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ネギの勇者って、何ですか?  作者: 三宝すずめ
第三話「ネギと炎の料理人」
51/202

お好みは、甘くて苦いもの?

 手に枷をはめ、傅かせては槍を構える。魔法による抵抗も予期して、神官二名が付けられる――賊を捕らえた場合は、通例はこのようにするものである。その作業に慣れた筈の黒騎士たちだが、現在はどうにも居心地の悪さを覚えていた。


 レジナス王の御前に立つこと、その緊張感は勿論あった。このような尋問が博愛を教え解く王に不都合であれば、地下施設内で異端審問の名の元に拷問の末、棺桶へ放り込む。そんな常套手段も今回ばかりは使いようがない。驚くべきことに、賊はこの場にいるもう一人の王が実子であった。


「狼狽えずともよろしい。我々が通常通りではいられない、それ程に状況は複雑です。貴方たちは役目を全うすることだけに邁進なさい」


 アイリスの信徒らしい、慈悲深い言葉をアジードは配下へかけた。信仰心の高い黒騎士たちは短く返事をして、不動の姿勢を保つ。


「さて、困りましたね。まずはどのように遇すればいいか、困りました。そうは思いませんか?」

(お決まりの文句が出たな……)


 周囲を見回す神父へ、ヴァリスナードは一瞥だけくれる。ここに来て、負傷したティアを下がらせたことに若干の後悔を得ていた。あの魔女が居れば、他人を制御することなど造作もなかった。


(何を考えとるか。アイリス神の考えに(モト)るぞ)


 胸中で廻る想いを一度封じ込め、老人は再び黒衣の神父、その周辺に目を配った。


 出された言葉に応じた時点で、竜人の王子への尋問を引き受けることとなれば、誰も彼も押し黙ってしまう。眉間に深い皺を寄せ、今にも竜とならんばかりのアグロ王、その怒りに態々進んで触れたがる人間はいない。


「先生――」


 女騎士が小声で語りかけるが、ヴァリスナードが首を横に振ればそれ以上の言葉はなかった。埒が明かないことは彼もよくわかっているが、若いジュラスに関わらせる訳にはいかない。溜め息を呑み込んで、老英雄は王へ具申することを決意した。


「王よ、僭越ながら意見を」

「許そう、黒鎧の英雄よ」


 謝辞を短く述べ、ヴァリスナードは提案を行う。厭味な神父がほくそ笑む姿が視界の端にチラつくが、文句を述べることはない。他国の王を前にして時間が浪費されることは避けたかった。


「アレクセント王子の処遇に関しては、アグロ王にお預けしたい。城内で刀を抜いたことは死罪にあたりますが、それは人間種の法……我が王の望みは、竜人種との和平と推察しますれば、裁きは竜人の手に委ねるべきかと」

「余は構わん。むしろ、アグロ王にお伺いせねばならんだろう。如何か?」

「……愚息の蛮行に対し、寛大なご提案です。異議などはありません、感謝申し上げる」


 険しい表情のままではあるが、竜人の王は承諾の意を示した。


「お疲れ様です、先生」


 ジュラスの差し出したハンカチで、額から頭頂部までを拭う。布が吸い取った汗が示す通り、随分と苦しい展開に英雄も肝を冷やしていた。


 王の会食中に戦闘をおっぱじめる、問答無用で死罪が適用されて然るべきだ。このような提案は、アグロ王がお人好しであることを知っているヴァリスナードにしか出せない――音が出ないよう拍手をしているアジードの姿を見つければ、睨みつけることを止められなかった。


 いざとなれば、誰が相手でも闘う。その気概はあるが、大英雄ヴァリスナードが剣を抜けば、彼を慕う若者たちにまで影響を及ぼしてしまう。それがわかっているからこそ、黒衣の神父は他の誰も答えられない、曖昧な言葉を出していた。


