが他にあるかもしれません。我々もアレクラへ向かいますよ」

「……何だ、アジード。お前、ネギの勇者の味方だったのか?」


 爽やかな表情のままである神父には、つい疑念を抱いてしまう。そこそこ長い付き合いになるが、ジオという少年勇者はどう考えても神父が嫌う類の生き物だ。


「いいえ? 勇者などと青臭い理想を押し付ける存在、大嫌いですよ。ただね、間違えてはならないことがあるのです。我々はアイリスの信徒であれば――」

「苦しむ他の信徒を放っておいてはならない、か?」

「よろしい。では参りましょう」


 黒い外套を羽織りながら、神父は満足そうに頷いた。その表情はやはり敬虔なるアイリス教の神父然とした、博愛に満ちたものであった。






 日が昇り、人々は小麦の収穫を前にもう一つ労働を重ねる。それらの姿を見送りながら、ネギの勇者一行は廃村へと一路足を向けた。


「魔物と闘う前から、そんなに汗だくで大丈夫なのか?」

「あー、鍛錬は日課だからなぁ。今更辞められん」

「そうだぞ、ジオは日々強くなるのだ。竜よりも強いことをアっちゃんに見せたばかりだ!」


 かっぽかっぽと馬が歩く中、このような会話がなされた。


 魔女の瞳には少年勇者が多少体力を減らしていても、魔力と気力が十分に漲っている様が窺えていた。そうであれば、これは単なる世間話でしかなかった。


「……汗だくって、きちんと身体は拭いたのだが」


 生真面目な勇者は、幼馴染の言葉を苦言ととったか。腕を鼻の辺りにまで持ち上げて匂いを嗅いでもいた。実際、匂いがしたから告げたものではないのだが、年頃の少年のような顔をする彼が微笑ましく、杖に跨ったまま微笑みを浮かべていた。


「ティアは案外煩いやつだな。それを言うなら、この胡散臭い吟遊詩人の同行に何か言った方がいいんだと、私は思うぞ?」


 魔女同様、宙に浮くシャロは隣へと視線を向ける。精霊に見られた青年は「わたーしのことでしょうか」などと、やや所在なさげな声を上げる始末だ。確かに勇者一行に混じると彼は幾らか異物のようにも見えた。


「いやいや、リバーハインド殿。お気になさらぬようにな」


 ハインドの真後ろ、同じ馬に乗り手綱を握るオッサンはにこやかに応えていた。


「そうだぞ、ハインド。勇者が何かを為したとしても、語り部がいなきゃぁ、何にもならん」


 その隣、一人馬に乗ったジオはにこやかに友人を諭していた。


 冗談のように言ってみせてはいるが、少年なりの配慮であった。元より功績欲しさに勇者をしている訳ではない。加えて言えば、ハインドの言う大型の魔物は、過去に半裸の従者が見ているのだ。態々、吟遊詩人を連れて来たのはもっと別の意味があった。


「ジーオ、私に気を遣ってくれているなら――」

「そんな器用なこと、俺は出来ねーよ。あんたは、俺の活躍を見て、盛大に謳ってくれりゃぁいい」


 ぶっきらぼうな言葉をジオは投げかける。横では姉代わりの精霊が「素直じゃないなぁ」と小声で呟いていた。確かにその通りだと、もう一人の姉であるティアも思うところだ。


 だが、視線を合わせた勇者と吟遊詩人はお互いに笑みを交わしていた。自身の性別を否定する訳ではないが、男同士の友情なんてものを目の当たりにすれば、少女としては何とも言えない感情に苛まれ、眉を潜めてしまう。


「妬かない。これが、勇者に従う者に求めらるものですぞ?」

「伯父上、私はじゃなぁ……」

「おー、ティアよ。お姉ちゃんとは損な役回りだな」

「私はヌシと違い、姉に終始するつもりもないぞ」


 取り繕うための言い訳すら精霊に遮られ、魔女は唇を尖らせた。そもそもで言えば、オッサンやシャロとは立場が異なる。二人は勇者ジオに対しての物言いであるが、ティアはあくまでもエル少年の心配をしているのだ。


 宙に浮けば、馬に跨れば、地を揺るがすものに気づくことはない。だが、魔女としての彼女は、この地に人間を遥かに超えた力を持つ存在が近づきつつあることに気づいていた。


 お気楽なまま向かえば、如何に闘神の加護を得ていても無事では済まない。まして、件の魔物は十年というサイクルを破り、十五年もの月日に渡って力を蓄えていると考えた方がいい。


