緑の勇者は、人知れずに 1
高い気温のなか、農夫たちは鍬を振るう。爽やかな風が吹き抜ければ、汗の浮かんだ身体を冷ましてくれた。夕刻ともなれば、幾分か涼やかにもなる。
「兄さん、ハインド兄さーん」
農作業に精を出す人々を見回しながら、少年は歩く。ラスパを訪ねた際は旅用の外套に身を包んではいたが、今は村の人々と同じく当て布のされたものが晒されている。
しばらくキョロキョロと視線をさ迷わせるが、お目当ての人物は見当たらなかった。代わりとばかりに、兄とは異なる声が届けられた。
「おや、ラリィ少年。誰かをお探しですかな?」
「オッサン、兄さんを――吟遊詩人を見ませんでした?」
見ればこちらも外套を脱いで半裸になった人物が居た。熊のような大柄の男だが、細い瞳には穏やかさが携えられている。少年はラスパで出会った男へ、尋ねた。
「あの羽根つき帽子の御仁か。そう言えば、我が主と一緒にあっちへ歩いて行きましたな」
「あっち……そうですか。兄さん、相変わらずじっとしていられない人だなぁ」
キョウジの指差す方を見ては、これ以上探すことは諦めた。入り口を指しているからには、もう村の中にはいないと思った方がいい。
(兄さんも、緑の人を見つけてたんだね)
嘗ての故郷があった方角を見据え、少年は胸中で呟く。
十五年前に村を救ったとされる英雄。その姿をラリィは実際に見た訳ではない。だが、兄代わりが訴えることは本当なのだと思っていた。あれ程真剣に魔物について聞かされてきたのだ。嘘だったとすれば、もう笑うしかない。
自分を含め、兄も家族を失っている。しかし少年は当時赤ん坊であった。家族に対しては残念ながら感慨を抱くにも至らない。それだけに、家族と過ごした記憶のあるリバーハインドの胸中はどれ程か――比較対象もなく、少年は首を垂れるに留まる。
「そうでした、貴方にはお礼を言わねばなりませんでした。主が、ジオ様が喜ぶ顔が見れて、オッサンは喜んでます」
「ホットサンドですか? あれは美味しいんですよ」
キョウジの声に、少年はなるべく明るく応じた。吟遊詩人の兄が動き出したなら、単なる村人の自分に出番はない――せめても魔物に立ち向かってくれる人には笑顔でいようと思ってのことだ。
「いやいや、それもそうなのですがね……」
ゆっくりと首を左右へ振りながら、これまでラリィが見たことのない顔をしてみせる。強者とはとても思えぬ、悩む人の顔であった。
「恥ずかしながら、私は半ば家出のような状態だったのですな。三か月も音沙汰なしでは、とてもとても主に顔を出せたものではない。そんな私が、主の笑顔をまた見ることが出来ました……ラリィ殿に、感謝を」
「そ、そんな、頭を上げてくださいよっ」
深々と頭が下げられていた。男の態度に、少年は思わず両手を目の前で両手をブンブンと振ってしまう。大の大人に感謝されるのは悪い訳ではないが、何処か居心地の悪い思いがしていた。
「あの緑の人、強そうでしたね」
「勿論! ネギの勇者は最強なんですぞ!」
「あ――はい」
話題を変えようとしてみたところ、勢いよくオッサンの頭が跳ね上げられた。頭を上げろとは言ったが、主の話題になった途端少年のような瞳を向けられる――これはこれでラリィにとってはどう対処したらよいか困るものだ。
大の大人が一人の少年にこれ程振り回されるとは……困惑があったが、一つばかり思い当たる。
「先代のネギの勇者に御恩があると言ってましたけど、ジオさん、でしたか? 彼にも何か?」
「ええ、守っていただいたのです。私には姪と、後一人身内がいるのですがー、実は故郷はもう残っていません。先代には救っていただき、ジオ様には守っていただいているのですよ」
「……守る?」
遠くを見つめ、中年は一層目を細める。勇者が一体何を守っているのか、ほとんどを村での農作業に明け暮れて過ごす彼には想像もつかなかった。
ラスパに出てからは、わからないことばかりだ。町の人の暮らしはわからない。勇者と名乗るギルドの人たちの考えもわからない。それでも、何とかこの男を理解出来ないかと、視線の方向を見れば、黒い物体が彼らに向かって飛んで来ていた。