「エスジレーヌ国王へお引き渡しをする前に二、三の質問をしてもよろしいでしょうか」

「余は構わん。アグロ王、会食の前にもご紹介したが、この神父は我が国、国教において熱烈な信仰心を示す者です。質問を赦していただきたい」


 状況が動き出そうという場面で、アジードはすかさず進言する。一国の王を動かしているのであるが、この場に苦言を呈するものはいなかった。


 アグロ王の同意を得て、黒衣の騎士をまとめる神父は沈黙を貫くアレクセントの前へ一歩踏み出した。


「何故このような、とお尋ねしたいところですが、止めておきます。問題は目的ですので、王子は何をされようとしていたのですかな?」

「……人間に語ることはない」


 手枷こそはめられているものの、不遜な態度であった。捕らえられても尚、魔女が放った加護の影響は消えていない。体温が平時よりも上がった状態では、頭も回らない。それでも、竜人としての矜持でアレクセントは直立を保っていた。


「困りました。どうしたものか……ともかくお二人の王より、質問が許されています。少なくとも、後一度はお尋ねさせていただきたい」


 顎に手を当て、アジードは大仰に考え込むポーズを見せた。


(何を画策している?)


 黙して、ヴァリスナードは事の成り行きを見守るしかない。神父のそれが、パフォーマンスであることは分かり切っている。だが、既に発言した彼は二度も王へ意見することは赦されない。


 他の誰もが見逃すところであったが、直感的に空気の揺らめきを感じる。直後、僅かに眉を動かした神父は質問を再開した。不審に思っても声を出す訳にはいかず、黒鎧の英雄は不安を抱いたままでいるしかない。


「私事で恐縮なのですが、今朝方から私の部下が一名見当たらないのです。質問はこれにしましょう……アレクセント王子、カーラという人物の名前にお心当たりはありませんか?」

「――っ」


 答えはしないが、今度は竜人の王子が眉を動かした。全く知らないのであれば、否定すればいい。沈黙こそが肯定の意であると、雄弁に物語っていた。


「アレクセント、和平に繋げるための会食……そのような場で人間に何をしたかっ!」


 黙る子へ、辛抱し兼ねた竜人の王が強い声を上げていた。感情が抑え切れなかったか、鱗と角を露わにしている――他の竜人と異なる点を上げるとすれば、その風貌だ。首は伸長され、口や鼻が突き出したフォルムへと変化している。翼をも有する姿は、人型の竜そのものであった。


 会食中の和やかな笑みは何処へやら。琥珀色の瞳は獰猛に滾っており、歴戦の英雄であるヴァリスナードでさえ、その姿に脅威を覚えてしまう。


「ジュラス、不用意に動くなよ?」


 脇に控える直情的な騎士へ牽制をせざるを得ない。ことはレジナス王国のみならず、エスジレーヌ国との問題であった。我が身可愛さではないことは承知しているが、レジーム王を守るためであっても、先に剣を抜いては全面戦争にも繋がり兼ねない。


 恐ろしく軽い引き金が用意されていることに、ヴァリスナードは戦慄していた。


「答えんかっ!」


 激昂する竜人の王は、さして寒くもない部屋で口から白い息を漏らしていた。ブレスは竜にのみ与えられた特技であるが、この竜人にも扱えることが窺い知れる。


 引き金が軽過ぎる。額に再び汗を浮かべるヴァリスナードの視線の先でも、アジードはいつもどおりに穏やかな笑みを浮かべていた。部屋の温度が上昇するような錯覚を得つつも、事の成り行きを静観せざるを得ないことに歯痒さばかりを覚える――防衛のために黒鎧がチリチリと蠢くことを抑えるのには、随分と気が砕かれた。


「父上は、温い」

「なっ――」


 王の言葉への返答であったが、それには部屋に居る者のほとんどが閉口した。ヴァリスナードはいつでも黒鎧の力を解く準備を整え、ジュラスに至っては大規模な防御魔法を行使するために魔力を高めていた。流石のアジードも、手を前に翳していつでも回復魔法を発動出来るようにする始末であった。


「温い、温過ぎる! 我々は、竜人は闘争こそが種族の証明――それを何だ、人間種と並んで食事だ? しかも出された物は極々庶民的な物ではないか、我々は愚弄されている!」


