スープに一味足りないぞ 5
晴れているにも関わらず、今日もどこか肌寒い。しかしそれを気にしているようでは、トトリで商売人は務まらないものだ。早朝であっても、市場は大変な賑わいがあった。
(変わらねぇなぁ……)
胸中でモータリアは呟く。細かなことを言えば、ところ狭しと並ぶ店などは彼の修行時代よりも多くなっている。それでも、行き交う人々の活気というものには懐かしさを覚えた。
王都トトリは、都合三つに区分けされている。ここ商業区では、人と物が昼も夜もなく行き交い続ける。食材、資材の大半はギルドや芸術家が住まう居住区への販売目的であり、一部の希少な物品については城や貴族へと献上されることになっていた。
広大な領土を持つレジナス王国であるが、東端に王都を構えていることには理由がある。アイリスの樹がここにあったから――という単純なことではなく、地形の複雑さから他に選択の余地がなかったと言われている。
他国よりも広大な領土を有しているとは言えど、レジナス王国は東西に長い。北部の穀倉地帯を除けば、西へ行く程に山ばかりが目立つとなれば、農地に適しているとは言い難い。山は人の手を入れづらいことも手伝って、国土の割には収益が上がらない――国境の境い目ともなれば、王国の管理も行き届かない村があるとかないとか――このような地は、事ある毎に異論を唱える貴族へと割り当てられる。嫌がらせと呼べる程度に、山間部は扱い辛い領土であった。
「ここの品はどうですか。西部の果物が手に入るのは、嬉しいことです」
手に取った籠にはさくらんぼが盛られている。好物を前にして女騎士ははしゃいでしまっていたが、黙ったままの彼を見てすぐに己を戒めた。
「すみません。モータリアさんは、永らく王都にお住まいでしたね……」
「いや? 住んでたっても、レティアでの暮らしが長い。あっちの市場ってのはな、貴族用に王都から運ばれるものが主であってな。庶民にはこんなに品質のいいもんは回ってこないもんだ。」
それに、懐かしい気分に浸っていた。そのように溢せば、男も別の果実を手に取る。言葉にしたとおり、十年以上前ではこのような外来の食材は見かけることなど出来なかった。
「そう言っていただけると、ありがたい。では、こちらの店はいかがですか? 最近出店されたばかりでして……」
男の真剣な表情を見て、年若い騎士は籠を元の位置へと戻す。その口元には、いつの間にか笑みが浮かんでいた。
ヴァリスナードのわがままには慣れたつもりであったが、無口なモータリアと市場へ出るように言いつけられた時は、どうなるものかと彼女はたった今まで思っていた。だが、ぶっきらぼうながらも、人間嫌いではない彼の人となりが知れたようで、嬉しく思う。
(大英雄の友人とはどんな人物かと思えば)
ふと、先生と慕う男のことを思い出す。心配性なジュラスが表情を曇らせると、ヴァリスナードはこの料理人のように真面目腐った顔で彼女を心配するのだ。類は友を呼ぶ――彼ならば、王都で開かれる料理コンテストを任せてもよいと思えた。
王都は三つの区に分かれている。貴族と平民、そのような垣根はあれども人々が混ざり合って生きていける。それは、素晴らしいことだと年若い騎士は思っていた。だが、区分けの壁が如く、人々の間に高い壁が聳えていることも、黒い英雄の下で奔走する内に知ることとなる。
敬虔なアイリス教徒であれば、ここ最近の教会の動きには疑問を持たざるを得ない。黒騎士たちの動きが活発になってきたとあれば、ヴァリスナードの心労が増えることに繋がる。
「そう怖い顔をしなさんなよ」
「そんなに、酷い顔でした?」
「ああ、おっかない顔だったよ。ヴァリスのおっさんが、あんたを秘書に選んだことがよくわかる」
その顔をしてりゃ、奴さんも真面目に働くだろうよ――眉を下げたモータリアはおどけてみせた。
