ネギが主菜で、何が悪い! 1
深い森の中、少女は独り歩いていた。
リズムの悪い歩みは、片方の靴が失われたためだ。既に頬が乾きつつあったが、そこには涙の跡が残っている。幼い少女が泣きながら森の中を進むのは、偏に“己では叶えられない望みがあった”からだ。
今は失われた、神の棲まう森――幼き頃のカンナは最後の望みに駆けて足を踏み入れた。
「ぅ、うぐ……」
嗚咽を混じらせながら少女は歩く。背の高い木々に囲まれたここは、生まれ故郷とはまるで異なる。恐怖は勿論あった。だが、ここで立ち止まることの方が、何もせずに傍観していることの方が、彼女には恐ろしくあった。
母が倒れのだ。元々、青白い肌をしていた。心配そうに見上げては、「子どもが気にすることじゃない」と叱責をされていた。そういうものかと思っていたカンナであったが、今朝方は食事の際に母が赤いものまでも吐いていた。
この時のカンナには理解など出来てはいなかった。父親のいない彼女を、一体母はどのようにして食べさせていたのか。夜に母がめかし込んで仕事へ行けば、朝までは戻ってこない――若さはあっても丈夫さはなかった母親だ。男を相手に媚びる仕事に嫌悪はしていたが、とても選べる状況ではなかった。
「お母、さん……」
ゴォォと森を抜ける風音を耳にしながら、カンナは歯を食いしばる。お腹が空いたが、それどころではない。自分は、朝にパンを食べたじゃないか。
彼女の母が吐いた赤、そこには固形物を見ることはできなかった。大人はお腹が空かないの、このように言って、母親はここ数日薄いスープしか啜っていない。これでは、治るものも治る筈がない。
「おぉ、神ヨ」
「え?」
風が話しかけたことに、カンナは驚きを隠せなかった。彼女の前に現れたものは、緑褐色の大きな魔物であった。生まれてこの方ゴブリンすら見たことのない少女は、この大きすぎる魔物、オークを木か何かだと思い込んでいた。
「ぁ――」
視界がブレた。か細い声が上がるが、発した本人は随分と他人事のようにして聞いていた。幼き少女の胴体を、オークは片手で掴み上げていた。あんぐりと開けられた口からはゴォォと風が漏れる、同時に鼻孔に侵入してくるねっとりとした不快な匂いに、カンナは眉を潜めた。
魔物というものがよくわからずとも、乱暴に腹を掴まれ持ち上げられれば、流石に自分が喰われてしまうということを理解出来ていた。
痛みに意識が向くが、何故こんなことになっているかはさっぱりとわからない。母を助けてくれる神を探してきた少女は、魔物と遭遇することなど頭になかった。今ぐるぐると回っている考えと言えば、近所の子どもたちから“神なんていない”とバカにされていたことだろうか。
「違う、違うよ! 神様はいるもん!」
神はいる。神父が言うには、敬虔な祈りの果てに神は降りてくる――日頃から信心深い訳ではなかったカンナは、向ける相手もなく言葉を吐いた。せめても母が助かることだけを強く祈る。
「神は、神は俺を見捨てていなかっタ」
そう、神は確かにこの世界に存在する。
人間の勇者に追い立てられて傷だらけになったオークは、感謝を捧げながら栄養を腹に収めにかかった。人間種は口にすることすら避ける邪神、虐げられる魔物の信仰対象へと限りない想いを捧げた。
「……?」
目を瞑っていたカンナであったが、不意に暗がりから抜けだせたことに疑問を抱く。鼻が曲がる程の匂いに頭がおかしくなったのか――そのように思うと間もなく、オークの腕から力が抜けて少女は尻もちをついていた。
「祈るのは勝手だが、相手を間違えている。後、食事に対する祈り方も間違えているな」
億劫そうに出された声音は高い。高い背に短く切り揃えられた髪、毅然とした姿で立つこのものは、薄暗い森に似つかわしくない。僅かに届く月明りは色素の薄い髪の他に、女性らしいシルエットを映していた。