 一息に語るアレクセント。顔の紅潮は、病によるものだけではない。憤慨した竜人は一回り身体を大きくして、手枷を強引に破った。鱗と角が再び生じているのは、戦闘の意志を示すに相違ない。騎士たちは危険を察知して動き出すも、腕の一振りで薙ぎ払われてしまった。


 竜人が人間の城で再度暴れる。そのような暴挙は赦されることもない――竜と化した王は爪を振り翳して凄む。


「アレク、そこに直れ――」

「温いと言っている!」


 怒号が飛び交うも、一瞬で片は付いた。


 アグロ王の爪を胸に受け、アレクセントは膝を付く。痛みはあったが、愉悦にも似た感情が勝って口元には笑みが戻っていた。


 更に身体を大きくさせた竜人の王子、その爪が父の喉元から引き抜かれる。指の根本まで突き刺さった跡からは勢いよく血が噴き出した。


「耄碌ジジイが……」


 進化は止まらない。崩れる王を前に、益々の肥大化に伴って背中からは翼が生まれ出る。最早竜と見分けのつかなくなったアレクセントは猛り狂う。


「おお、なんと!?」

「ご無礼、お許しを――」


 目の前の光景に驚愕を示すレジーム王、その身はヴァリスナードの手によって強引に会場の外へと連れ出される。壁を突き破っての退出であったが、水色をした魔法の壁に包まれた身体には、怪我の一つもない――怪我をしたところで、重ねてかけられた自動治癒の魔法により問題は何一つもないのだが。


「兵よ、囲め。私はアグロ王を癒すためにしばらく動けぬ!」


 尚も巨大化を果たすアレクセントを前に、神父は指令を下した。瞬時に傷をなかったことにする魔法など、人間には辿り着けない奇跡である。人間種最高峰の回復魔法を以ってしても、治癒力を高めて死を回避することが関の山だ。


 竜人の王を死なせる訳にはいかず、女騎士が前へ躍り出る。


「竜人の王子よ、ここはレジナス王国の中枢だ。単騎で何が出来る! 死に場所なら祖国を選べ!」

「黙れ、人間風情が。単騎と言ったか? 今にこの地には蜥蜴人が押し寄せる。逃げても無駄だ、十には満たないが竜が空を覆い、竜人が逃げ惑う貴様らを狩り尽くす」

「何を――」


 剣を構えたのは、一種のブラフであった。対人間ならばいざ知らず、竜を相手に出来ると己惚れられる程の力はジュラスにはなかった。この間にレジーム王が城を離れる時間を稼ぐ――そのような算段であったが、逃げようにも王都そのものが竜に囲まれていては絶望的であった。


 視線を這わせれば、竜人側の者たちが右往左往している姿が映る。つまりは謀反は単騎での計画、だがその準備は周到であったと若き女騎士は理解した。


(逃げきれない……先生に、昨日訳も分からず怒鳴ったことを謝れぬままか)


 暴竜が大きく息を吸った様を見て、ジュラスは観念した、自分はここで死ぬと。だが、それもいいと思えた。王を想わないことは不敬であるが、心から尊敬する大英雄がブレスの餌食にならないのであれば、それでいい。


 剣の構えは解くことなく、眼を瞑る。最後は想い人の胸の中でありたかった――少女らしい願望が廻るが、己の人生を否定する訳にはいかない。騎士らしく散ってやろうと腹を決める。


 だが、雄叫びがあるのみでブレスが届くことはなかった。瞳を開けば、誰かが暴竜へと蹴りを浴びせている様が映る。


「待ったか、騎士姉ちゃん?」

「……遅いです。ですけど、おかげで死に損ないました」


 首を天井へ曲げた竜の姿を目に、精一杯の悪態を吐いてみせた。出された声は、彼女のよく知るもの。人間種の勇者の登場に安堵しつつ、暴言を止められない。


「ですが、その呼び方は、人の名前を覚えない不敬な男を思い出します。断固抗議しますよ、ガッシュ!」

「すまない。以後があるなら、気をつけよう」


 黄土色の鎧を纏った青年へ冗談を飛ばすが、返ってきた言葉は緊張を持ったものであった。暁の勇者といえども、切り札を使った後の連戦では力が半減している。今も渾身の一撃でブレスを阻害してみせたが、披露出来るものは剣技しか残されていない。