「伯父上! エルを、エルを何処に隠したんじゃ!」
杖に跨り飛来した物体は、黒ずくめの女の子であった。見た目には幼いが、物言いといい、怪しく輝く紫の瞳といい、魔女と呼んだ方が収まりがいい。
魔法などは、村では神父が怪我人を癒すくらいしか見たことがない。ラリィはそれこそ、兄が語る北方の魔女を思い浮かべていた。そいつは、生き物をおぞましい魔物へと造り替えてしまう――オッサンの手前、身震いすることは押さえてみせたが、口をパクパクとさせて大したリアクションも出来ない。
「フラティラリア、少し落ち着かないか。私はジオ様を隠しはしないし、それに、依頼主の手前ですぞ? 勇者の身内が無礼をするのは、なぁ」
「……ちぃ、そうやってすぐエルを勇者に仕立てようとする。私は貴方のこと嫌いじゃないが、大いに恨むぞ、伯父上」
舌打ちをしながらも、魔女は杖から降りて姿勢を正す。帽子を取ることはないが、ラリィに向けて頭を下げていた。
「フラティラリアと言う。この男の姪だ……魔物の討伐は、我々に任せてもらえるとよいかと思う」
「あ、はい、よろしくお願いします」
しばらくぼんやりとしていた少年であるが、ぬっと出された手が握手を求めていると理解しては、遠慮がちに握り返す。
「うむ。よろしく。それでじゃ――」
挨拶もそこそこに、ティアは伯父へと向き直る。「隠してないなら、居場所を教えんか!」とが鳴っているが、指が村の外へと向けられるとすぐさま杖に乗って飛び立ってしまった。
「あー……何だったんだ?」
疑問符を独り浮かべる少年。そもそも、魔女などという生き物を理解しようというのが、間違いなのかもしれない。
「すみませんな、姪の躾がなっておりませぬ」
申し訳なさそうな声をキョウジは上げているが、人の良さそうな笑みを絶やすことはない。
(そうか、家族を守っているのか)
オッサンが嬉しそうな顔をして、姪っ子の飛び立った先を見送っている。それを見れば、少年は何とはなしに三代目ネギの勇者が何を守っているのかを察していた。
「久し振りですね、ジーオさん」
村を出てからしばらく時間が経ったところで、リバーハインドはぽつりと漏らした。妙なところで言葉を伸ばす癖があるらしい。
何を今更。そのような思いもあったが、ネギの勇者は頬張っていたホットサンドを呑み込んだ。
「そうだな、無事王都入り出来たようでよかった」
言いながら、そうかとジオは独り得心する。トトリでは、王国料理コンテストの際に彼は一方的に吟遊詩人を眺めていただけであった。気づけば、最後に出会った時から一月近い時間が経過している。
「その節はお世話になりました。よもや大英雄、ヴァリスナードに出会えるなど、わたーしは思ってもみませんでしたよ」
「そうか? じっちゃんはあれで案外気さくなところがあって――いやいや、喜んでもらえたなら、よかった」
歩みは止めることなく、顔も正面へと向けられたまま。そうであっても、二人は口元を持ち上げて喜びを表していた。
村を一歩外に出ると、整備された畑を除けば随分と殺風景が広がっている。収穫祭を前に賑わうアレクラを思えば、随分と寂しさを覚える。
「ところで、アレクラは賑わってるな……故郷、なんだろ。祭りを手伝わなくてよかったのか?」
ちらりと横顔を窺うと、リバーハインドの姿がない。足を止めて振り返れば、実況席にいた陽気な男とは思えない程の真面目な顔がジオの目に入る。
「故郷、だからですよ」
と言っても、第二の故郷ですけどね。などと呟きながら、吟遊詩人の青年は再び歩き出す。これから向かう場所については、まだ何もジオは聞かされてはいない。だが、表情や口振りを見ても、ただごとではないと思われた。
「大事な故郷だから、護りたいんです」
「そうか」
尋ねるまでもなく、青年は語り始める。全ては十五年前、彼がまだ吟遊詩人に憧れるだけの少年であった時の話だ。
昔から、村では十年に一度災いが訪れると語り継がれていた。村の大人たちにその内容を問い質しても、曖昧な返事しか戻って来ない。