「……すみません。どうにも、考えすぎる性分でして」
ふふっと笑いながら、ジュラスは父親程歳の離れた男を見る。彼女の勘は間違っていなかったようで、モータリアは優し気な表情で返してくれていた。
レジナス王国を取り巻く状況は、なかなかに複雑だ。軍属ではないが、ヴァリスナードを始めとする兵団は常日頃から気を張っていねばならなかった。血の気の多い男たちを相手にしていた少女にしてみれば、こうして心配されることは何とも新鮮な気分でもあった。
「考えるのやめようとも思うんですけど……察するに、私のことを妙な形でモータリアさんに吹き込んでいますね。後で頭を叩くことに決めました」
「おお、手加減だけはしてやってくれな」
生真面目さが祟り、冗談が冗談に聞こえない彼女であったが、無骨な料理人は適当に聞き流していた。これが軍や教会の騎士であれば、ジュラスは立腹していた筈なのだ。それでも、ヴァリスナードや、その友人には怒りも湧くことはない。
「いえいえ、今のは性質の悪い冗談です。私は先生――ヴァリスナード様には、大恩がありますので」
「ほう、恩か。人の巡り合わせは面白いもんだ」
「そうですね。そのように思います。と言うのも――」
話の向きが主君との出会いになったかと思われたが、ドタドタと響く音に中断された。
「ジュラス様ーっ!」
人の往来が多くある中、声の主は馬を駆って現れる。他人の振りを決め込みたかった少女騎士であったが、名前を呼ばれては無視する訳にもいかない。
「何事?」
大儀そうに語る少女であったが、次の言葉を聞けば逃げ道のないことを知る。
「すみません。守衛より伝達がありまして、ヴァリスナード様の知り合いである勇者、そのように名乗る者がおりました。彼の方がご不在とあれば、貴女様に伝える他なく」
自称勇者を名乗る一団が往生している――心底申し訳ない声音で、駆け付けた警備兵は告げる。
ジュラスが任されているのは、基本的には東側の国防に対するものだ。だが、神の加護などというものもあるので、国内の不穏分子にも動かねばならない。通行証なしに王都へ入るには、王都の有力者の身内を名乗るのが一番の近道ではある。
情けない表情の男は、額に脂汗を浮かべている。随分と言いにくいことだったのだろうと、少女は視線を左上へと切ってみせた――決して逃げるつもりもないのであるが、傷だらけの老人がほくそ笑む姿が浮かべば、腸が煮える。
「報告ご苦労。そちらへは私が向かいます……モータリアさん、散歩ー、とはいきませんが、お付き合いください」
兵から馬を貰い受け、少女は国が誇る最大戦力としての顔へと戻る。その表情は歳不相応に凛々しくあり、両人は黙って彼女に従った。
「因みに、賊は何の勇者と名乗っているの?」
モータリアを馬上へと引き上げながら、少女騎士は問うた。先日現れた者は、“暁の勇者の弟子”であったか。大それた言葉をぶちまける人物は多い。
「それが、その……」
「何ですか? 貴方に非はないのですから、ハッキリと仰いなさい」
貴族という立場の他、少々の苛立ちを込めてジュラスはやや偉そうに言い放った。ヴァリスナードの友人を馬上に乗せたとは言え、男に胴体を抱きかかえられる様は喜べるものではない。
「あの、怒らないで聞いてくださいね?」
瞳が鋭くなったからか、彼女を見上げる兵は声を震わせて弁明する。
「は? 今、何と?」
ネギの勇者なる者が、王都の関門へと現れました――かように言われれば、少女騎士は怪訝な表情をして聞き返さざるを得なかった。
「ジオグラフィカエルヴァドス?」
槍を構えた守衛は、思わず出された言葉をオウム返ししていた。一体何の呪文なのだろうか、はたまた聞き間違えであったか……隣の兵士を見るも、左右の首振りだけが返される。
