無名の勇者がやってきた 5
カナン亭は本日も賑わっている。昼食代と考えると高くつくが味を考えると安いくらいだ、とは訪れた人たちの感想である。
店が繁盛していること、この味が受け入れられていることをモータリアは厳つい顔には出さないが喜んでいた。もっとも、昼間に客が多すぎて宿屋の利用客の少なさが目立つと娘に怒られてしまうこともあるので、痛し痒しというところでもあった。
それにしても、準備中の札を出していながら客がやってくるのはどうしたものか。娘に怒られるとわかりながら、店主は大目に見ることにした。何せ町の英雄を無下にする訳にもいかない。
「ラザロ、準備中と書いてあったろ?」
「そう言ってくれるな。今日はカナン亭の客じゃない。さっきも言ったとおり、そこの兄ちゃんに用があるんだ」
「……何だ、機嫌が良さそうだな」
赤髪の男の返答に、モータリアは眉を下げた。字が読めない彼への厭味であったのだが、愉快げな表情を浮かべられ、すっかり毒気を抜かれてしまった。旧知の仲であっても、ラザロがこのような顔を見せることは稀であった。
「なんか強そうな人だな。オッサンよりも強いんじゃないか?」
「いやいや、私より強い人など幾らでも。しかしあの御仁、何処かで見かけた気がするのですなぁ」
勇者とオッサンは呑気に紅茶を啜っているが、横にいるラフィーネは気が気ではない。彼女の気持ちを代弁するならば、町の英雄に向かって何言ってんだあんたら? である。
レティアで拳奴ラザロを知らない者はモグリだ。ゴブリンやオークなどの魔物同士の醜い争いを眺める、それが一般的な闘技場というものだ。しかし、ここレティアは異なる。魔物を凌駕する人間同士の闘争が見られることで評判であり、その立役者がこのラザロなのだ。
その英雄が現れたばかりの少年勇者に用があると言うのだから、ラフィーネとしては気になって仕方がない。彼女の様子などおかまいなしに、ラザロは顎の辺りを掻きながら用件に戻る。
「えーっと、どこまで喋ったっけかな。そこの兄ちゃん、てのは勇者に向けて失礼な話だが……生憎とあんたの名前がわからない」
俺はラザロだ。そのように名乗られれば、緑の勇者は席から立ち上がる。あまりに美味しい食事であったのでもうしばしは余韻に浸っていたかったが、振り切るようにした彼の姿は勇者然としていた。
「ジオです。ネギの勇者として、各地を回っています」
「ほう、ネギの勇者、か」
どちらも中肉中背だが、上背はジオの方が高い。ラザロは名乗った勇者を観察していた。そして間もなく、いつもの無表情に戻ると一つ提案を始めた。
「娘を守ってくれた礼をと思ったがー、気が変わった。俺と、一つ手合せしてくれないか?」
「ちょっと、ラザロさん!」
ネギの勇者の案内役を頼まれていたラフィーネが割って入るものの、拳奴の男はグローブの調子を気にするだけで、全く聞く耳を持たない。黄金剣士との問題も解決していない中で、これ以上の面倒事は真っ平ご免なのだが。ラザロが聞かないなら、この世間知らずの坊ちゃんには教えてやらねばならないか、と一歩前へ躍り出る。
「ジオさん、貴方は神に誓って人間と争わないんですよね?」
「いや? そんなことはないですよ。あの人と拳を合わせても、大丈夫じゃないかな、うん。ルファイド神は案外てきと――もとい、寛容なので」
なぁ、オッサンと視線を横へ投げると、従者は黙って頷いてみせる。二人のやり取りもそこそこ見慣れてきた彼女であったが、少々引っかかる面があった。
(……まるで神を見てきたように言うのね)
敬虔な者、選ばれた者へ与えられる加護を考えれば、神の存在は確かだ。奇跡というものは目にしていても、当の神を見たという話はまるで聞いたこともない。それこそ、神への偏狂的な願いや理想を語る者はいるが、この少年のそれは知り合いの癖を語るような口ぶりであった。
