ネギが主菜で、何が悪い! 2
レジナス王国において、人や物の往来が最も多い町はレティアだと呼ばれている。理由は極々単純なものだ。商談は勿論、王都を目指す人などの宿場町として機能すれば、昼夜を問わず何らかの人の動きがあるものだ。
では王都はと言われれば、夜ともなると随分と静かになってしまう。この日も王国料理コンテストが終われば、家族連れは帰路に着いた。血気盛んな男たちこそ人気の酒場へと駆け込むが、グラス半分の酒を飲み干す頃には店じまいだ。アイリス教の総本山とも呼べるトトリの夜は、静寂が似つかわしい。
尤も、アイリス教徒以外が住む地区となれば、話は別だ。
白い隼は、人間種に博愛の精神を説いた。そのためアイリスを国教として戴くレジナス王は、それに倣って異なる神への信仰や儀式も許容していた。生けるものに多大なる恩恵を与えるアイリス神へ、文句を言うようなものはこの国にはほとんど見られない。ただ、夜をもう少し長く楽しみたい民は、こぞって居住区と商業区の境い目へと足を運んだ。
通行証がなければ、憧れの王都に踏み入れても永らくその足は止められる。大抵の旅人は商業区に用があり、他の地区への不用意な移動は制限された。そうとあれば、区と区の間には自然と宿屋が幾つも構えられることとなる。
灯こそ少なかれど、夜半に到着する人たちを迎え入れるため、宿屋はこの時間帯も平常運転を貫く。宿屋と酒場はセットであり、賑々しく、そして程々に喧しい様相を見せていた。人間に都合がいいと言えばいい。アイリス神を除いた神、そのほとんどが酒に寛容――を通り越して、大変酒好きだと伝えられている。
「ちょっと、聞いてるの?」
グラスを片手に、女は訝しんでみせる。
控え目に出されていたが、よく通るハスキーボイスが狭い室内に響いた。夜半もいいところで、この時間ともなれば他の客はよく眠っている。ここでは、多少物音が立ったところで問題にはならない。
王都のなかでも穴場、格安の宿屋でのことだ。老夫婦が細々と営むここは、酒の提供などと気の利いたものは受けられない。一人旅の客を狙っての間取りを組んでいるものだから、部屋には粗末なベッドと木の机くらいしか備えつけられていなかった。
「ん、ああ……」
「何よ、気のない返事ね」
スン、と鼻を鳴らして彼女――スペランツァは、栗色の髪を払った。それだけの動作で、自慢の長い手足が強調されて絵になるのだが、ベッドに身を預ける男の反応は薄い。「少々考え事をしていてな」などと答えてはいるが、美人を前にこの態度はないだろう。そう思えば、気分は幾らかも悪くなってしまう。
「あっそ、もういい。一人で飲み直す!」
裸身にシーツを巻きつけた彼女は、言葉もそこそこに机に置いた酒瓶へと手を伸ばす――先程まで商業区で酔っ払いの相手をしていたのだ。仕事とは言え、くだを巻くばかりのおっさんたちに構うのは骨が折れた。いつものことではあるが、飲まねばやってられない。仕事を終えた後も気を遣う気には、生憎となれなかった。
「おいおい、機嫌をそう悪くするなよ。それにもう、結構飲んだんだろ?」
ベッドから身を起こし、男は困ったように声を出した。申し訳なさそうなことこの上ないのは確かだが、その瞳はシーツに包まれても、否、包まれたからこそおうとつの目立つ身体へと注がれていた。
シーツを取り上げられてしまったので、裸のままで彼女へと視線を寄越す他ない。一点を見つめる目であるが、前髪に隠れても尚、額から瞳に届く程の傷が目立つ。鍛えられた身体には同様に、幾つも傷があった。今でこそ所在なさ気な感が漂うが、肉体を見るに、この男を中年と見積もってもお釣りが出る程の鍛えようだ。
「いーえ、飲みます。久々に会ったってのに上の空……考え事なら他所でやれってのよ」