「ごちゃごちゃと……面白くないぞ! 直ぐに竜がこの城へ駆けつける、そうなれば貴様らは終わりだ!」


 身体を膨らませる竜は、窓際の壁を身体で押し割って叫ぶ。遂には城外へと翼を抜け出し、再度息を吸い込んだ。ブレスと共に空へ飛び立てば、援軍が来るまでの時が稼がれる。


「ごちゃごちゃ言ってすまないが、お前が当てにしているのは、アレか?」

「な――」


 アレクセントは呼吸を呑み込んだ。剣を構えたままのガッシュの視線、その先には顔を腫らして意識を飛ばしたラオの姿があった。


 驚愕に目を揺らす竜は、正対する人間の勇者が眩い宝石を埋めた剣を手にしていることにも、遅ればせながらも気づいた。


「ガッシュとは、そうなのか!?」

「そう、その通り。アイリス神に選ばれし、暁の勇者だ。して、其方は一体何者か? 敵対する者であっても、名前くらいは知っておきたい」

「ちょ、ガッシュ――今はそんな悠長な」


 ジュラスから生真面目なツッコミが入るが、闘いを望む竜はすんなりと受け入れていた。自身が床に転がるアグロ王の第一子、アレクセントであると名乗ってみせる。


「悠長でいいじゃないか。こうしている間に、何かが起こるかもしれない」

「何かって貴方、先生が王を放って戻って来る訳ないでしょう!」

「何かは、何かさ。大英雄は様々なところに仕掛けをしている、だろう?」


 キザにも程があるが、金髪に水色の瞳をした青年はウィンクをしていた。この青年の幼馴染でもあるジュラスとしては、鳥肌が浮き立ってしまうが、違う考えにも行き着く。


 吹き抜けとなった壁の先に、彼女らの瞳は向けられていた。


「そうね……私としたことが、先生を信じ切れてなかったわ」


 一度は観念をした身だ。今更ジタバタはすまいと、女騎士は居住まいを正した。彼女の心を表すならば“この後で(・・・・)きちんと先生に謝ろう”であった。


「時間稼ぎが何になる? 暁の勇者と言えども、竜を前に消耗は避けられまい。俺のブレスで灰になれ!」


 闘う場があることは、この竜にとっては何よりも望ましい。だが、これ以上の問答は望むところではない。三度、大きく息を吸って竜固有のブレスを準備する。


 今度こそ、室内にいる全ての人間を葬りさる。気概は正に最高潮であった。


「よし、今が一番美味しいタイミングだぞ!」

「――っ!?」


 ブレスが吐かれる直前、破れた壁の外からの声にアレクセントは振り返る。そこには、宙を舞う髪の長い少女と、その元を飛び立った少年の姿が見られた。


 とてもよいタイミングであったが、人間に空中で姿勢を変える術はない。溜め込んだ息に乗せ、ブレスを吐けばこの障害を取り除くことは容易――竜は人間にはわからぬ表情でほくそ笑んだ。


「消え失せろ、ニンゲ――」


 最後まで言葉が吐かれることはない。喉の中腹でブレスは漏れ、竜の内部が焼かれ始めた。


「きさ、貴様……」


 不審に思い下を見れば、鳥の仮面をつけた黒衣の騎士が竜の喉元に剣を突き立てていた。


 裏切ったな――このたった一言が出なかった。喉を割かれた竜は、激怒していることを睨むことで表す。だが言葉少ない仮面の者は、小首を傾げては直ぐにその場を離れる。


「ああカーラ、竜人に捕まっていたのですね。よくぞ無事で」


 そのような胡散臭い声が聞こえる。台詞は白々しいことこの上ない。その声の主は、空想であったアレクセントの謀反を現実化した張本人のものに、違いなかった。


「――――っ!!」


 声にならないまま、竜は吠えた。ブレスが出せずとも、己を嵌めた脆弱な人間などは爪の一つもあれば十分に屠れるのだ。


 暁の勇者がいようが、関係はない。唆されたとは言え、父殺しまで為してしまった。後は血と死体を積み重ねるのみだ。神剣に刺されたところで、強固な竜の身体は止まらない、まずは勇者と神父の死体を覇道の入り口に積み上げ――――


