第39章 双極
皆既日蝕から、しばらく経った。
あの日、多くの人が見たという異常は、結局どこにも記録されていなかった。
カメラも、観測機器も、残していたのは普通の皆既日蝕だけだった。
一時は大きく報道されたものの、原因は分からない。
やがて、ニュースで取り上げられることも少なくなっていった。
*
浅田正人は、研究室にいた。
モニターには、世界各地で観測された雷光現象の記録が並んでいる。
音もなく、雷のような光が横に走る。
そして、消えたあとには何も残らない。
正人がこの現象を追い始めた頃は、数年に一度確認される程度だった。
それが、年に一度ほどになった。
やがて、数か月に一度。
最近では、世界のどこかで月に一度か二度は確認されている。
「……増えてるな」
世界全体で見れば、まだ頻繁とは言えない。
だが、長年追ってきた正人には、その変化がはっきりと見えていた。
しかも、変わっているのは頻度だけではない。
正人は、衛星の観測記録を開いた。
初期に捉えられた熱源は、数百度程度。
その後、五百度を超えた。
千度。
そして、直近の記録。
――一五〇〇度超。
「……また上がってる」
別の衛星にも、同じ時刻、同じ場所で高温を示す数値が残っている。
だが、現象が消えたあとには何もない。
焼け跡もない。
残留熱もない。
高温だったことを示すのは、衛星に残された観測記録だけだった。
正人は、過去の数値を追った。
数百度。
五百度。
千度。
一五〇〇度。
「……どこまで上がる」
上限があるのか。
それとも、このまま上がり続けるのか。
正人は、一五〇〇という数字を見つめた。
そのとき、机の上の電話が鳴った。
「はい、浅田です」
相手の話を聞く。
正人の表情が変わった。
「……いつですか」
メモに時刻を書き込む。
「場所は?」
続けて座標。
「通信が途絶えたのは?」
正人は別の画面を開いた。
「その前後に、発光は確認されていますか」
少し間があった。
正人の手が止まる。
「……分かりました。記録を送ってください」
電話を切る。
聞いた時刻と座標を入力した。
直近の雷光現象の記録が表示される。
ほぼ同じ場所。
時刻も近い。
ほどなくして、詳細が届いた。
一機の旅客機が飛行中に通信を絶ち、その直後、レーダーから消失。
現在も機体は確認されていない。
正人は黙って、過去の記録を呼び出した。
以前にも、一度あった。
雷光現象が確認された空域で、航空機が消えている。
一度なら、偶然かもしれない。
だが――。
「……二度目か」
*
その夜。
真司は、自宅で論文を書いていた。
何度か文章を書き直してみたが、どうにも考えがまとまらない。
「……ちょっと休むか」
椅子にもたれ、冷めかけた珈琲に手を伸ばす。
ふと、以前の書き込みを思い出した。
真司は気分転換に、学術系掲示板を開いた。
あれから返事が来ていないか。
少し気になっていた。
以前の書き込みを開く。
――あなたの世界での日蝕は、普通でしたか?
その下に、一つの返信がついていた。
――こちらでは、皆既日蝕は発生していません。
「……え?」
さらに、その下に続いている。
――次回は、約八年後に予定されています。
「……八年後?」
真司は読み返した。
こちらでは、皆既日蝕はすでに起きている。
しかも、以前から予測されていたものだった。
それが、向こうでは八年後。
真司は返信欄を開いた。
少し考えてから、文字を打つ。
――以前、僕と話していた方ですか?
送信する。
しばらく待った。
返事はない。
真司は画面を見つめた。
以前やり取りした相手の書き込みは、痕跡もなく消えた。
運営にも記録は残っていなかった。
その掲示板に、今度は返事が来ている。
「……誰なんだ?」
*
翌日。
真司は講義を終えると、舞を探していた。
研究室にはいない。
廊下を歩きながら、スマートフォンを取り出す。
昨夜の返信は、まだ残っていた。
「あ、真司さん」
声に振り向く。
廊下の向こうから、舞が歩いてきた。
「舞さん。ちょうど探してました」
「私を?」
「ちょっと見てほしいものがあって」
真司はスマートフォンを差し出した。
舞が画面を見る。
「掲示板?」
「前に話したやつです」
「ああ……書き込みが消えたっていう」
「はい」
舞の目が、返信のところで止まった。
「……八年後?」
「こっちでは、この前の日蝕は予定通りでした」
「じゃあ、この人のところでは……」
「起きてないことになる」
舞は、もう一度画面を見た。
「この人、前にやり取りしてた人?」
「分かりません。それを聞いたんですけど、返事はまだありません」
「……これ、お父さんに見せてもいいですか?」
「お願いします」
舞はスマートフォンを返した。
「ちょうど、父も気になることがあるみたいなので」
「気になること?」
舞は一瞬、言葉を選んだ。
「雷光現象です」
真司が舞を見る。
「また、何かあったんですか?」
「詳しくは聞いてません。ただ――」
舞は少し表情を曇らせた。
「昨日から、ずっとデータを調べてます」




