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78. 王の顕現

 土煙が立ち込める。

 荒い息を吐きつつ、右腕を下ろす。


「……あ、ガッ……アァァ……」


 煙の奥から低く濁った呻き声が漏れる。

 まだ生きている。

 やはり再生できなくなるまで削るしかないのか。

 

 再び『無限の手』にマナを込める。


 煙が晴れ、そこに立っていたのは胸から腹にかけて巨大な穴を穿たれたグリムハルトだった。

 背後の壁が見えるほどの欠損。常人なら即死――いや、形を保っていること自体がおかしい。

 だが。


 グチャ、ブチュリ。


 断面から赤黒い肉芽が溢れ出す。再生が始まっていた。


「悪いけど、再生は待たない」


 第二波に向け、エネルギーを収束させる。

 その時、突如としてグリムハルトの身体に異変が走った。


「なんだ……!? 私の中の魔素が……抜けて……!?」


 再生しかけていた肉芽が止まり、全身からどす黒い霧が噴き出した。

 霧は空中で渦を巻き、形を成していく。


 ――人の、形。


 霧が晴れる。

 そこに、ひとりの少年が降り立った。


 十六、七ほどの年頃。

 黒く艶のある髪。透き通るような白い肌。

 宝石のように冷たい碧い瞳。


 一瞬、時間が止まった。


 ――リゼだ。

 

 違う。顔立ちは瓜二つだが、輪郭も骨格も、纏う空気も、明らかに男のそれだった。


『……レオン』


 脳の奥でリゼが震える声でその名を呼んだ。


 レオン。ヴァンクロフトの現当主。能力者の王。リゼの双子の弟であり、彼女が恐れ、逃げ出した相手。

 それが、なぜここにいる。


 俺の視界には少年を形作るマナの流れが見えていた。

 おかしい。でたらめだ。

 グリムハルトも異常だったが、この少年は次元が違う。

 ただ立っているだけで世界が歪む。すべてがこいつを中心に回っているような感覚。

 海だと思っていた相手の背後に、底なしの宇宙が広がっていたようだ。


「やあ、姉さん」


 レオンが口を開く。

 無邪気な、それでいて冷たい笑みだった。

 その声は俺の鼓膜ではなく、融合しているリゼの精神へと直接語りかけているようだった。


「本当にこんな未来(ところ)まで来ていたんだね。探すのに苦労したよ」


 視線が頭のてっぺんから爪先まで滑る。


「ヒヤヒヤしたよ。まさか姉さんが、そんな男と同化しようとするなんてね。でも……安心したよ」


 くすりと笑い、こちらを見た。


「完全な融合じゃない。ただの一時的な接続だ。まさか()()()()()いたなんてね」


 もうひとり? 何を言っている。


「どうやら何のことか分かっていないようだね。姉さん、教えてあげてないの? 意地悪だね」


 なんのことだ。

 リゼの反応はない。レオンを前に息を潜めているのか、それとも……。


「まあ、都合が良かったよ。おかげで姉さんがゴミと一緒になる前に、こうして迎えに来られたんだから」


 レオンは視線を外し、背後で膝をつくグリムハルトへと振り返る。

 かつてS級能力者として君臨した男が、少年の前で震えていた。


「お友達、死んじゃったの、残念だったね」


 こちらを見もせず、淡々と言い放つ。


「姉さんが悲しんでいるのが伝わってくるよ。だから、代わりにぼくがこいつをこらしめてあげる」


「殺したのは、貴様が――」


 グリムハルトが血を吐き、訴えかける。


 ピチャッ。


 小さな音。

 レオンが人差し指をわずかに上げる。

 グリムハルトの口が塞がった。


「んがっ……!? むぐゥッ……!!」


 唇が完全に癒着していた。


「言い訳は聞きたくないな。姉さんを悲しませたこと、許さないよ。それにぼくはね、そもそもお前が嫌いなんだ」


 レオンは笑顔のまま、ゆっくりと歩み寄る。


「お団子遊び、好きだったよね? グリムハルト」


 ――ビキッ。


 グリムハルトの巨体が上下から押しつぶされた。見えない手に挟まれたように、一瞬でひしゃげる。


「んんんんんんッ!!!」


 塞がれた口の奥から、くぐもった声が漏れる。

 

 バキバキバキッ!

 

 全身の骨が一斉に砕ける。

 レオンはただ、両手を少しずつ近づけているだけだ。


「君、いつも弱い者相手にやってたじゃないか。楽しそうに。たまにはされる側になってみるのも、新鮮でいいよね?」


 にこやかなまま、両手をさらに近づける。


 グチャリ。

 

 長い両足が折り畳まれ、胴体へめり込んだ。腕が折れ、胸郭がひび割れ、内臓が潰れる。口と鼻から血が噴き出した。

 抵抗すらできないまま、肉団子へと圧縮されていく。


「ほら、もっと小さく、丸く。綺麗なお団子にならないとダメだよ」


 さらに縮み、輪郭を失い、やがて見えなくなった。

 