「おい、どっちを向いている?」


 低い声が外から届いた。人間は空中で姿勢制御をすることが出来ない。では、魔力で作られた壁を踏み台に、空を翔ける緑の生き物は一体何であるのか。


 首を向けたところで、遅きに失している。瞳から緑色光を溢れ出させる化け物が、拳を振り被る様を瞳に収めることが、精一杯であった。






「――っ!?」


 アレクセントは身を起こす。辺りには何もなく、ただ仄かに暗い空間が広がっていた。ここが死後の世界か――などとは思ってもみるが、どうにも腑に落ちない。暗さに目が慣れるに従い、意識も定かになってくる。


 つい先程、人間に殴られて気を失った。それは確かであるが、進化を続ける己があの一撃で死に至るなどは、到底考えられたものではない。


「目覚めたか?」

「何だ、貴様は……」


 訝しがるアレクセントの前に、女が佇んでいた。純白のドレスを着たその者は、何もない空間に腰を掛け、足を組んでいる。


「尋ねているのはこちらなのだが、ああそうだな。こうして問われることは珍しい、敢えて答えてやろうか」


 勿体つけて話す女は、美貌に不似合いな尖った歯を語る度に晒す。アレクセントは、何処かで見たような既視感を覚えていたが、このような女は部下にも知り合いにもいなかった。


「ん? 気づいたような気づいていないような。もどかしいか、もどかしいなぁ……これなら、どうだ?」

「なっ――」


 多弁な女は自身の身体を炎で包む。竜人は言葉を呑んだが、焼身を図ったことに対するものではない。炎の中から這い出て来たもの、それには覚えが確かにあった。


「そうそう、その顔。それが見れただけでも、リックに協力を得た甲斐がある……ん? 元々はリックの頼みだから、この言葉も変か」


 自問自答をする女だったものは、竜化したアレクセントよりも尚大きな存在であった。鱗に覆われた外皮に、二対の翼と腕、ギザギザの歯はより狂暴さを増している。瞳の色は琥珀、知的でありながら縦に割れた瞳孔は相対する生命を啜る略奪者であることを示していた。


「アギト・エギレア、何故私の前に……」

「そうそう、諸君らの神だよ。何故って、お前に用があるからさ」

「私は、勇者などではない、ありません」


 目の前の巨大な存在に、竜人の王子は震え上がった。父やエドワンならばいざ知らず、加護を発揮しても瞳の色が変わりもしない己に、それ程加護も得ていない己に何のようかと――


「私はね、竜が好きだ。それは全ての竜に加護を与えているのだから、間違いなくわかるだろう。ああ、話が逸れた。加護には規則がある、破れば罰則だ。いいね?」

「待て、待ってください、私は破ってなどいない……私は竜も竜人も殺してはいない!」


 神の違いはあれど、共通している規則がある。それは主に“同族殺し”を禁じたものだ。だが、中にはエギレア神のように規則を緩やかにしているものもある。


「うん、そうだよ。同族殺しはしていない。闘う種族、竜人は同族殺しも止む無しだ。だだね、忘れているようなので教えてあげよう。親殺し、子殺しだけはいかん――達成ではない。未遂でも実行した時点で、私の規則は破られたことになる。うん、確かに私は告げたぞ、明確に告げたぞ」