早朝に突然現れた一台の馬車。立派な全身鎧を着た少年がいるものの、他は女子どもばかりだ。この一団は、こともあろうに国の英雄であるヴァリスナードをここに呼べなどと言っていた。
胡散臭いことこの上ない。
「あー……だから、ジオやエルが愛称なんすね」
「絶対エルの方がかわいいじゃろうて」
訝しがる兵士を他所に、馬車では女たちが気楽に談笑をしていた。ネギの勇者がやって来た、門を開けてくれ――このようにジオが伝えてから、しばらくの時間が経つ。誰もが項垂れる少年勇者のことなど忘れていた。
通行証を忘れたジオが悪い。このことに間違いはない。大体は笑って済まされる話でもあったが、王都の往来に関しては冗談では済まされない。
大戦後にあっては、多くの物が流れ込んで来た。否、物以上に人の流入は神経を尖らせた。下手をすれば、レジナス王国の転覆を狙う諸外国からの人員が入り込みかねない。現在では、決められた商売人、或いは王族貴族の許しがなければ入り込むことなど出来ない。
「でも何で、あんな名前なんすか?」
料理人の女性は浮かんだ疑問を素直に口にした。ジオグラフィカエルヴァドスなんて長い名前は、好んでつけられたものではない。
「……それは、なぁ。あいつの母親が変わり者でな」
帽子に外套、黒づくめの少女は言い淀みながらも語ってみせた。ネギの勇者の母親は、名づけの段になって悩んだ。悩んだ挙句、世話になった人物らの名前を息子のそれに頂戴したのだが、結果はご覧のとおりである。
「なー、もう随分と時間は経ったろ? 門衛をぶっ飛ばして中に入るか?」
「やめてくださいっす! みなさんはいいでしょうけど、自分は明日にコンテストが控えてるんすよ?」
暇を持て余したキリカの言葉に、カンナは震え上がった。竜人や蜥蜴人を前にして動じない人たちだ、城門突破くらいやりかねない。師匠とはケンカ別れをしたものの、王都転覆を企てた人物とされては、モータリアに申し開くことが出来なくなる。
「心配するな。ヴァリス爺は私は勿論、エルを溺愛しとる。何とでもなろうものぞ」
欠伸をしながら、魔女は馬車の荷台から身を降ろした。王都に影響を及ぼしたくはないと思っていたところであったが、いい加減に自分が持っている通行証で一行を通してやろうかと動き始めていた。
が、ティアは動きを保留する。ジオが行き場のない拳を彷徨わせている様が情けなかった――ではない。門衛たちの騒めきが彼女の耳へと届いていた。
背後へと振り返る彼らは、青色の鎧を身に纏った金髪の女性騎士へと視線を注ぐ。その女性の後ろには、厳ついながら白衣に身を包む料理人の男が所在なさげに騎士へ出来ついていた。
「あ、師匠!」
ケンカ別れをしていたことも忘れ、思わずカンナは口にしていた。目の合ったモータリアは、よう、とだけ言葉を返す。だが、感動の再会とまではいかない。門衛の一人は、新たに現れた女性騎士へ、緊張感を携えて生唾を呑み込んでいた。
「ジュラス様……」
出された言葉は困惑から、救いを求めてのものであった。真偽はともかく、ヴァリスナードの知人を名乗る者へは無碍にも出来ない。仮に真に友人であったとすれば、自分たちの首など、ゴブリンの投石よりも遥か遠くへと運ばれてしまう。
「ああ、あんた。久しぶりだな」
ここに至って、ジオは笑顔を取り戻す。何を言っても信じてもらえなかったが、旧知の人物が目の前に現れては、テンションも上がろうものだ。ただ、残念なことがある。
「……すまん。名前が思い出せない。ジュリア、違うな。ジュロン……これも違う」
えっと、などという少年勇者を見て、女性騎士は朗らかに笑う。
「ジュラスですよ、ジオグラフィカエルヴァドス殿」
「ああ、そうだった。ただな、俺の名前は長いから――」
「わかっています。ジオ殿」
今のは、通行証を持って来なかった貴方への嫌がらせです。騎士である少女は年相応の笑みを少年勇者へと向けていた。