「助けて、助けてください」
見上げる姿勢になったカンナは、命からがらという状況から抜け出しては再び涙を流す。見える筈もないが、目の前の女性が片眉を上げたようにも思える。
「変なことを言う。オークから助けてやったところだろ? ああ、助けてやったは傲慢が過ぎるか。食事に対する祈りも碌に出来ない、私はそんな生き物が嫌いなだけだしな……魔物が祈るはヴォークリッサのクソ野郎辺りだろうし、やっぱり私はアレも嫌いだ。うん? となると、魔物を屠ったのも私が勝手にしたことか? 前言撤回だ。貸しはないぞ、そこの小さいの」
女性は難しそうな表情で自問自答を繰り返していた。それこそ、小さな少女にしてみれば今まで見たこともないようなタイプの生き物だ。
「小さい人間……はて、何故このような森へ? ここは神が棲むから近づいてはならんと、親が教えなかったか?」
「お、母さんが、お母さんが!」
問われたことに答えようとするも、カンナは上手く言葉にすることが出来なかった。母がどんな状況で、どのような助けを必要としているかは幼き彼女にはわからない。ただただ必死であることを伝えることしか出来ることがない。
「待て、少し待て。言語化してくれねば、すぐにはわからぬ。どれ……お前の思考を読むから、少し待て」
慌てた様子もないが、髪の短い女性は多弁を弄する。喰われるところから助かり、カンナはパニックであった。だが、この目の前の人物が悪い存在ではないと何となく理解していた。
「――そうか。母親が大変か」
目を細め、女性はしみじみと語った。不思議なことに、少女は言葉を発さなかったのに理解されている。ひょっとすれば、このお姉さんが神なのではないか。理由もないが、確信を持てばブンブンと首を縦に振っていた。
「困った。私は奪うのは得意な方だが、与えるのは苦手だ。お前の母の様子から言えば、祈るべきはアイリスに向けてだろうに」
顎元に手を当てながら、女性はブツブツと呟く。何を言っているのかは、カンナにはこれまたわからない。だが、どうやら母を助けられない旨はわかった。その途端に、先程よりも大粒の涙が溢れ出す。
都合のいい神などはいなかった。自分や母がこうして辛い目に遭っているのは、レティアの人たちが言うようにきちんとした暮らしをしていないからだ。
「いやいや、命を救えないことと、魂を救えないことは直結しないぞ? リックに言わせれば“ここで出会ったのも何かの縁”か……母が助からないとして、お前はどうしたい? 言うだけは――否、願うだけ、祈るだけならタダだぞ、小さいの」
口数の多い女性は、ここで初めてにぃっと笑ってみせた。ギザギザの白い歯が印象に残る、小さな少女はそこに恐ろしさを覚えなかった。むしろ、母をどう救うのか、このような問いをくれたことにハッとさせられていた。
「え、笑顔に……お母さんを笑顔にしたい」
「うん?」
絞り出した声は、嗚咽に塗れていたためか、女性は訝しがってみせた。片眼を開けば、そこには常識外の生き物である象徴、琥珀色の瞳が怪し気に光る。
「違う、違うだろう、小さいの。それはお前の望みじゃない。母親を笑顔にして、それでどうするんだ? いや、そもそもどうやって母親を笑顔にするんだよ。今から私が行って、脇腹でもくすぐるか? やっぱり、そいつは違うだろうに」
機嫌が悪い訳ではないが、長身の女性は身を折る姿勢に変えて、違うと告げる。確かに、違う気がしていた少女は、首を振りながら“神に何を頼みに来たか”を思い出そうと必死になった。
「笑顔が、見たい」
「そうだな、それだよな。ああそうに違いない。それで、どうやって笑顔にする? 小さいのは、母ちゃんが何をしている時に笑顔だったか、覚えているか?」
「……ご飯」