「あのなぁ、ティア。心配はありがたいが、やることは変わらないんだ。その、なんだ……俺を信じてくれないか?」

「信じると信じないとは――」

「ジーオ。信じていても、不安な時は不安なものなんですよ?」

「ん? そういうもんか。ティア、すまん。なるべく心配かけないよう、頑張るよ」


 あっけらかんと語る少年。思わず魔女は跨っている杖で、彼の頭をどやしつけたくなってしまった。


 否、ジオが悪い訳ではないとわかっている。途中で口を挟んできた吟遊詩人も、鈍い勇者を納得させているのだから、感謝すべきなのだろう。だが、僅かながら少女らしさを残している彼女は、自分の言うことを聞かない幼馴染に腹を立ててもいた。


「ジオ様、あちらに!」


 くだらぬやり取りをしている内に、魔物のねぐらへと一行はいつしか足を踏み入れつつあった。オッサンの言葉に一同は顔を上げ、昇る土煙を見た。


「おー、ただの砂漠蟲(サンドワーム)と思ってたけど、随分と育ってるな。ジオ、やれるのか?」


 目の上に手を当て、遠くを見るシャロ。人間には認知出来ない距離であっても、魔力によって強化された視力を持つ精霊は、土煙を上げる魔物その本体を捉える。


「親父が倒せたんだ。それが出来なきゃ、俺は勇者を名乗れないよ」


 馬を止め、ジオは地に足をつける。精霊がそうであるように、彼の瞳もまたよく遠くを見渡せた。未だ遠くの地面が、小規模の丘へと変わるかの如く隆起していく様が彼の視界に収まる。


 一見して地面が迫ってくるようなそれであるが、その正体は砂色の巨大な物であるとジオは認知していた。


「余りに大きい! わたーしは、あのような魔物を見たことが……」


 前半は興奮から、後半は自身の無力さから吟遊詩人は語るにつれて声量を変化させた。加護による眺望が見せてくれるものはいいものばかりではない。だが、それにしても眼前の蟲は大き過ぎた。


 地中に埋まりながらも、その高さは窺えるだけで先日にジオが対峙した溶岩流に匹敵する。だが、それが真の脅威ではない――高さと幅もさることながら、恐るべきはその長大さだ。盛り上がり続ける地面、端から端までを見れば、それは小さな村を横断をしかねない。


「あれを親父は倒したのか」


 ぐいっと腕を伸ばしながら、三代目ネギの勇者は他人事のように溢す。出されたものは呑気なものであったが、衝突までの時間を考慮して自身に廻る魔力を確かめるように身体を伸ばす。


 腕を伸ばせば篭手が、足を踏ん張れば鉄靴が――緑色を携えた神秘の鎧は持ち主の想いに応えるべく、蠢動しながらその姿を変えた。


「これは、黄金剣士と対峙した時の!」


 変貌を遂げる勇者を前に、吟遊詩人は興奮を隠せずに呟いた。


 あの時は離れた実況席からであった。今となっては、眺望の力を使う必要もない。十分に肉眼で捉えられる距離で、勇者は持てる力を解き放つ。


「ジオ、お姉ちゃんは何をすればいい?」


 既に見慣れた光景であれば、緑色鬼(グリーン・オーガ)へと成る弟分へシャロは指示を待つ。いつでも動けるよう、精霊は赤い瞳を滾らせて言葉を待った。魔女もまた、浮遊に割いていた魔力をカットして地に足を下ろす。


「んや、いつも通りだ。しばらくは俺にやらせてくれ」

「そうか、わかった」


 短いやり取りの間にあったものは、信頼であった。膨大な闘神の加護を得る勇者は、魔物の大小に関わらず気を抜くことはない。あるのは、人間種に敵対するものを滅するという強い意志のみ。


「後、今回は広域魔法は禁止な。俺も使わん」

「な――エル、待て!」


 思わず、魔女は制止の声を上げる。横では精霊が呑気に「オーケー」などと応えているが、まるで正気には思えない。


 身体の大きさは、そのまま蓄えている魔力量の大きさにつながる。肉体の構成には間違いなく魔力が影響しているのだ。逆に言えば、村にも匹敵する大きさの魔物は、魔力なくば自重に潰されてしまう――土煙を上げる程の速度を保つ魔物は、間違いなく膨大な魔力を有している。


