スープに一味足りないぞ 3
「あー、もう! どうしてこうなった!」
朝一番から馬を走らせることになり、ジュラスは毒づくことを止められなかった。青い鎧が朝日を反射させながら駆ける。
右手側の平原は広大で、その時々に咲く草花たちは季節を感じさせてくれる。焦ってさえいなければ、この騎士も朝日を受けた緑色に心を和ませていたことだろう。残念ながら、短く切り揃えた金髪を風になびかせている現在は、そんな余裕もない。
「勝手はしないと、約束したでしょうよ!」
左に見える背の高い壁が後ろへと流れていく様を見送りながら、ジュラスは半ば泣き言にも似た悪態を吐いていた。記憶が確かならば、あの老人が“一人では出歩かない”そう約束をしたのは昨日の晩のことだった。
思えば、昨晩はあの酒好きが一滴も飲まなかったではないか。改心したのだなーとか、あり得ないことを考えて喜んでいた己が恨めしい。
他国の者が見れば、ただの情けない騎士に見えたかもしれない。しかしピカピカに磨き上げられた青色の鎧、これは彼女が貴族出身であることを示している。レジナス王国では一般に、王族は紫、貴族は青、騎士は黄を身につけることで身分が区別されていた。
魔物との大戦後、荒れた王国を復興させるべく、多くの人や物が王都へと流入した。色による区別は、王都トトリを訪れた人たちが立ち位置を速やかに理解するために自然と生まれたものである。ジュラスが生まれてからの事だそうだが、高い壁もアイリス教の熱心な布教活動も、赤子の時分にあっては記憶に留められない。
没落貴族の末娘であったジュラスとしては、自身が青色を堂々と纏うことに抵抗がある。だが“ルールは守るもんだ”などとあの頑固オヤジが言い続けるのだから、仕方がない。今ではこの鎧もこなれ、すっかり頭のおかしい集団の一員――否、その上から数えた方が早い位置にいるのだから笑えてきてしまう。
笑い話は他にもあるが、ルールを守れと言った当の本人が艶の全くない黒色の鎧なんてものを身に纏っていることが一番性質が悪い。“トトリが復興する前からずっと黒を身につけている、今更変えられん”何度言ってもこう返されてしまうのだから、いい加減彼女も諦めてはいた。
今では、黒色の鎧はアイリス教の騎士のイメージカラーとなっている。尤も、アイリス教の黒騎士たちは顔が映る程にその鎧を磨き込んでいる。そのお陰で、先に身につけていたにも関わらず、何度か黒色の鎧を召し上げられそうにもなっていた。
「貴方が先に選んだ色なんだから、文句を言って来てやる!」
そう勇んだジュラスに、彼は黙って首を横に振っていた。
後から分かったことだが、勇者ギルドが立ち上げられた時に、一度だけ無理を通したらしい。長く仕えているが、この老人がわがままを自分以外の人物に向けたことが素直に驚きであった。しかもそのわがままというものは、誰にも理解の出来ないこだわりだった。
ギルドに属する者のカラーを緑にする――そのことに大反対をしてみせたらしいと、後からトトリのギルド長から聞かされている。それまでも大して文句は言わなかった彼が、色だけには随分とこだわったというのだから、不思議でならない。
(ほんと、どこ行ったんだ……後でドヤされるのは私なんだからな)
色の件であったように、時折理解の及ばないことをあの老人はするのだ。何らかの意味があるに違いないが、その意図に気づくのは大体終わり頃。それまでに仲間ですら右往左往してしまう。秘書のような立ち位置に置いたのはアンタなんだから、頼むから黙って出かけるのは辞めてくれと思う。