最後に母が笑顔であった時のことを思い返す。忘れる筈がない。レティアで最も有名な食堂に母が連れて行ってくれた。いつも忙しい母が「たまには贅沢をしよう」と仏頂面の料理人がいる店で、一緒に食事をしてくれた――いつも疲れた顔をしている母が、この日は笑顔だった。
「美味しいご飯、お母さんに……だべざぜで、あげだい」
髪をいじりながら、少女は言葉をようやくの想いで吐き出した。最後の部分は溢れる涙に押されて歪んでしまう。それでも、目の前の女性は納得したように首肯していた。
「食事か。それは私も好きだぞ。いいな、人間ってやつは存外にいいな。アイリスが君らに肩入れする気持ちが、少しわかった」
さて、手を出してごらん。琥珀色の瞳を輝かせ、女は告げる。
「これ、何?」
「とてもとても美味しいものだ。そのまま食べても美味しいが、料理するともっといいそうだ。残念ながら、料理の出来ない私が持っていても宝の持ち腐れだからな」
ニィ、と牙を見せながら女性は笑う。月の位置が変わったか、照らし出された顔は凛々しくありながら、随分と幼く見えた。
「あ、ありが――」
「礼はまだいいぞ。何せキミはこれから家に帰って、母に料理をせねばならんのだ。出来るか?」
「やる、やるっす!」
カンナは涙を拭いて、言葉を発した。語尾が変わっていたが、幼いなりに強い決意を語るためのものだった。
「そうかそうか、面白い――と言っては失礼か。言い直そう、大変興味深い」
オークを一瞬で引き裂いた彼女は、笑う度に牙を見せる。非常に狂暴な生き物である筈が、少女には不思議と怖くなかった。いつの間にか、カンナの手には暖かな青い光が宿っており、森に着いた頃の心細さは失われていた。
「さあさあ、早く家に帰りなさい。青い炎が道を照らしてくれるし、恐らくは料理にも役立つ筈だ」
「あの――」
声を聞き、手の平から視線を上げた。だが、視線の先に女性の姿は既になかった。
「ありがとうっす!」
何処へ向けていいかもわからなかったため、カンナはともかく声を張っていた。走り出した彼女の背中に向かい、何かが呟かれていた。確かに聞こえていたが、今は母の元へと走ることで頭が一杯だ。
「お母さん、お母さん――」
預けられた珍しい豆を握り締め、カンナはレティアへ続く道をひた走った。
「……そういうこと、だったすね」
夢ではない。舞台を後にしたカンナは、帽子を脱ぎながら呟いた。
“勝者は、リュカリアさんです”
魔導器を通して拡大された声、それを聞くと共に少しばかりの眩暈を覚えた。並み居る強豪を前に、勝てるとは思ってもいなかった。だが――
(勝ちたかったなぁ)
唇を噛みしめ、女料理人は心の中に想いを留めた。帽子を脱いだ先から、髪いじりを始めてしまうのは、母のことを思い出したからであった。同時に、これまでわからなかった炎のルーツを理解した。
琥珀色の瞳をした女性、それは神に違いない。王都を目指す最中に小さな魔女が教えてくれたとおり、青い炎は神より授けられた加護であった筈だ。
初めに望んだことは母が生き永らえること、ただ結果は母を料理で笑顔にする形になった。彼女が思うに、この炎は自分の手で人を笑顔にするために与えられたものだ。だからこそ、勝ちたかった。亡き母にまで届くよう、人々に認めさせたかった。
「お疲れさん」
「……そんなに疲れてねぇっすよ」
低い声を聞き、カンナは顔を上げた。労いに対するにはキツい返しであったが、今くらいは許されると思った。
「すまん。どう声を掛けていいか、わからなかった」
俺は本当に闘うしか能がない。このように緑色の鎧を着た少年は漏らす。その言葉に嘘はなかったようで、所在なさ気に頬を掻く様は何と表現したものか。
「ただ、あんたの作ったピザ、あれは美味かった。会場の人も笑顔で、何だ、その……俺の依頼人がこれだけのことをしたってのを見てだな。俺は、嬉しかった」
必死で言葉を紡いでいる間、ネギの勇者の瞳はあちらこちらへと彷徨っていた。話が下手だと自覚している様が見て取れる。
