緑の勇者は、人知れずに 2
夜の帳が下りた。
太陽が隠れれば、明日の労働のために人々は眠りにつく。王都から離れた北方の村は、より顕著にそのような暮らしを続けている。それも今日ばかりは趣が異なった。
「ああ、何だろうな。上手く言葉に出来ないが、これはいいなぁ」
リュートの音を耳にしながら、ジオは呟いた。
村へと戻れば、すぐにハインドは人々に囲まれることになる。やいのやいのと喧噪が響いていたが、それらは一向に止む気配もない。
彼の右腕には重みが掛かっているが、それすら忘れて眼前の光景に目を奪われていた。
「可愛い幼馴染が隣におりながら、他所へ気をやる……腹が立たんでもないが、エルの抱いたものには概ね同意出来る。あの吟遊詩人、なかなかやるではないか」
背丈の低いティアは少年の腕に半ばぶら下がりながら、唇を尖らせる。それでも言葉通りに納得したような顔つきにも変わる。昼間にそっぽを向けた大人たちを、ハインドはリュート一つで惹きつけた。
小麦の収穫を前に、村はやや浮足立っているようにも彼らには思えた。だが日頃から質素な暮らしを徹底される村において、この程度のバカ騒ぎくらいは可愛いものだ。
「そうだなー、ハインドは面白いやつだ。初めて見た時は煩いだけの男かと思っていたが――それは俺の思い違いだったのかもしれん」
「料理コンテストの実況者じゃな。楽器も嗜んでおるとか、大したもんじゃ」
少年少女は喧噪を遠巻きに眺める。
「あいつ、昼間にそっぽを向かれていたのに、どうして懲りずに行くんだろうな」
「それをヌシが言うか?」
「んあ?」
何の気のない呟き、それへ返されたものに少年は無謀な間抜け面をする。無自覚が過ぎると、ティアは小さな手の平で自分の顔を覆ってみせる。
「エルな、村人がヌシに冷たくしたとて、魔物が現れたらどうする?」
「そりゃぁ、倒しに行くだろ。俺はチヤホヤされたくて勇者してる訳じゃない」
「……それと一緒じゃろ。あの吟遊詩人も、人々を笑顔にしたい、そんな何処ぞのバカ正直な少年とよく似た行動原理を持ってるんじゃろて」
ティアの言葉に、ジオは「ふむ」と一言応えて顎元に手をやった。考え込んでいるのだろうが、自分のことを度外視して動くこの少年はきちんとわかっているのだろうかと、彼女は思わずにはいられない。
「まー、エルにそれを期待するのは、いかんか」
やれやれと首を左右に振り、ティアは瞳を正面へ据えた。
夜にもなれば流石に子どもの姿はない。だが、男だけでなく、子どもを寝かしつけた女もにこやかな笑顔を浮かべていれば、微笑ましく思えてしまう。ぬるいエールを片手に火を囲む人々を前にして、ジオは瞳を瞬かせる。
「なぁ、ティア……これが、人々の暮らしというものか?」
「そう、じゃな。うん、そうじゃ」
ぼそりと溢された言葉へ、ティアは首をゆっくりと縦に振って応えた。彼女に自覚はないが、不出来な弟を見守るような表情になっている。何処でどう間違ったか、少年勇者はこんな当たり前の光景に目を白黒させていることには、言葉が上手く出てこない。
ジオグラフィカエルヴァドスという少年は、物心のついた頃から勇者への憧れを口にしていた。師は、身内たちが聞かせる父親の英雄譚。何を為したかは知れども、何を想っていたかを彼は知らずにきてしまった。
愚直過ぎる少年が、護るべき“人々の暮らし”を目の当たりにしているのであるから、幼馴染がこのような顔をしたのも、至極自然なことであった。
「何?」
勇者のような、エル少年のような、どちらともつかない声をジオは上げる――背中を押されたと思えば、ティアは魔女らしい顔を崩して優しい笑みを浮かべていた。
「行け。眺めるだけで、勇者に成れるものでもない。行って、人々に塗れて、その暮らしが何たるかを知ってこい」