それと同時に、誰にも気付かれず戻るつもりも、忘れ物のおかげで戻れないなどという間の抜けたオチすらも見えてくるから腹立たしい。
ついでに言えば、散歩くらいはしていいから、黒い鎧で早朝から出かけることは辞めて欲しい。せめて首都の東側を走ってくれればよいのに、よりによって日影になる西側へあの老人はよく赴いた。艶のない傷だらけの鎧を見つけるのは一苦労どころの話ではない。
「あ、居た!」
今回は馬上からでもよくわかった。鎧こそ光を反射しないでいるが、その持ち主は年季の入った剃髪をしている。壁から少しでも離れてくれさえすれば、輝く頭がすぐに見つかるのだ――流石に本人に言うことは憚られるが。
王都の一般的な入口は西側に設けられているため、もしかしたらと彼女は考えていた。それが的中したことはよかったやら悲しいやら。
何の用があったかは知らないが、こんな早朝から駐屯基地の真反対まで出かけるとは何事か――王都より東の中立地帯を任されている自覚はあるのか、とジュラスは思わず怒鳴りたくもなる。竜人が大人しくしていても、他の魔物がいつ襲ってくるか、それはわかったものではない。
探していた人物を見つけ、焦りこそ引いたが、今度は怒りやら疑問やらが彼女の心に渦巻き始めていた。大した用でなければ、あのハゲ頭をぶん殴ってやるとすら思う程だ。
壁から離れ、大樹の下で何やら人と話し込んでいる老人の元へ馬を急がせた。ただの老人であれば、この女性騎士もここまで苦労せずに済んだ。だが、そこに居る人が、レジナス王国を左右する人物なのだから、ただの冗談では終わらない。
曰く、大戦終結に関わった英雄、勇者ギルド創設の立役者、商才を備えた豪傑――呼び名は実に様々だ。人々はあの手この手で彼の功績を讃えようとしているのだろうが、ジュラスからすれば、そのどれもが俗っぽい表現に思えてしまう。齢六十を越えても武勲を積み上げる彼を讃えるならば、もっとシンプルな方が際立っていい。
彼を讃えて呼ぶならば、こうだ“大英雄ヴァリスナード”今も尚、人々の希望を一身に受け、国にその身を捧げる老人は、華美な装飾や言葉を好まない。彼を評するならば、この表現が一番似合うとジュラスは確信していた。
「あのクソジジィ! 人の気も知らないで、呑気なもん――ああ、そうか」
再び毒づいたものの、すぐにその言葉は呑み込まれた。近づくにつれ、二人の厳つい男が談笑している姿がハッキリと見て取れるるではないか。ようやく、大英雄でありながらこっそりと抜け出した意図というものがわかる――彼は、迎えに行っていたのだ。
黒色の鎧を纏ったヴァリスナードに対面するのは、白衣を身を包んだ男である。一方は顔と言わず鎧の下まで傷だらけの老人、もう一方は傷が全くない中年の男だった。年齢も一世代は異なる、対照的な二人だ。にも関わらず、豪快に笑う二人の顔は相似形のようであった。
話の邪魔をしてはならないと思ったが、馬では音を殺して近づくことも敵わない。ハゲ頭を輝かせ、ヴァリスナードは青い鎧の騎士へ向け、にこやかに手を振っていた。
「その方が、先生のご友人ですか?」
馬から下りて、騎士は主へと声をかけた。ヴァリスナード一人であれば、そのまま挨拶していたところだが、客人を前にしては流石に考えものだ。
黒色の鎧を纏う老人は、イタズラを咎められる子どものような表情で、孫程にも歳の離れたジュラスを見ていた。こんな顔を大英雄がするのだからズルい――孫か娘か、はたまた別の何かか、この老人の前ではついつい騎士としての仮面が剥がされそうになる。
「応とも、大戦時からの友人だ。かれこれ十年振りだろうか……彼が時折話していたモータリアだよ」
