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BLOODY CHAIN Ⅱ  作者:
第一章 死にたがりの死神
12/12

11 孤独を守る者

ジュリア:マダリア王国聖騎士。(石頭)

サント:黒衣の異邦人。(根暗)

リリア:マダリア王国王女。(乙女)

ドリス:マダリア王国聖騎士。(敏感)

 ジュリアが火の番に戻ったのを確認して、サントはそっと目を閉じた。

(まずいな)

 自分の内側でざわめく力に、満月が近いことを知る。

 木々に覆われた森の中では月の姿を探すことは難しく、ここ最近の天候では森の外に出ても円い光を確認することはできなかったかもしれない。

 それでもサントには分かった。

 刻一刻、じりじりと内側から目覚めようとするものがある。

 ゆっくりと呼吸をする。

 手を胎児のように握り、鼻から吸った息を肺にとどめ、そして口からゆっくりと吐く。

 ゆっくりゆっくり。

 吸って、

 とどめて、

 吐いて、

 吸って、

 とどめて、

 吐いて、

 吸って、

 とどめて、

 吐いて――。

 何回、何十回、何百回、何千回と、ただ繰り返す。

 全身を巡る血の流れと気の流れに意識を凝らし、それを己の支配下に置く。

 背骨から頭蓋骨の中心に、そして身体全体を通って、へその下に。

 滞りなく全身に気を運び循環させる。

 己の内側に潜在している力に意識を集中し、気を収め、気を閉じる。

 乱れてはいけない。

 身体から余分な力を全て抜き取り、心をあるべき場所に収め、均衡を保つ。

 先程まで己を支配していた感情にまで手を伸ばし、それをほぐし、ならす。

 囚われるな。

 考えるだけ無駄なのだ。

 結局全ては己の器の内に収めるしかない。

 それならば、何度も何度も痛みを与えて、抗体を作ればいい。

 感覚を麻痺させて、神経を鈍化させていく。

 痛みに慣れ、何も感じなくなるまで。

 数分前にまでさかのぼり、サントは己の心をなぞっていった。


†††


 短刀と笛を預け、炎の側から離れたサントはそっと息を吸い込んだ。

 肌身離さず持っていた物を他人の手に委ねることに抵抗を覚えなかったわけではない。だがああでもしないと、あの顔に似合わず堅忍不抜(けんにんふばつ)を座右の銘にでもしてそうな堅苦しい男は、自分に付き添うことも辞さなかっただろう。

 だが、サントは無性に独りになりたかった。

 他人と常に同じ空間にいることは、サントにとって他人(ヒト)が思う以上に精神的抑圧が大きい。行動を共にすると決めはしたものの、自分でも予想以上に負荷がかかっていたらしい。城にいた頃は王の配慮があってか、始終誰かが付き添っていることなどなかったのだ。あったとしてもそれは最初のうちだけだった。

 サントは顔を上げると、ゆっくりと深呼吸した。

(……嫌われてしまったな)

 分かってはいたが、それで心が安らぐわけでもない。いちいち傷ついていたらきりがないと分かっているのに、己の弱さに反吐が出そうだ。化け物の分際で一丁前に傷つく自分がうとましい。

 彼女もきっと、自分と共にいることは苦痛だろう。手を打ち払った後、自らの取った行動に傷ついた顔をしていた。

 幼く柔らかな王女の心が、自分などのために変形してしまったらと思うと、心苦しくて仕方なかった。あの夢のような場所で、傷つけられることも、傷つけることも知らず、皆に愛され、笑っていて欲しいのだ。――父親の隣で。

 それが、自分がかつて見た夢だった。

 〝サント〟などと名乗る前、往生際悪く自分の名前にしがみついていた頃の。

 初めて露台の影から王の姿を垣間見た時を思い出す。

 あの時の高揚感が、今サントには苦々しかった。

 会うべきではないという警告は常に身のうちにあった。それでもそれを無視して、自分の感情を優先させた。

 もっと近づきたい、あの人の声を聞きたい、動き冗談を言う姿を目に焼き付けておきたい――。

 その昔求めて止まなかった存在を目の前にして、あの時正直泣きたくなった。それできっと乱れた気の存在を、王は逃しはしなかったのだろう。

(無様だな)