「……わからんが、わかった」
闘うしか能のない少年は、渋々といった様子で歩き出す。既に出来上がった輪のなかへどう入るか、悩んでみせれば所在なさ気になっていた手は頭を掻くことに回される。
ふらふらと歩く勇者に気づいたハインドは、演奏の手は止めずに、腰を浮かして人の輪に切れ目を作った。
「ジーオ。こちらへどうぞ」
「ん、ああ」
ぎこちない足取りでは、鎧がいつも以上にカチャカチャと音が鳴る。何とも不格好なことこの上ない。闘うしか能がないとは繰り返し出されてきた言葉だ。
「姉としては、見守るしかないか。ちょっと歯痒いねー」
「そうじゃな……シャーロット、いつの間に?」
闖入者にティアは肩をびくりと震わせた――闘神に愛されるこの精霊は神出鬼没。いつでも猫のようにふらりと現れては、いつの間にか消える。
シャロの方が背は高く、見上げる形だ。白と黒の魔法使いはコントラストが生まれていた。あどけない少女そのままの人外と、少女らしい作りでありながら大人びた目つきをする魔女。対照的な二人の姉は、言葉を交わしながら弟分へ視線を注ぐ。
「魔女っ子ティアちゃんは、最近のジオをどう思う?」
「誰が魔女っ子か……相変わらず妙な言葉遣いをしやるな。私は六年もアレと会ってなかったのだぞ? 最近で言えば、ヌシの方がよく見知っておるじゃろうに」
恨みがましい目つきになることは止められず、ティアはせめても睨まぬよう視線は前を向いたまま話す。横では精霊が表情を曇らせていたが、それも目には入らない。
「変わったと言えば、エルは変わった。すっかり勇者だ。正直に言えば、あんな無謀な生き物に育てたこと、私は伯父とヌシを恨んでもおる。一方で、エルらしいところも残っておるから、感謝がないでもない」
「うーん、ティアからもそう見えるか。育成方針については、本人の意志があったから聞かないぞ」
「聞かないぞ、じゃないじゃろう……」
シャーロットは六年経っても変わらない。それが精霊なのだと言われると、これ以上出せる言葉もないのだが。人間の都合は知らないとは常々口に出されているものの、いつもと異なり、声音が沈んでいる様子であればティアは少しばかり妥協してみせる。
「で、シャーロット。エルの前ではなく、私のところに態々来たんじゃ。あいつのことで悩んでおるのじゃろ?」
「悩んでないぞっ」
「……ああ、そうか」
水を向けられたにも関わらず、精霊はいつもの如くケロりとした顔で否定する。内心、ああ面倒臭いなぁ、とティアが思い始めた頃に「悩んでない。ちょっと憂いてるだけ」と言葉が出された。
紅い瞳を二度三度瞬かせると、シャロは浮かない顔つきで続ける。
「勇者になりたい、その願いには応えた。けど、私もオッサンもどんな勇者になるべきかについては、口を出さなかった。あの子……なりたいものになれてるのかな」
さて、ジオグラフィカエルヴァドスのなりたい勇者像とは何だったのか。幼年期のエルから聞かされていた想いを振り返り、ティアは瞳を閉じて思索する。
数秒も経たぬ内に頭を振れば、精霊に見えるように指を差した。人々の団欒にぎこちなく座る彼を見れば、自ずとわかる筈だ。
「私にもな、アレがどうしたいのかはまるでわからん。じゃがなぁ、必死にここまで走ってきたんだ。今更止める必要はないし、ちょっとくらい寄り道をさせてやればいいじゃないか。エルは最近になって、グリオと名乗るのを辞めたんじゃろ? なら、今が丁度“なりたい勇者像”ってやつを確かめてる最中なんじゃろうて」
「おー……ティアがまともなこと言ってる」
「エルが見てなかったら、割と強めに殴ってるところじゃわ」