宮廷料理人の座を蹴った変わり者のな――この一言で全ての説明が済んだ。剥がれかけていた仮面をかぶり直し、騎士は王国の未来を預ける人物へ頭を垂れる。
「ジュラスだ。儂の秘書であり、ボディーガードであり、娘のような……ふむ、一言では語れん。晩に酒でも飲みながら話そう」
「よろしくな、お譲ちゃん」
厳つい顔に似合わず、柔和な表情で料理人は笑う。その顔に、ジュラスは笑みで返した。ヴァリスナードの友人であれば、無条件でもてなすべき人物になる。横にいる主が「笑顔とは珍しい」などと抜かすものだから、そちらへはキツめの視線を向けることを忘れない。
王都を挙げての料理コンテスト――初めて聞いたときは主も耄碌したかと彼女は思ったものだ。だが、主の友人である料理人を一目見れば、杞憂に過ぎなかったと察する。人を見る目を買われ、ジュラスは大英雄の副官にまで上り詰めてみせたのだ。
ヴァリスナードもまた笑みを浮かべる。モータリアを見た彼女の表情が引き締まることを見逃さなかった。これで、王都に迫る危機も一旦は退けられる。
笑みとは言ったが、歴戦の老兵が浮かべるものは非常に鋭いものがある。このままでは、またよくわからぬ意図とやらに巻き込まれるため、ジュラスは先手を打つことにした。
「ところで先生、朝の散歩にしては随分と長くないですか?」
「ん、何だジュラス――」
老人は言葉を切った。真面目な嫌いがある彼女が二コりと笑うことは珍しい。思わず、こちらは真面目腐った表情を取らざるを得ない。
「何だ、じゃありません。日頃から黙って出歩くなって言ってるでしょうが!」
スパーンと頭が叩かれた。何が起きたかわからなかったが、料理人の男は二三度瞬きをして目の前の出来事を見ていた。少なくとも、ヴァリスナードが頭を叩かれるなどといった光景は友人である彼も目にしたことはない。
見る人が見れば――否、誰もが驚くに違いなかった。それは大英雄にすべき仕打ちではない。
「でもなぁ……」
「言い訳はするな、それは日頃から、先生がご自身で仰っていることでしょ? さっさと帰りますよ」
有無を言わせずに、老人は控えさせていた愛馬へと押し出されてしまった。ぶつくさと口ごもる友人を見ていると、申し訳なく思うが、モータリアには笑みが浮かんでしまう。
「あんた、随分と丸くなったな」
レティアからそうしてもらっていたように、ヴァリスナードの馬へ跨りながら呟く。慌てて迎えに来たから、通行証を忘れた――そのように言う姿も然ることながら、部下にこのようなことをされて笑っていられるなぞ、以前では思いもよらないことだ。
「ま、色々あってな。十年という時は、短いようで永い……お前さんも、そうだろ?」
「違いない」
二度と王都には戻らない。その言葉を発したのは、紛れもないモータリア自身だった。旧友の頼みとは言えど、何故戻って来たかと問われれば、それこそ“色々あった”としか言いようがない。
「ともかく、ジュラスが来てくれてよかった。詳しくは話せないが、少々困ったことになってな」
「……どうせ、通行証を持っていくのを忘れたのでしょうよ。大英雄の癖に、抜けたところがあるんですから」
やれやれといった風に首を振り、騎士は己の馬に跨ると駈け出した。大体、この爺さんがわがままを通すときはこんなものと、振り返ることもしない。
「あの娘が、後継者か」
「わかるか?」
二人は先行する背中を見ながら、ボソボソと語り出す。
「そりゃあ、癖の強いヴァリスナード様の行動をお見通し、その上あんたが頼み事をするなんて、そりゃあ身内以上のもんだろうよ」
「……癖の強さは、お互い様だろうが。んで、そっちの方は後継者が育ったんか?」