「はい、おしまい」


 レオンが頷く。

 血の一滴も残っていない。

 グリムハルトはあまりにも呆気なく、この世から消えた。


「さて」


 手を軽く払い、ゆっくりとこちらを振り返る。

 碧い瞳が、真っ直ぐに俺を――いや、俺の中のリゼを射抜いた。


「こんなところにいても楽しくないよ。姉さん、そろそろ帰ろう。ふたりで世界をあるべき形に導くんだ」


 一歩、レオンが踏み出す。

 身体が動かない。

 戦うも逃げるもない。捕食者の前に晒された小動物のように、本能が凍りついていた。


「……おや?」


 レオンが視線を落とす。

 革靴のつま先から黒い霧が立ち上っていた。

 煙のように空気に溶け出し、輪郭が少しずつ曖昧になっていく。


「なんだ、もう限界か。せっかく姉さんを見つけたのに」


 わずかに肩をすくめ、ため息をつく。

 崩れていく自分の身体を見ても焦る様子はない。


「面白そうだったからね。魔素の一部を切り離して、グリムハルトの中に忍ばせておいたんだ」


 指先が黒い塵となって崩れていく。

 それを眺めながら続ける。


「ミカゲラボの自爆。あんなもので姉さんが死ぬはずはないからね。でも、反応は消えていた。だから思い出したんだ。博士とグリムハルトが、未来に遊びに行ったって話をね」


 グリムハルトの中に魔素を。

 つまりこいつは本体じゃない。

 依り代に顕現したただの影に過ぎないということか。

 

 ……ふざけるな。

 これが本体のほんの一部だというのか。


「でも、失敗したな」


 レオンは手のひらを見つめ、くすりと笑った。


「グリムハルトをつい殺しちゃったからね。依り代が消えたら、この分離した意識も長くはもたない。……この記憶を持って帰れないのが、少し残念だな」


 記憶を持ち帰れない。

 その意味を脳が必死に咀嚼する。

 つまり、元の時代にいるレオン本体はリゼがここにいることを知ることはない。今日ここで起きたことも、グリムハルトが死んだことも。


「まあ、いっか」


 身体はすでに胸のあたりまで霧散していた。


「姉さん。グリムハルトほど死んでも惜しくなくて、それなりに使える駒は、もうぼくの手元にはないんだ。だから、また襲撃があるんじゃないかって心配は、しなくていいよ」


 救いのはずの言葉だった。

 でもその底にあるのはただの傲慢さだ。

 世界を恐怖に陥れたS級能力者が、こいつにとっては「死んでも惜しくない駒」でしかない。


「待ってるからね、姉さん」


 首だけになったレオンが微笑む。

 次の瞬間、黒い霧となって弾け、溶けて消えた。


 静寂が戻る。

 いや、静寂というにはあまりにも重く、息苦しい。


 リゼとの融合がゆっくりと解けていく。

 内側にあった彼女の気配が薄れていくのが分かった。

 同時に、押し込められていた痛みが一気に噴き出す。


「がはっ……!」


 血の塊を吐き出し、膝をついた。

 肋骨は折れ、筋肉が悲鳴を上げている。

 それでも顔を上げ、周囲を見渡す。


 ……ひどい有様だ。


 少し離れた瓦礫の山。

 ヴァイルが倒れていた。左腕を肩からごっそりと失い、ぴくりとも動かない。

 その傍らでセシルが兄にすがりつき、声にならない声を漏らしている。


 壁際ではルミナが倒れていた。

 意識を失ったままだ。

 俺が連れてこなければ彼女がこんな目に遭うことはなかった。

 ヒルダさんに、なんて言えばいい。


 暗闇の奥。

 カイムの上半身の傍らでフィオナが膝を抱えて座り込んでいた。

 瞳から完全に光が消えている。

 遺された赤いペンダントを胸に抱き、虚空を見つめていた。


 クロスタは床にへたり込んだまま動かない。

 グリムハルトは消え、彼女の復讐も潰えた。


 これが、俺の望んだ結果か。

 

 勝った? 冗談じゃない。

 何ひとつ守れていない。

 俺がもっと強ければ。過信せず、もっと考えていれば。

 ……いや。そもそも俺がこの時代に来なければ。


 どうしようもない後悔と虚無が押し寄せる。

 身勝手な選択で彼女たちの人生を壊した。


『……颯太』


 脳の奥でかすかな声が響く。

 リゼだ。同化の残滓だろうか。

 まだ離れきっていない意識が俺の中に触れてくる。

 彼女もまた、泣いていた。

 母親を二度失い、大切な友人を奪われた。

 その重さがそのまま流れ込んでくる。


 けれど。


『……帰る』


 震えていた。でも、その奥に確かな熱があった。


『元の時代へ、帰る』


 逃避じゃない。

 目を背け続けてきた宿命。弟、レオン。それと向き合うための言葉だ。

 覚悟を決めたんだ。


『……ああ。帰ろう、リゼ』


 心の中で応える。

 ここに俺の居場所はない。

 最初からなかったんだ。

 俺はただの迷子で、中途半端な異邦人でしかなかった。

 留まる理由なんて何ひとつない。


「……っ」


 不意に視界が揺れた。

 骨折と内臓の損傷。限界はとうに超えていた。

 全身から力が抜けていく。瞼が重い。


 セシルの泣き声が遠くなる。


 ――マリア。

 ごめん。

 大好きだって、伝えられなかった。


 その想いを最後に、意識が落ちた。

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