団欒の輪に加わりながらも、ジオは眉間に皺を寄せていた。腕組みと一緒に皺が解かれると、その腕は姉たちへ向かって振られる。
「自分のことだけで必死なのにな、お姉ちゃんを気にしてくれるとか嬉しいもんじゃないか」
「流石はルファイドが認める勇者だ。お姉ちゃん、鼻が高いぞ!」
それまでの憂いは何処へやら。ひゃっはー、と雄叫びを上げてシャロはジオの元へと飛び込んで行った。
(誰が認めようが、誰が拒もうが、ヌシは勇者じゃよ)
実は考えるまでもないことであった。あの時、外に出るのは厭だと閉じこもっていた少女を連れ出してくれた男の子は、ティアにとっては立派な勇者なのだから。
姉代わりの魔女もまた、ゆったりとした歩調で人の輪へ向かった。人が多いところは苦手であるが、優しい音色のリュートが聴けるなら、少年が嬉しそうな顔をするなら、たまにはよいかとも思えた。
火を囲む人々を遠巻きに眺める人物が他にも居た。
「向こう、行かないんですか?」
はい、と木のコップを渡しながら話しかけるラリィ。冷たい風が吹いても、オッサンは上半身裸のままだ――渋い表情をしていた中年であるが、コップを手に取ってくれたので、少年としてはホッとしていた。
「お気遣い、傷み入りますな」
エールを一口飲めば、強張った顔も少しばかり綻びをみせた。人の好い笑顔をするオッサンに対して、ラリィは何かと疑問が浮かぶ。
「エールっておいしいですか?」
「うーむ、味というよりも香りでしょうかな。ラリィ殿はお酒は?」
「僕はまだ未成年ですよ」
おお、そうでしたか。答える中年は厳つい顔つきにも関わらず、とぼけたように目を細めている。
他人を心配したり、怒ってみたり、ギルド所属の勇者にケンカを売ってみたり……疑いではなく、この男が何を考えているのかがラリィは気になってしまう。
「あ、今はぐらかしましたね? あっちにネギの勇者が居るじゃないですか」
「やー……誤魔化しきれませんでしたな。年齢の所為か、人が一杯いるところで話すの、最近厳しくなってきておりまして」
「それこそ、嘘ですよ。元気のない人が、僕みたいなガキを助けるために勇者にケンカ売ったりしないです。そうでしょう?」
真っ直ぐに目を合わせて来る少年の言葉に、オッサンはふむぅ、と唸っていた。人助けは半ば癖のようなものであり、全く何も考えていなかったことが実際である。
「オッサンさ、どうして僕を助けてくれたの?」
彼が先程言ったように、田舎から町へ出て来たただのガキだ。助けて特になるようなことは何もない。
「逃げられないんですなぁ」
軽く息を吐きながら、観念したように半裸の中年は語る。
「先代、緑の人――二代目ネギの勇者が最も憤ったのはですな、持っている力を護るべき人々に向ける輩を見た時ですから。その背中を見てきましたから、私は逃げられないんです」
無論、ジオ様もそうですよ。理想を語る男であるが、見せた笑みは何処か儚げでもあった。
「ですから、手前勝手にやっていることです。ラリィ殿を助けたいという気持ちは、勿論ありましたが」
「……そんな、哀しそうな顔をしないでくださいよ」
動機はどうあれ、助けてくれたことは事実。そもそも、マイロを相手に他の誰が救いの手を差し伸べくれたというのか。ラリィはいつの間にかオッサンと同じような表情をしてしまっている。
「主の前へ、出づらいんです。家出のことはもう許してもらえているでしょう。しかし、先程言いました通り、私が先代の教えを守ろうとするのは自分の勝手ですから構いません。しかしですね、三代目ネギの勇者と旅を続けたのは私です。知らず知らずの内に、先代のやり方を押し付けてしまったと、気づいたのですよ」
「オッサン……」
