第52章 仲間
研究発表を終えてから、数日が過ぎた。
真司自身の生活は、それほど変わっていない。
大学へ行き、講義をする。
空いた時間に資料を読み、帰れば六畳一間でパソコンを開く。
ただ、発表会に参加していた研究者から、メールが届くようになった。
――先日の発表について、もう少し詳しく話を聞きたい。
――並行世界線という仮説には疑問が残るが、提示された現象については興味深い。
――現時点では、既知の現象だけですべてを説明することは難しいように思います。
その中に、一通のメールがあった。
――検証できない現象については、これまでとは違う見方も必要だと思います。
――並行世界線については、まだ判断できません。
――ただ、私の専門分野から確認できることがあれば、協力します。
「……協力、か」
真司は、もう一度メールを読み返した。
そして短く返信した。
――ありがとうございます。よろしくお願いします。
次のメールを開く。
今度は、発表会で審査をしていた研究者からだった。
――あなたは、提示した複数の現象が、同じ原因によって起きていると考えていますか。
「…………」
真司はキーボードに手を置いた。
少し考える。
――分かりません。
そう打った。
続ける。
――同じ原因だと証明できるものは、今のところありません。
――ただ、別々の現象だと判断できる根拠も、僕はまだ持っていません。
読み返して、そのまま送った。
受信欄には、まだ何通かメールが残っている。
真司は次の一通を開いた。
*
その夜。
真司の六畳一間には、舞がいた。
「そろそろだと思います」
舞はテレビのリモコンを手に取った。
「何時から?」
「ニュースの中の特集なので、正確には分からないです。父が出るのも少しだけみたいですけど」
「浅田さん、テレビ出るんだな」
「たまにですよ。専門のことで聞かれたときくらいです」
舞がテレビをつける。
画面では、ニュースキャスターが今日一日の出来事を読み上げていた。
真司は珈琲を二つ淹れ、一つを舞の前に置いた。
「ありがとうございます」
二人でテレビを見る。
特集はなかなか始まらなかった。
事件。
経済。
スポーツ。
「まだ?」
「たぶん、次くらいです」
「本当に今日?」
「今日です」
舞が少しだけ笑った。
真司は珈琲を飲む。
やがて、画面が切り替わった。
『――続いては、各地で目撃が相次いでいる、雷光現象についてです』
「あ、始まった」
舞がカップを置いた。
真司も画面を見る。
夜空に突然、白い光が走った。
スマートフォンで撮影された映像だった。
『雷のような強い光が突然現れ、わずかな時間で消えるこの現象。その見た目から、一般には「雷光現象」と呼ばれています』
別の映像に切り替わる。
今度は昼間だった。
晴れた空の一角に、白い光が一瞬だけ現れる。
『以前から各地で確認されているこの現象。最近では、目撃される回数が増えています』
画面には、いくつかの発生地点が表示されていた。
『天候に関係なく発生しているのも特徴です。雨雲がない状態でも確認されており、雷鳴のような音もほとんど報告されていません』
街頭インタビューに切り替わる。
『一回だけ見ました。最初は雷だと思ったんですけど、音がしなくて』
『動画なら見たことあります。実際に見たら怖いでしょうね』
『何なんですかね。電気か何かじゃないんですか?』
真司は黙って見ていた。
どれも、すでに知っていることだった。
『では、この雷光現象はいったい何なのでしょうか』
画面が切り替わる。
研究室らしい部屋。
「あ、父です」
舞が少しだけ身を乗り出した。
画面の下に名前が表示される。
――気象学者 浅田正人。
「なんか変な感じだな」
「何がです?」
「浅田さんがテレビに出てるの」
「私も」
二人とも少しだけ笑った。
『浅田さんは、以前からこの現象について調査を続けています』
記者が尋ねる。
『雷光現象という名前ですが、やはり雷の一種なんでしょうか?』
『いえ。雷光現象というのは、見た目からそう呼ばれているだけです。雷だと確認されているわけではありません』
『では、実際には何が起きているんでしょう?』
『見た目だけなら、何らかの放電現象に近いようにも見えます。ただ、雷雲がない状態でも発生している。通常の放電現象として考えると、説明できない点があります』