「ふ、ふふふ」
「――何で笑う?」
え、え、と少年はあたふたしていた。だが、その振る舞いが一層おかしく、カンナは笑いを堪えられなくなった。
「やー、すんません。母ちゃんのことを思い出して、落ち込んでたんすよ……けど、あんたを見てたら、何だか落ち込むのがバカらしく――ふふふ」
「ん、んあ……元気なら、いいや」
歯切れは悪いが、ジオも安堵して笑顔を浮かべていた。今朝別れた際には、あれ程出場を厭がっていたカンナが、こうして笑ってくれているのならば、それでいい。他にも勝者になれなかった料理人が控室へと歩んでいたが、それらには気を留めず、勇者は依頼人が動き出すのを待った。
「素晴らしい」
佇む二人に近寄る人物がいた。その者は黒衣を纏った神父であり、先程まで審査員席に座っていた筈だ。思いもせぬ人の登場に、ジオの眉間に皺は刻まれる。
「おや、闘神の加護を受けた勇者殿ではないですか。ご無沙汰しております」
「……覚えていたか。俺も覚えているぞ、陰険神父」
カンナは二人を見ながら、髪に手を伸ばしてしまう。アジード神父は有名であるが、どうしてかネギの勇者と因縁があるように見えた。「これはこれは手厳しい」そのように返す神父は笑ってみせるが、瞳の色は随分と無機質であった。
「いえね、リュカリア殿の優勝は揺るぎないのですが、面白い料理人がいたのでご挨拶にと」
淡々と語る神父。その姿を見て、市井が伝える評判とは異なるものをカンナは覚えた。
「ジオさん、この人――」
「行くぞカンナさん」
遮るようにして、勇者はそそくさと歩きだす。手を引かれるこの状況は今朝方とは真反対のもので、衆目がなければ彼女は頬を染めていたかもしれない。
「お早いお帰りですね……そうだ、最近は有名著名な人物が行方不明になることが多いそうですよ。竜人なる異種族も付近にいるようですし、お気をつけください」
ごきげんよう。儀礼的な台詞を耳にしながら、カンナは会場を後にした。
夕刻より王都料理コンテストが開催されていたが、終わる頃にはとっぷりと日が暮れていた。カンナは結果を聞いた早々に舞台を離れたものの、ここまで早々に会場を離れる気はなかった。いつまでも手を引く勇者を前に何と言ったものか、ハッキリと口には出来ないため、少々困った表情を浮かべている。
「すまんかった」
「へあっ!?」
渋い表情を浮かべる勇者が、突然このように詫びてきた。さらっと受け流せばいいところであるが、今二人は手を握り合ったままで向き合う姿勢になっている。彼女の顔には、益々困惑の色が浮かんでしまう。
「あ、あのの、あの、手、手を――」
離せ、とは言えたものではない。今朝の市場でのやり取りを思ってみても、この少年が何を考えているかはよくわからない。少なくとも、料理にばかり人生を捧げて来た彼女は戸惑うばかりだ。
「あ、すまん」
ずっと掴んでいたことに気づき、ようやくジオはその手を離した。眉間に皺が刻まれたままであり、とても色気のある状況ではなかった。それでも、篭手越しであっても、日に何度も男に手を握り締められては、カンナは動機がすることを止められない。
「おう、お疲れ」
「あ、師匠」
困惑最絶頂、その折に現れたモータリアの存在に、女料理人は平静を取り戻していく。仲違いをしたことが半分、無理矢理にコンテストに出場させられたことがもう半分だ。
「師匠ね、本当酷いっすよ! ボクがどんな想いで舞台に上ったと思ってるんすか?」
気が緩み、ついつい暴言も飛び出してしまう。師が宮廷料理人の推薦を受けたことは、ほぼほぼ間違いない。せっせと料理するなかでも、モータリアを讃える実況は耳にしていた。
「よかった」
「へ――」
「今日のお前さんの料理、よかったぞ」