 笑ったのであろうか、巨大な竜の神の口元が歪んだ。だが、それを前にした竜人には化け物が口を動かしただけに映っていた。


「命までは摂らない。食事には礼が必要だから……その力を還元だけさせてもらうから」

「ま、待て、待て待て待て待てて――――」


 大きく開かれた竜のアギト、その暗闇にアレクセントは呑まれた。残された虚空に「奪うことは、これ程簡単なのにな」と自嘲的な言葉が響いて消えた。






「旦那、旦那ってば!」

「ん、ああ……」


 気のない返事をしながら、ジオは手足の長い男へ袋を渡す。中身はネギの粉末である。勇者としての仕事よりも実入りの多いものであるが、本業よりも儲かってしまうことを受け入れられないでいる。


「何だ、用意してくれてんじゃないすかぁ。王都に行ってから、使い物にならなくなったんじゃないかと心配だったんすよ――ああ、冗談すよ? 冗談ですから、金槌を失くしたドワーフみたいな顔をしないでくださいよー」


 胸を撫で下ろしつつ、コーディーは軽口を叩いた。主人が危険な旅になど出ず、こうして薬を作り続けてくれれば恩の字の筈だ。だが一方で、この少年には敢然と権力に立ち向かって欲しいとも思ってしまう。


 日銭は大切だが、年下の少年を慕うのは稼ぎよりも、その勇者としての在り方に酷く憧れたからであった。


「おい幸薄いの、エルに要らんこというな。これはこのままでいい」


 小さな魔女が辛辣な言葉を溢す。この暴言も久しぶりのもので、悲しくも嬉しくあったが、コーディーとしては複雑な心境だ。結局、主が旅から戻るまでに半月もかかっていた。


「とは言いますけどねぇ、姐さん。ちょっと旦那は腑抜け過ぎちゃいませんか?」

「問題ない。エルはこれでいいぞ。なぁ、エル?」

「ん、ああ……」


 少女が満面の笑みで上を見上げれば、やはり気のない返事をジオはしていた。地面に座り込んでネギをゴリゴリと磨り潰すのはいつものことだが、膝元にティアを抱えた状況でも器用に作業していた。


「旦那ぁ、もうモテないのは嘘だとか、ロリコンとか言わないから、正気に戻ってくださいよぅ……」

「ん、ああ……」


 情けない声を従者が上げるが、やはりジオは上の空で返事をしていた。いつものように背中にもたれていたキリカも、いい加減に立ち上がる。


「あのな、コーディー」

「へぇ、何ですか」

「ジオには辛いことがな、あったんだ。従者を名乗るのなら、その、察してやれよ」


 いつもは明るい少女であったが、漏らした言葉は随分と歯切れ悪い。王都でジオが竜人を殴り倒した直後から、実に様々なことがあった。


 竜人の王族が皆重症を負ったこと――アレクセント王子の負傷以外は、竜人の内部事情によるものであった。だが、ジオが王族を二人も殴り倒したことに変わりはない。


 ヴァリスナードやガッシュの陳情もあったが、拘留は免れなかった。王国内の整理が済んだ頃に、一命を取り留めた竜人の第二王子からの申し出が受理され、ようやくジオが解放されたのは一週間も後のことであった。


 少数の面会を求める者がいたが、それらは却下され、獄中にいたジオには手紙が寄越されるに留まった。残念なことに、届いた手紙を読むことも出来ず、当然返事など出せないでいた。扉の外に張り付くティアやキリカ、牢の外から通信してくるシャロの言葉のみが情報源であったが、これも残念なことに偏った情報しか寄越されなかった。


「何ですか。三食昼寝つきなら、幽閉望むところじゃねぇんですか?」


 状況は聞かされていたが、それが何かとコーディーは思わずにはいられない。有力者に媚びへつらい、命を繋いできた彼にしてみれば、危険がないだけマシだろうと思われた。


「そりゃ、そこで暮らすと決めたなら問題ないだろうけど、ジオは勇者として走り続けたいんだ。牢に留まるにしても、手紙も読めなかったんだ。察しろと言ってる!」

「へぇ。難しいですが、頑張ります」


 何故己が成人前の娘に怒られねばならないのか。不思議でならない男は、気のない返事だけで対応していた。これも権力者に付き従って来て身につけた処世術の一つである。


 キリカが出す言葉よりも、幼馴染のお姉さんが膝元に座っているシチュエーションこそが、コーディーには羨ましくて仕方がなかった。見た目が幼女だっだとしても、チヤホヤされたい男にとっては、そこが桃源郷のように見えてしまうのだ。