『ほかにも、分かっていることはありますか?』
『熱です。発生した瞬間、非常に大きな熱量が観測されることがあります』
画面に観測データが表示された。
『ただ、その熱が残らないんです』
『残らない?』
『現象が消えると、ほぼ同時に確認できなくなります』
『それだけの熱なら、周囲に何か影響が残るのでは?』
『普通なら、そう考えます。ですが、今のところ確認されていません』
『では結局、この現象が何なのかは――』
『分かっていません』
浅田は淡々と答えた。
『放電現象なのか。それとも、まったく別の現象なのか。それも含めて調べている段階です』
『危険性については?』
『それも、まだ分かりません』
浅田は少し間を置いた。
『分からないから、調べる。それだけです』
舞が小さく笑った。
「父らしい」
「そうだな」
画面は再び、夜空に現れた光へと切り替わった。
『各地で目撃が増えている雷光現象。原因については、現在も調査が続けられています』
映像がスタジオへ戻る。
『続いて、スポーツです』
画面が切り替わった。
野球場の映像が流れ始める。
舞は珈琲に手を伸ばした。
*
研究発表から、一週間が過ぎた。
浅田は研究室のパソコンを見つめていた。
この一週間で、雷光現象の観測件数はさらに増えていた。
国内だけではない。
海外からも、同様の報告が相次いでいる。
発生する場所に、目立った共通点はない。
時間帯も違う。
天候も違う。
それでも、報告される数だけは増えていた。
「……増えてるな」
浅田は画面を切り替えた。
先日、何人かの研究者に送ったメール。
その返信も届き始めていた。
物理学。
航空。
天文学。
それぞれの専門から、送ったデータについての見解が返ってきている。
浅田は一通目のメールを開いた。
大気中での放電。
局所的なプラズマ現象。
観測機器の誤差。
いくつかの可能性が検討されていた。
だが、そのどれにも当てはまらない観測結果が残っている。
最後に、短く書かれていた。
――現時点では、既知の現象だけで説明することは難しい。
浅田は次のメールを開いた。
航空分野の研究者からだった。
通信障害。
レーダーからの一時的な消失。
航路からの逸脱。
機体の不具合。
考えられる可能性は調べられている。
しかし、機体そのものが見つかっていない。
残骸もない。
遭難信号も確認されていない。
――現時点の情報だけでは、結論を出せない。
「…………」
次は、天文学を専門とする研究者からだった。
月蝕の際に目撃された、もう一つの月。
大気による屈折。
光学現象。
錯視。
集団的な誤認。
いくつもの可能性が挙げられていた。
だが、どれも決め手にはなっていない。
浅田は椅子にもたれた。
答えはない。
だからといって、真司の仮説が正しいわけでもない。
浅田は机の上のノートを開いた。
雷光現象。
航空機の消失。
月蝕時の月。
三つを書き並べる。
しばらく眺めてから、その下に一行だけ書いた。
――同じ原因である必要はない。
「まずは、一つずつだな」
浅田は雷光現象の資料を手元に寄せた。
自分の専門だ。
発生地点。
時刻。
気温。
湿度。
気圧。
雲量。
風向。
風速。
そして、発生時に観測された熱量。
新しい記録を、過去のものと並べていく。
「…………」
浅田の手が止まった。
数値が違う。
以前の雷光現象では、熱は光が現れた瞬間にだけ観測されていた。
光が消える。
ほぼ同時に、熱も消える。
周囲には何も残らない。
それが、これまでの観測だった。
だが、最近の記録は違う。
光が消えたあとも、わずかな時間だけ熱が残っている。
数秒にも満たない。
それでも、以前にはなかった。
「……残ってる?」
浅田は別の観測記録を開いた。
同じだった。
さらに別の記録。
そこにも、わずかな熱が残っている。
最も新しいデータを開く。
発生地点の近くに設置されていた温度センサー。
現象の直後、周囲の温度が一瞬だけ上昇していた。
「…………」
浅田は過去の記録と見比べた。
もう一度、新しい記録を見る。
熱は、現象とともに消えていた。
それが――
残り始めている。
浅田は画面を見つめたまま、動かなかった。