カンナは思わず、気の抜けた声を上げてしまった。締まりのない顔をしているのは、頑固な親父が褒め言葉を出しただけではない。ゴツゴツとした大きな手の平が、彼女の頭を撫でていることに驚きを隠せなかった。
「い、いや、そりゃあ師匠が用意した食材なんすから……」
「そう言うな。俺はお前さんの作ったものに、満足している」
突き出た顎を引き、モータリアは弟子の頭を撫でることを辞めない。力任せにグリグリと手を回す様は、そのような行為に慣れていないことを物語っている。
「……師匠、ボクはコンテストで負けたんすよ?」
頭が振り回されるが、意外と嫌悪はなかった。むしろ、この料理人の男がこれ程まで褒めることが不思議でならない。
「なぁに、あんなもんは出来レースだ。最初からリュカリアの勝ちが決まっとる」
「え……えぇ」
そういうこともあるんだろうなとは思っていたが、実際に自分が参加した賞レースで行われているとなると、何ともげんなりしてしまう。同時、優勝者がアイリス教関係者であることを思い出し、ネギの勇者が険しい顔をしていることにも納得がいった。
「だから、真っ先に駆けつけてくれたんすね?」
「あの神父とは、少しばかり因縁があってな。俺はあんた――カンナさんの料理が一番旨かったと思ってる。コンテストが終わってから、つまらんことになったら、困る」
渋い表情のまま、少年勇者は同意した。アジードは単独で舞台裏に来ていたが、どこに黒衣の騎士たちが控えているかはわからない。口の立たないジオは、策を弄する人間こそを苦手としている――優勝を逃せども、観客を魅了したカンナが狙われるようなことがあってはならない。
「大丈夫っすよ? 僕にはこの炎があるし」
青い炎を呼び出して見せる。幾つもあるピザを焼き上げたこの炎は、人間を炭に変えることなど造作もない。決して、そのようなことをするつもりはないが。
「ダメだ!」
「え……」
師の強い言葉に、思わずカンナは言葉を呑んだ。そう言えば、ケンカ別れをした日もこんな顔を彼はしていた。あの時は、どうしてこれ程強く叱責されるかを考えることも出来なかった。
「そうだな、ダメだな」
「な、何なんすか! 与えられた炎を使って、何がダメなんすか!」
勇者が同じように続けるものだから、つい強めの言葉を出してしまった。感情的になる彼女へは、モータリアが眉根を寄せたまま睨みつけている。あれから時が経っても、カンナがわかっていないことへ怒りにも似た感情を覗かせているのだ。
「カンナさんさ……そりゃダメだよ」
かぶりを振って、ジオは言葉を届ける。なるべく冷静になるよう努めるためだ。きちんと話せば、わかってくれると信じている。
「あんたが作る料理は本当に旨い。その炎は、人を傷つけるためのもんじゃないだろ?」
「……」
告げられたものに、思わず黙り込んでしまった。師匠の元を飛び出した時ならばいざ知らず、今ならばこの加護が何故与えられているかを理解しているつもりだった。
「そう、すね。冗談でも、口にするもんじゃないっすね」
手の平を見つめ、カンナは自戒の念を強くする。反省の色が伝わったか、師である料理人は表情を緩めてくれていた。
「そうだ。お前のネギ料理は美味い。つまらんことで、ペナルティとか喰らってくれるなよ?」
場が収まりかけたところで、更に闖入者が姿を見せた。癖のある黒髪と褐色の肌、今はドレスの代わりに黒い他国の衣服をまとったルファイドが現れている。
「ルファイド、お前……」
「神を前に、お前はないだろう? あれか、眼鏡をかけていないことを怒ってるのか?」
うん? と緑色の瞳をした神はとぼけてみせる。姿や能力を秘匿された闘神が平然と化生していることに、ジオは焦りを隠せない。一方で、褒められたカンナは目を丸くして驚きを表していた。
「その瞳、あんた――いや、あなたも神様っすか?」