屈強な男を前にしても、この女性は引くことはない。再び鼻を鳴らしては、グラスへだくだくと琥珀色の液体を注いでしまう。この時点で頬が熱くなっていると彼女には自覚もあったが、やはり飲まねばやってられないのだ。心配をするなら、こっちにもっと気を注げというもの。不満はまだまだある――
「それーとね、その髪は……似合ってないし、ズレてるからっ」
どっかりと椅子へ腰を下ろしたスペランツァは、眼を細めてみせる。一口よりも多めに酒を含めば、焼ける感覚に語るべきものも追いつかなくなる。空いた手足を投げ出せば白い肌が晒されるが、自身の体たらくよりも、変に取り繕おうとする相手への腹が立たしさの方が今は問題なのだ。
「お? おぉ、本当だ。慣れんことはするもんではないな」
何が可笑しいか。男は豪快に笑っている。
その次には、頭に乗せた髪をむんずと剥ぎ取ってしまった。そこにあるのは立派なハゲ頭。頭頂部から瞼まで届く傷を持つ人物と言えば、この町に暮らす誰もが知るところ――ヴァリスナードその人であった。だが、全裸で女に言われるがままの彼を、大英雄と一致出来る人がどれだけいるのだろうか。
「お前さんの様子が気になってつい来てしまったが、なるほど。こちらが仕事の悩みを持ち込んでしまったのは、無粋だったな」
救国の英雄として名声を手にしているヴァリスナードだが、この場では素直に反省の意を表していた。さてどうして彼女の機嫌を取ったものかと悩むことも束の間、彼の肩に程よい重量がのしかかって来た。
「そーそー、おじさまはぁ、その姿が一番」
「……お前さん、酔っとるな」
嬉しいのであるが、どうにも腑に落ちない感覚も残る。幾つになっても、女性の機嫌を取ることが如何に難しいか、英雄は唸った。
頭を預けて来た彼女は、喩えるなら主人に遊んでもらおうとする猫であろうか。この行為が気まぐれであるとわかっているのに、頭を預けられてしまえば何とも抗い難い感がある。栗色の髪からよい香りが漂ってくれば猶更の事、抗い難い。むしろ、抗う必要などあるのだろうか? ヴァリスナードは輝く頭を撫でながら、女の手に握られたグラスを引き上げて、残りを飲み干した。
「あー、それ高いのよぉ? 値段も度数も」
「勿論知っとるよ。これは、儂の好きな酒だからな」
酔いの回ったスペランツァは、意識があるようなないような、とろんとした瞳で彼を見る。意識があるかは端から見てわからないが、すっかり機嫌が直っていることは一目瞭然。心の中は当人にしか覗けないが、一言で表せば、安心したようであった――酒を口にしないヴァリスナードは面白くない。彼へと喩え返すならば、飲まない彼は剣を持たない勇者のようなものではないかと彼女は思ってもいる。
「好きな酒って、おじさまに嫌いなお酒があったー?」
頭をフラフラとさせながら、女は意地悪そうに笑ってみせた。大体、この後の答えはわかっているし、それが聞きたくて彼女はこうしている。
「嫌いな酒なぞあるものか。ただな、好きにも度合いがあってだな。その時々で深く酔う酒があるものさ……女も、そうじゃないか?」
すっかり目の据わったヴァリスナードは、いつもの調子で口説き始めていた。既に何度も聞かされていた口上であるが、顎に手をやられたスペランツァは目を瞑る――そもそも、こうなることを期待していたし、こうなるように仕向けた節もある。
王都の面倒くさいことも忘れ、後は朝方まで愉しく過ごす予定が叶うと悦びに女は屈託のない笑顔を浮かべていた――部屋の扉が開かれるまでは。
「先生、いるんでしょ! さっきから何度ノックをし、た……と?」
夜中にも関わらず、遠慮もなしに扉が開かれた。バアンと音を立てた扉と同じく、勢いよく飛び込んで来た人物は青い鎧を纏った女性騎士だ。薄暗い中でも、僅かな灯に金髪が照らし出される。ついでに見れば、綺麗な青い瞳が見えた筈だ……今は充血して赤が目立ってしまっているが。
「よぉ、ジュラス!」
女を後ろへとやりながら、大英雄は気さくに手を挙げて応えた。これでもかという程に爽やかな笑みを浮かべていたが、腹の中はどうであったか。笑ってはいるが、表情筋が持ち上げられているだけで、彼の眼の奥は笑っていない。