何とも不思議な感覚であったが、アイリス教よりも神の存在が彼らに近いからであろうかと、ラフィーネは半ば強引に納得してみせた。
「兄ちゃんら、やるなら外でやれよ」
集まった人がどうこうよりも店が気になるらしい。モータリアはぶっきらぼうに言い放ち、再び厨房へと戻っていった。他に反対してくれる人はいないかとラフィーネが店内を見回すも、給仕係のおばちゃんは不自然に片付いているテーブルを拭き始めている。彼女以外に、この場に反対する人物などいなかったという訳だ。
「おっちゃん、ごちそうさま!」
代金を払う従者を置いて、少年勇者は一足先に店の外へと向かう。腹が満たされ随分とご機嫌であるが、その表情はまるでこれから争う人物の姿には見えない。ギルドの時にはあれ程闘いを避けようとした少年が、何故これ程嬉しそうなのか。はっきり言ってラフィーネにはわからなかった。
カナン亭が面する大通りから二つも通りを外れれば、人の気配は急に少なくなる。田舎暮らしのジオからすれば、何とも珍妙な光景である。石造りの建物なんて立派なものだろうと思っていたら、ここは不良住宅の密集地であるという。故郷では考えられない贅沢さだった。
「メインの通りは観光で賑わっているが、こっちはただの寝床だ。動けるヤツは日中働く、老若男女問わずな」
赤毛の男が言うには、病人以外は出払っているとのことであった。その声音は、店で勇者へ呼びかけた時とはまた様子が異なる。否、これが元来のラザロの姿なのだろうと少年勇者は理解した。
「さて……ここらでよかろうか」
男は足を止めると、腕を広げて振り返る。人が往来出来るスペースは十分にあるが、三方がぐるりと建物に囲まれた空間に一行は立っていた。カナン亭の前とは異なり、地面は何の舗装もされていない。ただ、見上げれば映える空の青が切り取られたこの空間は悪くない。ジオは右の拳を固く握り締めながら、口元に笑みを浮かべていた。
「行くぞ」
ラザロが短く発したそれが、開戦の合図であった。姿勢を低くして寄る相手へ、右の拳を振り抜くことで応戦する。
「お――」
思わず間の抜けた声をジオは上げてしまった。直進してくるラザロへ放たれた拳は空を切り、感触がない。
「こっちだ」
声は左側から聞こえてきた。咄嗟に腕を伸ばすと、赤髪の男が放った拳が掌に収まっていた。掴みこそしたものの、この男の動きは止まらない。拳を握られたまま飛びつき、両の足でジオの腕を取る。
「さぁ、どうする?」
足は肘の位置で交差されており、足首はネギの勇者の首にかかっている。このまま体重をかければ、少年の細い腕など、育ちの悪い長ネギのようにへし折れてしまう。
「止めた方がいいんじゃないの?」
緑の勇者が歯を食いしばって耐えている。町の英雄相手によく粘っているとは思うが、こうなったら素直に降参した方が賢明だ。ラフィーネは隣で仁王立ちしているオッサンへと話しかけるが、その表情に変化はなかった。
勇者なら大丈夫だ。その言葉に反応するかのように、少年が動く。
「じゃぁ、こうする!」
「――っ!?」
ラザロの頭は地面に傾くことなく、平行を保っていた。単純明解、腕力に物を言わせてジオは相手ごと腕を振るった。
「驚いたな」
その言葉はどちらが発したものだったか。壁へ相手を叩きつける、ジオにそのつもりはなかったが、力だけで技を返されたことに相手の男は目を丸くしていた。一方で、瞬時に技を解き、壁を蹴りながら移動する技を見せたラザロへ、少年も驚きを隠せないでいた。
名の売れていない勇者は、旅の中で人間にもケンカを売られることがある。そのため、彼は従者からそれなりに対人戦は叩き込まれていた。投げ技や関節技など、人を殺さずに圧倒する術を半裸の男はよく磨いていた。今のラザロが見せたものも、以前に身をもって味わっている。あの時は本当に腕が折れるのではないかと思った程だ。