幼き頃に見たものは、琥珀色のそれだった。風貌や態度は似ても似つかないものであるが、眼から溢れる力は同質の存在であることが感じ取られた。
「そうだ。謎の美しすぎる貴婦人、リック女史とは仮初めの姿。我こそは闘神ヴァンデリック・ルファイドだ。で、その神からキミへお願いがある」
勿体ぶることもなく、ルファイドは自身の正体を告げた。この神の横暴には慣れたつもりであったジオも、額に手を当て項垂れてしまっていた。どうせ、またとんでもない思いつきを口にするのだろう、このように思えば忘れかけた頭痛が蘇る。
「炎の料理人、カンナよ。明日にレジナス王国とエスジレーヌ王国が会合を開くから、そこでキミに丁重なる持て成しを願いたい」
「は――?」
目が点とはこのことか。余りの事態に彼女は髪に触れることも忘れていた。現実逃避以前に、これが現実であるとはとても思えるものでない。
「まぁ、そういうことだ。コンテストはついで……ヴァリスのおっさんも、始めっから会食を任せられる料理人を探してたってことだ」
「えー……」
師匠がやりゃぁいいだろう、そのように思ったカンナはネギの勇者以上に渋い表情を出していた。
「あ、さっきのな。実はお願いでもない。これ、決定事項だから、よろしくな」
「まぁ、そういうことだ、カンナ。頼んだぞ」
「頼むって、なんすか? ねぇ、なんなんすか? 王様に料理作れとか、さてはあんたらバカなんすね!?」
師や神を前にして、これでもかと料理人の女は暴れてみせる。それでも場面が揺らぐことはまるでなかった。困り切った彼女は、己と同じく渋い表情をしていた少年へと視線を向けて助けてを求める。
「カンナさんの料理は旨い。それは間違いないことだ!」
(ダメだ、こいつも常識外の人間だったっす……)
緑の拳を固めて語る勇者も、止めることは出来ない。諦めねばならないと思うところであるが、王国料理コンテストを終えたばかりのカンナは、地面にへたり込んでしまった。このことを誰が責められただろうか。
「おーい、カンナさん、大丈夫か? おーい」
先程までの憤慨はどこへやら。ネギの勇者は、依頼人の新たな舞台を単純に喜んでみせていた。炎の加護こそ受けているが、カンナは自分のことをしがない料理人だと思っている。彼女を取り囲んでいるものたちは、宮廷料理人に勇者や神ときている――一料理人が知る常識など、通じる相手ではなかった。
「カンナ、腹ぁ括れや」
「わかった、わかったすよ。もうね、肉でも魚でも持って来いっすよ……」
師匠の檄に、半ば観念したように吐き捨てて返す。腹を括ったつもりだが、横からは神が「ネギ料理、期待してるぞ」などというものだから、呆れを越えて頭痛を覚えるようであった。
「まったく、こんな神を崇める勇者の面が見たいもんっす」
好き勝手する神、それを信奉する勇者を睨むくらいはしてもいいだろう。炎の料理人はジト目を向ける。
「まぁ、この神さんが無茶苦茶なのは、初めからだ。ほらっ」
爽やかに笑いながら、固い手が伸べられる。差し出されてしまったからには仕方ないと、カンナは手を取る。
「え、あ、ちょ――へぶっ」
何も考えていないのは、彼女も同様であった。バカ力の持ち主に手を引かれると、勢い余って顔は鎧へと埋まってしまう。
「すまん、大丈夫か?」
ぶつけた鼻は赤くなっている。ついでに、頭へと抜けていった痛みで目尻には涙が浮かんでいた。申し訳なさそうにするジオであるが、次の瞬間には笑顔に戻る。
「あー、もう何なんすか……あんた見てたら、ボクの悩みなんてどうでもよく思えてくるっすよ」
どこか納得出来ないものや、不安はある。それでも半分程は吹っ切れた様子で、カンナは歯を見せて笑った。思えば、炎をくれた神もこんな顔をしていたような気がする。
明日に控えた国同士の会合では、何かが起こる。予感めいたものを払拭するために、料理人は勇者の手を強く握り返してみせた。