生真面目な副官がこの後に言うことは、最早考えずともわかっていた。何をしとるんだ、だろうと当たりをつけてみせる。如何にしてこの窮地を乗り切るかが、目下の課題であった。
「……な、何を、何をしとるんじゃこの色ボケジジィがぁーーっ!」
深夜の宿屋に絶叫が木霊した。予想は半分正解であり、半分外れ。台詞に間違いはなかったが、ここまで叫ばれるとは大英雄でも予想が立たなかった。
「ああ待て、ジュラス、話せ――否、話そう。話せばわかる」
必死で、それはもう一心不乱でヴァリスナードは言葉を紡いだ。怒りに沸いた余剰魔力のおかげか、女性騎士の髪は戦慄いて見える。
「話すだぁ?」
頭にバカがつく程、真面目な彼女だ。普段は大英雄の自由気ままな振る舞いも多目に見てきていた。だが、今日はダメだ。
朝はコンテストの準備、昼は他国へ使者として赴き、夜には警邏。それだけならいつものことで、まだ我慢の範疇であったろう。警邏の途中で報告をしようとしても、報告先であるヴァリスナードが予定の場所にいない。ネギの勇者に習った追跡魔法、それを頼りにやって来たのは宿屋街とは名ばかりの歓楽街だった。
――いやいや、流石に先生は私一人に仕事を押し付けて酒を飲んだりしないだろうよ。そのように言い聞かせて扉をノックしていた。そう、飲んでいてもかまわなかった。むしろ、酒を飲んでるだけであれば、どれ程気が楽であったか。
「お、おま、おまえぇぇ! 人に仕事振るだけ振って、何を女と遊んでおるんじゃあああぁ!」
ブチ切れた。それはもう、盛大に。ここでブチ切れておかねば、彼女の頭にある血管は根こそぎ断絶していただろう。怒りのあまり、放たれた衝撃で部屋のランプが砕け散っていた。主の影に隠れているものの、彼女こそ大英雄の一番弟子であるのだ。魔法に昇華されることのない純粋な魔力の波が辺りを奔る。
「というか、お前――大英雄を何たぶらかしとるんじゃぁ!」
怒れるジュラスは、その矛先を栗色の女へと向ける。だが部屋に彼女が突入してから、ものの数秒で、身の危険を覚えたスペランツァは脱出していた。
「お、あ……あぁん!?」
女性騎士が窓の外へ乗り出すも、そこには夜の闇のみが広がっている。威勢よく叫ぶだけ叫んだが、標的もおらずして、ジュラスは顔を赤くする。空回りもいいところで、何とも恥ずかしい想いだ。
「一市民に、大人げないぞ?」
「あ、こら、先生――」
呆けている彼女へ声が届く。反応して振り向いてみるものの、そこには誰もいない。
気づけば狭い部屋の中に、ジュラスのみがぽつねんと佇んでいた。開け放たれた窓から入り込む風は冷たく、怒気に苛まれていた彼女の頭を幾分か冷やしてくれた。
「……帰ろう」
明日も早いんだ、帰って寝よう。やり場のない怒りは胸に抱いたまま、女性騎士はとぼとぼと帰路へと着いた。
「ふっ!」
短い掛け声とともに、薄く集まる雲に向かって鉄球が放り投げられた。
空が白み始めた頃、ネギの勇者はヴァリスナード邸の庭にて、日課とも呼べるトレーニングに励んでいた。その身は昨日と同じくして、鎧は纏われていない――投げられた緑色の金属塊こそ、彼が普段身に着けている鎧が変形したものであった。
「ふぅ……」
真上へ降り立とうとするものを前に、ジオは深く長く息を吐く。その後に、やや強い緊張を持って、彼は落下する鉄球を睨み据えた。心をなるべく落ち着けることへと気を払いながらも、身の内から湧き上がる波を否定することもない。
「いくぞ」
呟いた彼は、肘関節の辺りを目に添え、固定された腕を真っ直ぐに伸ばしては標的を待った。この構えにより、視線と手の先は同一方向にセットされた。更に開かれた手指は、力の抜けた肩とは真反対に想いが込められている――緑色を腕に集めれば、魔力の波を魔法へと昇華させていた。
「魔力塊っ!」