ふん、と鼻を鳴らして大英雄は王都へ続く街道を走った。高い壁を越えれば、国を支える大樹までも後少しとなる。
「いやぁ、不徳の致すところだ。俺が気に入っても、着いてきてくれるかは、別だわな――それよりも、お気に入りと言えば、面白い少年がレティアに居てだな……」
三つ編みの少女の姿を思い浮かべたが、ケンカ別れして久しくなる。自分自身、どうしてケンカ別れをせねばならなかったかは、今もわからない。このことは話すことも億劫であったから、王都到着を前にモータリアは、緑色の鎧を着た風変わりな勇者の話を始めていた。
(どうして、こうなったんすかね……)
馬車に揺られ、緊張した面持ちでカンナは流れていく景色を漫然と見送っていた。一行は既に町から離れており、人の往来で踏み固められた地面を馬が踏みしめて行く。
勇者が王都まで護衛をしてくれるというのだから、文句を口にはしない。ただし、この状況はどうしたものか。前方から厭に愉快な声が耳に届く。
「ジオ、あれは何だ! バカみたいにでかいぞ!」
「あー……大樹のことか。キリカは“アイリスの樹”を見るの、初めてか?」
あれが木なのか――少女は興奮冷めやらない様子で、遥か遠くへと視線を注いでいる。一行の先には、木と呼ぶには些かスケールの大きすぎる存在が聳えていた。背の高い建物がない平地にあっては、どうしても目立つ。
「おとぎ話程度には聞いたことがあるぞ?」
吟遊詩人が語る英雄譚、その中には悲劇も含まれている。レジナス王国は、過去に何度も存亡の危機とやらを迎えていた。原因は人であったり魔物であったり、時代によって様々だ。語る人物によっては脚色も加えられているため、真実かどうかは今一つわからない。
だが、幾つもあった危機を、天にも届かんとする大樹の下で乗り切っていたということは共通している。その木がいつからそこにあるかは、吟遊詩人も知らず、ただ語り継がれている――アイリス神がもたらしたとされるこの大樹は、人間種に大きな恩恵を与えたと。
どれ程傷ついても、力強いこの木の下に集まれば、何度でもやり直せる気がしてならない。博愛の神、アイリス神の信仰がレジナス王国で根強い原因の一つでもある。
「そうか、あれがアイリスの樹か。あたしは町を出るのが初めてだから、知らなかったぞ!」
「それは良い経験になったな。旅はいいものだ。知識と実物との違いを教えてくれる」
勇者の語りに、少女が感心の声を上げていた。カンナからすれば、ただの大きな木であるとしか思えなかったが、そのように言われてみれば、ありがたみが感じられる。
御者台の二人が賑やかであったので、ついつい笑みを浮かべるが、視線を目前へ戻すと一気にその心が塞ぎ込み出した――御者台に背を向けて座る人物と目が合ってしまう。
「なんじゃ?」
幼子――に見える魔女が半眼で睨んでくる。成人しているらしいが、どう見ても納得が出来ない。尤も年季の入った言葉遣いや、仰々しくも不機嫌そうな態度は成人を通り越して老婆のそれであるが。キリカよりも年下に見えても、無邪気さや子どもらしさはなさそうだった。
「な、何でもないっす……」
なんとか会話をとも思ったが、この不機嫌な人物とは何を話せばよいかが、まるでわからない。ティアという名の魔女は、カンナに興味がないようで瞳を閉じてしまった。
(どうして、こうなったんすか)
茶髪の料理人は、再度胸中で不平を漏らす。どうしてこうなったと言えば、アビーに性格が暗くなったと言われたのは何故か。自分は昔と変わらないっす、と主張しても一蹴されていた。