 己の感情一つ統制できなかった。

 そんな自分を、サントは心底から嫌悪し、侮蔑する。

 昔は手を伸ばせば届くと思っていた。

 遠くかすむその影に必死に手を伸ばして、空をつかむ。

 あの(ヒト)がいつも眺めていた下界の景色を、掌中に収めようとするように。

 そんなふうに何気なく虚空に向って手を伸ばすのが日課になっていたのは、いつからだっただろう。

 伸ばした手の平で隠れてしまうほど小さかった夢の都は、大きく活気に溢れた街だった。

 目の前に立ちはだかる城を目にした時の、言いようのない疎外感が今なら分かる。

 浅はかな期待をしていた自分を認めないわけにはいかなかった。

 唾棄すべきことに自分は浅ましい夢を抱いていたのだ。贖えない罪を背負う身でありながら。

 毎日毎日、あの(ヒト)の代わりに手を伸ばし続けてきたその行為が、想いを育てる結果になった。

 自分に向って微笑みかけてくれるその姿を、何度も想像した。

 優しく声をかけて、抱きしめてくれる。

 そんな資格が己には微塵もないと分かりきっていても、夢を見るのは止められなかった。

 頭の中で描く王の姿は、自分だけのもの。

 けれど、現実はあの人がどれだけ自分と遠い存在かを、如実に知らしめる。

 自覚してしまえば、言いようのない寂しさが胸を襲った。

 伸ばした手の平で隠れしまうほど遠く小さかった夢の世界は、現実では見上げるほどに大きく、そして余人には手が届かない境地にあることを痛いほどに知らしめた。

 現実になったとたん、夢は夢ではありえない。

 なんのことはない。自分の都合のいいように空想を膨らませる特権は、遠いところで現実を知らない者だからこそ与えられているのだ。

 近づけば近づいただけ、遠くなっていく。

 夢と現実の狭間で、いつしか身動きが取れなくなることを恐れた。

 名前を名乗らなかったのは、それでも強引に夢を現実にさせたいと望んだかもしれない、己の心に対する予防線だったのかもしれない。

 名前は存在を縛るものだ。

 あの(ヒト)が自分につけてくれた、自分の生を形づける証。

 呼ばれなくなってしまった名に、それでもあの頃の自分はすがっていた。

 あの(ヒト)に望まれる自分でありたかった。

 もう一度呼んでくれることを夢見ていたけれど、その夢は叶うことなく朽ち果てた。

 だからもう一つの夢を追ってこの国にやって来たのだ。決して名乗りはしまいと、心に決めて。

 故郷を去り、二度と戻らないと誓った日に、自分の名を呼んでくれる人間はいなくなった。

 一番呼んで欲しい人に二度と呼ばれることのなくなった名前に、どんな意味があるだろう。

 〝どこにもいない〟〝だれでもない〟〝なにももたない〟〝名なし〟。

 それが今の自分だ。

 〝サント〟と人に呼ばれる度、鈍く傷つく自分を確かめ嘲笑しながら、自分で自分を戒めて、誰にとっても〝誰でもない者〟になることを望んだ。

 だから、人と寝食を共にし、好意であれ悪意であれ、自分に向けられる感情にさらされ、存在を認識されることが苦痛なのだ。

 後どのくらいこの不安定な旅は続くのだろう。

 まだ三日目にして、サントは既に辟易していた。

 決して顔を合わせようとしない王女も、かいがいしく彼女に教授する金髪の騎士も、気を使ってか一番自分に話しかけてくる黒髪の騎士も、――内実で皆が皆自分という存在に敏感になっていることが分かって、時折窒息しそうなほどの恐怖に襲われた。

 黒衣で覆い隠した己の本性を暴かれることを、恐れている。

 夜に包まれた真っ暗な森の中、独りでこうしてたたずんでいるほうがはるかに楽に呼吸ができるだなんて、いつから自分がこんなふうになってしまったのか、サントは覚えていない。