短く紡がれた言は確信を持って、現象を起こす。その結果、頭上にある鉄の塊には支えが現れ、中空で静止してみせた。
任意の一点で魔力を爆ぜさせる魔法“魔力塊”はジオ固有の特技でもあった。自然と交信する魔法の他は、火や水を起こす初級の魔法でさえ、相性が悪く扱うことは彼には出来ない。魔力を放出して無理矢理に空間へ壁を残留させるというものが、苦肉の策ながら披露されるものであった。保有する魔力が膨大であるおかげか盾としては優秀、ただ、持続力に難があった。
黄金剣士との闘いでも役に立った魔法を更に磨くべく、勇者は姿勢を崩すことなく鉄球を睨み続ける。
「――魔力塊っ!」
形を保てなくなった魔法の壁が消失すれば、鉄球は地面へと引かれて下がる。それを押し留めるため、続け様に緑色の壁を呼び起こす――が、それも保って数秒で消失してしまう。更に更にと魔法を連発する、今日の修練は久しく行っていなかった魔法に対するものであった。
幾度となく放たれる魔力、新たな壁が放出されて消える。消えてはまた放出、その繰り返しが続けられる……高く放り投げられたそれが頭上付近にまで迫る頃には、ジオの魔力も尽きかけていた。
「もう一丁!」
魔力切れ目前からの最後の一絞り、これまでの様に壁と呼べるものにはなってはくれない。だが、歯を食いしばった勇者は精神力で残った魔力をまとめた――精々拳大のものであったが、それが鉄球の落下を食い止めてくれた。
(……何だ、今の)
声にすることは出来ず、ただ心の中で呟いた。
魔力を出し切り、肩で息をするジオ。疲労感はあったが、魔力不足ながら十分に壁として機能するそれへ、目が奪われてしまう。
「そうか、魔力を上手く纏めることが出来れば、俺でも――痛っ!?」
何かが掴めそうであったが、支えを失った鉄球の直撃で思考は遮られた。ゴリ、と洒落にならない音がしていたが、この場にいるのはのたうち回る彼のみだ。魔法の新たな形は見失いつつも、無様な姿を見られなくてよかったかと安堵もあった。
「精が出るな、ネギ坊主」
「んあ、じっちゃんか?」
寝そべったまま、ジオは声のする方向へ首を向ける。白んだ空の一部を割って、朝日が届けば、つい目を顰めてしまう。
「左様。鍛えることは、人間にのみ許された所業だ。原点を忘れることなく、鍛え続けろ。さもなくば、儂のように人の間で翻弄されてしまうことだろう」
「お、おぅ……」
愛馬に跨るヴァリスナードの背後から、陽が差している。目が眩みながらも、若き勇者は何とか返事をすることだけは出来た。
「儂は寝る。昼には大事が待っておるでな」
「お、おぅ……」
カッポカッポと馬を運ぶ大英雄。少年勇者の目が腐っていないのであれば、ヴァリスナードは全裸であった。ただ、一糸纏わぬ姿であるのに英雄は臆することなどなかった――悠然と進む彼を見ていると、間違っているのは己の方なのだろうかと、ジオは思わずにいられない。
(あれが、大英雄のなせる所業か?)
一人残ったジオは、心の中で問うていた。この英雄が全裸で屋敷へ帰ることは、これが初めてではない。だが、明らかに間違っている筈の姿であっても、こうも堂々とされるとツッコミどころがなかった。
「……じっちゃんらしいと言えば、らしい。でもなぁ、親父がああだと思ったら、うーむ」
寝っ転がったままで、少年は顎元に手を当てて唸った。仮に自分の父親が全裸で朝帰りをしたところを想像してみる――真っ平ごめんであった。
「御免っ」
「ああ、ごめんだよなぁ……」
聞こえて来たものに、ジオはよくもわからず同意した。憧れの英雄に幻滅することはないが、堂々と裸でいられるのは考え物だ。今の自分が半裸なのはさておき。もっと言えば、常日頃から慕ってくれる従者が半裸でいることも、さておきだ。
ジオ少年としてはよかれども、ヴァリスナードに付き従う騎士姉ちゃんは、一体どう思っているんだろうか。昨夜も深夜に非常に荒ぶった状態で帰宅していたが、それには声をかけることも憚られていた。ついついそのようなことを考え耽っていたところ、再度、頭上より届けられた声が勇者の鼓膜を打った。