馬車内の空気が前方と後方でハッキリ異なるなか、まだしばらくはこの空間で過ごさねばならないのだ。こんなことならば、一人で王都を目指した方がよかったのではないか。いやいや、一人ではそもそも王都を目指す気にもならなかった筈だ。
悩める料理人は癖となった髪いじりをしつつ、再び外を眺めた。王都まではどれ程急いでも一日はかかってしまう。なんとかならないものかと、カンナはあれこれ思考に力を注ぐが、考えることは苦手であることに思い至り、半ば諦めつつあった。
アビーの素直さは好きなのだが、時に強引過ぎる面もあったよなぁ、とお昼のやり取りを思い出す。
カナン亭の食堂スペースに、一同が介していた。お客ならばいざ知らず、こうも人に囲まれて調理するとなると、どうにも緊張してしまう。
これからコンテストに出るのだから、品評してもらいなさい――アビーの発案はいつもの思いつきに過ぎないのだろうが、今回ばかりは的を得ていたと感じられた。
「あー! お父さんめ、火を使えなくしてる……」
意気込んでみた矢先にこれである。アビーが捨てられた子犬のような顔でカンナに謝っているが「でも、カンナなら大丈夫だよね?」などとも言っている。
「そりゃまぁ“炎の料理人”と呼ばれるくらいっすから」
わかっている癖に、と少々無愛想な表情をして、カンナは念じる――瞬間、青い炎が彼女の掌の上で踊り始めた。
「何度見ても、凄いもんだねぇ」
はー、とシシリィが感心の声を上げているが、当人としては何が凄いかもよくわからない。物心ついた頃から当たり前のように出来ているものだ。親がない身としては、これぐらいの芸当が出来ないと食っていくこともままならない。
「あの人、しばらく帰らないみたいだから、好きにやりな!」
調理台に並べられた食材は、シシリィが用意したものだ。とは言え、彼女の台詞にあったように、どう考えても明日以降にカナン亭で使われるものにしか見えない。
シシリィは大らかな雰囲気が目立つが、やはりアビーの母なだけはある。母娘揃って行動力があるというか、無鉄砲なところがあるというか――エプロンを締め直し、カンナは炎を竈へ放り込んだ。不思議なことに、自分が笑っていることにも気付く。
「あの母娘には敵わないっすね……じゃぁ、お言葉に甘えて」
自分の好きな料理でも、と呟いた。好きにしていいと言われても、手から火を出すような自分を怖がらなかったモータリアに迷惑をかけたくはない。気づけば、賄いによく作っていたものを手にする。
それにしても、今集まっている人たちは揃いも揃って変わった人たちなのだと思う。火を出してもまるで驚かない――勇者という存在が規格外だからだろうか。
「考えてても、仕方ないっすね。私は考えることには向かないのだから……」
自分へ言い聞かせたか、食材を幾つか見繕っては、料理人の顔へと戻る。こうして笑ったのはいつ振りか、こうした面持ちで調理するのはいつ振りか。それは永らくなかったように思う。
モータリアの元を飛び出してからも、料理人として生きてきた。もっと美味しいものを、もっともっと美味しいものをと腕を磨いてきたつもりだ。
だが、何処へ行っても自分の求めるものは得られなかった。というのも、美味しい料理というものが何なのか、それがわからなくなったからだ。料理には手間暇がかかるもの――どうせ時間をかけるのであれば、より美味しいものにすべきだ。自分は火を自由に扱える、誰よりも自在に料理がこなせるのだから、もっと素晴らしい料理を作らせてくれ――
そんな言葉をモータリアに向かって言った気もする。だが、王都寄りにある有名店へ入っても、そこにあったのは高級な料理であって、自分の求めた答えは得られなかった。