 これを前にして、広域魔法を使わないとなれば勇者と言えども――否、神秘が使えたところで規模が違い過ぎるのだ。


「ティア、任せろ。俺はネギの勇者だ。オッサン、もしものことがあったらハインドを護ってくれな」


 すっかりと化物のような姿へと変わってしまった少年は、緑色の風を纏って飛び出した。ティアが横を見たところで、信じ切ったようなオッサンとシャロの姿しか目に入らない。


 ここまであっては、何かと呟く方が無粋かと彼女にも思えて仕方なかった。


「無茶、せんようにな?」


 その言葉を少年が耳にしていたであろうか。小さな形でしか告げることは出来なかった。


 緑の光を後に残しながら駆ける様は、正に勇者らしい。事実、雄叫びとともに振るわれた一蹴りにより、巨大な砂漠蟲は進行を止めた。


「な、なんと! あの巨体を蹴りの一つで!?」


 ハインドの驚きは、周りの者の代弁だった。一番近くでネギの勇者を見守ってきた精霊ですら、紅い瞳を大きく見開いていた。


「どんどんと、人間離れしやるな」


 地中から引きずり出され、砂漠蟲の全容が明らかとなる。


 バカでかいミミズ――それがティアの抱いた感想であった。身体は砂色をしているものの、水気を多く孕み節くれだった姿を晒している。ミミズと異なるところがあれば、先端部分に目と思わしき複眼が備わっていることであろうか。


「……妙ですな」


 打ち上げられ、地面でひくひくと震える蟲を前に、従者の男はそのような言葉を溢した。表情は深刻であり、横にいる精霊も頬を引きつらせていた。


「オッサン、最悪を考えておくぞ」


 言葉が早いか、シャロは傍にいた人間たちへと緑色の壁を展開した。


「お、おい――」


 その光に包まれながら、ティアは手を伸ばす。


 勇者は地面に降り立つと、蟲の進行を止めるに留まらずに直進とともに拳を突き入れようとしていた。


 圧倒的に優勢であるというのに、妙な不安が魔女の胸を過ぎる。


「伯父上、何が、何が妙なのだ!」


 焦燥感に駆られながら、ティアは体内の魔力を練り上げる。今は外側から精霊の魔力壁に包まれているため、魔法の行使も出来ない。だが、それでも何かをせずにはいられなかった。


「口、です。十五年前見たあいつには、確かに口があった(・・・・・)

「な、に?」


 ハインドの言葉に、少女は血の気の引く思いを抱いた。


 ミミズと思わしき魔物は、勇者の追撃で頭を天空に向けて逸らせている。凄まじい勢いで殴り上げられはしたが、そもそもバカみたいにでかいこの生き物に、人間の一殴りがどれ程効力を得ていたか。


「ジオ様、離れなさい!」


 口というキーワードを耳にした従者は、声の限り叫ぶ。


 確かに、二代目ネギの勇者と倒した砂漠蟲には牙があった。記憶が蘇ると共に、肌が粟立つことを覚えた。


 備えられていたのは獰猛な牙。知能の低い魔物が、それを隠す理由はない。あるとすればもっと別の理由からの筈だ。


「ジーオ!」


 続き、広く見渡すことの出来る吟遊詩人が悲壮な声を上げた。


 彼には見えていた。巨大な魔物が、空から頭を地面へと降ろす様を――それは、以前に勇者に敗北を喫した末、得た力を今こそ示す時であった。


 離れて見ていた人々は、落ちてくる魔物の頭、その先端がガパリと開かれた様を見た。大小不揃いの牙が並ぶが、それそのものは十五年前とさして変わらぬ。


「ジオ、離れろ!」


 珍しく焦った様子で、シャロが怒鳴っていた。人間種では及ばぬ程の魔力を有する彼女は直観する。開けられた口、その奥には蠢くものがある――魔物でありながら、器用にも魔力を魔法へと砂漠蟲は昇華せしめた。


 天から降り注ぐ頭、それは二の次だ。開かれた口、その奥に繋がった内臓は魔力炉とも呼ぶべき内燃機関の様相を呈している。そこから、蟲は煙を吐いた。


「――っ」


 一瞬にして、白い煙に勇者は包まれる。


 遠く離れた人たちには、それがまるで興味のない英雄譚を聞かされるが如く、他人事のように見えていた。


 その地一杯を包む煙。一瞬後には、その一部を人間の大の物が突き破っていた。


「エルーーーっ!!」


 杖に跨り、魔女は浮かぶを通り越して飛び立った。


 煙を突き抜けたものは、ネギの勇者であり、そうではない。これまで何者をも打倒してきた緑色鬼は、姿をか弱き人間のものへと戻し、放物線を描く。


「そんな、ネギの勇者が……」


 ハインドは、眼前の光景が信じられずに呟いた。周囲に控える人々は、精霊も従者も渋い表情を作っている。


 人外の域に踏み込んだ黄金騎士、それを圧倒した緑の勇者。その彼が薙ぎ払われ、無力に吹き飛ぶことを、どうやら現実らしいと受け入れざるを得ない。


「――――――――――――――――――――っ!!!」


 口を開いた砂漠蟲が、十五年の歳月を経て雄叫びを上げる。その様を眺めるしか、吟遊詩人の彼に出来ることはなかった。




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