「御免、ヴァリスナード様はいるか?」
「お?」
思わずネギの勇者は唸った。先程から彼へと出されていた声は幻聴ではなかったらしい。それには気づくものの、どうにも現実のようにも思えないでもいた。
白馬に跨るは、立派な黄色の鎧を纏った青年だった。
先日、ジオは同様の騎士勇者を目に留めていたが、この青年からはそれとはどこか異なる印象を受けていた。鎧は彼が知っているもに比べれば茶色がかったものであるし、高い身長を馬に預けた姿は吟遊詩人が語る勇者らしいものであった。
「すまない、じっちゃ――ヴァリスナード様は、帰宅されたばかり。私でよければ、取り次ぐが?」
足を蹴り上げ、ジオは身を起こした。何故かは彼にもわからなかったが、この人物は寝そべったまま対応していい相手には思えなかった。腰に下げられた剣にも強い力を感じるが、それを御するこの黄土色の鎧を纏う青年は、毅然とした姿を見せている。
「頼めるか? 私は、そうだな……カラシのやつが会いたがっていると言ってもらえば、恐らくは通じると思う」
「ああ、あんたがそうか」
客人を前に無礼とは思う、だが、口の端が持ち上がることをジオは止められない。これが、この人物がヴァリスナードが期待する勇者の一人なのだ。彼の大英雄の口振りからすれば、期待はネギの勇者以上――少年勇者は、このカラシ色の勇者へ好戦的な目を向けることを押さえられずにいる。
「私をカラシの勇者と認識している……そうか、キミが?」
ジオから向けられたものをどう捉えたか、こちらの青年は柔らかな笑みを浮かべて馬から降りる。自然とされる所作には一々見惚れてしまう程に洗練されていた。
「ネギの勇者殿、お初にお目に掛かる。私の名はウィゴッド、救国の英雄であるヴァリスナード様に呼ばれた王国の騎士だ」
よろしくと、青年は腕を突き出す。
「ジオグラフィカエルヴァドス――やたら長いので、適当に短縮してもらって結構ですよ?」
出された手をがっちりとネギの勇者は握り返した。年もそう変わらない勇者の存在に、少年は思わず歓喜していた。何故だかわからないが、わくわくとしてしまう――十二の頃から勇者をしていたジオが、同世代の勇者と知り合うことは稀有なことであった。
「ああ、ではジオグラフ殿と呼ばせて頂こう。親からもらった名前が大層なのはお互いですな」
では、私のことはガッシュとお呼びください。さらりと出された言葉に、少年勇者は満面の笑みで応えた。
「じゃあ、じっちゃんに取り次ぐよ。それまでは、騎士姉ちゃんに相手を……その、あいつを知ってるか?」
「ジュラス殿ですな。いつもお世話になっている」
「なら話が早い! ちっと待っててくれ」
駆けだした緑の鎧を纏う少年。その背中を見送りながら、カラシ色の勇者は、ネギの勇者が浮かべていたような笑みを口元に浮かべる。
「そうか、あれがネギの勇者か……ヴァリスナード様もお人が悪い。もっと、もっと早く引き合わせてくれればいいものを」
歴戦の勇者を思い描きながら、引くこともせずに青年勇者は笑っていた。おどける少年の中に力を見つけた彼もまた、大英雄の認める勇者であった。
「む、ぐぐぐ……」
鳩尾の辺りを押さえながら、カンナは歩いていた。無論、大人になった彼女が歩くのは森の中ではない。だが、硬い床の上に敷き詰められたカーペットを踏みしめる度に、場違いだなという感覚が押し寄せる。みっともなくとも、この動作を辞めたら胃液がどう暴れ狂うかなど本人にもわかったものではない。
赤い絨毯が敷かれる立派な建物を進む中、料理人の女は見知った女性騎士が傅く様を認めていた。光を反射する程に磨かれた青色の鎧、それを平然と身に纏う彼女へと向けるならば、立派の一言だ。だが身を屈める程の貴き人物を前にして、彼女が眉間に皺を寄せるのは何事か?