(そもそも、何で私は料理人を目指したんだっけ? 何かを忘れている気がする……)
忘れている気がするというか、子どもの頃、ある部分の記憶がごっそりと抜け落ちている。どこへ行っても、料理そのものは褒められたが、作っている過程、火を出すことを知られると気味悪がられてしまった。
料理がしたかった筈なのに、作る度に恐れられる。何か大事な物を落っことしている気がしてならない。
「お腹が空いたぞー」
「――おっと、もう出来るっすよ」
キリカと言ったか、赤い髪の少女の素直な言葉で、カンナは目を開いた。寝ていた訳ではないが、かなりぼんやりとしていたことは確かだ。
速やかに火を止めて、アビーを呼んでは盛りつけと配膳を手伝わせた。テーブルの上に料理が並べられると、一同はそれらを口に運び、感想を言葉にする。
パンの切れ端を放り込んだミートソースのグラタンと、枝豆の炒め物――特に変わり映えのしないものであるが、昼食にはいいだろう。
ここのところ有名店を渡り歩いていたが、どこもシェフ以外に長年勤めている料理人がずらっと並ぶ。男性ばかりの縦社会に割って入ろうとしても、火の加護を隠した状態でのカンナでは、大した料理も作らせてもらえない。厨房に籠り切りで、客の顔など見た覚えなどなかった。
「旨い! 旨いぞ、姉ちゃん!」
キリカが素直喜んでくれたこと、それはとても新鮮だった。軽薄そうな手足の長い男も喜んでいたし、シシリィがにこやかだったことも、キリカにとっては嬉しいことだった。
当初の目的は、コーディーが売りさばく不思議な薬であったのだが、それも忘れそうになった程だ。人が元気になる薬、そこに何かヒントをと思いもしたが、やはり料理人は料理で勝負するしかない。
作ることで人が喜んでくれる、そんなことは当たり前なのだ。悲しいかな、喜んでいる顔を見ておらねば忘れてしまうものらしい。まぁ、美味しいからと言って、この程度の料理で涙を流す人物はどうかと思うが。
「なんじゃ?」
再び、馬車の後部で目つきの悪い魔女と視線が合った。どうしてこうなった――というのはいい加減飽き飽きするところだ。
「ああ、いやその、私が怖くないんすか?」
思い出すだに、勇者たちは全く恐れずにいる。カナン亭を飛び出してからは、怖がられることの方が多かったように思う。だからこそ、こうして不機嫌さをストレートにぶつけてくるティアとは、少し話をしたいとも思った。
ひっそりと料理を続けることにしていたが、火の加護を使うことが当たり前過ぎて、今更それなしではどう料理したらよいかもわからないでいる。
「火のことか……まぁ、アイリス神にはない加護よな」
んで、それが何か? と言った風にティアは眠そうな視線を向けてくる。
「怖く、ないんすか?」
「怖いことがある訳なかろう。理由はどうあれ、それぞれが信奉する神から授けられた力なんじゃから」
何なら、私の加護のがヌシの加護より厄介ぞ。と黒衣に身を包む人物が言えば、それが本気か冗談かは一料理人には区別がつかない。
「むしろ、加護っていうのは自分の可能性を広げてくれるもんでな。それとどう向き合うかじゃろうな……私にしてみれば、そんだけ旨い飯が作れる腕前の方が脅威に思えるもんじゃて」
「あー、えっと――」
「気にせんでくれ。久々に会った幼馴染みが私のことを忘れているとか、料理一つで見ず知らずの女に求婚めいたことするとか……ちょっと拗ねておるだけじゃ」
すまんな、と溢す魔女は背中を丸めて項垂れる。そこには威厳というものがなく、歳相応の女の子らしさがあった――やや達観し過ぎている感もあるが。
“旨い。嫁に来てくれ!”