まして、魔物との大戦終結間際のことであった。誰も彼もが、小さな村の異変に気づきはすれども、声を上げることなど出来なかった――何せ蓋を開ければ阿鼻叫喚の地獄絵図であったという。レティアを中心に人間が魔物を討伐する体制を整えても、まだまだ足りない。
小さな村の重大事に、誰も手を差し伸べてはくれなかった。
「そこで、緑の人が来てくれたらしいです。えぇ、丁度貴方が纏う眩い緑色の鎧をまとった英雄が」
「……親父か」
進む程に風景は変化していく。ここまで歩けば、小麦畑も見られない。人の手の入らない、ボーボーと草の生え広がった地を踏み、斜面を覚えれば小高い丘へと二人は辿り着いていた。
「聞きかじっただけでした。嘘――とは思いはしませんでしたが、私も幼かった。だから、ジーオさんが緑の人の息子さんだとは、気づきませんでしたよ」
丘に差し掛かったところ、そこには角の取れた石がぽつねんと生えていた。他と比べてその周囲の草は背丈が短い。
「これは、墓か?」
無遠慮だなと思うが、ジオは聞かずにはいられなかった。石の前に花を添える男は、これまでになく言葉数を減らしている。「そうです。家族のものです」応える声は掠れており、墓石を撫でる背中は丸められており、哀しいくらいにこの場に合っていた。
「ケイマラードという、神をご存じですか?」
「……」
屈んだまま、顔は向けずに吟遊詩人は語る。
ルファイド神やシャーロットという精霊と語らえるネギの勇者は、無論その神のことについても知っていたが、黙って相手の動きを待った。
アーレンクロイム・ケイマラードと言えば、献奏の神として知られている。この世全ての生命を見守り、生き様を謳う神。その名をここで出したことに、ジオという勇者は訳がわからずとも、相手が何を伝えたいのかを待つことにした。
「わたーしはですね、どうにも多弁で落ち着きのない子どもだったようです。親にも、村の大人にも結構げんこつをいただいていました」
相変わらず墓石に手を添えたまま、男は台詞を紡ぐ。職業柄、どうしても大仰になってしまうが、それはそれ。観客が一人しかおらず、見守ってくれるのであればと遠慮なしに独白を続けた。
「ただね、どうしても口を塞げなかった……わたーしが話す言葉をリュシアは大変喜んでくれた」
リュシアとは、妹の名前ですよ。吟遊詩人には相応しくない、震えた声で男は告げる。
「リュシアは、妹はね……とてもとても聡い子でした。がさつな兄を立て、いつもせがむんです。もっと、もっとお話を聞かせて、とね。バカな兄は、それはそれは喜んで話したものです」
そこからは、途切れ途切れに言葉が出された。
嘗て生まれ故郷を訪れた吟遊詩人、その謳う英雄譚に胸を震わせたこと。体格に優れず、厄介者扱いをされていたこと。弁は立てども、聞きかじった英雄譚などすぐに話し切ってしまったこと。それでも、見え見えの作り話に妹が目を輝かせてくれたこと。
「わたーしのバカな姿に見兼ねたか、神は加護を与えてくれました。献奏の神らしく、眺望の瞳が授けられましたよ」
背中を向ける彼を見て、思い余ってジオは口を挟んでしまう。彼もルファイド神から加護を得たものであれば、どうしても問わずにはいられない。
「……態々、アイリス神の加護を棄ててまで得たものだ。なのに、どうしてあんたはそんなに悲しそうなんだ」
わからない。祈りの果てに得た力を後悔する日が来るなど、この少年勇者にはとてもではないが理解が及ばない。
「素晴らしい加護ですとも。生けるもの全てを見渡すべく、神には及ばぬものの、眺望の力が与えられました」
ですけどね、と告げてリバーハインドは黙る――否、肩を震わせており、すぐには言葉が出せずにいた。
「見るだけ、それがこれ程無力とは思いませんでした」
ようやく出されたものを聞き、視力の良いジオは丘の向こうを見やる。
草に覆われた平地には、民家であったろう物の慣れの果てが幾つも認められた。そここそが、リバーハインドの故郷なのだ。
「見てしまった以上、私は喚きましたよ。大型の魔物が来る、と。ですが、ですけど、日頃妹を喜ばせるためにホラを吹きまくった私の話を、大人たちは聞きません」
墓石に添えられた手を握るようにして、青年は震える。
「バカでしたね……こんなことならば、口をつぐんでおけば、どれ程よかったか」