「……頑張らんでいいぞ、こればっかりはセンスだ。センスのないやつは、モテないんだ」

「へ――」


 機械的に返す、そう心掛けていたものの、少女からド直球の言葉を放たれて心が折れてしまった。床に膝から折れ、額をつけて男は咽び泣いた。


「おい、煩いぞ。幸の薄さがエルに移るとかなわんから、とっとと仕事に行きやれ」

「う、うあわああぁぁん!」


 少女の言葉をとどめに、コーディーは駆け出した。残されたティアは、やれやれと首を振って上を見上げる。


「エル、邪魔者はいなくなったぞ? 昼は何が食べたい?」

「ん、あぁ……」

「ふふ、そうか。ではスープを作ろうか」


 片腕を布で釣ったまま、ティアは少年勇者にはにかんで応える。


「ティアー、そろそろ怖くなってきたぞ。ジオは、んああしか言わないし、お前はスープしか作れんじゃないか」

「煩いわい! わかっておるわ。お前も十年越しに好いた男が腑抜けになってみろ、それで現実逃避せんなら認めてやるわ!」


 ふん、と鼻を鳴らして少女は立ち上がる。料理のレパートリーが少ないのは確かだが、何も食べさせないよりはマシだ。朝晩はラフィーネが世話を焼いてくれるが、昼間は仕事のために訪ねて来ない。


 料理が不得意な少女も、レティアに戻ってからはカンナに教えてもらったレシピを基に幾つかのスープを覚えていた。


「ジオー、ティアも心配しているぞ?」


 呟きながら、キリカは師匠の荷物を改め始める。手足の長い男には“察しろ”と言ったものの、彼女自身もジオが何故こうなったかはわからない――魔女が料理に席を立った今が好機であった。


 牢に閉じ込められても「黙々と修練する時間が出来たよ」そのように前向きに捉えられていた男が、ここまで呆けてしまうとは何があったのか。弟子としては確かめずにいられない。


「えーっと、確か手紙を読んでから、おかしくなったんだよな……」


 独り言を続けながら、原因と思しき手紙を手繰り寄せる。困ったことに、手紙は三通あった。人のものを読むのは気が引けたが、えぇいままよと開いてみせる。


 拘留が解かれた後、非公式ながらジオはレジーム王より直接お褒めの言葉を受けていた。キリカの記憶が確かならば、この少年勇者は父の栄誉を得るために走り続けていた筈だ。捕まえられたことはともかくとして、目的の一つが達成されたにも関わらず、何故ジオは嘆き悲しまねばならなかったのか。


 手にした一通目は、カンナからのものだった。


「おお、カンナの姉ちゃんか――ジオさん、先日はありがとうございました。手紙は苦手なのですが、会えないので文を(シタタ)めました。ふむふむ」


 そこには師匠へ謝れたこと、王都で料理人として頑張ってみようと思うことが書かれていた。


 くだらぬことですが、と前置きをされたものが本命であった。文末には、料理人の男から熱烈に口説かれて、困っているとあった。まだ三日程は待てるので、会って相談に乗ってもらえれば幸いです――そのように締め括られているが、当然の如く、ジオの拘留期間内のことであった。


「お、ぉぉ……これが、ジオの不調の原因か? 一応、他のも読んでみよう」


 二通目は、ヴァリスナードからのものだった。


「爺ちゃんからか、これは大丈夫そうだな。何々……ネギ坊主、此度はご苦労であった。事件後に一度姿を消した竜人の第一王子は、ミイラのような姿で見つかった。原因はわからんが、ルファイドが意味深長な笑みを浮かべていたことが気になる。これだけならいつ伝えてもいいが、竜人の第二王子が謝辞を述べていたので、文にしておく――」