料理を口にした途端、涙を流しながら勇者が恐ろしい言葉を放っていた。直後に「料理が旨すぎて、つい」と謝っていたが、ティアという少女が今話していたことを思えば、何とも複雑な心境にもなる。
脊髄反射で「え、嫌っす!」と断った私も私だが、見ず知らずの女をいきなり口説き出す勇者も勇者だ――それはともかくとして、このやり取りの後から、ティアは非常に機嫌を悪くしてしまっていた。
拗ねているだけ、と本人が言っているので、つっかかってくることはないだろうが、もう少し彼女とは話がしたい。アイリス神以外の加護を使う者は希少であるし、まして魔法が使える人物になどはこの先出会える気がしない。
「あの、ティア――さん、その話をしても、いいっすか?」
「さっきから、なんじゃ? と私は用件を尋ねておろうよ。それに、人様のニックネームを図々しくも呼んでおるんじゃから、今更遠慮はいらんじゃろうよ」
あ、と思う。
勇者が自然に呼んでいたため、同じようにしてしまったとカンナは反省する。それでも見た目幼い相手にさん付けを忘れなかったことは、褒められてもよいのではないか。
己を自賛する、妙な余裕があることを確認して、カンナは髪をいじる手を止めた。ついでに白衣の袖を捲くる――そもそも、考えることは苦手なのだから、こうなったら喋るのみだ。
「あ、あの――」
「フラティラリア。それが私の名前。エル程ではないが、長いからティアでよい」
「ティアさんと呼ばせてもらうっすね。私のことは、カンナと……私にはニックネームらしいものが、なかったっす」
構わんと答えるティアは、どこか面倒そうな雰囲気はあるが、会話が出来るように思えた。名前の交換はいいもんだぞ――かつてモータリアが言っていた事柄を思い出し、ここぞとばかりにカンナは畳みかける。
「ユリの名前っすね。私も、母が好きだったお花から取られてるんすよ!」
「ほう。そうか、お前も花から名前を……」
だからブラックサレナって通り名なんすね、と返せば、ティアは先程よりも柔らかな表情を見せていた。その笑顔は同性から見ても可愛らしいもので、思わず目的以上に彼女と親密になりたいと思ってしまった。男社会に喰らいついていこうとしていたものだから、このような愛らしい顔を見たのはいつ振りか。
「お、二人は仲直りしたのか?」
後部の雰囲気が変わったことを察したか、首を後ろに向けて、ジオ少年はにこやかに笑う。
「は? 元から悪くもないわ。前向いて馬を走らせてろ」
直後、ティアから笑みが消えた。何と喩えたものか、ゴブリンが人間に向けるような――問答無用の殺気を放っている。
傍から見ているカンナには、何故怒られているかわからない勇者の様子、もういいから黙っておこうと言うキリカの様子もバッチリ見えていた。
納得がいかなかったのか、ジオはまだ後ろを振り返ろうとしている。
(誰でもいいから、あの少年を止めて欲しいっす)
再び、馬車が険悪に包まれるのではないかと、カンナは頭を抱えた。
「……すまんな、カンナ」
再び重苦しい雰囲気になるのではないかと思われたなか、ぼそりと言葉が届けられた。小さな声は、御者台に聞こえさせないためか。茶髪の料理人は、魔女の隣まで移動する。
「子どもの頃の話になるがな、あいつに料理作ってやったんだよ」
「はい。それで?」
「それで、っていうか、エルのやつ旨いとも言わなんだ。そいでな、お前さんの料理を食べて手放しで喜んだものじゃろ? 私としては複雑な心境でなぁ……まぁ、取り敢えずお前さんのことは気にしておらんのでな。気に障ったら、謝る」
「うーん、何と言ったらいいっすかね」
苦い表情をしながら語るティアを見ていると、不謹慎にも可愛いと思えてしまう自分がいた。だが、御者台にいるのは、思わずで求婚してしまうような人なのだから、この少女が報われないとも思う。
「もう一度、料理作ってあげればいいんじゃないっすか、ジオさんに――いや、エルさん?……どっちで呼べば」
「料理なぁ、私は魔法以外は能がないからなぁ。ところで呼び方については、私は気にしとらんので、本人に聞くとよいぞ。ただ――」
エルと呼んでおるのは、あれの母親と私だけだぞ、と小さな魔女は睨む。
(めちゃくちゃ気にしてるじゃないっすか)
そう思わないでもないが、それ以上カンナは突っ込むことはなかった。
鈍感な勇者のお陰で馬車の中は多少殺気だっているが、魔女に嫌われている訳でもないこともわかった。王都へ向かう道中、料理への情熱を取り戻すヒントが得られれば、と期待せざるを得ない。
むしろ彼女にとっては、到着してからのコンテストが本番なのだ。レティアの人々を元気にした不思議な薬についても、邪道かもしれないが尋ねよう――自分の料理に行き詰っていたカンナであったが、久々にやりがいを覚えつつあった。