 悲しくて、苦しくて、怖くて、寂しくて、独りでなんかいられなかった幼い自分は、もう遠すぎて思い出すこともできない。

 それでも、記憶がさかのぼろうとするのは、ここがきっと故郷の森と似ているからだ。

 匂いも、肌触りも、色彩も、音も、味覚さえ――。

 あの(ヒト)の声がどこからか聞こえてくるのではないかと、耳を澄まし、次の瞬間、幼かった自分の幸せを辿ることを、全力で食い止める。

 いつも笑顔で自分を迎えてくれたあの(ヒト)が、その笑顔の裏でずっと不安を押し殺していたことに、自分は気づかなかった。

 愛されることは当然で、あの人の愛を疑ったことなど一度としてなく、それがずっと続いていくものだと信じていた。

 時折遠くを見て寂しげに笑むその(ヒト)の影を取り除きたいと思っていたのに、自分が彼女に与えたのはまっくろの〝絶望〟で。

 彼女の〝希望〟になると誓ったこの身は、その存在こそが、あの(ヒト)にとっての〝闇〟だった。

 この身があの人の健やかな心を損なうと知って、自ら刃物を手にした回数は一度や二度ではない。

 それでも死に切れず、あの人のいるあの場所を離れることもできなかった自分はなんて……、


†††


 サントは導引(どういん)を続けながら、そっと閉ざしていた目を見開く。

 目に映る光景を認識する前に、目に見えない薄い膜を張る。

 それは自分を守るための盾であり、自分から自分以外の者を守るための盾だ。

 死ぬ事でしか、罪垢(ざいく)を落とせない身の上の自分には、他者と()する資格がない。

 故郷を捨てた時に、独りで歩いていくことを決めていた。

 それなのに。

 今の状況に暗澹(あんたん)とした気持ちになる。

 後数日、自分は耐えられるだろうか。

 一刻も早く独りになることを、サントは願わずにはいられなかった。






 森に入ってから七日目。

 リリアが同行することによる多少のペースダウンは否めないが、まぁ順調の範囲内だ。

「ようやっと明日には着くかね」

 地図を広げて現在地を確認していたドリスに、ジュリアと一緒に薪拾いから帰って来たリリアは声を荒げた。

「ちょっと、ドリス! さぼってないで火をおこすの手伝って!」

「姫様、お早いお帰りで。何か収穫はありました?」

「見て! 今日はきのこを見つけたの。焼いて食べれるかしら。それとも煮込む?」

「マリル茸ですか。じゃあ、今日はきのこと獣肉(ししにく)汁物(スープ)にでもしましょうか」

 自分の煙草に火をつけるついでに、火口(ほくち)に火を移し、枯葉や枯れ枝の中に突っ込んだ。

 ジュリアと協力していそいそと少し早めの夕食に取り掛かるリリアを見ながら、ドリスは煙草をふかす。

 大したものだ。慣れない生活に弱音を吐くこともなく、憔悴した様子も見せない。

 一日の大半を移動に費やし、疲れが溜まっていないわけではないだろうに、夜しっかり熟睡できているせいか、王女の元気がかすむことはなかった。まぁ、ジュリアと一緒にいる時の彼女を見た限り、恋する乙女の地力(パワー)が遺憾なく発揮されているようだ。

 好きな男と四六時中一緒にいられるのなら多少の苦労も厭わない、それが女の(さが)だという。ただの憧れや幻想ではなく、本気でジュリアにほの字らしいリリアに、「まったくどうするんだか」とドリスは相棒を見る。まぁ、城を飛び出して追っかけてくる時点で、そんなことは分かっていたのだが。当の本人が分かっていないのでは、救われない。

 その時、かすかな気配と下草を踏みしめる音をとらえて、ドリスは背後を振り返った。黒衣の人物を認め、口を開く。

「よぉ、もうすぐ飯、」

「必要ない」

 ドリスが全て言い切る前に切り捨てると、サントは一人炎の明かりから離れた。木の根元に腰を下ろすと、片膝を抱いて静止した。まるで初めから樹の一部だったかのように、身じろぎ一つしない。

 いつ、どこで、どうやって腹を満たしているのかは知らないが、サントが皆と一緒に焚き火を囲むことはなかった。時折ふらりといなくなるので、どこぞで木の実でも食べているのかもしれない。

 最初は一人でいなくなるサントに難色を示していたジュリアも、最近ではその行動に目をつぶるようになっていた。実際、森の民に会うまではサントも身動き取れないはずなのだ。そこまでめくじらを立てる必要はあるまいとドリスは思っていたが、王の聖令を受けていつになくカッチカチの石頭になっていたジュリアが許容したのには、正直驚いた。

 だが、どうも変だ。

 一歩身を引いて、サントを見るジュリアの視線が、今までと少し異なっているように感じられる。

 サントもだ。

 元から和気藹々(わきあいあい)と旅路を同じくするような人間じゃなかったが、最近になって一層それに拍車がかかっているようで、どこかぴりぴりしている。できるだけ話しかけるようにしていたドリスにもけんもほろろの対応で、全身で〝近寄るな〟というオーラを放っていた。

 ただ静かにそこにいるだけで、ぴんと空気が張り詰める。

 先程まで生き生きとしていたリリアまでも若干硬くなり、ここ数日の一行は少しぎくしゃくしていた。

 ドリスははぁと溜息をつく。

「一応、予定では明日には目的地に着く。その心積もりでいてくれ」

 森の民と合流することで、少しでもこの微妙な空気が変わってくれることを願わずにはいられなかった。

【堅忍不抜】…がまんづよくたえ忍んで心を動かさないこと。

【導引】…深呼吸して大気を体内に入れる。一種の治療・養生法。

【罪垢】…罪悪が身を汚すのを垢にたとえた語。つみのけがれ。

【伍する】…仲間に入る。同等の位置にならぶ。肩を並べる。

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