悔恨の念を聞き、少年勇者は眉を潜めた。見えていたのであれば、十分に逃げられたのではないかと思えて仕方がないのだ。
「不思議でしょう? 私とラリィだけが生き残ったことが……勿論、家族には訴えかけました。収穫を前に忙しい親たちは聞きはしません。だから、逃げましたよ、妹と赤子だったラリィを連れて」
「……そうか」
話の途中であったが、ジオは再び口を挟む。出来るならば、ここで終えておきたかった――結果が最早わかってしまったのだ。
「当然、逃げ出さなかった人たちはあの魔物の餌食です。おかしいですね。十年周期で異常が起こるとわかっていたのに……いえ、今にして思えばわかりますとも。逃げられなかったんですよ。村を棄てて命が助かったところで、大戦で疲弊していた財政を、畑を棄てては立て直すことなど出来なかった」
「リバーハインド、もういい」
「良い訳がありますか! 私は、逃げたんですよ。妹の手を握っておけばよかったんです。だけど、怖かったんです。迫り来る魔物が見えたから! 何てことだ、リュシアは臆病者の私を放って、親に再び危険を知らせに走ったのです。リュシアは、リュシアは……」
石に覆いかぶさるようにして、青年は崩れて嗚咽を漏らした。
何を今更だろうと、誰が言えるのか。怖いと己の弱さを認められる彼がいたから、少なくともラリイは今も生きていられるのだろうに――ネギの勇者は眉間に刻まれた皺を、瞳を開くことで無理にでも取り払った。
闘うしか能のない少年は、いつもの通り上手に言葉が出せず、ただ怒りを覚えていた。
「そう言ってくれるなよ、リバーハインド」
悲しみに暮れる人に、何を言えばいいかはわからない。だからこそ、言いたい放題にしてやれと、半ば自分勝手を自覚しつつも、黙ってなどいられない。
「臆病者なんて言ってくれるなよ。あの時、あのレティア闘技場で、俺は独りだった。声援のまるでない俺にも、キミは真っ当な解説をくれたじゃないか。どれ程嬉しかったか……それは、キミにはわからんだろ?」
孤独な勇者は、その時の喜びを忘れない。少し後には、ギルド受付嬢や子どもたちが声援を飛ばしてくれていたが、逃げ出したくもなる程の環境に、第三者が檄を飛ばしてくれた。それは、途方もなく嬉しいものであった。
「ですが――」
「ですが、じゃない! 俺は、嬉しかった。キミは、妹さんだけでなく、人々を喜ばせられる立派な吟遊詩人だ。ラリィという少年も、リバーハインドを見て育ったんだから、否定するんじゃない!」
「……」
言ってから、余計なことだったかと、ジオはやや後悔に近い念を持ち始めていた。言うだけであれば容易い。まして己は、父である先代ネギの勇者が満足して逝ったのを見ている。リバーハインドとは根本的に立場が違えば、気持ちに寄り添うものでもない。
「あのな、リバーハインド――」
「いえ、その通りです。妹は、泣き崩れる私を見たかった訳ではない。ラリィも情けない私を見たかった訳ではない……ええ、わたーしは吟遊詩人であれば、英雄の活躍を誰よりも声高に謳い続けるのですよ」
振り向いた男は、目尻から頬にかけて水の通り道を残している。だが、今はそこを追うものはない。
「緑の人――否、ネギの勇者であるジオグラフィカエルヴァドス殿は、私の第二の故郷を護ってくださるのでしょう?」
「……勿論。だが、俺のことは、やはりジオと呼んでくれればいいよ」
男の真に迫る表情を受け、少年勇者は柔らかな笑みで応えた。
「ああ、では私のこともハインドとお呼びください。近しい人、家族や友にはそう呼んでもらいたい」
「お、おぉ……」
思わず、ジオは歯切れの悪い言葉を返していた。むしろ、立ち上がったハインドの方が平静を保っている様子でもある。
「どうしましたかな、ジーオ?」
再び胡散臭い程に陽気な口振りに戻った吟遊詩人。それを見て、少年勇者は顔を赤くしながらも絞り出すようにして応えてみせた。
「何でもない。何でもないよ――ハインド」
幼少の頃から勇者らしくあろうとし続けた彼は、初めて友と呼んでくれた者の名を噛み締めるようにして声に出していた。