 続く内容はエドワンからの代弁であったが、簡潔ながらこの上ない感謝と好意が記されている。王子が男へと出す言葉にしては、随分と熱の入ったものだとキリカは思ったが、最後の一文を読めば、変な汗が止まらない。


「ネギ坊主、竜人というのは変わっているな。竜騎士だとか王子だとか、言葉は同じなのに、人間とは使い方が違っているから面白い。エドワンとかいう姉ちゃんの仮面の下は見たか? 儂でも驚く程の美人だったぞ……お前、こんな美、人からの求婚を、断っ――」


 声に出すことが不意に辛くなってきた。


 ふっ、と息を吐いて、キリカは読むことを辞めた。勇者が他国のお姫様を救って結婚を求められる、そんな話は吟遊詩人の語る英雄譚の中でしか少女は聞いたことがなかった。ひょっとすれば、こちらがジオの精神を壊した本命だったのかもしれないと思えば、やや気持ちが暗くなった。


「念のためだ、これも読もう」


 最後に手にしたものは、他の手紙に比べて紙質が随分と劣るものだった。差出人の名前は彼女も知らない。


 丸っこい字であるが、文面そのものは硬い。時節の挨拶に始まり、ネギの勇者の活躍を祈るものだった。実に面白みのない手紙であったが、最後の方の文を読んで、ついにキリカの視界は滲んでぼやけてしまう。


「つまらないことばかりを書いてごめんなさい。謝りついでですが、私の村では貴方が緑色鬼として伝わっているようなの。今度、神父様と一緒にレティアへ行くことになりました。この手紙が届いて間もなくの頃、到着する予定です。直接会った時に、ごめんなさいと他の言葉も伝えたく思います――」


 ポタりと、一粒の涙が手紙の上に落ちた。文の終わりはこうであった。


 次に貴方と会うまで、シスターを続けると言ったこと、今もきちんと守っていますよ?


「う、うわああぁぁ!!」

「ジオ、ごめん、ごめんよ!」


 声に出して読んだことが不味かった。どの手紙が、ということはない。これまでの人生でモテたことのない少年にとっては、いずれも破壊力抜群のものであった。特に、最後の手紙を読み終わる頃に、ジオは叫び声を上げてしまっていた。


「う、うぅぅ……」

「いいんだ、泣くがいい。師匠が言い寄られるのは複雑だが、モテるのは誇らしいぞ。結果、全員を袖にしているわけだが」


 子どものように喚くジオを、キリカは頭を抱えて撫でていた。最後に彼女が放った言葉こそが、実は最大級のトドメであったが、少女はそのことに気づく気配もない。


(師匠が結婚出来なかったら、あたしがもらってあげよう……)


 将来のことなど、何も考えたことはなかった。だが少女はここに来て、一人決心してみせた。まずは強い勇者になる――決意新たに、二代目赤風の勇者は燃えていた。無論、師匠の意志は置き去りであったが。


 余談であるが、ジオの様子が悪化しており、料理を終えて戻ったティアにキリカはこっ酷く叱られていた。幼馴染みの少女が冗談抜きで看病に励んだが、ネギの勇者が正気を取り戻すには、これから更に五日程の時間を要した。




 夜のトトリにて、ヴァリスナードは以前より気にかけていた女性の元へと赴いた。


 ゆったりと時を過ごす内に、心配するような事態はなかったと知れる。安心をしてしまえば、救国の英雄は明日に控えた一大事に想いを馳せていた。

 だが、安心するのはまだ早かった。逢瀬を楽しむ彼の元へ、副官が怒鳴り込んで来てしまう。

 どれ程怒りの炎に炙られようが、この女性を騎士団や兵がいる表に出すことは出来ない――スペランツァは訳ありであった。


 外へ彼女を逃がせたものの、姿は見つけられない。ヴァリスナードは再び焦りのような想いに駆られる。早くスペランツァを追わねばならない。

 ジュラスがどれ程騒いでも、誰一人として騒ぎを窺いに来る者がいないのだ――王都の治安が良いとはいえ、これは立派な異常事態であった。


 安心するのは、まだ早い。


次回、第三.五話「傷だらけの大英雄」に続く。

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