カンナにはわかろう筈もない。ひょっとすれば、昨夜の内に余程腹に据えかねることがあったのかもしれない。だとすれば同情もあろうが、今も尚暴れ狂う己の胃の方が問題であった。
「止まれ」
「はいっす!」
答えずとも良かったが、ついつい声を張り上げてしまう。同時、脇腹に肘を当てる人物を睨んではみたが、この怒りも見当違いであったとわかる。
平民の身分では、湧き出る感情もつい押さえられる。大きな建物、その中央にはカンナが見たこともない程の煌きが詰まっていた。一人の人間が座ってもなお余りある椅子、それに腰かける人物は頭に金の煌きをもった冠を戴く。羽織るガウンは目にささる程に鮮やかな赤をしており、つまりはたった一人にこの国の権威が詰め込まれていた。
「モータリア、前へ」
「はっ――」
カンナの脇腹を小突いた人物が、名を呼ばれた。恰幅のいい男も、流石に恐縮しているように彼女には映った。レジナス王国の頂点にいる人物、レジーム王を前にすればこうなることも仕方ないのだろうと結論付けざるを得ない。
「久しいな、モータリア。余が幾ら呼んでも来なかったと言うのに」
「ご期待に添えず、申し訳ございません」
レティア一と称される料理人も、王を前にしてはただひたすらに傅く。だが、己の生き様、信条に正直なこの男は「ですが、王を裏切ることはしてございません」そのように、堂々と語ってみせた。一国の王に対して真っ直ぐ過ぎるその振る舞いには、弟子であるカンナも目を瞬かせた。
「ほぅ……この十四年の内に、どのような事を為した?」
「次世代の、育成を為したと自負しております」
最高の権威を纏った人物を前にしても、モータリアの言が翻ることはない。言葉こそ最上級に丁寧なものを寄越していたが、思ったことを率直に語っていた。その飾り気のない物言いに、槍を構えていた兵がピクリとしてみせる。
「止せ。よいのだ。彼は私の友人だぞ?」
「――失礼いたしました」
兵が示したものは王の意に添わぬ動きであった。だが、レジームは一度首を縦に振るだけでその行いを許した。この場に居る者は皆、王に認められた存在なのだ。全ての行動は、彼を想わんがばかりにとられたものと、許容されている。
「友よ、此度の竜人との会合、その意味は十分にわかっておるな?」
「はっ――」
静寂を割るは、やはり王の言葉であった。玉座に身を沈めながらも、言葉に緩慢さはない。届けられた言に対し、異を唱えることもなく、モータリアは短く同意の言葉を出していた。
何が起こっているか、よくわからない。それがカンナの率直な感想だ。自分が師事した人物が宮廷料理人の推薦を受けていた――それはまだいい。問題は、一国の王に“友人”と呼ばれていることだ。この後、一体どうなるのであろうか……結果はわかりきっているが、聞きたくもない。
「お前が推した人物、それが人間種と竜人種の架け橋となってくれるのだな?」
「御意」
料理人が即答するも、その弟子の心中は暴れ回りたい程、穏やかさが失われていた。
(御意とか、抜かしてんじゃねーっすよ!)
ここが王宮でなければ、彼女は疾うに走り出していた筈だ。残念ながら、ここまで来ては逃げる訳にもいかない。まぁ、逃げたところで捕まるのがオチであったのだが。
「余が最も信頼を置く料理人、モータリアが直弟子よ」
「はいっす!」
短く答えつつも、カンナは最早何も考えられずにいた。こうして返事が出来たことですら、上々なのだから、みんな褒めろよとも思う。
何であれ、王が告げるのであるから、彼女は逃げられない。わかりきっていたとはいえ、この後に続けられた言葉に返答する内に、竜人種との会合、その料理を行うシェフを任される段となってしまった。
「頼まれてくれるな?」
平民に向けるにしては、どこまでも丁寧な言葉であった。だが、この言葉を出した人物にカンナが返せるものはただ一つだ。
「ぎょ、御意」
前方で跪く師を、これでもかと睨みながら、炎の料理人は承諾する他なかった。王の直近に控える女性騎士が申し訳なさそうな顔をしてくれたのは、幻覚であろうか。
何はともあれ、国を越えての会食が動き出してしまった。出来ることならば、カンナは胃の中で暴れるものと共にこの任務を放って、いっそのこと倒れてしまいたかった。だが、この数日はどうしても逃げる姿を誰かには見せられないでいる。
(あー、もう。どうにでもなれっすよ!)
半ば自棄になりながら、期待の料理人は首を垂れる。
形の上では、穏やかなままに王への謁見は終わった。後は如何に竜人も唸る料理を作るかである――王の命を受けた時点で、何をしてももう大事には違いない。問題となるならば、別のことだ。
彼女の心に残ったものと言えば“この一大事に、ネギの勇者は一体全体、何処へ行ったのか”であった。
国を揺るがす事態を前に、胃が荒れる程度済めば十分じゃねぇか。師がぼそりと囁いてきた言葉に、金髪の女性騎士ばりの不機嫌さでカンナは睨み返していた。