「うーん、オッサンなら吹っ飛んでたのになぁ……」
自由になった左手を閉じたり開いたりとしながら、ジオは相手を見定める。技が極まったにも関わらず、不利と判断するや解くなど、ラザロは手練れであるとしっかり認めた。それとともに、黄金剣士を前にしても抱くことのなかった高揚感を、ハッキリと自覚する。この男は強い。純粋な身のこなしや体技であれば、自分以上かもしれない。そのように思うとワクワクしてきてしまう。
「胸を借りるくらいのつもりで行くかっ」
地面に降り立ったところを狙い、少年勇者は踏み込みながら右の拳を打ち放つ。今度こそ、真正面に捉えた人物の胸へとめり込む筈であった。だが、彼が思ったとおり、事はそう簡単には進まない。
「闘神の加護というのは、凄まじいものだな」
拳をグローブで受け止めた際に、ラザロの身体は浮き上がっていた。それでも冷静さを欠くことなく、感想を漏らす余裕が見られる。
「もう一発!」
腕を引くとともに、相手へ密着せんとばかりに踏み込む。左の足は相手の股下へと潜り、逃げ場は失われる。これといった工夫もないが、上半身を捻り打ち出された右手は、下手な魔法よりも威力がある。
ジオには技らしい技がない。受けた加護と弛まぬ訓練のおかげで、ただの右ストレートが必殺の一撃となるからだ。そして、これまでの彼は魔物を屠る力を磨くことに注力し続けてきた。結果、魔物相手であっても、ほぼ一撃で片が付いてしまう。
「凄い、凄いな、ラザロのおっちゃん!」
一撃で片付かない、そのことにジオは感嘆の声を上げていた。逃げ場がないと思われていたが、正面から男は拳を受け止めていた。グローブにクッション性は多少あるものの、止めたのは純粋な技量だ。
「俺の体格では、これくらい出来ないと魔物なんか相手には出来ないからな」
少しばかりラザロの言葉に熱が入る。ネギの勇者という名を聞いた時から、この少年が闘神の加護を受けた人物であるとわかっていた。背丈はさして変わらない、年は幾分も離れている。だが勇者としてこれ程の力が発揮できることに、そんな勇者に己が称賛されることに、ここ数年忘れかけていた闘うことへの喜びを思い出していた。
「思い出しました。あのラザロという御仁、過去にギルドで見かけたことがございましたぞ」
二人のやり取りを少し離れたところで見ていたオッサンが呟く。その頃の面影がかなり薄れてしまっていたが、特徴的な赤髪と飛ぶように駆ける機敏な動きは、かつての姿と符合する。
「嘘、私ギルドには長く勤めているけど、そんな話聞いたこともないわよ?」
「えーっと、確かロッカのギルドで見かけたと思うのですが……」
唸るオッサンを見ていると、ラフィーネは頭痛がしてくるようであった。それこそ、ロッカなどという町名など聞いた覚えがない。
「まぁ、二十年以上前の話ですからな」
はっはっは、と豪快に笑っている彼の姿は、嘘をついているようには思えない。だが、それでもラフィーネにしてみれば信じがたい話であった。二十年以上前のギルドのことを知っているだとか、この男は一体幾つなのだろうか。
「何というか……その、楽しいぞ!」
興奮を隠せず、ネギの勇者は言葉にしていた。彼はいつでも本気のつもりでいる。しかし全力を出す機会には恵まれなかった。己の力は魔物を退けるためのもの――そのように思っていたのだから、護るべき人間相手に全力を出すことはない。それが今、全力で闘えている。これを何と表現したものか。
あれから何度も拳を放ったが、決定打にまるで繋がらなかった。ある時は打つ前から避けられ、ある時は打った後から捌かれる。初手こそ関節技を狙ってきたラザロであったが、その後はジオに合わせるかのように打撃の打ち合いに応じていた。流石にベタ足のまま打ち合うような戦闘スタイルまでは真似てこなかったが、壁を蹴って飛び回る姿は吟遊詩人の歌うある勇者を彷彿とさせる。