男の顔には苦渋の様が張り付いていた。姪と一緒にいる勇者の顔は何とも少年らしい。それを奪ったのは、己なのだと自覚する。これまで思うこともなかった幼年期のジオの姿が、今はありありと思い出されるのだ。
「元々は、優しい少年でしたよ。真面目なジオ様は、父上を追いかけて人々の前へ出れば、この世の不条理に怒ってばかり……姪と一緒に居るところを見てください、あの顔が本当の彼の顔なんだと思えば、私は――」
「だったら、言わなきゃ」
「ラリィ殿?」
腕を引かれ、キョウジは目を丸くした。農作業をしていても、成人前の少年の指は細い。加えられた感触は弱いというのに、そこには抗い難い力を覚えた。
「ハインド兄さんは、飄々としたお調子者です――一見はね。でも、でもでも、故郷を失ったことを悩みながらも、精一杯吟遊詩人をしてるんですよ。何故かわかりますか?」
必死に話す少年に口を挟むまいと、オッサンは首を横に振る。それを見て、ラリィはゆっくり息を吐いて、呼吸を整え直した。
「彼がそうしたかったからです。ハインド兄さんは、僕に多くは語りません。ですけど兄は、いつも“胸を張って生きろ”と言っています。兄さんは後悔なく生きるために吟遊詩人をしてるんです。それは誰かに言われたからではなくって……」
「我が主も、そうなんでしょうな。彼は、自分で勇者になることを選んだのでした」
ハインドの隣に座った緑色の勇者は、ぎこちなくも笑みを浮かべている。勇者らしくはなく、嘗てのエル少年らしくもない顔つきだ。
オッサンの見たこともない顔を、旅で出会った友人に向けているところを見れば、従者としては変に邪推をする必要もない。
「キョウジさん、少し聞いてもらえますか?」
中年の顔つきが変わり、少年は腕を離す。これまでも真剣な顔を見せていたが、種類の違うものになる。悲痛そうな色を見れば、オッサンは「何ですかな」と勇者の従者として言葉を待った。
「兄さんが吟遊詩人をしている理由は、憧れもあったと思うんですが、人々に伝えたいことがあるからなんです」
「ほう……」
「変なんです。故郷は隣の村ですよ、そこが壊滅したのにこの村の人たちは誰も疑問に思っていない。それに、僕ら、身寄りがないのにこの村にすっかり馴染んでいる。村の人たちはいい人たちばかりですけど、何だか変なんです」
顔を伏せ、少年は唇を噛んだ。
赤子の頃に村を移ったため、おかしいと思ったことはない。だが、ハインドが十五年前のことを謳ったとき、大人は妙なことになった。話は聞いているのに、頭に入らないような、そんな不可思議な態度を取るのだ。
「……人の敵は、魔物だけではないのでしょうな」
声は小さく出しつつ、オッサンは唸った。
三か月ばかり前に見たゴブリンの勇者、その者が身に付けていた鎧は魔物が用意出来る代物でもない。どうしても人間が魔物に力を貸しているように考えてしまう――ここに来て、魔物、それも大型のものの情報が隠されることには、きな臭さを覚えた。
「魔物との大戦は終結しましたが、まだまだ勇者が必要ですな」
呟き、エールを煽るとオッサンはラリィの背中を手の平で軽く張った。吟遊詩人と主を繋いでくれたこの少年へ感謝すると共に、その想いに応えるために歩き出した。
己が行けば、ぎこちなくも笑顔を浮かべるジオをまた勇者らしい表情へ引き戻してしまうかもしれない。だが、魔物の影に隠れて徒に争いを広げようとする人間がいるのならば、主は憤慨する――これは断言できる。むしろ、知っていて黙っているとすれば、それこそ従者失格だ。
(地獄へ突き落すことになったとしても、ジオ様には勇者として振る舞っていただく)
緑の人、その従者として喝を入れられたからには、行かねばならぬ。オッサンは表情を引き締め、少年と共に団欒の火に向かって歩んだ。