「勇者様にそう言ってもらえるのは、光栄だな」
ふぅ、と息を吐きながらラザロは応える。町の英雄としての力を十分に見せつけていたが、年齢には勝てないか。最盛期を過ぎたにも関わらず、現役の勇者を相手にここまでやれたことは称賛に値する。にも関わらず、彼の表情は段々と醒めたものへと変わっていた。
まだまだ自分は闘える。そのように思う程に、今の状況が苦々しく感じられてくるのだ。町の英雄と言えども、完璧ではない。闘技場で名を馳せはしたが、頂点には立てていないのだ。
「本当はあんた、魔法も使えるんだろ? 本気を出されてたら、俺はすぐに負けていたさ」
この少年もひょっとしたら自分に手心を加えているのかもしれない。かような想いに、ついらしからぬ台詞を吐いてしまう。
「魔法? 闘技場でも、使っていいのか?」
「お前さん、こちらのルールに合わせていたのか……変わった奴だな」
言っても仕方のないことだと思い込んでいたが、案外なんということもなかった。思わず、ラザロは小さくだが吹き出していた。元々は娘を助けてもらったことへの礼とばかりに、闘技場での戦いを披露することが目的だった。だが、まさかその相手が自分に合わせているとは――バカ正直というか、バカそのものというか。
「ようし、流石に疲れたから、これで最後だ。とっておきを見せてやるよ」
町の英雄として、再び闘志を燃やす。瞬間、これまで見せていなかった加護の幾つかが呼び起される。正真正銘、本気の技を見せる。半ば意地になってもいた。
「おっちゃん、今度こそ倒してやるからな!」
殺意はないが、やる気は十分にジオは応える。ここまで今回の闘いは本当に勉強になった。人間相手に拳を真っ直ぐ放っていても、避けられてしまう。当たり前のことだが、人を殺しかねないこの拳を、思う存分人へと放てたことはこれが初めてであった。後は、闘技場で黄金剣士を前にした時、それこそ殴りながら考えようものだ。
「行くぞ」
開始時と同じく、短く発してラザロは飛び出した。殴り合いに合わせていた時とは違う、低い姿勢での突進だ。ジオは拳をどう扱うかで一瞬ばかり躊躇する。このまま振り抜いたところで空振りは必至。真っ直ぐに膝元を狙ってくるなど、魔物を相手にしてきた時には味わったことのない戦法であった。真っ直ぐ打っても当たらないなら、違う方法で対処するしかない。
「ふんっ!」
相手の指が膝に触れる直前、ジオは拳を地面に叩きつけることで対応する。迷うことなく振り切られたものは、手甲の跡を大きく地面へ残していた。衝撃と音は大きく、舞い上がった砂煙に驚くラフィーネが尻もちをつきかける程であった。
「勇者様っ」
華奢な彼女を支えながら、オッサンは声を張る。彼の主が放った拳はラザロを捉えていない。本人は既に別の位置へと回り込んでいることが、外野からはよく見えていた。
「お――」
これまた開幕同様に抜けた声を上げてしまう。浮遊感を伴い、四角く切り取られた空を視界に収めていた。続き、脇腹付近に衝撃を覚えれば、民家の壁にぶつかるまで吹き飛ばされていた。
「こういう技も、あるって……ことだ」
膝に手を当て、ラザロは息咳を切る。むくりと起き上がった少年が、また嬉しそうな顔で彼を見ているとわかれば、自分が勝ったとはとても言えたものではない。
「おっちゃん、またやろうな!」
勇者の言葉に応と言ったものの、身体にガタがきていると町の英雄は自覚する。そろそろ引退を考えている身ではあるが、役に立てたのならば嬉しい限りだ。人間相手であればこんな奇策もあると、バカ正直な少年がわかってくれれば、娘を救ってくれた恩返しになるのではないかとも思えた。




